第2話 夜襲①

 馬車に揺られ、ヨドを目指すヴェルナー一行、道中でカテラがバズに簡単な自己紹介と旅の経緯を話していた。帝都の貴族と聞いて最初は緊張していたバズだったが、カテラの物腰柔らかな態度に次第に打ち解けていった。


「私の事はカテラと呼んでください。中尉さんも」


 馬車の外をぼうっと眺めていたヴェルナーにカテラが笑顔を向けた。


「カテラさん――ですか、ではそのようにします。俺の事もヴェルナーでいいですよ。敬称も敬語も要りません」


 中尉、と階級で呼ばれるのはなんとなく慣れない。それに任務の依頼者であり年上の人間に敬われるのは少々歯がゆかった。


「わかったわヴェルナー。ところで、ヴェルナーとバズはあの町ではお友達だったのよね。見たところバズは軍の人間ではないようだけど」

「俺はあの町の自警団の人間です。『バルドグロック』って言うんですけど―――」


 バズがカテラにグリアモの町の事を話しだす。カテラはそれを楽しそうに聞いていた。馬車は平坦な畦道を走っている。時折車輪が小石に乗り上げてヴェルナーたちの身体をがたんと揺らすが、座り心地のよいクッションもおかげで衝撃もほとんどなかった。実に快適な旅だ。空も澄み渡って雲ひとつない。なんだか不気味なほど平穏だ、つい先ほどまでのグリアモの喧騒が夢の事のように感じられた。いや、そもそも護衛なんて物騒な名前が付いていたが、実際はこんなものなのかもしれない。程よい馬車の揺れのせいか、穏やかな気候のせいか、はたまた隣で楽しげに喋る二人の心地よい笑い声のせいか、ヴェルナーは任務だということも忘れていつの間にか夢路についてしまっていた。


「軍人さん、そろそろここらで休憩いれたいんですがねぇ」


 前方の御者の声でヴェルナーは意識を覚醒させた。どうやらいつの間にか眠りに落ちていたらしい。慌てて窓から顔をのぞかせる。


「ああ、わかった。よろしく頼む」


 御者に声かけすると、はいよ、と鞭をしならせて馬車を道はずれの泉に横付けした。

 馬車を降りると澄んだ天然の泉が目の前に広がっていた。空を見ると太陽はちょうど真上に位置しており、燦々と照る光が泉に乱反射している。早朝にグリアモを出発しちょうどお昼時だ。そういえばお腹もすいた。


「随分余裕じゃねえの、軍人様?」


 ヴェルナーの背に、にやにやと皮肉めいた言葉が投げかけられた。バズは同じく馬車の中にいて縮こまった体を伸ばし大きく息を吐く。護衛の任もすっかり忘れ眠りこけてしまったことを指摘しているらしい。


「天気が良かったもんでつい」

「ま、気持ちは分かるかも。俺もちょっとうとうとしてた」

「いいじゃない、旅は長いわ。ずっと気を張っていたら疲れるもの」


 最後に降りてきたカテラも、ゆっくりと息をして、外の空気を吸い込んだ。


「依頼主もこう言ってる事だし、良いんじゃないか」


 今度は逆にヴェルナーがにんまりと笑うと、バズはそんなんでいいのか、と納得いかない様子で昼食の準備をし始めた。馬車に積んだ食材を備え付けてあった鍋に適当に放り込んでスープを作る。軍が用意した馬車だけあって、素朴な見た目の割に結構揃いが充実しているようだ。御者はヴェルナーたちのいる所よりやや離れたところで馬に餌と水を与えていた。


