第124話 支配される日常



 エルフという種族は温厚であるという認識は誰もが知っているところだ。実際のところ、人魔大戦には否応なく巻き込まれただけで戦いたい者などいなかった。


 この世界の片隅でもいい。ただ穏やかに生きることができのなら、それで構わなかった。争いは好まない。他者を虐げることもしたくはない。ただただ、穏やかな日々を。それが彼らの唯一の願いだった。



 そうして、エルフは人魔大戦終了と同時に強固な結界を生成することにした。もうこれ以上、自分たちの安寧を崩壊させることは許されない。人魔大戦では数多くの同胞が死んでしまった。その戒めを込めて、彼らは極地にこもることを決定した。異論を唱えるものなど、誰もいなかった。



 こうしてできたのが、今のエルフの村だ。人間が定義するところの、いわゆる黄昏危険区域の中にあるとはいえ、彼らの結界は完璧だった。その隠密性はこの世界の誰であっても暴くことはできない。魔法に長けた種族なのは間違いないが、この結界は当時のエルフの中でも最も能力の高い一人の女性が生み出したもの。それは決して破られることはない……そう思われていた。






「アリエス、ご飯よ〜」

「はーい」



 アリエスは母に呼ばれてパタパタと走って玄関に向かう。今は家の前にある雑草を抜いている最中だった。



 あれから100年以上の時が経過し、その女性の能力は娘には引き継がれなかった。だがその孫であるアリエス、彼女にはその才能が引き継がれたのだ。ある種の隔世遺伝だが、そんなことは当の本人にとってはどうでもいいことだった。魔法を使う機会だって、あるにはあるがそれは才能などあまり必要ない。



 大規模な魔法、または攻撃的な魔法となるとそれは才能が如実にかかわってくるが、そんなものは必要ない。だってこの結界は完璧なのだから。平穏な日々を送っているエルフにもはや特別な魔法など必要はなかった。



『いただきます!』



 家族で食事をとる。父、母、アリエスに彼女の妹。とても仲のいい家族だった。不満なことなど、何一つありはしない。アリエスはずっとこの家族が好きだった。みんな優しくて、いつも笑っている。そんな日常は永遠に続くかに思われた。



 しかし彼女は知る。この世界は弱肉強食であり、弱者は強者に蹂躙されるしかないのだと……。




 ◇




「敵だッ!!」

「結界が破られたぞッ!!」



 そんな声が聞こえてきたのは、ちょうど夜になろうかという時間帯だった。アリエスもその声を聞いて、すぐに外に飛び出した。



 ――結界が破られる? そんなこと、あり得るの?



 そんなことを考えながら、外に出ると彼女は見た。それはゾロゾロとこの村にやってくる……スコーピオンの群れだった。そして奥の方から、さらに巨大な、十メートルは優に超えていそうな個体が前の方に出てくる。



「ほう……エルフどもか。こんなところに隠れていたとは……」



 話したことに驚きもしたが、それ以上に彼女は震えていた。魔物だ。それもスコーピオンだなんて。その存在はよく知られている。この区域にはよく出る魔物なのだが、食欲旺盛でエルフたちもかなり犠牲になっている。それがこの村にやってきたということは……。



 彼女が呆然としている矢先、村にいるエルフたちはすぐに攻撃を仕掛ける。無理もない。突然の敵の来襲。攻撃するのなら、先手必勝に限る。



「……ひっ!」



 魔法は効かなかった。その巨大なスコーピオンの直前で弾けたような音がすると、魔法はそのまま霧散した。それと同時に、その巨大な尻尾が魔法を放ったエルフの体を容赦なく貫いた。腹を抉られ、そのまま貫通して空に掲げられ……そのまま頭から一気に捕食されてしまった。



 バキ、バキ、バキという骨を噛み砕く音。それにグチャ、グチャ、グチャ、という肉を噛み切る音。そして口からは際限なく、血が溢れ出す。そんな非現実的な光景を見て、この場にいるエルフは悟った。この魔物には、勝てはしないのだと……。



