1-7
沙織が本庄玲夏と表札のある楽屋の扉をノックして開けた。
「お邪魔しまーす……」
『なぎさちゃーん。久しぶり』
楽屋に入った二人を真っ先に出迎えた声は玲夏の声ではなく、よく通る男性の声。それもなぎさには聞き慣れた声だ。
「一ノ瀬さん!」
俳優の一ノ瀬蓮がソファーに座ってなぎさに向けてひらひらと片手を振っていた。蓮の隣には先程のカーテンコールで見たシルビアの舞台衣装とメイクそのままの玲夏がいる。
『早河さんもお久しぶりです』
『お久しぶりです。一ノ瀬さんもいらしていたんですね』
立ち上がり手を差し出した蓮と早河は握手を交わす。
『千秋楽ですからね。うちの事務所の稼ぎ頭の有終の美を観に』
「一番の稼ぎ頭が何言ってるのよ」
蓮と玲夏は半年前の事件の出来事を感じさせない、元のやりとりを交わしている。
半年前、早河の元恋人の玲夏に届いた脅迫状。
差出人を突き止めて欲しいと玲夏が早河探偵事務所に依頼をしたことで早河は玲夏と再会、なぎさも彼女達と関わりを持った。
神戸のドラマ撮影になぎさが付き人として同行した矢先に撮影関係者が死亡する事態となり、最後は玲夏と蓮にはやりきれない結末で事件は幕を閉じた。
あの事件直後は玲夏も蓮もマスコミに追われて仕事も自粛していたが、今では元通り二人ともテレビで見ない日はない人気ぶりだ。
「一ノ瀬さんってやっぱりイケメンですよね。何て言うか、オーラが一般人とは違う……」
蓮とは半年前の潜入調査以来、会う機会はなかった。久しぶりに間近に見る人気俳優はかつて以上にキラキラとした輝きを放っている。
『なぎさちゃん、彼氏の前でそんなこと言っていいの? ヤキモチ妬いちゃうよ?』
「一ノ瀬さんなんで知って……」
フランクな雰囲気も相変わらずだが蓮がなぎさの彼氏と表現した先には早河がいる。玲夏を見るとシルビアのメイクのまま眉を下げて笑っていた。
「ごめんね。蓮には二人のことよく話してるの。だからなぎさちゃんが仁とくっついたことも言っちゃったのよ」
『顔に似合わずお喋りな女だな』
「何か言った? 鈍感探偵さん」
『マリオネットの化粧のまま含み笑いするな。不気味』
「仕方ないでしょ。この後記念撮影するからメイク落とせないの」
早河と玲夏のやりとりもいつも通りだ。蓮との再会と、舞台の感想を伝えて一区切りした時に早河が本題を切り出した。
『で、俺達に話ってなんだ? また何かの依頼?』
「ああ……話があるのは私じゃなくて蓮なのよ」
玲夏が蓮と目を合わせる。蓮は飲んでいたコーヒーのカップをテーブルに置いた。彼の様子からこれまでの楽しい雑談ではないことは早河となぎさにも察しがついた。
『話って言うか、気になることがあったんで早河さんに聞いてもらいたかったんです』
『気になることとは?』
素早くプライベートから仕事の顔になる。なぎさもメモの用意をして蓮の話を待った。
『早河さんは黒崎来人、ご存知ですか?』
『黒崎来人……俳優の?』
『そうです。今日の舞台で玲夏の相手役をしていた俳優です』
なぎさは傍らに置いたパンフレットを開いて出演者一覧ページを早河に見せた。ページ最上部の玲夏の写真の隣に人形遣いのエリック役、黒崎来人の写真と主な経歴が掲載されている。
『この黒崎来人のことで気になることが?』
『ええ、それも早河さん達に関係していることじゃないかと思って』
『俺達に? まさか……』
不安の色を見せるなぎさに蓮は微笑した。彼は話を続ける。
『先月の末にテレビ局で黒崎とすれ違いました。俺と黒崎は現場は違いましたし、元々親しくもないので軽く挨拶しただけでその時は素通りでしたが、妙にコソコソ人目を避けるようなアイツの様子が気になって後を追ったんです』
玲夏や部屋で待機しているマネージャーの沙織は蓮の話の顛末を知っているのか落ち着き払っていた。
『黒崎は人のいない場所を選んで誰かと電話をしていたんです。話の内容は聞き取れませんでしたが、これだけは聞き取れました』
一拍置いて蓮は告げる。
『電話相手に向かって黒崎はキングと呼んでいました』
楽屋の空気が瞬時に重苦しいものに変わった。
『キング……確かに黒崎はそう言ったんですね?』
『はい。早河さんが追っている組織については玲夏やうちの社長から聞いて大方のことは知っています。キングは組織のトップの通称ですよね。この世界にそう何人もキングなんて呼び名で呼ばれている人間がいるとも思えませんし、玲夏と相談して早河さんに一応お伝えしておくことにしたんです』