「でもこんな風に馬車で旅するの俺初めてかも」


 出来あがったスープを口にしながら、バズが楽しそうに笑った。


「俺も初めてだな。一応任務だから仕事なんだけど、観光旅行みたいで悪くない」


 行くまではあんなにふてくされていたヴェルナーだったが、実際に来てみると、見たことも無い自然の風景に心が和まされて行くのも事実だった。


「二人とも若いのだから、この先まだまだ旅をする機会があるわよ。そう言えば二人はいくつなの?」


 カテラが尋ねる。バズは十八歳、自分は一応二十二歳と答えた。


「一応?」


 訝しげに首をかしげるバズ。


「正確な誕生日がわかんないんだよ。七年前に十五で入れる軍学校に入学したから、それで数えると『一応』二十二歳」


 孤児だったヴェルナーは、あまり年月の感覚が無かった。そのため、自分がいくつ位なのか正確なところがわからない。が、それを聞いたカテラは何故かポンと手を叩いて顔を輝かせた。


「七年前に軍学校に入学して、今二十二歳……、ということはうちの娘と同級生だわ」


 なんて偶然なのかしら、とカテラは嬉しそうに笑う。


「娘さんがいらっしゃるんですか?」

「ええ、あなたと同じ軍学校を卒業して帝都で勤務しているわ。年も二十二歳よ」


 ジュンア家の子女という事は、若くても軍の中でも相当の地位に在籍しているのだろう。帝都で任に就く者は大抵が貴族出身の者たちだ。


「へー、偶然じゃん。ヴェルナー、その軍学校とやらで顔合わせた事あるんじゃないのか?」


 物珍しそうに問いかけるバズだが、ヴェルナーはいや、と答えた。


「学科が違えば、ほとんど接点なんてないんだ。それにジュンア家の子女っていや相当なお嬢様だろ、俺みたいな平民上がりはおいそれと近づけないんだよ」


 同じ学び舎で軍人を目指す者同士でも、その身分の差の軋轢はかなりのものがある。ヴェルナーは学校に通う五年間で嫌というほどそれを痛感した。それを聞いたカテラも少し悲しそうな表情を見せる。


「確かに、同じ軍人といえど生まれというものはその人間関係や進路を大きく左右させるものだわ。残念なことに今のオルセン軍はそれが顕著なのよ」


 平民の入学制度をはじめ、一昔前に比べればその弊害も少なくなりつつある。だが長年にわたって根付いてしまった差別意識を急に取り去ることは難しい。特に自身の威厳を守る貴族たちが未だ大半を占めている軍上層部では、そう簡単にこの現状が覆ったりはしないだろう。


「軍もなんか面倒くさいんだな。―――ところでさっき学科が違うって言ってたけど、どんな学科があるんだ?」


 少し辛気臭い話になりかけたところでバズが話を変える。こういったところは世渡りのうまいやつだと感心する。


「軍学校には、騎兵科、歩兵科、砲兵科、記述兵科の四つの学科がある」

「上の三つはなんとなくわかるけど、記述兵科?何だそれ、記録係?」


 目を点にするバズに、ヴェルナーが軽く説明する。


「記述兵ってのは、記録工兵のことじゃなくて、記述術ってのを扱う兵士の事だよ」


 記述術って何だ?とさらに難しい顔をするバズに、今度はカテラが答えた。


「記述術とは、この世界に存在する「記述」と呼ばれる元素に作用して傷を癒したり物を操ったりする技術の事よ」


 そう言うと、カテラはジェスチャーで腕の長さ位の帯状のものを示した。


「この世界の全ての物質、もちろん人間の身体も含め全てに内包されている帯状の白い紙状の物質、これを「記述」と呼ぶの。その帯に細かな文字が書かれていて、その文字の羅列が物質を構成する核となっているわけ」


 文字が書かれた紙のような形状をしていることから、その物資を「記述」と呼んでいる。


「一言に「記述」といっても、人間の身体を構成するものもあれば地面や空気中に無作為に漂っているものもあるわ。記述術というのは、その「記述」を引き出しその作用を具現化する術なのよ」


 例えば、治癒術なら地面や空気中から「再生」「修復」「促進」「成長」といった記述を探し、それをうまく組み合わせて傷部位に充てる。その状態で記述の力を引き出すことによって傷の部分が治癒するという仕組みだ。


