第123話 呪縛




「どうですか、ユリアさん」

「うん。美味しいよ」

「それなら良かったです!」



 もう慣れてしまったアリエスとの生活。僕は完全にエルフの村に溶け込んでいた。と言っても、それほど時間は経過していない。ざっと一週間ほどだろうか。ここの人たちは本当に優しい人ばかりだ。人間の僕、つまりは種が違うと言うのに普通に接してくれる。今の所、注意をしているがおかしな動きはない。食事に毒の類を盛られている様子もない。



 ――杞憂だといいのだが……



 そう思えば思うほど、何か嫌な予感が脳内に過ぎる。エリエスとは最近はずっと一緒にいるも時折何かに悩んでいるような、そんな表情かおを見せるのだ。もちろん僕の前ではそんなものは見せない。だがふとした瞬間に、それを垣間見ることがある。



 一体何があると言うのか。そもそも完全に初めから裏切るつもりならば、もう動きがあってもおかしくはない。僕は常時、黄昏眼トワイライトサイトを展開して様子を伺っているも何も兆候はない。



 そして僕らはいつも通り床に就く。僕はすぐに起きてしまうので、アリエスと同じ睡眠時間ではない。それでも今はちゃんと寝床を分けている。彼女はベッドで寝ていて、僕は床に布団を敷いて寝ている。



 そして意識がだんだんと薄れていく。眠い……とても、眠くなってきた。今日はそんなに疲れていないはずなのに、妙に眠い……。




「……すぅううう、はぁあああああ」



 僕の顔の上で息を吸い込むような音がした。瞬間、僕は魔法の発動を知覚。これは攻撃性のある魔法だ。火属性のものだろう、おそらく。僕はそれを一瞬で知覚すると、そのまま僕の側に立っている人物を抑え込もうとする。




「……きゃっ!!」

「アリエス。やっぱりか……」




 他愛ない。すぐに魔法を僕めがけて発動しようとしていた彼女を抑え込む。両手首を掴み、そのまま床に叩きつける。側から見れば、僕が彼女を上から押さえ込み襲っているようにも見えるだろう。しかし今はそんなことを気にしている暇などない。どうして彼女がこんなことをしようとしたのか。話を聞く必要がある。



「ど、どうして気がついたんです……か? 魔法はちゃんと発動していたのに……」

「やはり催眠系の魔法を発動していたんだね。でもあいにく、僕の体は特別性でね。普通の人間じゃないんだ」

「そう、そうでしたか……」



 じっと彼女の双眸を見据えるも、アリエスの方は後ろめたさがあるのかそっと目線を僕から逸らす。するとアリエスの目からはツーと一筋の涙がこぼれ落ちる。


 そこからはせきを切ったように際限なく溢れるそれを見るが、情に流されるわけにはいかない。僕は左手で拘束を続けて、右手で彼女の顔を正面に無理やり向かせる。



 視線が交差する。



「どうしてこんなことを。さっきの魔法、普通なら致命傷になっていたはずだ」

「……発動する魔法までわかるんですね」

「僕には魔眼があるから」

「……やっぱりユリアさんは、お強いんですね。この村では誰も敵わない。いやきっと、黄昏の世界でもものすごく強い。きっと魔人に匹敵するくらいに……」

「どうして、泣いているんだ」

「どうしてでしょうね……」

「早く話した方がいい。僕は拷問はあまり好きじゃない」

「……」



 右手から不可視刀剣インヴィジブルブレードを発動。そしてアリエスの首元の皮を剥ぐようにして、軽く出血させる。全くもって意味のない傷だが、僕はやる覚悟があるのだと見せつける必要がある。



 それにきっと、彼女には何か事情がある。そう僕は確信していた。溢れる涙に、苦悶の表情。まるでこの行為をしたくはなかったとでも語っているようだった。



「殺すなら、殺してください……」

「何か事情があるんだろう?」

「……」

「僕は君がとてもいい人だと知っている」

「……いえ、私は非道な者です。言い訳する余地など、ありません」

「上には誰がいる?」

「……」



 その瞬間、僕は彼女の身の上を思い出していた。そういえば彼女の両親は黄昏に行って死んでしまったと聞いた。でももしかすると……そう考えて、僕はある憶測を口にする。



「君の両親を殺した奴が、絡んでいるのか?」

「……ッ!」



 当たりだ。唇を噛み締めるようにして、僕の目を睨みつける。



「どうして、そのことを……まさか、人間が絡んでいるんじゃッ!!」



 激しい憎悪だ。その目は先ほどとは打って変わり、激しい炎が燃え上がっているようだった。



「いやそれはないよ。エルフと出会ったのは、本当に数週間前が初めてだ」

「じゃあどうして……」

「ただの直感だよ」

「そう……そうでしたか……」

「話を聞かせてほしい。もしかしたら、力になれるかもしれない」



 目から生気が失われ、そのまま体からも力が抜ける。まるで抜け殻のようだった。でも今なら、話を聞けそうだった。僕はそのまま拘束を解くと、無理やり体を起こしてベッドに座らせる。僕もその隣に座って、そのまま黙って虚空を見つめる。ずっと下を向いているアリエスだが、10分ほど経過した後にその口を開いた。



