第50話 夢であるように



 鮮血。


 大地を駆け、この黄昏の世界を進んでいく。もう遠い昔のように感じる。でも僕は、あの黄昏に2年間も確かにいたのだ。



「……死ね」



 不可視刀剣インヴィジブルブレードでゴブリンの頭部を貫くと、僕はそのまま進んで行った。でも、進めば進むほど何かに囚われるような感覚があった。そして右腕の疼きが止まることはなかった。時間が経てば経つほど、僕の右腕の刻印は侵食を進める。自分が人間ではなくなっていくような感覚。今思えば、僕はそんな状態でずっと進んでいたのだ。



「……」



 誰かの声が聞こえる。でも、それは誰なのかわからない。



 一体僕は……。





「……う……、夢か……」



 目が覚める。何か夢を見ていた気がする。でも今ははっきりとそれを思い出せない。でも思い出せないのなら、それほど重要なことではないのだろう。


 僕はすぐに支度をする。ちなみに、今日もエリーさんの元を訪ねる予定になっている。シェリーはギルさんと黄昏に狩りにいく予定なのだが、僕がいると戦力過剰になるということで今回は基地で待機だ。そのついでというか、エリーさんの研究に少し付き合うことになっている。




「失礼しまーす」

「……うん……うん……いや、いや、それは食べ物じゃないわぁ……」



 なんというベタな寝言……と、今はそんなことよりもエリーさんを起こさないといけない。彼女曰く、「多分寝てると思うから勝手に起こして」とのことだ。だから僕は彼女の肩を揺する。相変わらず、ベッドで寝ることはなく机に突っ伏しているのだが……熟睡しているのは間違いなかった。



「……あと五分」

「いやそれ、永遠に伸びるやつですよ」

「……コーヒー」

「え?」

「コーヒー入れてぇ……」

「……分かりました」



 僕はそう言われると、室内にあるコップにインスタントのコーヒーの粉を入れて沸かしたお湯を注いだ。何でも、この部屋にはコーヒーのストックが大量にあるらしく、いつも飲んでいるのがよくわかる。



「はい、淹れましたよ」

「……うん、ありがとー」



 まだぼーっとしているようで、エリーさんの目はまだ完全に焦点があっていない。それでもコーヒーの匂いにつられたのか、体を何とか起こしてズズズと淹れたてのコーヒーを飲む。


「……ユリアくん、淹れるのうまいね」

「いえ。粉入れて、お湯注ぐだけですから誰でも同じでしょ」

「ま、それもそうだけど。誰かに入れてもらうと、気分も違うものだよ」



 やっと目が覚めたのか、会話もしっかりとできるようになってきた。



「じゃ、お風呂はいってくるから」

「下着と替えの服はそこにあるから、まとめて持ってきといて」

「え、ちょ……」



 エリーさんはその場で全ての衣服、それに下着を脱ぎ捨てかごにそれらを入れると、そのまま隣の部屋に行ってしまった。昨日の件で察していたが、彼女は完全にここに住んでいるらしい。いや、見ようによっては隔離されているようにも思えるが……今はそんなことを考えている場合ではない。


 僕は指示された場所から、適当に下着と衣服を取り出すとそれを浴室の前に置いておいた。色々と見るべきではないのは分かっているが、それでもやらないと色々と面倒なのは分かっていたので仕方なくいう通りにした。


 その後、僕たちは再び黄昏について話すのだった。



「で、黄昏についてだけどあなたは何か掴んでいるの?」

「僕が提出した資料に全て書いてありますけど……」

「もちろん、読んだわ。でもあなたの言葉で聞きたいの。実は忘れていることもあるかもしれないし」

「と言っても……」

黄昏症候群トワイライトシンドロームの侵食はいつから?」

「黄昏に出てから数日のことです」

「それまでは何の兆候もないと?」

「そうですね。あの時が初めてです」

「そう。で、他には……」



 その後、僕はさらにエリーさんに黄昏での出来事を話した。彼女はそれを聞きながら、メモを取っていく。ちなみに、エリーさんは特級対魔師であるが主に研究がメインである。戦闘技能もかなり高いらしいが、本人の性格的にこもって研究している方が性に合っているとのことらしい。そのため、ギルさんに結構な負担がかかっているらしいが……それでも、エリーさんの研究は重要なようで彼女が自由にするのはある程度許されているらしい。



