二年生の冬 ~オリオンの輝き 前編~

高校生活2回目の冬がやってきた。


冷たい風が当たり前に吹き、日が落ちるのが早い。

授業も終わり部活の準備をする為席を立ち、和樹の席へ向かう。


「今日寒いからしっかり走ってからやるか。」

「陽太、走るの好きだから良いけど、あんまやりすぎると逆に寒いからケガするんじゃね?」

「基礎体力重要だろ。お前昨日サボってんだからな。しっかりやるぞ。」


晴れてサッカー部の新キャプテンになった事で、責任感も出たと思う。

この前の冬期大会で3回戦まで行く事が出来た。

桜高では初めての快挙だったらしい。

とはいえ、3回戦敗退だが。


いつも通りの会話をしながら授業道具もさほど入っていない鞄を持ち、温かい教室を出て、息も白くなるほど冷え切った廊下へ出る。

教室を出る瞬間に何気なく教室を再度チラりと覗くと窓際の席にいる美月が、椅子に横向きに座り、身体を後ろに向け、真後ろに座った優里と話し込んでいる。


(こっちに気づけ~)


そんな期待を持ってしまうが、当然届かない。

また明日と一言明るく言えば良いのに妙に最近照れくさくて仕方がない。


そのまま廊下を歩き、他の教室を過ぎた後、昇降口で靴を履き替えサッカー部の部室へ向かう。


グラウンドに出てからはいつも通りの部活。

予告通りまずは長距離のランニング。冬場の外での運動は肺に直接冷たい空気が入り込み重く、苦しい。だがこれがたまらなく冬を感じさせてくれる。

来年の今頃はもう部活をしていない。3年の夏には引退する事を考えると最後の部活だと感慨深くなってしまう。

いつも通りの16時から18時までの部活を終え、グラウンドの整備をする。冬にもなるとその頃にはすっかりと日が落ち、夜の星が空に浮かんでいる。

桜高は市街地から少し離れた花見坂の高台にある。そのせいか冬には空気も透き通り夜空には星が綺麗に浮かぶ。美月の地元である「星見」程ではないが。


汗もあまり出ない冬の寒さの中、白い息を吐き、部活後の荒れたグラウンドの土をレーキでならす。作業しながらも談笑する部員を横目に黙々と作業を続けていると和樹が突然話しかけてきた。


「陽太さ…どうなのよ?」

「は?なにが?」

「何って、美月ちゃんの事。」


あまりにも突然の言葉で思わず語気が強くなる。


「な、何突然!びっくりするじゃん!どうってどういう事だよ。」


どうして自分でもこんなに突然感情的になったのかは分からないが、和樹の顔を見るといつになく真剣な顔だ。


「実際さ、もう3年になるじゃん?彼女とか欲しくないの?」

「お前真面目な顔して何言ってんだよ。しかも…何で美月なの…。」

「いや、なんでってお前美月ちゃんの事好きだろ?絶対向こうもお前の事好きだって。意識してるって。」

「え?俺の事を?」

「そう。見てりゃ分かるけど。優里が言ってたぞ。お前の事、美月ちゃんが気にしてるんだって。何か他の人と違うってさ。」


美月と優里は本当の親友だ。その間柄で俺の名前が出てくる事が嬉しい。それよりも、美月も俺を意識してくれていると思うとより一層美月に対して特別な感情が強まる。


「違うって…何が?顔?声?」

「そんなこといちいち聞くなよ。お前のそれ面倒くさいぞ。」

「え、てかお前優里に俺が美月の事好きなの言った?」

「わざわざ言わなくても皆見てりゃ分かるわ。」

「まぁそうだよな…」


修学旅行であんな事があったんだ。どんなバカでも、俺が美月を普通の友達として見ていないなんて事は気づくに決まっている。


「俺だって優里とくっついたんだからさ。お前もそろそろ考えろよ。時間がもったいないぞ?今は二度と来ないんだから!」

「うん…でも、怖えーからさ。なんか…」


もちろん隠そうとしなくとも好きという思いや気持ちは増しているし伝えたいと思う。だが今の関係が一番良いと思ってしまう。これ以上が想像できないからだ。もし何か間違いがあって伝えてしまってこのつながりが切れてしまったらと思うとどうしてもここから一歩が進めない。


