第1話 旅の始まり⑤

 自警団と駐屯兵団の両組織を巻き込んだ大捕り物が行われた翌日、ヴェルナーの予想通り捕縛されていたジャスティン=オルドは、軍本部の早急な取り計らいと父マーク=オルドからの要請で釈放となった。ヴェルナーがあらかじめ駐屯兵団長に進言した通り、保釈金とは別に被害にあった市民への賠償金と多額の慰謝料を置いて行った。駐屯兵に連れられ、町の外へと出ていくオルドを見て、今回の一件はひとまず決着がついたことに、ヴェルナーは安心した。


「あえて市民を危険に巻き込んだことは、誉れたことではないがな」


 そっと胸をなでおろしたヴェルナーの背に、やや皮肉を込めた声がかけられる。


「…セルシム団長」


 背後に立っていたのは、厳つい顔をにやりと歪め意地の悪そうに笑う中年の男。グリアモ駐屯兵団を束ねる団長にしてヴェルナーの直属の上官、ローラント=セルシム少佐である。


「ま、俺の拳固一発と始末書程度で許してもらえただけありがたく思え」


 そう言ってセルシムはヴェルナーの肩を叩いた。軽い言動だったが、ヴェルナーは、昨晩脳天に食らった鉄拳制裁の痛みを思い出してがっくりを肩を落とした。といっても、ヴェルナーのやったことは本来なら謹慎処分、下手をすれば軍籍からの除名処分もあり得たわけで、その程度で済ましたというセルシムも随分と寛大なのだ。


「しかし、えらく速い釈放ですね」

「今朝がた、軍部経由で父親から腕木通信が届いた。妙にこなれた対応だったよ。よほど手を焼いているんだな、あの道楽息子に」


 セルシムは遠く離れたマーク=オルドに向かって、気の毒だと嘆いた。


「団長は会った事あるんですか?マーク=オルドに」


 ヴェルナーが尋ねると、セルシムはああ、と首を縦に振った。


「前に帝都で一度だけな。無表情で掴みづらい男だったよ。物腰や仕事振りから、仕事に私情を挟むような人間ではないと踏んでいたんだが、あの息子を逐一助けている辺り、そうでもないのかもしれん。何か別の理由があるのかも知れんが…、どの道あの男の考えは良くわからんよ」


 難しそうな顔をするセルシムを見て、あまりお目にかかりたくない人物であることだけは確信できた。

 オルドの見送りを終え、セルシムと共に駐屯兵団の本部へと戻る途中、唐突にセルシムがこう言った。


「それはそうと、ヴェルナー。お前に一つ任務を与えようと思う」

「任務……、ですか?」

「ああ、今回の一件で一つな。お前に頼みたい事がある」


 馬鹿息子の件については万事解決だと思っていたヴェルナーだったが、まだ何かあるらしい。


「ジャスティン=オルドとその一行は、元々帝都トランベルから東の大陸にあるユートレイを目指していたそうだ」


 ユートレイといえば、帝都に次ぐ巨大都市で特に貴族や富裕層が集まり豪遊を楽しむ娯楽の街だ。街の中には高級商店やカジノといった金持ちご用達の施設が立ち並び、夜が更けてもその明りは明け方まで消えることがないという。

 ヴェルナーは訪れたことが無いが、たまに風の噂でユートレイの名を聞くたび自分には縁のない成り金の街だな、と苦笑していた。


「まぁ、あの馬鹿息子が好きそうなところですよね。でもそれがどうしたんです?」


 本部の廊下を歩きながら、それが自分の仕事にどう関係あるのか、ヴェルナーは考えあぐねていた。


「うむ。つまり、彼らはこの帝都のある大陸からユートレイのある東の大陸に渡ろうと旅をしていた際に我々に捕まったというわけなんだが、その旅に同行者がいたんだ」

「同行者……?仲間ではなくて?」

「ああ、……そうだな。詳しい話は本人に聞いてくれ」


 そう言ってセルシムはさらりと説明を蜂起した。本人?と内心で首をかしげたが、セルシムに案内された部屋でようやくその意味を理解した。

 駐屯兵団本部の応接室、団長であるセルシムの執務室からドアで一続きになっている部屋。時に軍のお偉方が見える事もあり、他の部屋より幾分豪華に飾られているその部屋に件の人物がいた。第一印象は穏やかな女性だった。年は五十代前半、生成りの上等な法衣を纏いゆったりとたたずんでいる。後ろ手にまとめた豊かな栗色の髪に混じる白髪や目元や頬に刻まれた皺が、自分よりも長い年月を生きてきた事を体現しているが、その表情や姿勢は決して老いてはいない。むしろ妙齢の女性以上の若々しさを感じる。


