第4話

俺は迷わず、ペンを手にとる。


「絶対ウソだから、契約するな!」


その瞬間、猫は俺の手に、がぶりと噛みついた。


「痛っ! 何するんだよ!」


「さっきから、ニャーニャーとうるさい猫だね!」


俺の手に噛みついた老猫に、祈祷師の女がその手を振り上げた。


「まったく、しつけがなってないよ、ここんちの猫は!」


祈祷師の手が、迷い込んだ老猫の上に振り下ろされる。


老女の手が頭に叩きつけられるその直前に、俺はさっと猫を抱き上げた。


「叩かないでください」


俺は猫を頭の上に持ちあげたまま、前を向いている。


「本気で人助けをしようとする人が、自分より弱いものをいじめちゃダメです」


「私はただの猫ではない! 魂の指導者だ!」


「猫でしょ!」


「単なる猫ではない!」


「本当に魔法使いっていうんなら、じゃあなんか魔法を使ってみろよ!」


俺は、抱き上げた猫をちゃぶ台の上に下ろした。


下ろされた猫は、その顔に不敵な笑みを浮かべる。


「では、今からお前の世界の中で、お前の知る最強の者を召喚しよう。この女のウソを暴き、そして追い払う者だ」


その言葉に、思わずごくりとつばを飲み込む。


この猫も、やっぱりタダ者じゃない。


「あのねぇ、あたしは魔法使いなんかじゃなくて、スピリチュアルカウンセ……」


サラリと乾いた音がして、居間のふすまが開いた。


「ただいま」


「うわぁっ!」


突如現れた、その『最強の者』の姿に、俺は本気で真剣に腰を抜かした。


『最強の者』は、カラフルなみの虫祈祷師の婆さんに、冷たい視線を投げかける。


「この人だれ? あんた、また変なの拾ったの?」


現れたその女は、ちゃぶ台の上にあった祈祷師との契約書を手にとった。


「なによこれ」


「これは、幸せを呼ぶ水晶でしてねぇ……」


突然のこの乱入者に対し、祈祷師は急に声色を変え、実にへりくだった謙虚な態度で接する。


「あぁ、詐欺師か」


「なんでそんなことが分かるんだよ!」


コイツの姿を見るのは、実に一年ぶりだ! 


めったにここにはやってこない、なにも知らないこんな奴に、俺の人生に全く無関係なこんな女に、もうこれ以上騙されてはいけない!


「こ~んなよくある手に、わざわざひっかかるあんたの方がびっくりよ」


「どうして、そんなことが簡単に言えるんだよ!」


俺は持っていたペンを、床にたたきつける。


「あの、こちらの方はどなた?」


祈祷師の声に、俺の天敵はにっこりと微笑んだ。


「あぁ、私は、この子の姉です」


俺の天敵、義理の姉、二番目の連れ子、荒間尚子、三十五歳。


「私のこと、ご存じないですかねぇ」


尚子は持っていた鞄の中から、一冊の本を取り出した。


その本の表紙は、もちろん本人の顔写真ドアップ。


タイトルは『私の真実~年商二十三億を十年で築いたその華麗なる軌跡~』実用書籍で今年の売り上げトップテンに入る、人気の経営本だ。


「実はここ、私の実家なんですぅ」



尚子はにっこりと微笑んで、祈祷師の女に握手の手を差し出した。


祈祷師は、本の表紙と実際の顔を、何度も見比べる。


「まぁ、どこかで見たお顔だと思ったら」


「カリスマ経営者の、荒間尚子でっす!」


おずおずと差し出した祈祷師の手を、尚子は強く握りしめて振り回した。


「まぁ、ではこんな水晶も必要ないですわね」


さっきまでの尊大な女祈祷師が、今では半分の大きさになってしまった。


そそくさとちゃぶ台の水晶を鞄にしまい、書類も片付ける。


「えぇ、いりません」


「じゃ、帰ります」


飛び去るように消えていったバアさんの背中を見送って、尚子はため息をついた。


「あんたも相変わらずねぇ」


「な、本当だろ」


態度のでかい尚子の足元で、同じくらい態度のでかい猫がふんぞり返る。


「なんで突然、ここに来たんだよ!」


「けっこうな言いぐさよね」


尚子は、足元の猫の頭をなでた。


「お父さんの葬式以来じゃない。今日は一周忌でしょ」


「覚えてたのかよ」


「もちろん」


そう言った尚子は、鞄の中から、小さな細長い箱を取り出した。


「あんたの誕生日も」


受け取ったその箱を、開いてみる。


自分では絶対に買わないような、高級万年筆だった。


店先に並ぶ、雑誌の特集か広告でしか、見たことのないようなシロモノ。


「去年はバタバタして、誕生日、出来なかったからね」


「お前らになんか、絶対に祝われたくないけどな」


「まぁ、失礼ね~」


そんなことを言い合いながらも、尚子は好き勝手に部屋の真ん中に座ると、リモコンでテレビをつけた。


猫も満足げに、台の上に飛び乗る。

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