ん?ちょっと待て。聞き間違いか何なのか。衝撃的な言葉が頭に入り込んだ。


「ちょっと待て…。お前ら付き合ったの?」

「ああ…昨日告った。だから昨日部活休んだ!ごめんな!」

「おい!まじか!おめでとう!ってか全然知らなかった!ちょっと、駿!和樹に彼女出来たぞ!」

「え!誰!優里?」

「そうそう!」


話を聞くと、昨日約束していたイルミネーションを優里と二人で見に行き、和樹から告白したらしい。和樹は優里を好きだったし、優里も和樹を好きだった。両想いだったんだ。まぁそれこそ見ているだけでお似合いなのは誰でもわかる。

全力の祝福の気持ちと、少しの焦り。そして何より自分の不甲斐なさが一気にのしかかる。


(美月も俺の事…好きだったりするかな…)


一通り盛り上がり、部室に戻って制服に着替え、戸締りをする。

帰りは皆で和樹のお祝いにいつもの「どんちゃん」に寄ってお好み焼きパーティーにしようとなった。

部室棟から出て校舎を横切り、校門へ向かいながらふと見上げると校舎の3階の教室に明かりが点いている。

3階西校舎の一番端の部屋。美術室だ。

ポケットに入れた携帯を見ると19時を回っている。生徒用の玄関は18時半に施錠される為、基本的に特別な理由が無い限り生徒は残る事は無い。

もちろんその時間になれば出入り口は職員玄関になる。だが誰かがまだ残っている。

その部屋にいるのは美術部員であることに間違いはない。もしかしたら先生かもしれないし後輩かもしれない。消し忘れてしまって電気が点いているだけかもしれない。

ただ何故か直感的にそれが彼女であると感じた。

その思いに思わず声を出しそうになったが、どうやらその明りにいち早く気づいたのは俺では無く和樹だった様だ。


「あっ!そういえば俺今日優里と帰るんだった!ごめん!飯行くの今度でも良い?」

「え…まぁ良いけど…」

「いやーほら俺たち付き合った次の日じゃん?イチャイチャしたいわけよ!」


あまりにも突然で、不自然で、違和感がある和樹の断りの理由に他の部員もそれが嘘で、俺に気を使っていると分かっている。だけど、全員今度にしようと言ってきかない。


「じゃあ陽太、俺待ち合わせてるから!ここでな!」


全員が一斉にそそくさと帰っていく。


「え…帰るなら俺も駅まで一緒に…」


そう言い終わらないそばから他の部員たちは駆け足で校門を出ていった。

さっきまで俺はもんじゃを焼くのが世界一上手いだなんだと言っていたくせに…。


だが本当に友人には恵まれている。下手な嘘も全て見抜けても心が温かい。

気遣ってくれて、応援してくれている。

なのに一歩が進まない。


しばらくその場に立ちすくみ、一度花壇の縁に腰掛け携帯を開きながらどうしようかと悩みこむ。

ただ3階へ向かえば良いだけだ。誰かがいるであろう美術室が気になって教室へ向かったってことにすれば問題ない。

“一番遅い時間まで外で部活をしていたサッカー部の部長が、まだ校内に誰かいるのかと明かりが気になって美術室を見に行った。”

