第1話 旅の始まり⑥

「くそっ、やってられるか!」


 本部でカテラ=ジュンア護衛の任務を言い渡された後、ヴェルナーはやけ酒をかっ食らうべく酒場に来ていた。出発は明後日、準備が整い次第出発である。


 士官養成学校を出て正式に軍に入隊し、二年間この町の治安を守るために働いてきた。この町は賑やかな町だから荒事なんてしょっちゅうで、時には命のやり取りをすることもあった。だが軍人である以上常に危険と隣り合わせであることには納得しているし、実を言うとヴェルナー個人もこんな生き方は嫌いではない。それにこの町の人間は皆人間味があって温かい。そんな人たちを守るという命は、ヴェルナーにとって誇りでもあった。だから任務に関して不平を口にすることは今まで一度だって無かった。

 だが、今回の任務に関しては腑に落ちないことが多すぎた。なぜカテラは危険を冒してまで最果ての地を目指すのか、何故それを周囲の人間に伝えないのか。そんな無謀なお貴族様を何故自分が守らなければならないのか。貴族、という言葉が頭に浮かびヴェルナーは歪んでいた顔をさらに限界まで歪ませた。本音を言うと、ヴェルナーは貴族が大嫌いだ。「何でも」手に入れられるくせに、他人の「何でも」までもを奪おうとする。帝都にいた頃その醜さに辟易した。もちろんカテラもそいつらと同族だなどと、決めつけるわけではない。しかし、ヴェルナーの頭にどうしてもその靄がとりついて離れない。

 もう一度悪態をついて、手にしていたグラスを勢いよく煽る。


「あれ?随分荒れてんじゃん。どうしたよ」


 そこに、妙に軽い声が背中にかかった。顔だけ背の方に向けると、そこに立っていたのは、


「なんだバズかよ」

「なんだとはなんだよ。というかお前ひどいぞ。周りの奴ら怖がってんじゃん」


 バズにそう言われて改めて辺りを見回すと、周囲の客は皆射すくめられた小動物のように俯いたまま身を固め、こちらを見ようとしなかった。目の前のカウンターで酒をふるまっていた店主でさえ、ヴェルナーの視線に気づくと、ははは、と顔を引きつらせて頬に一筋の汗を垂らしていた。


「ただでさえ悪人面なんだから、せめて愛想良くしろよ。もてないぞ」

「うるさい、顔は生まれつきだ」


 切れ長の三白眼のせいか、どうにもヴェルナーは初対面の相手に怯えられがちだ。もうこればかりはどうしようもないとあきらめている。


「私は端正な顔だと思うがな、まあ可愛げがないのは同意だが」


 バズに引き続き声をかけてきたのか、昨日邂逅したバルドだった。バルドだけではない、その他の『バルドグロック』の顔なじみの連中がぞろぞろと店に入ってきた。


「ようヴェルナー、元気してたか」

「昨日はお手柄だったそうじゃないか」


 ヴェルナーの顔を見つけるなり、気さくに声をかけてくる男連中。自警団と駐屯兵団は、本来相容れない立場だが、ヴェルナーはよく両者の橋渡しを請け負っているのと、バズや取り巻き連中とも年が近いせいか、自警団の中でもヴェルナーに気を許している者たちが多かった。


「今日は皆で宴会ですか」


 ごく自然にヴェルナーの左隣に腰掛けてくるバルドに尋ねた。

 バルドは店主に酒を注文すると、懐から何やら厚みのある封筒を取り出し、意地悪く笑った。


「謝礼金が入ったんでな」

「ああ……、昨日の」


 どうやら、オルドの支払った賠償金は町を守った謝礼として、一部、いやかなりの額がバルドの元に納められたらしい。厚みからして結構な金額だ。いかにも金の亡者の如し狡猾な、だが殊更似合う笑みを浮かべる女性とは対照的に、ヴェルナーの右隣ではバズが純粋に酒が飲めて嬉しいといった表情でビールを飲み始めた。


「でもほんとにヴェルナー、なんかあったのか」


 先ほどのげんなりしたヴェルナーを見かねてバズが尋ねてくる。一応任務なので軍関係者以外に詳細は離せないが、護衛の任に就きしばらくこの町を離れることは伝えておいた方がいいだろうと思い、事のいきさつをかいつまんで話した。


