第125話 立ち向かう時




 人間にこの村を発見されたのは意図してのことではなかった。アリエスは結界の維持自体はしっかりとやっていたからだ。どれだけ磨耗した心であっても、他の村の人のためにもやるべきことはやる必要がある。その想いからアリエスはその仕事だけは今まで通り行なっていた。だというのに、まさか人間に発見されるとは夢にも思ってなかった。



 人間。150年前の人魔大戦で大敗を喫してから、極地にこもった種族。エルフたちの認識はその程度だ。高度な文明を持っていることは以前から知っていたが、今現在はどのようにして生活をしているのかなど知らなかった。



 そうしてエルフたちは一度全員集まることになった。それは人間との交流をどうすべきか、ということだった。



「村長、どうします?」

「……助けを、求めるべきなのか」

「でも我々には呪縛カースが……」

「そうなのだ……それが問題なのだ」



 アリエスもまた、その会議に参加していたがやはり問題は……呪縛カースだった。人間に助けを求めようとしても、あまり過度に背信行為を行えばその呪いが発動する。今までこの村から逃げようとしたエルフが、結界の外で惨たらしい死体で見つかったことがある。それは背中にある刻印が炸裂したような死体だった。



 発動条件は不明だが、下手なことはできない。どうすべきか……そう考えているとちょうどあの古代蠍エンシェントスコーピオンがやってきてこう告げるのだった。



「人間と交流をするふりをしろ……そしてある人間を殺せるなら、殺せ。それができれば、お前たちは解放してやろう」

「ある人間……とは?」



 村長がそう尋ねる。そして出てきた言葉はおおよそ、信じられないものだった。


「名は、ユリア・カーティス。髪は白髪で、幼い少年だ。いいか。殺せば、解放してやる。うまくやれ……」



 この村にいた時間はおそらく5分にも満たなかっただろう。それは古代蠍エンシェントスコーピオンが相手の知覚から逃れるためだ。ユリアの黄昏眼トワイライトサイトの存在は、すでに相手もまた知覚していた。おそらくこの地上にあまり長い時間いてしまえばその存在が暴かれてしまう。古代蠍エンシェントスコーピオンはそのことだけを伝えると、すぐさま戻っていく。



 彼はアウリールに頼まれたこと、いやあれはもはや脅迫の類だが、それをしっかりと実行しようとしていた。そうしなければ、次に死ぬのは自分たちだとわかっていたからだ。



「村長……やるんですか」

「……やるしか、あるまい。奴の言葉が真実かは、わからないが……我々にはそれに縋るしか、もう手はない」

「……」



 相変わらず暗くて、重い空気。今までどれほどの同胞が死んだのか分からない。この場にいるエルフのほぼ全てが、家族、友人、愛する人を無残にも殺されている。そんな彼、彼女らにできることはもはやただ従うことだけ。すでにまともな思考ができるほどの理性は、あまり残っていなかった。




 ◇




「きゃああああああああああああああ!!」

「ご、ごめんなさいいいいいいいいいいいいいいい!!」



 それはアリエスがいつも通り、水浴びをしている場所で起きたことだった。何か人の気配を感じて、そちらを見ると人間がいたのだ。真っ白な髪に、整った顔つき。身長はアリエスよりも少し高い程度。そして二人は互いに自己紹介をするのだが、その瞬間アリエスはこの人こそがあの少年なのだと理解した。




「その、私はアリエスと言います」

「僕はユリア。ユリア・カーティスです」




 握手を交わす。とてもいい人そうだ。アリエスはそう思った。その後は、彼を自分の家に招待した。半ば無理矢理な感じだったが、彼女も必死だった。アリエスは自分にこの人が殺せるかなどわからなかった。それでもとりあえず、できることはしないといけない……そんな打算的な想いから彼を家に連れて行った。



 そして家で話した内容はとても興味を唆られるものだった。昔からアリエスは他のエルフと違って、外の世界に興味があった。その話を彼から聞かされて、とても羨ましいと思うと同時に……心が痛くなってきた。



 ――この人は、とてもいい人で……殺すなんて、そんな……。



 話せば話すほど、後ろめたさに支配される。自分たちのために、何の罪もない彼を殺す。でも、殺さないと、自分たちは一生解放されない。どうすればいいのか。その葛藤の中で、アリエスは日々を過ごしていた。



 その後はスムーズに事が進んで行った。交流するのもそうだが、よりユリアに近づくために彼の所属する部隊に派遣してもらうようにもした。さらには、ユリアが視察という事で村に来ることになった。この時から、エルフたちは理解し始めていた。人間は、気がついているのではないか……と。