「ただ、この「記述」は元々の素質が無ければ見ることが出来ないわ。そして見えたとしても、「記述」を読み取り力を引き出すためにはそれなりの訓練が必要よ。さらに、「記述」は読み取ることは出来ても書き換える事は出来ない。ただそこに存在する「記述」を状況に合わせて組み合わせることしか出来ないの」


 要は魔法みたいなもんか、とバズは理解しているのかしていないのか良くわからない返答をした。


「つまり、記述兵科っていうのは「記述」を扱う素質のある奴が専門的に「記述」を扱う術を身につける学科の事。そもそも「記述」が見える奴がごく少数だし、治癒術くらいしか実践的なものはないからあまり表舞台には出てこない。帝都にいる人間以外は記述術自体知らないことも多い」

「あら、でも使う者によっては嵐を起こしたり火山を活性化させたり、天変地異の領域にまで達する術を扱えるというわ。まあ、これこそごく少数でしょうけど」

「それってなんかものすごくやばい奴なんじゃ……」


 自然さえも操るという記述師を想像し、バズは僅かに顔を青ざめさせた。と、ヴェルナーはある疑問を口にする。


「もしかして、カテラさんも治癒系の記述術が使えるんですか?」


 初めて出会った時、彼女は衛生兵の団長として従軍していたと言っていた。歴代の衛生兵の御偉方は大抵が記述式治癒術を使用できる者だ。


「ええ、それほど大したことはできないけど、一応「記述」は見えるしそれを扱う術も身につけたわ」


 謙遜して言っているが、そもそも「記述」が見える時点でかなりの逸材だ。やはりこの女性は現役時代かなりの立場にいたのだろう。バズもカテラを尊敬の眼差しで見つめていた。


「すげえ、魔法を使える人なんて初めてみた。ヴェルナーは……さすがに違うよな?」

「違うな。俺は砲兵科、でかい大砲ぶっ放すための勉強と訓練やってた」


 でかい大砲、と聞いてバズが目を輝かせる。


「すっげぇ!大砲撃ったことあんのか!」

「そんなにいいものじゃないぞ。馬で戦場を駆ける騎兵科よりは数倍地味だし、歩兵科みたいにバンバン撃てるわけでもない。ひたすら射角の計算とか、器具の扱い方の練習とか、そんなんばっかりだよ」


 事実、学科の中で最も民衆から黄色い歓声を受けるのは、見た目も派手な騎兵科の連中だ。対して砲兵科などは、細かい計算ばかりやっているガリ勉学科などと揶揄されることも多々あった。


「それに大砲が使用されるのは野戦や篭城戦くらいだ。ここ十数年は大きな戦争も無かったし、卒業してすぐグリアモに派遣されてからは一度も撃った事は無い」


 しかし、それは良い意味でこの国が平和な証拠なんだろうと思う。巨大な大砲を駆り出さなくてはならない戦争など碌なことではない。


「ちなみに、娘さんが所属していたのは……」


 貴族の通例どおり騎兵科か、或いは母と同じ素質を持って記述兵科か。


「娘は騎兵科よ。結構優秀だったんだから」


 カテラは少し自慢げに娘の事を語った。有力貴族で騎士科の優等生、ますます自分には縁遠い存在だと思った。

 さて、とヴェルナーは手に持った空のスープ皿とスプーンを泉に持っていくと、泉の水を手で掬って丁寧に洗った。


「全員食べ終わった事だし、そろそろ出発しましょう。夕刻までに目的の村まで到着しなくてはいけません」


 ヴェルナーが告げると、後の二人も立ち上がり出発の支度を始めた。―――と、


「ん?」


 ヴェルナーはくるりと振り返り、泉の向うの茂みを見つめた。茂みの奥はちょっとした森になっており、奥の方までは良く見えない。


「どうかしたか、ヴェルナー?」


 立ち止まって動かなくなったヴェルナーを不審に思ったのか、バズが声をかけてきた。


「……いや、なんでも」


 曖昧に返事をすると、再び馬車に向かって歩き出す。―――気のせいか、なんとなく見られていたような気がしたのだ。歩きながらもう一度茂みの向うを振り返るが、やはりそこには何もいなかった。

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