という理由であれば何とでもなる。

もはやそんなことを考えずとも、携帯からメールでも電話でもすれば分かる事だ。

《今どこにいる?まだ学校?》とだけ送れば良いだけだ。

そもそも今はもう19時。既に昇降口は閉まっている。

美術室にいるのは美月なのか…。

そうじゃないかもしれない。

その確認をすることすら怖く、携帯を開いては閉じてを繰り返す。


「ん?齋藤か?」


誰かの声と共に懐中電灯の灯りがこちらに向けられ照らされる。眩しくて相手は見えずともそれが大山先生であることは容易に想像できた。

懐中電灯を下ろし、眩しさが引けてからその姿を見ると案の定大山先生だった。

花壇の上にある街灯の灯りの下で顔を上げ会釈する。


「あ、どうも…」


やましい事は無いが無意識に身体と声が委縮する。体育教官に遭遇すると誰しもそんなものだろう。


「部活終わったのか?」

「はい。後、帰ろうかと思ってました。」


顔を合わしても目を合わせずに答える。


「いつもの連中は?」

「先に帰って…」

「そうか…。珍しいな。お前らいつも一緒のイメージなのにな。」

「確かに…そうですよね!じ、じゃあ、失礼します。」


小走りで校門へ向かう。


「齋藤!」


大山先生に後ろから大声で呼ばれる。普段の学校ではあまり響くことはないが、この時間の静けさだとその声は反響するほどに響く。


「は、はいっ!」


突然の大声に立ち止り、返事をしながら勢いよく振りかえると先生がゆっくりと近づいてくる。


「あの…あれだ。先生である手前あまりこういうのはどうかと思うけど、この前の沖縄では良くやったと思ってる。立場上あまり褒めて良い事じゃ無いけど。ただ、生徒としては指導するが、男としてはあれで良かったと俺は思ってる。」


あまりにも思いがけない言葉だった。確かにあの後、ホテルのロビーへ呼び出された時も先生だけは庇ってくれた。一番叱られたけれど、誰よりも心配してくれていた。


「あ、ありがとうございます。大山先生。」

「おう。んじゃあ、気を付けて帰れよ。」


そういうと大山先生は振り返り、懐中電灯の明かりを付け部室棟へ見周りに向かう。その背中を見送っていると突然立ち止まりこちらを向き返して口を開いた。


「あ、後だなぁ…今日の施錠当番は俺なんだが、まだ仕事があって職員室にいるから。3階には美術部の野木も一人で残って作業してるみたいだしな。真面目な子だから残って仕事をしたいとわざわざさっき俺に言いに来た。まさか生徒を残して帰れないからな。お前も自分で帰りたい時に帰りなさい。もし何か大切な忘れ物があるなら職員玄関から入るようにな。じゃあ俺は部室棟を見回りに行ってくる。」


その言葉に呆気にとられた。

それは間違いなく先生からの厚意だ。


というか、先生すらも気づいているんだ…。

マフラーで覆いきらない頬に、真冬の寒さが突き刺さる中、同時に恥ずかしさで顔が熱くなった。


だが、その言葉をきっかけに予想が確信に変わり、決心がついた。誰しもが支えてくれているのを感じて心が動くのはこれが初めてだった。

帰る為校門へ向かっていた足を止め、校舎に向かい、生徒用とは別の職員玄関から校舎に入る。


所々廊下を照らす程度の明かりと非常口の案内のついた少々気味の悪い廊下を抜け、踊り場だけ電気の点いた階段を1階、2階、3階と上がり、昼間とは全く雰囲気の違う校舎の中を歩く。

3階に着き、暗い廊下を進むと一番付きあたりの教室の電気が点いている。美術室だ。教室の電気は、窓から暗い廊下に漏れている。


(中に他に誰かいたらどうしよう…。)


幸いな事に美月が中にいる事は大山先生が“偶然”教えてくれた。

不安な気持ちともし誰か他の生徒がいたときに何て言うかを頭の中の引き出しからいつでも出せるように準備をしながらも、教室のドアをゆっくりと開き中を覗いた。


中には美術用のエプロンを身につけ、髪をポニーテールに結び、立てかけたキャンバスに向かい真剣な表情をしている美月が窓際の席に1人座っている。顔はこちらを向いているにも関わらず、目はキャンバスに向き、俺には気づかない程真剣だ。

意識するようになってからというもの、以前の様に2人でいる時間が妙に緊張する。だが、基本的には友人なのだ。気にばかりしていられない。教室のドアをそっと開けながら顔を覗かせて、


