第1話 旅の始まり③

 ◆

 ヴェルナー、と雑踏の中から自分を呼ぶ声が聞こえ振り返った。大々的な捕り物のおかげで今や広場は野次馬でごった返している。まるでパレードの後のような有様だ。そんな人ごみの中を若い少年がぬってやってくる。少年は己の背丈ほどの大きな槍を周りの人たちに当てないように高く掲げていた。加えてその顔にはごてごてした装飾の施された眼帯が装着されていて目立つことこの上ない。それでも周囲の人々が彼に訝しげな視線を向けないのは、その少年がこの町に住む者なら誰もが知っている有名人であるからだ。


「バズか」


 ヴェルナーは少年の名を呼んだ。


 少年―――バズ・グロックは、この町の自警団『バルドグロック』の副将である。まだ十代後半と若いが、多くの団員をまとめ上げる俊英だ。


「いやぁ、助かったよ、ヴェルナー。今回の犯人お前が取り押さえてくれたんだって。酒場のおやじさんもすげぇ感謝して―――ってイタッ!」


 言い終える前にヴェルナーはバズの頭に拳骨を落とした。バズは痛みにうずくまりながら、何するんだ、という抗議の目を寄こしてくる。


「そもそも旧市街地での客と店のもめごとは、おまえら自警団の管轄だろ。しかも副将のおまえが一番現場到着が遅くてどうする」

「うっ……、いやまあ、それは……」

「大方どっかで昼寝でもしてたんだろ?仲間に起こされて慌てて出動か?」


 図星をつかれたらしく、バズはさらに息をつめた。


「それに、今回奴らを捕まえたのは俺じゃない。俺は酒場から広場まで奴らをおびき寄せただけで、捕らえたのは自警団の連中と駐屯兵の本隊だ」


 そうだったのか、とバズはごった返しになっていた広場を見渡し目を細めた。無関係の野次馬はあらかた広場を離れ、いつもの広場の状態に戻りつつあった。ヴェルナーの元に来る前にバズが指示を出していたおかげか、武器を手にしていた物騒な市民―――『バルドグロック』も、徐々にこの場を離れつつある。肝心の広場で暴れまわっていた当事者たちは、黒服の集団『グリアモ駐屯兵団』たちによって拘束されており、その中にはヴェルナーが昏倒させたオルドの姿もあった。


「今回暴れまわっていたのはオルド商の身内なんだ。お前ら自警団では手に余るだろう。お前の仲間は何か言っていたか?」

「何も。でも納得はしてなかったみたいだ。そりゃ店から商品から壊された連中を自分たちの手で懲らしめられないのは、しまりが悪いし、しょうがない」


 駆けつけた者たちは皆、男たちがヴェルナーを猛追している間に被害にあった人々やそれを聞きつけてやってきた『バルドグロック』であった。自分たちの領域で存分に暴れまわってくれた彼らを許すことは到底ないだろう。


「……さて、あらかた片付いたかな」


 ヴェルナーが混沌冷めやる広場を見渡し呟くと、あ、そういえばとバズがヴェルナーに向き直った。


「お前はこんなとこで何してんだよ。お仲間の手伝いしなくていいのかよ」


 目下でオルド達の護送を始めた駐屯兵団を指し、人の事殴っといてさぼりか、と愚痴を垂らすバズをにらみ返す。


「俺にはそれよりもっと面倒くさい仕事が押し付けられてんだよ」

「面倒くさい?」

「お前んとこの大将に詳細報告…という名の言い訳をな」


 げんなりと吐き捨てると、バズも「あぁ…」とばつが悪そうに苦笑した。


  ◆

 この町を守る二つの組織は、細かい協約を有している。旧市街地や商業地区、古くから炭鉱で暮らす住民の居住区等で起こった揉め事に関しては全て『バルドグロック』が対処する。反対に新市街地及び公共施設の密集する中央広場とその周辺、そして町の外部からの侵略行為に関しては駐屯兵の任務遂行が優先される。このような協約が決められているのは、本来ならば相容れない帝国軍と民間兵、それぞれの面目を保つためだ。


 つまり、旧市街地にあった酒場での一件に駐屯兵団側のヴェルナーが首を突っ込んだのは、本来協約上は違反となる。だが、目前で繰り広げられる暴力沙汰に目をつぶるのは、市民を守る軍人として相反する行為なのは誰が見ても明らかだ。勿論それは『バルドグロック』側も了承している。この協約は互いの組織の尊厳を保障するものであるが、両者に共通して掲げられる「市民の安全」こそが、何よりも優先されるべきものなのだ。だからこそ有事の際の両者の歩み寄りは念入りかつ慎重に行われる。そして今回、ヴェルナーが『バルドグロック』の長の元を訪れたのも、今回の一件における両者の権限について協議するためである。


 『バルドグロック』本部へと足を踏み入れたヴェルナーは、案内に連れられて最奥部の部屋に入った。照明が落とされた部屋は薄暗く、先の見えない洞窟に足を踏み入れるような感覚を抱く。そう言った洞窟には大抵、最奥に強大な主が潜んでいるのが物語の常であるが、ヴェルナーの眼前にもまた、並々ならぬオーラを放つ主が姿を現した。


「よく来た」


 低くそれでいて妖艶な声に条件反射で背筋が震える。

 座に構えていたのは、その声に勝るとも劣らない妖艶な女性であった。だが、はだけた衣服を気にする風も無く悠然と構えるその姿は、邪よこしまな感情よりもむしろ邪肉を食らう獣を前にした時のような恐怖を抱かせる。グリアモ自警団『バルドグロック』の長、自身にもその名を冠す女性は、この町のどんな屈強な男たちにも引けを取らない気高さを身にまとっていた。