「くつろいで下さって結構ですよ、ジュンア殿」


 セルシムが女性に笑いかけると、彼女もにこりと笑みを返した。


「ありがとうございます。セルシム少佐」


 女性は部屋の中央に備え付けられたソファに腰掛ける。セルシムに促されて、ヴェルナーも向かいのソファに腰掛けた。セルシムもその隣に座る。


「ライトロウ中尉、こちらはカテラ=ジュンア殿だ」


 姓と階級で呼ばれるのは公的な場か或いは、目上の人間か外部の人間が傍にいる場合だ。ヴェルナーは腰を上げると女性―――カテラに向かって敬礼した。


「ヴェルナー=ライトロウ中尉であります。カテラ=ジュンア殿」

「まあ、ご丁寧に。よろしくお願いしますね、若い軍人さん」


 おっとりと告げるカテラにヴェルナーもなんだか拍子抜けして、再びソファに座りなおした。


「ジュンア殿。件の依頼ですが、彼に一任しようと思います。いかがでしょうか?」

「ええ、誠実な方のようですし、安心いたしましたわ」

「では、こちらも準備がございますので、出発は明後日になるかと」

「私は構いませんわ。この町の観光もしたいですし」


 何やら、セルシムとカテラで話を進めているが、当のヴェルナーには理解できていない。たまらずヴェルナーが口を挟んだ。


「あの、セルシム少佐。自分はまだ何の任務か知らされていないのですが」


 二人だけで話を進められては気持ち悪い。セルシムはそう急くなと耳打ちしたが、ヴェルナーがよほど不安そうな顔をしていたのだろう、カテラがその質問に答えた。


「実は私、メテルリオンを目指して旅をしていますの」


 カテラが口にした単語を聞いて、一瞬目が点になった。


 メテルリオン。この帝都のある大陸より東側、先ほどセルシムと道中で話していたユートレイから更に大陸を東に進んだ帝国領土の最果てにある地。そこは十五年前、国境をまたいで対立していた敵国イシル共和国との大戦で、完膚なきまでに破壊された土地であった。大砲で大地は抉れ、周囲を覆う硝煙の影響で動植物が息絶えた。何万という人間の血がその地に浸みこんだ死地。停戦が表明されてなお両国との緊張状態が緩和されない現在、その地に足を踏み入れようとする者はいない。

 そんな暗黒の地に、この穏やかな女性は足を踏み入れようというのか。


「…失礼ですが、何故メテルリオンに?」


 信じられないというようにヴェルナーは問いかける。


「……一言で言うと夫のためかしら?」

「夫?」

「ええ、亡くなった私の夫ですわ。軍人でしたのよ」


 亡くなった軍人の夫、と聞いてキョトンとしているヴェルナーの脇腹をセルシムが小突いた。


「お前知らんのか。ジュンア家といえば、帝都でも有数の貴族だぞ。代々名だたる将を輩出している。ジュンア殿の夫、シーザ=ジュンア准将は先の戦争で殉死されたが、オルセン軍の第一連隊長を務めた御方なんだ」


 へっ、とヴェルナーが素っ頓狂な声を上げる。さらにカテラが、


「ちなみに私も結婚するまでは、衛生兵団の団長を務めておりましたのよ」


 などと笑いながら言うものだから、何も知らなかったヴェルナーはいたたまれなくなった。その物腰や口調から育ちの良いお嬢様のようだと感じていたが、どうやら目の前に座っている女性は自分が思っていた以上の大物らしい。


「で、話を戻しますわね。その夫のとある遺言からメテルリオンを目指していたのですけれど、何分長く険しい旅です。私一人では到底辿りつく事はできません。そこで帝都で偶然出会ったオルドさんが、同じく東の大陸を目指していると聞いて護衛を頼んだのです」

「あの男に護衛を頼んだのですか!?」


 叫んだ拍子に思わず、腰が浮いた。正直あの不敬な男によくそのような大事な事を頼めたと思う。有数の貴族というのなら、護衛を任せられる人間などいくらでもいるだろうに。


「……実は今回の旅はお忍びなのです。ジュンア家の人間にも詳しく言っていなくて……、だからあまり周りに悟られないように、と思ってオルドさんに声をかけたのですけど、まさかオルド商の関係者だとは知らなくて……」


 いや、突っ込むべきはそこじゃない。確かに軍部にも顔が知れたオルドをお忍び旅行の伴に選んだことも間違いだが、そもそもあんな粗暴な連中に女性一人でついて行こうという発想が危険だ。


「いやいや、どう考えても危険でしょう!あんな野蛮な連中、間違いなく一人で旅した方が安全ですよ」

「あら、そんなことはなかったですわよ。とても面白い方たちだったわ」


 先ほどは貴族の婦人と聞いて緊張もあったが、どうも常識の部分では随分抜けているんじゃないだろうかと脱力してしまった。

 口を開けたまま硬直してしまったヴェルナーに代わって、同じくカテラの仰天行為に冷や汗を垂らしていたセルシムがフォローを入れた。


「……まあ、あんな男とは縁を切って正解ですよ。で、ライトロウ中尉、そのオルドに代わって君がカテラ殿の護衛についてもらいたい」

「はあっ!?」


 ヴェルナーは再び素っ頓狂な声を上げた。護衛?自分が?この危機感のよくわかっていない女性を?最果ての地メテルリオンまで?


「どうかお願いしたいのです。旅の心得も持たない女一人では限界がありますから」


 悪びれたように言いつつも、その顔は笑みを絶やすことは無い。隣には「命令だぞ、拒否は許さん」と目で訴えてくるセルシム。ヴェルナーは目の前が真っ暗になりそうなのを堪えつつ、かろうじて「承知しました」と口にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る