第76話 追憶 3



「私は人間じゃないの?」

「……混ざっているな。人間と魔族の血が」

「本当に?」

「あぁ、間違いない」

「そっか……」



 その言葉を聞いて、彼女は理解した。何故自分があの場所にいて、そしてあの研究施設がどのような場所なのかを。思えば、自分は母親という存在がいない。父はいても、母はいない。いやおそらく、あの父も本当の意味での父親ではないのだろう。クローディアは聡明が故に、あの箱庭での状況と今の言葉をつなぎ合わせて大体のことを理解してしまった。



 自分は、人工的に生み出された存在なのだと。その事実を知って彼女は、自分が思ったよりもショックを受けていないことに気がついた。むしろ、謎が解けて色々と満足していた。自分はなんのために生まれて来たのか。その理由の一部が分かっただけでも、外に出た意味があった。クローディアがそう思索にふける一方で、相手の魔人はじっと彼女を見つめていた。




(この子ども……もしかすれば……)




 魔人は考えていた。この子どもの存在はよく分からないが、アレに使えるかもしれない。むしろ、これはいい機会だ。そう考えていた。魔人側にも、様々な事情がある。この黄昏に支配された世界は、何も魔族が完全に支配しているわけではない。



 魔人たちは魔族の一部であり、そして魔族はその種ごとに対立をしていたのだ。数百年前に人魔対戦を機に、魔族たちは対立を開始。そこから勢力は大きく分けて、3つに分断された。



 魔人、亜人、魔物。この3つの勢力はもう100年近く争い続けている。その中で、この子どもは現状を打破するカギになるかもしれない。魔人はそう考えた。



「クローディアよ」

「ん?」

「知りたくないか、この世界について」

「教えてくれるの? 殺さないの、この人たちみたいに」



 クローディアが指差すのは、周囲に散らばっている死体。バラバラになっているそれは、普通の人間ならば悲鳴をあげて逃げ出す代物だろう。一方のクローディアはそんなものには物怖じしない。ただ淡々と憶測を告げるだけ。その様子を見て、魔人はさらに彼女のことが気に入った。ちょうど、人間への介入を魔人は考えていた時期だった。そのこともあって、魔人は話した。この黄昏の世界の現状について。人類が決して知り得ない情報を、クローディアは手にすることになった。




 ◇




 時間にして二時間も経過していないだろう。クローディアはすでに箱庭に戻って来ていて、いつものように自室にいた。彼女がこの研究室を抜け出したことは誰にもバレてはいなかった。



「さて今日も勉強をしようか、クローディア」

「うんっ!!」



 そして何食わぬ顔で、フリージアとの勉強を開始する。彼女は黄昏へと赴き、そして魔人と出会った。そこで話した内容は彼女にとって、何よりも刺激的だった。こんなちっぽけな世界で終わるわけにはいかない。彼女はそう思い、人類を裏切ることにした。いやそれは裏切るというのは、おかしいのかもしれない。



 それは契約だった。クローディアは人類が憎くて魔人側についたわけではない。彼女には成すべきことがあるから、魔人側についたのだ。迷いなどなかった。彼女の関心はそれだけにあり、それ以外は些事でしかない。もちろんフリージアたちは彼女に教育を施した。それは魔族は人類の敵であり、いかに魔族が邪悪な存在ということかを主に説いたものだった。だがクローディアはそんなものに流されるほど単純な存在ではなかった。



 ただ彼女は知りたかった。この世界の真実を。この世界の成り立ちを。それを自分の生まれてきた意味だと、自ら定義づけた。ならばもう……この箱庭はいらない。



 そして彼女はある計画を成すために、道化を数年間演じ続ける。ただの無垢な少女。何にも疑問に思わず、適度に賢く、適度に愚かであることに務めた。大人の言うことを聞いて、魔法実験でも成果を出す。彼らが欲する理想の子ども。それを演じ続けた。



 しばらくして……時はやってきた。




「クローディア……どうして……どうして、お前が……」




 目の前にいるのは、フリージアだった。あれから数年。クローディアはすでに十分に成長し、ほぼ完全な存在となっていた。そして彼らが彼女を黄昏へと解き放とうとした時、それは起きた。



 クローディアは容赦なく、この箱庭の人間を殺し尽くした。全員の首を弾き飛ばす。それは呼吸をするのと同様なくらい、造作のないことだった。彼女の魔法の技量は、すでに特級対魔師を優に上回るほどになっていた。




「どうして? どうしても何も、私はこんなところであなたたちの道具になりたくないだけ」

「そんな……いやしかし……そうか……」




 すでに長年研究を共にした仲間はクローディアに殺されてしまった。だが、フリージアはそんな彼女に憎しみを抱いてはいなかった。彼女はどうしてこのような行動をとったのかは分からない。戸惑いしかなかった。だが彼の心には徐々に別の感情が芽生えつつあった。



 クローディアは立派に育って、こうして自分の意志で進もうとしている。その血塗れの世界の先に何があるのかは知らないが、彼はホッとしていた。もうこれ以上、あの幻影に惑わされないで済む。それに最愛の娘に殺されるのだ。山のような罪を重ねて来た自分には十分すぎる最後だ。そう最後に……思った。



「バイバイ、パパ」

「……クローディア。最愛の娘よ、達者でな」



 クローディアは容赦なく彼の首を刎ねた。なんの躊躇もなく、なんの罪悪感もなく。これは作業だった。殺戮ではない。これからの計画のための、下準備。彼女は飛び散った血を舐めとると、じっとこの惨状を淡々と見つめる。その目に映っているのは、一体……。



 こうして、彼女の人生が始まる。

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