「えっ!ヴェルナーこの町を出ていっちまうのか」

「出ていくわけじゃないけど……、ま、遠征みたいなもんだな。期間も無期限で当分帰ってこれない。護衛ってことだから、それなりに危険な任務かもしれない。しかも内容もどうにも納得できないし、それで気が滅入ってつい腐ってたというか……、っておい、どうした?」


 ふと横を見ると、バズは飲んでいたビールをカウンターに置きがっくりと突っ伏した。


「なんだ、ヴェルナーいなくなっちまうのか……」

「別に俺がいなくてもお仲間はたくさんいるだろ」


 そうなんだけどさ、と嘆くバズ。飲み始めた時からは考えられない低いテンションだった。下手をするとさっき一人でやけ飲みしていたヴェルナーよりもひどい。

 バズの気持ちは分からなくもない。ヴェルナーがこの町に赴任してから立場は違えど、バズとは長い時間を過ごしてきた。バズは自警団の仲間とも親しかったが、町の辺境を探索したり、つるんで馬鹿なことをするときはヴェルナーと一緒の事が多かった。ヴェルナーもまるで本当の弟が出来たような気がして、バズと過ごす一日一日は本当にかけがえのないものだと思っている。遠くに行くと言って、ここまでがっかりしているバズを見ると、先ほどまでの自分の苛立ちや任務に対する不満などどうでもよくなってしまった。


「ま、二度と帰ってこないってわけではないし、土産話なら帰ってからたくさん聞かせてやるさ。それまでこの町のこと頼んだぞ」


 ヴェルナーはバズの肩をポンと叩いた。自警団の副将であり次代当主、この男なら自分のいない間でもしっかり役目を果たしてくれるだろうと信じている。


「当たり前だろ、この町は俺の大切な故郷で、俺はいずれこの『バルドグロック』の長になるんだからな」


 それが伝わったのか、バズも顔を上げるとにかっと笑い誇らしげにそう告げた。


 ―――だが、そんな二人の会話を無言で眺めていたバルドの一言で、和やかな空気が一変した。


「……なあヴェルナー。その護衛の任とやらに、そいつも連れてっちゃくれないか」


 そう言って、バルドが指差した先には片眼を大きく見開いたバズが座っていた。


「……は?何言ってんだよバルド……?」


 茫然とするバズに目もくれず、バルドは改めてヴェルナーに向き直った。


「ヴェルナー。バズをお前の旅に連れて行ってやってほしい。もちろん軍事機密に関わるってんなら無茶は言わない。でもそうじゃないのなら―――」

「ははは、俺はこの町を出る気は無いよ、俺は『バルドグロック』の副将だぞ。あんただって昨日そう言ったじゃないか」


 明るく振舞おうとしているが、その顔はこれほどないまでに引きつっていた。そんなバズに対し、バルドはどこまでも冷静だった、恐ろしいほどに。


「お前もいい機会だ。こいつについて行って他の町を見てこい。いい勉強になる」

「だから、何言ってんだよ!」


 バズはもう一度、今度は強い口調で怒鳴り立てた。勢いよく立ちあがった拍子に、バズのグラスが傾いてビールがカウンターに広がる。突然声を張り上げたバズに、店の中にいた客たちはしんと静まり返った。何事かとこちらの様子をうかがっている。今にも噛みつきそうな勢いで、バルドに食ってかかるバズ。店内が燦然とする中、ただ一人バルドだけがその冷静さを失わない。


「あんた昨日言ったよな?この町に骨をうずめて死ぬ覚悟はあるかって。俺もあるって言った。一生この町であんたとこいつらとこの町を守るって、あんたが死んだ後もずっとこの町のために命かけるって!」