「失礼しま~す…」


と小声で入室すると、その声にビクリと身体を弾ませ目を見開いた美月がこちらを見る。


「わ!びっくりした!」

「ごめん…真剣に描いてたから普通に声かけるのも悪いかと思って。」

「なんだ陽太くんか…。ちょっと脅かさないでよ…。」

「ごめんごめん!」


そのまま何気なく美術室に入りドンと荷物を空いている机に置く。


「何描いてんの?」


座っている美月の横へ行き、絵を覗く。


「んー…。冬を題材にした作品なんだけど、今回はかなりの自信作になりそうだよ!」


満足げな笑顔の美月が立っている俺を見上げながら話す。

その顔を一瞬見てはドキッと心臓を掴まれ、長時間凝視したい気持ちを照れと恥ずかしさが覆う。その思いをごまかす様にキャンバスに目を移した。


「なんか…すげー引き込まれるね。これ。」


その絵は真っ白だったキャンバス全体を暗い青の様な色で背景を塗りつぶし、夜を表現した背景の上部に星が輝き、その下の野原に女性が一人立ちすくんでいる絵だった。

よく見るとその星1つ1つの輝きは異なり、あたかも星座を映し出すプラネタリウムの様に夜空に輝いている。

当然絵なのだがまるで絵では無い様な。そんな独特な雰囲気を出していた。


「すげぇ。これって…星座とか?」

「うん。そうだよ!」

「北斗…七星?」

「違うよ!冬の星座のオリオン座。」


オリオン座だと分かっていたが、真面目に答えるのが恥ずかしくなってしまい、ごまかした。昔からわりと星は好きで、柄にもなく星座もよく図鑑で見ていたから少しくらいは知っている。


「オリオン座か…台形重ねた変な形だな。」

「本物見た事ある?」

「昔プラネタリウムで見た事はあるかなぁ。なんとなく記憶にある気がする。」


そういうと美月が張り切った素振りで机に重ねていた資料から1冊の本を取り出し付箋のついているページを開く。そこにはルーズリーフも挟まれており、色々な情報が書き足されている。


「これがオリオン座!7つの星で形成されているの。冬の空で一番目立つ星座でね、上の台形みたいな形と下の台形が、こう…向かい合って出来てるんだよ。」


そう説明しながら眉間にしわを寄せ、手で台形を作って見せてくる。


「それでね、この一番左上の星がベテルギウスって言ってオリオン座の中で一番光輝く星なんだ。一番強い光!私ね、この星が一番好き。オリオン座の中で一番光ってて冬の空でも一番目立つの。沢山ある星の中で一番だよ?凄いよね。」

「でもさ…一番目立つのって北極星じゃないの?」


思わず口を出してしまったがすぐにこちらを見上げ、


「そうかもしれないけど!オリオン座っていう星座の中にあるのが魅力的なの!」


とすぐに返された。


「へぇ…ベテル、ギウス?言い辛っ。あれ…この星…」


俺は資料に書いてある星の中からもう一つの注目されている星を見つけた。


「これ…リゲルだって。ベテルギウスの真逆だけどこれもオリオン座の中で目立つんだ。」

「うん。オリオン座には2つ光を強く放っている星があって、リゲルは右下の星だからベテルギウスとは正反対にあるんだけど、この2つが目立つ星なんだよね。」

「凄いな。1つの星座で2つも目立ってんのか。」

「うん…。でも見つけたいって思ってちゃんと探さないと、オリオン座も見つけにくいし、ただ空をぼーっと見ててもベテルギウスもリゲルもそんなに目立たないんだよね。ちゃんと見つけたいって思って探さないと。」

「探さないとか…。」

「一番光っているのを探そうとしてもなかなか見つけられないのに、実は一番近くにあって一番そばにあるんだよね…。」


そう美月は静かに絵を見つめそっと呟き黙りこくった。まるで心から染み出た言葉を噛み締めるように。

 