「無法者を捕まえてくれたそうだな。市民を守ってくれたこと礼を言おう」


 短くも感謝の意を示すバルドに対して、ヴェルナーもまた恭しく頭を垂れた。


「私が取り押さえたのは、リーダー格の男とその取り巻き数人です。残りのほとんどは、あなたの部下と私の仲間が尽力してくださったおかげです」


 あくまでも謙虚に告げるが、バルドはすぐさま爆弾を投下した。


「そう謙遜するな。私の部下もお前の同胞もお前が焚きつけたようなものだろう」


 くつくつと声を立てて笑うが、その瞳は一ミリも笑ってはいなかった。鋭利な刃物を突き付けられたような心地がして、背筋に汗が流れる。


「……ばれてましたか」


 ちらりと上目づかいでバルドを見ると、彼女は煙管から細い煙を吐き出した。


「酒場から無法者共を誘い出して広場で大立ち回り、駐屯兵団の領域で拘束。しかもご丁寧に道中では大通りを荒らしまわり、我々自警団の出動を促した。両組織を利用した完全包囲網か。実に見事だ、恐れ入る」


 賞賛のように聞こえて、その裏に憤りが垣間見える。ヴェルナーは内心このまま視線で八つ裂きにされるのではないかと肝が冷えた。


「……恐れながらグロック殿、今回の一件、取り締まり対象となった男は少々厄介な奴でして」


 ほう、とバルドは目を細めた。


「現在この帝国で武器売買を主力に活躍している海運王、マーク=オルドという男を御存じで?」

「名は聞いたことがある」

「今回お縄になったのは、そのオルド商の子息ジャスティン=オルドです。彼自身はさほどの器ではありませんが、父親のバックが強い。商業組合は勿論の事、兵器売買に着手している点から我々軍関係者にも顔が利きます」


 すなわち彼を無体に扱うことはイコールそう言った背後に控える組織にも何かしらの影響を及ぼすということだ。


「あなた方の統率力には微塵の疑いもございません。しかし、あのオルド商の息子が泥酔して無体を働いた程度で一介の自警団に拘束され必要以上の懲罰を受けた、という風評が出回れば、あなた方の立場にいかほどの損害が出るでしょうか」

「親の七光りをしょった息子の粗相を荒くれ者が制裁した、という程度で笑いのネタにされるだけではないかね」


 『一介の自警団』という言葉にピクリと眉を歪ませたが、バルドはすぐに面を戻して微笑を浮かべた。それだけならいいんですけれどね、とヴェルナーは苦渋を浮かべる。


「実際、他の組織でもあの道楽息子を不当に扱ったという理由で、商業組合や軍部から事実究明を迫られ、結果逆に懲罰を食らったという例も見られます。悲しいかな、その七光りが些か強大すぎるんですよ」


 息子の所業をどう思っているかは定かではないが、マーク=オルド自身はオルド商の名に傷がつく事をことさら嫌っている。その名を守るために使える手段はとことん使う。


「対して、我々駐屯兵団には皇帝から賜った市民を守る義務と権利があります。たとえあの息子を一時拘束したとて、すぐにどうこうということは無いはずです。……それでも拘束以上のことはできませんがね。

 ですが、彼を釈放するにあたって父のオルド商の名で保釈金が支払われる際に、今回被害にあった市民や店舗の損害賠償と慰謝料を上乗せする事は可能です。彼は金を惜しまないタイプだと聞いていますので、オルドの名誉のためとあらば喜んで払ってくれるでしょう。

 また今回大通りの市民を被害に巻き込んだのも、本来ならば自警団が管轄する旧市街地で、あなた方の知るところなく事を収めるのは協約に反すると判断した結果です。お互いの面子を守るための止む無き損害であるとお考えください」


 バルドは無表情でヴェルナーを凝視した。数秒の沈黙の後―――、


「……はっ」


 唐突にバルドは腹を抱えて笑いだした。


「なるほど、奴を正当に裁けない我々に対し、出動の機会を与えたばかりか、迷惑料までよこしてくれるとはな」


 この笑いは、喜んでいるのか、怒りを隠しているのか。最後まで気が抜けない。


「……いいだろう。今回の件は、お前たち駐屯兵団に一任する」


 その言葉を聞いて、ようやくヴェルナーは正常に息を吐けるようになった。


「ありがとうございます」

「しかし、我々の協約も些か見直しが必要だな」


 そう言うと、バルドはキセルをくゆらせ遠い目をした。この協約のおかげで、本来相容れないはずの自警団と駐屯兵団は懇意とは言わないまでも、お互いの存在を理解し尊重しあう関係を築いてこられた。


「我々は市民を守るという任務を仰せつかっています。それでもこのグリアモが平穏であるのはあなた方自警団の存在が大きい」


 これは世辞ではなく事実だ。『バルドグロック』という名は、グリアモに住む市民にとって絶対の信頼を示すものだ。軍には到底及ばない。


「だがいずれ綻びも出よう。今までがうまくいきすぎた。そろそろ新しい風も必要になってくるだろうな」

「新しい風ですか…、それはあなたの息子さんが担ってくれるのではないですか」

「バズか…、あいつはまだまだひよっこだからな」


 そういってバルドは苦笑しているが、内心では跡継ぎである自分の息子に期待を抱いていることはよく知っている。


「あなたがいれば、当面グリアモは安泰ですよ。では私はこれにて」


 そう言うと、挨拶もそこそこにヴェルナーはその場を立ち去った。

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