「ふむ。エルフもなかなか美味だな。さて、もう来るものはいないのか?」




 その声を最後に、私たちエルフは降伏することを選択した。







「お前は残っていい。魔法の才があるようだな。この村の結界の維持を続けろ。あとはそうだな。残りのものは連れて帰る」



 選別と称した、地獄が始まった。



 古代蠍ヒュージスコーピオンは理性的だった。今回襲撃したのも、何も一気に蹂躙して捕食をするためにではない。その目的は食料の定期的な供給。エルフは美味であり、彼らにとってすれば高級食材に過ぎない。そのため、それを育成する場所をこの村にしようと考えていたのだ。生きる程度の食料ならば、彼らはいくらでも他の魔物を食すことで賄えるからこそ、こうしてここを高級な食材を生み出す場所として選択したのだ。



 もはや家畜と成り下がったエルフ。そこにはもう、尊厳などありはしなかった。



 それから村のものは一箇所に集められ、残すものと連れ去られるものが選別され始めた。残す基準は、魔法に長けているものが残り、それ以外は食料として自分たちの巣に持ち帰るというものだった。



 魔法に長けているものは、何よりも美味である。それにこの村を維持するのには、魔法が使えるものが残る必要がある。しかし魔法ができないもの、または得意ではないものに価値はない。熟成することもないのだから、今すぐ食すに限る。その基準から、アリエスは家族でたった一人この村に残ることになった。



「アリエス!」

「アリエス!!」

「お姉ちゃん!!」



 スコーピオンの尻尾に巻かれ、そのまま連れ去られていく家族。必死に助けを求めているも、アリエスに出来ることなどなかった。すでに絶対服従の呪縛カースは刻まれてしまっている。彼女に出来るのは、必死にもがいている家族の姿を見るだけだった。



 溢れる涙が止まることはない。身体中の水分が溢れているのではないかというほど、彼女は泣き続けていた。




 ――どうして、どうして、どうしてこんなことに……なんで、なんで、私だけが村に残るの? どうして……。




 この運命を呪わざるを得ない。正直言って、ホッとした部分はある。連れて行かれるということは死を意味するのだから。でも、その対象が自分以外の家族、それにアリエスの友人やお世話になった人たちも選ばれていた。



「う……ううううぅぅぅ……うぅうぅ……あああ……」



 嗚咽が止まらない。涙で前もよく見えなくなっていた。ただその場に呆然と立ち尽くして、彼女は家族の最後の姿を見送っていた。



 だが次の瞬間、あまりに踠いていたせいだろうかアリエスの妹の頭部がスコーピオンの尻尾によって貫かれた。ぐちゃ、という音がしたと思いきやその尻尾の先には先ほどまで生きていた彼女の妹の頭部があるのだ。一方の体はまるで糸が切れたかのように、ダラリとしている。血が止まることはない。溢れ出るその血液は、この過酷な状況を如実に物語っていた。




「ああああ……ああああぁぁぁ……ぁぁぁぁ……」




 悲鳴は上がらなかった。ただもう……もう……全てにおいて絶望した。最愛の妹があんな風に死んでしまったことに、アリエスの心は崩壊しかけていた。その場に崩れ落ちるように倒れると、そのまま彼女は家族の姿を直視しないように地面を見つめながら、その涙が枯れるまで泣き続けた……。



 それから先、彼女に課された使命は結界を維持することだった。時折、村のエルフが連れ去られていくことが度々あった。皆、次は自分の番ではないかとビクビクしながら、怯えながら、生活を送っていた。中には自殺する人もいた。そんな中でもアリエスは自分で死ぬことも怖くて、ただ怯えるようにして生きていた。



 死ぬのは怖い。でも、こうして生き永らえるのも怖い。その矛盾の中、アリエスは感情を押し殺しながら村で生きていた。



 そして今でも時折、夢に見る。妹のあの最期を。それが脳内にリフレインするたびに、嘔吐を繰り返し、涙が止まらない。あまりにも嗚咽を繰り返したせいで、血が混ざることも珍しくはなかった。



 ――もういっそのこと、本当に死んでしまいたい……。



 彼女が本気で自殺を考え始めた頃、ちょうどやってきたのだ。人間たちが、この村に。



 そうしてアリエスは、ユリアと出会うことになるのだった。


 



 

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