「どうした?」

「え?ううん!何でもない!多分、この絵の子もベテルギウスに惹かれてオリオン座を見てるんじゃないかな…。」


無意識に話した“この女の子も”という言葉に心が惹かれた。

美月は何かに惹かれて何かを見つめているのかと。そう思っているのだろうかと。


「いや、案外この子は探してるんじゃない?オリオン座を…。もしくは空を見てたらめちゃくちゃ光ってる星があって、ただそれを見てるのかもしれないよ。」

「あ、そうかもしれないね!」

「美月が描いた絵じゃん!どういう思いでこの子を描いたんだよ。」

「多分…見ていたかったんじゃないかな。一番光ってる存在をただずっと見ているだけ。」


あまりにも深い言葉に、教室の静けさが合わさり、時間と空間が揺れるように感じる。

時計の針が静かに動く音だけが響く教室で少しの静寂と、言葉探しの時間が過ぎていく。


そのまま絵を見つめていると、オリオン座の輝きに違和感を覚える。


「ねぇ美月。この絵ってこれで完成?」

「え…なんで?」


顔を近づけよく見ると、描かれているオリオン座は美しいものの、一番輝くはずのベテルギウスとリゲルは資料ほど輝いていない。

幻想的ながらもそのリアリティを特徴としている美月の作品にも関わらず、そこだけはまるで死んだの星の様に見える。


「この絵の2つの星さ…なんか暗いって言うか元気無いかなって…。」

「…うん。これを上手く輝かしたら完成!」

「そっか。どうりで。俺もよく気付くようになっただろ!」

「本当だね!」

「いつも美月の絵見てきたからな!これぐらい分かる!」

「本当?」

「おう!」


そういうと微笑みながらこちらを見上げいつもの笑顔で、


「ありがとう。私の絵を一番見てくれてるのは、間違いなく陽太くんだね。全部お見通しだ。」


と少し寂し気に呟く。その表情に少しひるんでしまった。


「んじゃあ、もう少しだな!」


そう言うと美月は下を俯きながら自信なさげに口を開いた。


「あのさ…この星…ベテルギウス…陽太くんが仕上げて?」


あまりにも唐突な提案だった。


「は?いやいや!無理だろ!こんな良い絵の仕上げを俺がするのは無理!そもそも美術俺2とかだし。それに美月は美術部長だろ?責任持たなきゃ!」

「私が仕上げるから色を塗ってほしいの。」

「そんなの俺が美月にPK蹴ってって言ってるようなもんだろ!ここまでキレイに描いたんだから、ちゃんと最後まで作らなきゃダメだろ!」


突然の提案に少し笑いながらもあまりにも無茶苦茶なお願いに断り以外の言葉が出ない。

そもそも仕上げなんてどうすれば良いか俺にはわからないし、もし失敗なんかしたら大問題だ。美月は入学してからずっと季節に合わせて絵を制作している。それはつまり3か月かけて作り出す彼女の唯一無二の作品であり、その中から展示会に出品する作品を出すことは知っている。その中でも自信作と言っていた作品の仕上げを任せるなんてありえない。

そう思っていた矢先、美月は下を向いていた顔を勢い良く上げ、こちらを見上げて珍しく強い口調で話した。


「お願い!陽太くんに仕上げて欲しい。色を入れるのは命を吹き込むのと一緒なの。だから…この星は私じゃダメなの。一年生の時、最初の時も手伝ってくれたでしょ?だから今回も…」


いつになく真剣な表情の美月がこちらを見つめている。

その表情はまるで今のこの瞬間が最後のチャンスだと言わんばかり、今を逃すまいと精一杯自分の想いを伝えているということが見て取れる程彼女の感情が伝わってきた。


「…なんで俺なの?」

「えっ…?」

「俺が偶然仕上げのタイミングでここに来たから?それとも違う理由?」

「それは…一番光ってる星は、一番光ってる人に描いてほしいから。その方が絵に力が入るの。私にとって一番光ってる存在は…陽太くん。いつも一番光ってて、照らしてくれてるから。」