「……4人家族でした。私の家はご覧の通り、一人で住むにはあまりにも大きい。元は、私、両親、妹の4人で暮らしていたんです。つい一年前までは」

「一年前か」

「はい。それで、一年前のある日……私たちは出会ったのです。魔族、その中でもこの地を統べる存在であるものと」

「それは一体……」

古代蠍エンシェントスコーピオンというそうです」

「魔物か。それも、古代エンシェント系……」



 古代エンシェント系の魔物は、一応定義では100年以上生きている個体とされている。さらには巨大な体躯に知性のあるものまでいるという。それは人型の生物が持つ、言語を操ることができる上に、論理的な思考ができるほどに。



「この村の結界は完璧でした。私たちはずっと、穏やかな日々を送っていたのです。黄昏に支配されていても、私たちは幸せでした。何も害する存在は、いなかったのですから」

「……」

「しかしこの場所を特定され、村の前に古代蠍エンシェントスコーピオンスコーピオンがある日突然現れたのです」



 彼女の表情はさらに暗くなっていく。もうある程度予想はしているが、きっとこの先に語られるものは気持ちのいい話ではないだろう。



「私たちはすぐに戦闘を開始しました。しかし、その個体は全く魔法が効かないのです。そうして私たちは敗北したと同時に、彼らに隷属することになったのです」



 やはり……と言うべきか。この手の話、実は珍しいものではない。ある種族が、別の種族を隷属させることは過去の文献でも実例があると載っていた。



 そしてアリエスがそのまま言葉を紡ごうとした矢先、急に咳き込み始める。



「う……がはっ……!」

「……血が、どうして!?」

「ユリアさん。私の背中を見てください……」



 僕はすぐに彼女の衣服を脱がすと、そのまま言われた通りに背中を見る。するとそこにあったのは……刻印だ。でもこれは黄昏症候群トワイライトシンドロームによく似ているも、そうではない。この刻印は、呪縛カースだ。対象を呪いで縛り付ける魔法の一種。それがどうして彼女に……。



「エルフは全員が、この呪縛カースに侵されています。決して逆らうことができないように……彼らは私たちを一気に蹂躙することはありませんでした。むしろ理性的だったです。そして毎月定期的に……エルフを供給するように、言われたのです」

「供給……生贄か」

「はい。私の家族もその犠牲に……う……ごほッ……」



 血が止まらない。口からはとめどなく溢れる血液。さらには刻印が赤く発光している。



「おそらく……私が……この話をしているので……呪縛カースが……反応しているのでしょう……」

「解呪しよう」

「でもこれは……」



 言いたいことはわかっている。呪縛カースは一度かけられてしまえば、解くのは難しい。それはかなりの技量を必要とするからだ。その呪縛カースの構成要素を全て暴き、さらには壊れないように扱う必要がある。大抵のものは、外部から干渉があった瞬間に対象を死に至らしめる。



 僕は黄昏眼トワイライトサイトでじっとその刻印を見つめる。真っ赤な刻印が絡み合うようにして、背中に刻み込まれている。



 構成要素は……やはり理解できる。あの文献、エドガーさんにもらった本にあった通りだ。何の因果か知らないが、あの本には呪縛カースに関して書かれている部分があった。これならどうにかできるかもしれない。まずは固有領域パーソナルフィールドを僕のものと同化して、僕にもその呪縛カースを転写して最後に領域拡散ディフージョンで散らせばいける。



 本来ならば、魔法に長けている先輩、イヴさん、それにノアならもっと効率よくできるのだろうが今は時間がない。これはすぐにやらないと、いけない。もうすでに命に関わっている出血量だ。



「アリエス。多分、呪縛カースを解くことはできる。でも……」



 僕はそのプロセスを話した。それは彼女にとって、いや女性にとって気持ちのいいものではないからだ。



「わかりました……よろしくおねがいします」

「うん……」



 それから僕は彼女に全ての衣服を脱いでもらった。さらには粘膜での接触が一番、固有領域パーソナルフィールドに介入できる。もっともそれは相手が介入を拒否していない時に限るのだが。僕は彼女の口の中に手を入れると、そのまま自分の固有領域パーソナルフィールドと同化する。そしてそのまま、領域拡散ディフージョンを発動。



「う……ぐううううう……ううううう……」



 おそらく、背中が灼けるような痛みが走っているに違いない。そしてその痛みが30分ほど続いた後……僕は呪縛カースを解くことに成功した。



「はぁ……はぁ……はぁ……」

「大丈夫?」

「……はい。あの、本当になんて言ったら……いいか。私は……ずっと、ずっとユリアさんを騙し続けていたのに……助けて……もらうなんて……」

「……君はずっと葛藤していたはずだ。それにあの時僕を襲うとした魔法。あれは僕に気がついて欲しかったんだろう? わざと分かりやすいような魔法を選んで。もっと隠密性に長けた魔法があったはずだ」

「……なんでも、お見通しですね。呪縛カースがあるとはいえ、私は……あなたを、ここまでよくしてくれた人間の方々を裏切るなんて……とてもできません……でした……だから、いっそここで殺してくれた方が……そう願っていたのです」

「……アリエス。君の、エルフの苦しみはもう終わっていい」

「……でもきっとそれは、あなたたちには何の利益も……」

「どのみち、この領域を統べる魔物ならいつかは対峙していたよ。それが今になったというだけだ」

「はい……はい……」



 再び涙を流すアリエス。きっと辛かったのだろう。家族を奪われ、呪縛カースに怯える日々。人間たちも裏切って巻き込まないといけないという重圧に晒され続けてきたその心労は、僕では想像もできないほど過酷に違いない。



 そして僕は改めて、詳しい話を彼女から聞くのだった。

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