消しゴム

nobuotto

第1話

兵藤は期待を込めて自分が100歳になる2054年から紙に書いていった。

「私は2054年に死ぬ」

「私は2053年に死ぬ」

「私は2052年に死ぬ」

 2051年も2050年も消すことができた。その次の年もその次も年も書いた。そして恐る恐る消しゴムをかけた。綺麗に消えて行った。

 そして「私は2030年に死ぬ」まで書き続けて、兵動はこれ以上続ける気力が無くなった。

「俺は、100歳以上生きられる。それともあと10年以内に死ぬ。そのどちらかということか」

 そう呟いては見たものの、後者なんだろうなと兵藤は思うのだった。


***


 兵藤氏は六十五歳になった。五十五歳で役職定年になりそれからは契約社員となって働いてきたが、一番下の息子が結婚したのを機に会社をすっぱり辞め第二の人生を送ることにした。

 これまでの人生は人並以上の成功に満ちたものだったと兵藤は自負していた。

 勿論、自分自身の努力の賜物である。

 そうは言いたいが、やはり素晴らしい道具に出会ったことが今の自分を作ったと認めざるを得ない。


 小学生の時に不思議な消しゴムを手に入れた。どこでどうやって手に入れたか記憶はない。ふと気づくと筆箱の中に消しゴムがひとつ増えていた。

 その消しゴムを使った時、兵藤は思わずクラスを見渡した。消しゴムなのに消せない。突然筆箱の中に現れた消しゴムは、途轍もない不良品で、クラスの誰かが自分をからかうために筆箱に入れた、自分はいじめの標的になっていると思ったからだった。

 しかし、違った。

 消せる時もあった。それは書いた事が正しかった時だった。

 この消しゴムを使うと間違った場合は消せるが正しい場合は消せないということに気づいたのだった。

 それから、そう小学生の時にこの消しゴムに出会った時から、兵藤はこの消しゴムを「先生」と呼び今まで一緒に生きて来た。

 勉強の成績は一気にアップした。記述式問題の場合は書いては消してと繰り返す時間もないが、マークシートの時は圧勝だった。全部にチェックを入れた後で消しゴムをかければいい。それだけで正解だけが残る。

 勉強だけなくて、恋愛にだって役に立った。

「佐藤さんは僕が好き」

 そう書いて消えればダメで、消えなければ告白すればいい。付き合い始めからもデート場所、プレゼントの選択と「先生」に聞いてきた。

 就職先も「先生」で決めた。社会人になってからも契約が取れそうな会社や将来性のある部下の選択など、いつだって「先生」に助けてもらった。なんだって思いつくものを全て書いてみて、消えずに残ったのが正しい答えなのである。

 結婚も「先生」に聞いて決めた。「先生」の答え、今の妻は美人でもなく平凡な女性だった。他に好きな人もいたが、「先生」に聞くたび消えていき今の妻だけが残った。もっと好きな人と一緒になりたかった、そんな気持ちも心のどこかにあるけど、この年になるまで夫婦ゲンカもなく、まずまず結婚生活を送る事ができたのは「先生」のおかげである。

 息子の受験・就職も「先生」のおかげで父としての適切なアドバイスができた。

「武史は○○大学に合格する」

「武史は○○社に受かる。そして出世する」

 そう書いて消しゴムをかければいい。それだけで子供が間違いなく合格する大学、就職すべき会社を父として自信を持って勧めることができたのだった。今では息子も幸せな家庭を持ち、そこそこの生活をしている。全てが無難と言えば無難であるが、自分の能力以上の人生が「先生」のおかげで叶ったことに感謝するばかりであった。


 しかし、小学生の時から使い続けてきた「先生」も、今では小さな豆つぶくらいになっていた。


 だから、兵藤は第二の人生を始めるにあたりこれまで封印してきた質問「私の死ぬ日は」を書くことを決意した。例え第二の人生が自分の予想より短くても、「先生」に残された時間を聞いて悔いのない第二の人生を生きようと決意したのであった。

 しかし、予想もしなかった結果にその決意も消えていった。

 

 一ヶ月の時間が瞬く間に過ぎていった。その間「あと十年以内に死ぬかもしれない」という事実は兵藤の頭から離れない。食欲もなくなった。こんな生活をしていてはいけない。あと十年の命であれば尚更死の準備をしなくてはいけないと再度決意し2029年から順番に書いてみた。


 すると「先生」は2020年まで消してしまった。

「年内...」


 あまりの結果に愕然とするしかなかった。

「先生」はもう殆ど消しカスくらいに小さくなっていた。もう「先生」の時間もない。兵藤は「2019年12月に死ぬ」から6月までを書いた。「先生」はまたも全て消してしまった。もう5月の終わろうとしている。病気もしていない自分がなぜそんなに残り少ない命なのか。死因は交通事故か、それとも明日何かの犯罪に巻き込まれてしまうのか。それを知りたいが、思いつく死因を全部書いて試すほど「先生」は残っていない。若い時にもっと大切に使うべきであったと後悔したが、時既に遅しであった。  


 辛すぎる結果に頭を抱えて机にうつぶしていると「あなたコーヒーでも飲む」と妻の明子が書斎に入ってきた。

 明子は机の上にコーヒーを置くとクスッと笑って言った。

「あなた死ぬ日わかりましたか」    

 兵藤氏は驚いて妻を見た。

「あら、私が知らないとでも思っていたの。たまたまだけど私もこの消しゴムの秘密知っちゃったの。私もたまに使わせてもらったわ」

 明子は机の上を見て言った。

「あらまあ。もう残り滓でやってるのね。最後に知りたいとしたら自分が死ぬ時でしょう。で、分かった?」

 兵藤氏は、ただただ明子を見つめていた。

 すると明子は紙に「今日死ぬ。死因は自殺」と書いて残り滓を集めて消した。


 いや「先生」はこの文を消さなかった。


「結果は同じね。そして消しゴムもこれで終わり。やっと、私のつまらない結婚生活も終わりになるわ。第二の人生楽しまないと。それから、この家や証券の名義は全部変更しておきましたから、安心してね」

 明子は振り向くことなく書斎から出て行った。

 「先生」は自分の質問に答えをくれていたのか、それも「先生」の答えのままに自分は生きてきたのか。兵藤の頭に小学生の時からずっと思っていた疑問がふと浮かんできた。

「いや、先生の言うことは間違いない。そう、今まで一度だって間違ったことはなかった。先生の言う通りにしないといけない。そう先生の言う通りにしないと、そうならないといけない」

 兵藤はぶつぶつ言いながら書斎の窓を開けて身を乗り出すのであった。

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