そういう美月の目を見続けていると、その視線に改めて気づいたのか一瞬のうちに顔を赤らめ、またキャンバスに勢いよく向き合う。

きっと俺自身も顔を赤らめていたのだろうけれど。


「…とにかくお願い。私も一緒に描くから。」


色を入れる場所に改めて線を引き直している。ここまで本気でお願いをしてくる彼女の気持ちを無駄にはしたくない。

上手い下手ではない感覚なんだと感じることが出来た。


「分かった。そこまで言うならやる。ただし、条件がある。いい?」

「条件?」


美月が目を丸くしてこちらを見る。俺は隣の机にあった椅子を美月の横に並べそこに座り、ブレザーの袖を腕まくりしながら横に座った美月を見て言う。


「この一番右下の星。リゲルだっけ?これは美月が塗って。」

「え!?でもこの星は元々色を強く入れない予定だったから。リゲルも目立たせるとせっかくのベテルギウスが目立たなくなっちゃう。」


戸惑いと焦りの表情でこちらを見てくる美月の目をは吸い込まれそうで見ていて恥ずかしくなる。だが、どうしてもその瞳をじっと見つめて言いたかった。


「オリオン座で同じ位光ってるのはこの2つなんだろ?だったらリゲルも主役でしょ。それに、美月にとっての一番輝いてるのが俺なら…俺にとって一番輝いてるのは美月だし。だから俺だけは嫌だ。1つの星座に2つ輝く星があるのなら、一緒にどっちも光らせたい。」


どこからこんな臭いセリフが出てくるのか。

生まれて初めて口から出るその言葉に自分でも何を伝えたいのか分からなかったが、いつになくスラスラと口から出てきていた。それ程ストレートに思っていた事を告げられたのかもしれない。


少し考えこみ沈黙の教室の窓からふと外を見ると雪が降り始めている。

余計な音の無い教室では、ヒーターの音と時計の秒針の音が鳴り響く。

うっすらと曇ったガラスから結露になった水滴が一筋の線になって滴り落ちた。

今になってこの胸の鼓動が聞こえてしまうのでは無いか。それ程に静寂に包まれていた。

考えてみればこれ程までに美月と二人だけの空間で、ここまでの距離でこれ程の時間を過ごしたことはない。感覚でだけ伝わってくる美月の存在なのか、エネルギーなのか、得体のしれない感覚がすぐ真横に座った美月から受け取れ、全身がこわばる。

反対の窓を見るふりをしながら美月の表情を盗み見るとその口元は少しだが微笑んでおり、どこか嬉しそうだった。


「なんか嬉しいな。一緒にって…。うん、分かった!リゲルは私が色を付ける。」

「あ!で、でも嫌なら無理すんなよ!なんか散々絵に責任持てとか言っといて、意見しちゃってゴメン!」

「そんなことないよ?2/7の光か…。素敵だね!」


そう言うと絵の具をパレットに出し始め、色を作り出した。それに応えられるように、俺ももう一度腕を捲り上げて少し無理に声を出した。


「よしっ…んじゃあやるか!その代わりミスっても怒るなよ!」

「フフッ。もちろん!」


横に座った俺に筆を持たせ、キャンバスに手をかけながら塗り方の説明をしてもらう。自分で何とか塗ろうと思い臨んだが、緊張で手が震える。

それは絵に息を吹き込むという大役への緊張なのか。それとも美月を隣で感じての緊張なのか。

おぼつかない筆の動きに見かね、美月は俺の手を上から握り、筆を一緒にキャンバスに乗せた。


柔らかくか細く真っ白で、温かい手のぬくもりが俺の手を包み込む。

沖縄で感じた手の温もりとは全く違う。穏やかで優しい、柔らかな感触。

ゆっくりと色を付けている時間は、短いがとても長く感じるほど集中していた。

だが、それでも感じる美月のやさしさが溢れた手には、作品にかける情熱と熱意も相まって、その手は力強さもある。

緊張が辺りを包む中、無事に筆をキャンバスから離し、絵を塗り終えると少し乱暴で雑ながらも我ながら思ったよりもキレイに仕上がったと安堵が生まれる。

青みがかった黒い夜空に、黄色とオレンジ、そして緑がかった青い美しい唯一無二の色彩が施されたこの星は、間違いなく他の星よりも強く輝いている。


「よしっ!いいんじゃない?」

「うん!すごい素敵だよ!」

「じゃあ、次は美月の番。」

「うん…はい!」


そういうと美月は、パレットに乗せられたベテルギウスと同じ色の絵の具に、オレンジを少量付け足し、それを筆に付けリゲルに色を塗る。

美月が絵を描く姿は何度も見てきたが、美月の手も緊張からか寒さからか、少し震えていた。初めて見る美月の手の震えに、どういう感情で書いているのか知りたくなった。俺と同じ感覚だったらどれだけ幸せか。そんなことを思っていた矢先、