蓮は玲夏に顔を向けた。雑談をしていた時とは違って玲夏の表情も固い。
『玲夏は黒崎とは個人的な付き合いは?』
「共演者だから稽古や公演の合間に一緒に食事に行く機会はあった。でも個人的な付き合いはほとんどない。沙織が目を光らせてくれてるからね」
「黒崎来人は共演者喰いで有名なんです。彼の素性がどうであれ注意は払っていました」
玲夏の言葉を沙織が補足する。
なぎさは携帯のネットで黒崎来人の経歴を検索した。彼女は黒崎の来歴ページを読み上げる。
「黒崎来人ってデビューしてすぐにアメリカに留学しちゃいましたよね。当時けっこう騒がれていました。2000年にデビュー、2年後の2002年に俳優修行を目的に渡米、ハリウッドの劇団で経験を積み、2006年に帰国……」
『黒崎がアメリカにいたのは2002年から2006年……貴嶋と寺沢莉央がアメリカにいた時期と一致する』
渡航記録によれば莉央が貴嶋と共に渡米した時期は2002年の9月だ。
「寺沢莉央ってカオスのクイーンよね? なぎさちゃんの友達の……」
「……はい。莉央も2006年までアメリカにいたようです。2006年2月にロサンゼルスの空港から帰国しています」
『ロサンゼルスの空港ね。ちなみに黒崎が留学していたハリウッドがあるのもロサンゼルスだよ』
蓮の指摘になぎさは驚愕し、早河の表情もいっそう厳しいものになる。
『黒崎が留学中に貴嶋や寺沢莉央と何らかの接触があったとすればカオスに引き込まれている可能性はある。早急に詳しく調べてみます』
『お願いします。黒崎もまだこの劇場にいますからね。来週からは俺と玲夏はドラマの録りで黒崎と同じ現場です。早河さんに調べてもらって奴に何もなければそれに越したことはない』
蓮が心配しているのは自分の身よりも玲夏の身の安全の方だろう。
舞台の演出家と出演者が玲夏の楽屋を訪れた事をきっかけに早河となぎさは楽屋を辞した。
蓮も馴染みの演出家と少し話をした後に楽屋を出て、早河達と共に劇場の外に出る。蓮のマネージャーが駐車場で待機していた。
『一輝は元気にしていますか? アイツとも夏に会った以来だから』
『忙しくしていますけど、いつも煩いほど元気ですよ』
潜入調査をするなぎさのフォローをする形で矢野も半年前のドラマの撮影に同行していた。その時に矢野と蓮はかなり親しく打ち解けていた。
マネージャーの車に乗り込もうとした蓮は振り返り、かけていたサングラスを持ち上げた。
『乃愛はまだ裁判中ですよね』
『ええ。判決はまだ出ていません。事件当時の彼女が未成年だったことや、犯した罪が殺人教唆罪だったことで判決が延びているようです』
半年前の事件の主犯だった元女優の沢木乃愛は現在は東京拘置所に勾留されている。
『一ノ瀬さん。余計なことかもしれませんが、沢木乃愛の件であなたが責任を感じることはない。裁かれるべきは沢木乃愛の弱さにつけこんで利用したファントムです』
『わかっています。だからもし黒崎がそのファントムとか言う奴なら俺は絶対に黒崎を許せない。玲夏とはまた違うけど俺にとって乃愛は大事な後輩でした』
蓮を乗せた車が劇場の駐車場を去った。
「一ノ瀬さん本当に玲夏さんのことを大事に想ってるよね」
『そうだな。玲夏が俺のこと鈍感探偵って言うけどアイツだって鈍感女優だ。いい加減、一ノ瀬蓮の気持ちに気付けばいいのに』
「近すぎるからこそ気付けない気持ちもあるんだよ」
寒空に街路樹の枯れ葉が揺れている。二人は手を繋いで歩き、寒さに身を竦めた。
『黒崎来人……今までノーマークだったが調べてみる必要はあるな』
「乃愛ちゃんが、ファントムは芸能界に詳しい人間かもしれないって言っていたのよね」
『ファントムの職業が役者ならそれも当然だろうな。……どれにする?』
駐車場の側の自販機に小銭を入れた早河がなぎさに聞く。なぎさは自販機に並ぶ飲み物の列から一番右のボタンを押した。
「あったかいココア!」
『また甘そうなものを……』
苦笑いした早河はホットココアの缶を取り出し口から出して彼女に渡し、自分はホットコーヒーを選んだ。
冬の晴天の下で彼は思う。
この何気ない幸せが続けばいい。
ずっと、ずっと……。
第一章 END
→第二章 Doll house に続く
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