第26話

あのお腹の子は、誰の子供なんだろう。


「あれ、ちょっと、どこへ行くんですか?」


「ちょっと、さんぽ」


店の外に出た俺の目の前に、菜々子ちゃんが立っていた。


「違うの! 用事があって、ここを通っただけなの!」


「うん、俺も、散歩に行こうと思ってただけで、菜々子ちゃんに会いたいなんて、思ってもなかったよ」


彼女は、くるりと背を向けた。


駆けだしていく小さな背中を、俺は追いかけることができない。


「お~い! 菜々子! 約束してた塾のテキスト、持ってきてやったぞ!」


北沢くんのその言葉に、菜々子ちゃんは振り返った。


「バーカ!」


捨て台詞というには、あまりにも哀しいひびき。


「おい! なんだよ、せっかく持ってきてやったのに! ねぇ、バカとか酷くないです?」


そんなことを言ってる北沢くんは、俺の横に立っている。


「追いかけていかないの?」


「追いかけていって、なにするんですか?」


北沢くんは、動かない。


俺も、動けない。


「でも、追いかけていった方が、いいような気がする」


「まぁ、本来はそうなんでしょうね」


彼とまた目が合った。


所詮、俺たちはこの程度で、これが限界なんだ。


追いかけていって、何をしよう。


俺はただ見上げている北沢くんと、全く同じ顔をして北沢くんを見下ろしている。


追いかけていって、なんて言おう、追いかけていって、何が出来るんだろう。


「僕、テキスト、持ってき損ですよね」


「うん」


「なんか、気を使って、損しましたよね」


「うん」


男二人は居間に戻って、何となくいつもの流れでお菓子の袋をあけたけど、誰も手をつける人がいない。


「なんか、静かですね」


「うん」


「静かになって、よかったんですかね」


「さぁ」


長い沈黙。


男二人だと、本当に間が持たない。


「なんか、しゃべってくださいよ」


そんなことを言われてからの、数秒経過。


「菜々子ちゃんってさ」


北沢くんは減らないお菓子を見つめていて、俺も減らないお菓子を見つめている。


北沢くんが、それを一つ手に取った。


「どんなお菓子が好きだっけ」


「あいつ、出てるものなら、何でもだいたい食べますよね」


「今度さ、それを聞いといてよ。なにが好きなのか」


俺が彼女を追いかけられなかったのは、多分それを知らなかったせい。


「分かりました」


そう言って彼は、手にしていた細長いスナック菓子の一本を、元に戻した。


「なんか、つまんないから、僕、もう帰りますね」


気がつけば、いつの間にか北沢くんがいなくなっていて、そのことにふと気づけば、部屋も薄暗くなっていて、千里が帰ってきていたことにすら、俺は気づいていなかった。


きっと北沢くんなら、こんどから菜々子ちゃんを追いかけられるだろう。


彼女の好きなお菓子を、知ってさえいれば。

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