 そして僕はエリーさんと話していると、すでに数時間経過していた。



「……よし。こんなものね。ありがとう、長話に付き合ってくれて」

「いえこちらこそ、色々と参考になりました」

「そういえば、明日には別の都市に行くのよね?」

「はい」

「そう。じゃあ、また会いましょう」



 最後に握手をして、僕はエリーさんと別れるのだった。




 ◇




「お、ユリアじゃねぇか」

「ギルさん、どうも」



 食堂にやってくると、ちょうどギルさんとばったり出くわす。



「エリーのとこ行ってたのか?」

「はい。呼ばれていたので」

「あいつ、変わってるだろ? ずっとこもって研究三昧さ」

「ははは……でも、まぁ黄昏についての研究は大切ですしね」

「そりゃそうだな。ま、あいつの分も俺が黄昏で戦闘しているのはちょっとムカつくがな」



 そうして二人で食事を受け取ると、そのまま近場の席について雑談をする。ちなみに僕は安定のカレーで、ギルさんは日替わり定食だ。



「そういえば、シェリーのやつ。あいつはすげぇな」

「え? それほどですか?」

「初めは緊張しているようだったが、俺たちの隊の中でもずば抜けて強かったな。俺はサポートに回ろうとしたが、全然一人で大丈夫だった。レベル3でも普通にやれてた」

「そうですか。レベル3でも普通に……」



 僕はシェリーが強くなったのは知っているが、まだその底を見たわけではない。でもギルさんが褒めるということは、相当なのだろう。



「ベルの弟子でどんなものかと思っていたが、ありゃ化け物だな」

「化け物ですか?」

「あぁ。ベルにそっくりだ。正直、俺は半径3メートル以内の戦闘に限れば、ベルには勝てないと思っている。だがシェリーはベルと同じ感じだったな。あの間合いの強さは尋常じゃねぇ。もしかすると、もしかするかもな」

「シェリーが特級対魔師に……ということですか?」

「まぁそうだな。最近は特級対魔師も若い奴が増えてるが、俺は反対しないぜ。仮にそうなってもな」

「そうですか……」



 シェリーが特級対魔師になる。それはきっと喜ばしいことだ。でも、きっとそうなってしまえばもっと危険なことに足を踏み入れることになる。特級対魔師は確かに強い。人類の中でも屈指の強さをもつ者だけがたどり着ける領域。だが特級対魔師は無敵なわけではない。過去の戦闘で、亡くなっている特級対魔師はゼロではない。魔族にやられている人も中にはいるのだ。



 ここで心配するのは余計なお世話なのだろうが、僕は手放しで喜ぶことはできなかった。



「そういえば、ユリアは黄昏にいた時、上位魔族と会ったことはあるのか?」

「……一応、知性のある魔族とは遭遇したことはあります」

「魔人には?」

「魔人ですか。いえ、あの2年間で会ったことはありません」

「思えばおかしいことがある。ここ数年、魔人と出会っていない。特にレベル4、5になると魔人と遭遇することもあった。特級対魔師が負けるといえば、ほぼ魔人が相手だからな。でも……やはり、ここ数年動きがない……どういうことだ……」



 最後の方は独り言のようだったが、僕は魔人という魔族には出会ってはいない。資料では人間に近い容姿をしているが、魔族の中でも上位に位置しておりその実力は特級対魔師を凌駕する個体もいる……となっている。


 僕はあの2年間で知性の高い上位魔族と戦ったこともあるが、魔人の存在は知らない。それが何かと関係あるのだろうか……。

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