「もしかすると、人間は気がついているのかもな」

「村長、ではどうするおつもりで」

「……アリエスに任せよう。幸い、彼は今君の家にいる」

「え!? で、でも……」

「アリエス。君に全て任せるのは心苦しい。それにおそらく、かのユリア殿は強い。あの魔素の保有量は尋常ではない。それに特級対魔師序列零位という地位に付いているらしい。それは人類最強の称号。おそらく、この村の誰であっても彼を殺すことは叶わないのだろう……我々エルフも、ここで終わりなのかもしれない」

「……」



 全員が黙り込む。そもそも、人間側はこちらにとてもよくしてくれているのに裏切りを積極的に行う気など誰にもなかった。本当なら、今すぐにでも助けを求めたかった。まだ明確に裏切り行為をしているわけではない。ただひた隠しにして、呆然と時間が過ぎるのを彼らは見ているだけ。



 でも人間側はすでに気がついている。ユリアの派遣が何よりの証拠だろう。人類最強と聞いて、勝てると思うエルフはいない。あの人魔大戦で、人間は魔人とほぼ互角の戦いを繰り広げたのは周知の事実だ。戦闘力だけでいえば、人類最強は魔人にも匹敵するということである。



 もう、エルフたちに気力は残っていなかった。絶対に生き残りたい、その願望さえ希薄。それに彼らは優しい種族だった。人間を踏み台にしてまで、生き残っていいのかと……どうしても考えてしまう。裏切ってしまうくらいなら、もう……ここで朽ち果てた方がいいのかもしれない。



 これで会議は最後にするということになった。村に残っているエルフ全員が、もう死ぬことを覚悟したのだ。たとえこの先に、どれほど惨たらしい死が待っていようとも、もう……いいのだと。アリエスもそう考えて行動を起こした。



 だがそれは諦めと同時に、ユリアに助けてほしいという願いを込めてのものだった。



 彼が眠り、魔法を仕掛ける際、心の中で叫んでいた。



 ――助けて、私たちを助けて……!!



 その悲痛な叫びが届いたのか、アリエスの願いはユリアにしっかりと伝わるのだった。



 もう、解放される時がやってきたのだ。




 ◇




「以上になります……今まで黙っていて申し訳ありませんでした」

「……顔を上げてよ。それに涙も拭いて」



 その場に土下座するアリエスの顔を上げさせる。僕は全てを聞いた。エルフたちの事情の全てを。今までどれほど苦しかったのだろう。大切な人たちを殺され続け、さらには裏切り行為をするように促されながらも、それに争い続け……最後には裏切るくらいなら、死を選んだエルフたち。



 僕は拳をぎゅっと握るしめる。


 

 どうして、どうして、この世界はこんなにも醜いんだ。エルフたちが何をしたというのだ。こんな非道な仕打ちを受けるほどのことをしたのか。



 その怒りに支配されそうになるも、その答えはとうの昔に得ている。それはエルフが弱く、スコーピオンたちの方が強いというシンプルな話。弱者は虐げられ、その尊厳を踏みにじられる宿命なのだ。



 だがそんな道理は許してはいけない。僕はそんな人たちのために、戦うと誓ったのだから。これまで死んでいった人間のためにも、そしてここまで耐えて、耐えて、耐えて、生き残ってきたエルフのためにも僕はこの理不尽な世界に立ち向かおう。



「アリエス。僕は助けるよ。君を、そして君達エルフを」

「ユリア……さん……」

「……今まで頑張ったね。本当に、本当に、よく頑張ったよ」

「私……私は、何も……何もできませんでした……家族が、友人が連れ去られている時、見ていることしか……それに妹が死ぬのも……見ていることしか……そんな私が救われて、これからも生きていいの……でしょうか……」

「……生きよう、アリエス。死んでいったみんなのためにも、生きるしかないんだ。人の死を背負うとは、そういうことなんだ。決してみんなの死は忘れることはできないと思う。でも君の中には、みんなとの幸せな日々もあったはずだ。それを胸に抱いて、これからも生きていこう。大丈夫、僕が、僕らがいるよ。だからもう、安心していいんだ……」

「もう……私は、いいのでしょうか……もう頑張らなくても……」

「いいよ。もう十分、頑張ったよ。月並みな言葉で申し訳ないかもしれないけど、もう……君は許されていい。もう……いいんだ」

「う……う、ぅぅうううううわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」



 その場で泣き崩れ、嗚咽を漏らす彼女をそっと抱きしめる。そうすると、アリエスもまた僕を抱きしめ返す。温もりは確かにここにあるのだと。もう、君は頑張らなくていいのだと、そう主張するように僕は彼女を抱きしめ続けた。



 ――さぁ、立ち向かう時だ。

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