「……ああ、言ったな」

「ならどうしてだよ!?ヴェルナーはいつ帰れるかわからない危険な旅だって言ってるんだ。そんな旅にどうして俺がついていけるんだよ!」


 最後の方は半ば喚き散らすような言い方だった。バズの悲痛な叫びが店内中にこだまする。それでもバルドは折れなかった。


「バズ、もう一度だけ問う。お前は本当に次代のバルド=グロックになる覚悟はあるか?」

「あるって言ってんだろ!だから俺は―――」

「ならば、過去のしがらみも迷いも全て捨てて、この町のためだけに死ぬことができるんだな?」


 その瞬間、憤っていたバズの顔がさっと青ざめた。今までの威勢が嘘のように、わなわなと震えている。


「……バズ、お前にはまだ本当の意味でその覚悟が出来てない。だから、お前は一度この町から出て、自分を見つめなおせと言っているんだ」


 そうしてバルドは、静かにそしてはっきりと告げた。


「今のお前に、『バルドグロック』は任せられん」

「―――っ!」


 その言葉を聞いて、バズは弾丸のように出口に向かって走り出した。ヴェルナーの制止も聞かず、そのまま真っ暗な闇の中に飛び込んでいった。


      ◆

「……何もあそこまで言わなくてもよかったんじゃないですか」


 飛び出していったバズをすぐに追いかけようとしたが、一瞬考えてやめた。彼を説得するにも慰めるにも、まずこちらの意見から聞いておかなければならない。


「私は本当の事を言ったまでだよ」


 バルドは自身の発言に一縷の後悔も無いようだった。しかし、ヴェルナーはその冷淡な態度に逆に違和感を覚えた。


「あいつがこの町を大切に思っている事なんて、誰が見ても明らかでしょう。それはあなたもよくわかっているはずだ」

「……そうだな、あいつは本当にこの町を愛してくれてる、いい奴だ。きっと立派な当主になる。私の息子にしておくにはもったいないよ」


 そう告げたバルドの横顔は、どこか悲しげな様子だった。


「あいつが養子だということは話したな」


 懐からキセルを取りだしたバルドは、ふいにヴェルナーに語りかけてきた。


「『バルドグロック』は代々養子世襲制を取っているそうですね。バズも、何年か前にあなたが養子にしたと」


 以前バズが言っていた。『バルドグロック』の当主は、先代に実力を認められ養子に迎え入れられた者のみがなれる名誉ある地位なのだと。


「私があいつを拾ったのは十年前だった。森の中で傷だらけの泥だらけでうずくまっているあいつを私がこの町に連れてきた」


 バズの生い立ちについてはヴェルナーも詳しく知らない。普段そういった話題は、バズとの会話の中では出てこなかった。ヴェルナーは静かに語るバルドをただじっと見つめていた。


「あいつはどこから来たのか、家族はどうしたのか、聞いても答えてはくれなかった。それでも私はあいつの素質を見込んで養子に迎え入れた。あいつもそれを喜んでくれた。たとえあいつがどこの誰でも、今この場で笑っているのならそれでいいと思った」


 薄く笑みを浮かべるバルド。当主としてではなく、一人の養母として、バズの事を語る彼女を見たのはこれが初めてかもしれない。ふと、バルドは顔を上げヴェルナーを見た。


「気づいていたか?ヴェルナー。あいつは次期当主のことやこの町の未来について語る度、いつも一瞬だけ曇ったような表情をするんだ」

「それは……、気づきませんでした」


 ヴェルナーは素直に述べる。バズとは将来の話もいろいろしたが、そんな風に捉えたことは一度も無かった。きっと長年傍で見守っていたバルドにこそ、わかるものなのだろう。


「成長して、あいつも自分の過去に何かしらの想いを抱き始めたんじゃないかと思う。だが、それは私にすらわからない、あいつは何も言ってはくれない。だからもし、あいつの中で、心残りがあるのならそれを叶えてやるべきなんじゃないのかと思ったんだ」

「それで、外に出てみろなんて言ったんですか」


 ヴェルナーの問いに、バルドは首を縦に振った。バルドの元に養子に来る前のバズの過去。もしそれが次期当主となる上でバズを苦しめているのだとしたら、きちんと向き合ってほしい、とバルドは願っている。例えそれによって、バズが『バルドグロック』から去ってしまってもだ。


「結局私はあいつに後を継いでほしいのか、欲しくないのかわからんな」


 そう言って苦笑するバルドに、今度はヴェルナーが意地悪く笑って見せた。


「それはあなた自身が一番よく御存じでしょうに。そしておそらく、あなたとバズの望みは一緒のはずだ」


 ヴェルナーは立ちあがると、今度こそバズの後を追って店を出た。

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