第5話 金木犀 - stand alone in a rainy day -
思い返すだけも情けなく、私はうつむきながら校舎の廊下を歩いた。すれ違う人はいない。夕刻迫る学校は静かに今日を終えようとしていた。
秋になって、私は少しだけ油断していた。きっと、体育祭や文化祭の熱に浮かされていたのだろう。
いつもはバラバラのクラスも、イベントごととなると無駄な団結力を発揮する。体育祭は全員リレーで好成績を収めたこともあって学年別では2位、組別の成績も3位だった。それなりに盛り上がり、その熱気が冷めないうちに文化祭の準備に突入した。
「暗幕これでいいのか?」
「違う違う、端はこっちに伸ばして」
前日は全ての授業が休みになり、文化祭の準備に時間が割かれた。教室のいたるところでクラスメイトが大声を出し、または工具を振り上げ、出し物を作成していく。
私のクラスは童話喫茶というお店を出すことになっていた。おとぎ話や昔話に登場する人物に仮装した店員が簡単な飲み物やお菓子を振る舞うのだ。ハロウィンが近いということもあって、仮装ありきで計画は進められた。飲食物の調達、店舗の設営、衣装の作成、当日の運営など、クラスは幾つかの班に分かれていた。私は飲み物の調達と、当日の店員役だった。紅茶葉を買い込み、当日は運営班が調理室で沸かしてポットに注ぎ、持ってくる手筈になっている。茶葉はすでに発注済みだ。調理室の決められた場所に保管すれば、今日の私の役割はおしまい、あとは明日の仮装の準備をするだけだった。
「めぐみ、紅茶はここでいい?」同じ調達班のこのみが訊いてきた。午前中、運送業者から預かったダンボール箱を台車に乗せて調理室に入った私たちは、雑然とした調理室に唖然としながらも、自分たちのクラスの調理道具や材料を保管するスペースを探した。前もってクラスごとの保管場所はある程度決められていた。私たちのクラスは調理室に8台ある調理台のうち一番手前側だった。「2−1」と書かれた紙が置いてあった。
「うん。コンロ側にお願い」このみに続き、私も箱を持ち上げる。それなりの重さがある。紅茶のティーバック、今回買ったのは100杯分が2セットだ。これで2日分だ。追加の発注もできるのだが、よほどのことがない限り、100杯を売ったら閉店する予定だった。
午後からは衣装合わせの予定だった。私は魔女役だった。それも眠れる森の美女に出てくるマレフィセントが元だという。悪役は人気がなかった。であればどうして配役から外さなかったのか、議論が足りなかったのは否めない。じゃんけんで負けてしまった私はあまり気乗りしない状態で、黒と紫の布を体にまとい、不恰好な箒を持つ羽目になってしまった。マレフィセントが持っていたのはステッキじゃなかったかとも思ったが、魔女といえば箒、というステレオタイプが働いたのだろうか。今更言っても直す時間などあるはずもなく、箒を逆さに持ってしのぐことにした。ステッキであっても結局は同じなのだが、常に片手がふさがった状態で、どうやって接客をすればいいのだろう。考えただけでも憂鬱になる。
問題が起こったのは、そうしてすっかりマレフィセントもどきに仮装し、白雪姫のこのみと接客の練習をしている時だった。
「中嶋さん、紅茶は?」クラスメイトの渡辺さんが眉を寄せて私の顔を覗き込んだ。
「調理室にあるはずだけど」
「それが……」
私とこのみは顔を向き合わせ、首をかしげる。マレフィセントの衣装を着たまま、渡辺さんの後ろについて調理室に向かった。
「ほら」渡辺さんの指差す先には、確かに何もなかった。「お鍋とか運んできたんだけど、調理台の上には何もなくって」
「そんな」私はクラスの書かれた紙を見た。確かに「2−1」と書かれている。それはさっきも確認したし、台の位置も確かにここだった。
「どこいっちゃったの?」このみは白雪姫の衣装のまま、頭を抱える。
紅茶の捜索が始まった。考えられるのは、別のクラスが間違えて持って行ったことだ。すぐに見つかると踏んでいた私だったが、すべての教室に聞いて回っても、紅茶を見つけることはできなかった。荷物を受け取った時に荷札を剥がしてしまったのが災いしていた。同時に、調理室も探していたが、それらしいダンボール箱はなかった。他のクラスの持ち物と思われる、同じような荷物は幾つかあったが、証拠がない以上、勝手に箱を開けるわけにもいかない。
「追加の注文をするしかないな」学級委員長の青山くんは腕組みをして私たちの話を聞いていたが、ポツリとそう言った。「担任には俺から話をしておくから、今から注文したらいつ着くのか確認しておいて」
追加の注文はできたが、届くのは早くても明日の午前十時だという。紅茶を淹れる時間も必要だから、開店は早くても11時だ。すぐにお昼になってしまう。こんなことになってしまったのも、私たち調達班の責任だった。管理が甘かったのだ。なのに、誰もそれを面と向かって言うクラスメイトはいなかった。私は自分自身が情けなく、みんなが準備を終えて帰った後も、廊下を歩きながら、それらしい箱がないかを探していた。それでも見つからなかった。
私は俯いたまま、昇降口を出た。不甲斐ない気持ちでいっぱいだった。ローファーを履いて外に出る。雨が降っていた。湿気をまとった風からは、金木犀の香りがした。
暗い空を見る。悲しみが流れてしまえばいい。私はしばらくの間、雨が涙を隠してくれるのを待った。
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