「ねぇ…陽太くん。」


美月は色を塗りながら声を出した。


「ん?」

「さっき、陽太くんにとって、私が一番輝いてるって言ってくれたよね?」

「うん…言った…かも。」

「かもじゃない!言った!」

「あー…。言ったね。」


俺は照れ笑いしながら答えた。


「あのね。ありがとう…。今までそんな事言われた事無いから嬉しい。」


美月は描きながら、頬を赤く染め、微笑んでいる。


「あ、いや…。事実だし…。それに俺も今まで言ったことないし思ったこともない。」


今だ。今想いを伝えようか。

でも、もし万が一俺の勘違いで、自信過剰で一方的に好意を持っているだけだったら…。この関係が崩れたら…。そう思うと怖くなり口に出せない。

一言伝えれば良いだけなのかもしれないが、それすらも出来ない。

心と呼ばれるものがもし胸にあるのならば、そこから出てくる感情が、喉を通り過ぎてくれない。この突っかかりさえ抜ければすぐにでも声に出せるのに。


「よしっ、出来た!」


この数秒の迷いと静寂の間に絵は描きあがり、美月はキャンバスから少し距離を取りながら作品を見つめ、少ししてからこちらを振り返った。


「どうかな?」


仕上がった絵には少し乱暴ながらも主張は強く、不器用ながらもしっかりと灯りを放つベテルギウスと、繊細で優しげに包み込むような柔らかな灯りの灯ったリゲルが光輝く、美しいオリオン座が描かれていた。


「良いと思うけど、俺のダメさが目立つ気が…。なんかごめん!」


そう言いながら美月を見ると、眼力を一層強くしたその目で作品を見つめ、口元を緩ませている。


「全然…凄く良い。凄く良いよ!ありがとう!嬉しい!」


今日一番のその声の大きさと張り切り具合に、安心と彼女の魅力が一気に襲い掛かってきた。

改めて一つの作品を一緒に作り上げたことを感じる。あの時のあの春の日に、一緒に桜を見てから月日は流れたが、この喜びは変わらない。

むしろ強くなっている。


「オリオン座だ…。やっと描けた。」


美月は色を塗った星が滲まないよう避けながら、星と星の間を指でなぞり、星座の形を何度も何度も作っていた。


「大丈夫?オリオン座に見える?」

「見えるよ。とっても!私の大好きな星座。私の大好きな作品になった。」

「そっか…。良かった。これでさ…オリオン座を見るたびに、一緒に書いた事を思い出せるな。」

「そうだね。絶対そうだよ。」

「良い絵だな。」


キャンバスを見ていながらも、その後無言になった美月を時折横目で見て、少しの間を過ごす。


「…好き。大好きだよ…一番…。」


美月は絵を見ながら、少し照れくさそうに声を出した。


「なんでこんなに大好きなんだろう…。幸せ。」


突然呟いたその言葉に、俺はなんと答えれば良いのか分からなかったが、今できる限りの答えを出した。


「俺も…好きになった。一緒だったから。こんなに好きになると思わなかった。」


そう言うと顔を上げこちらを見つめてくる。


「え…?」

「あ、いや、オリオン座!めちゃくちゃ好きになった!一緒に描いて。」

「オリオン座…。うん!私も好きだよ。また大好きになった。」


思い起こすと、あれは何かのきっかけだったのかもしれない。

というか彼女の想いだったのかもしれない。

でもそれ以上のまっすぐな言葉に、どうしようもなく突然緊張し出した俺は、オリオン座の事だと言って精一杯誤魔化すことしかできなかった。


その後も二人だけで少しの間、絵を見続けていた。


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