第1話 旅の始まり②
「てめぇ!待ちやがれ!」
「ぶっ殺してやる!」
様々な罵声を背中に浴びつつ、ヴェルナーは走る。酒場からほど近い商店の密集する大通りに出ると、迷うことなくその中に飛び込んだ。一体何事かとヴェルナーを目で追う通行人を横目で流しながら、大通りの突きあたり、広く空けた石畳の広場まで突っ切る。背後で何かがひっくりかえるような音や住民の悲鳴、罵声が耳に入ってきた。
「あとで団長にどやされるかなぁ」
一抹の不安がよぎったが、とりあえず今は気にしないことにした。
町中央の広場までやってくると、ヴェルナーは足を止めた。つられて男たちも追いかけるのをやめる。じりじりと、ヴェルナーを包囲するようににじり寄ってきた。
「てめぇ、覚悟はできてんだろうな」
連中の一人がどすの利いた声でヴェルナーに迫る。その手には、刃渡りの短いナイフが握られていた。軽い踏みこみと共に、男はそのナイフをヴェルナーの鼻先に突き付けた。ヴェルナーは俊敏な動作で避ける。空を切って隙だらけになった男の鳩尾に膝を叩き込んだ。自身の体重と重力でヴェルナーの膝がめりめりと嫌な音を立てて食い込み、男は気を失った。
振り向きざまに、握り込んだ拳を後ろに叩き込む。今まさにヴェルナーを羽交い絞めにしようとしていた男の鼻に拳の骨がめり込んで、ぐぎゃと変な声を出して倒れ込んだ。
さらに向かってきていた二人の男に足払いを掛けると、バランスを崩して折り重なるように倒れ込む。続いて視界に入った男の腕を掴むと、その腕を軸に男の身体をぐるりと回転させた。何が起こったわからないまま、宙に舞った男は、先ほど倒された二人の上に勢いよく落ちて、三人とも動かなくなった。
五人ほど地面に倒れたところで、分が悪いと判断したのか残りの男たちは徐々にヴェルナーから距離を取り始めた。さっきの威勢はまるで見る影もない。
「なんだよ、もうかかってこないのか」
お決まりの挑発を浴びせてやると、一人がヒステリックに叫んだ。
「う、うるせぇ!こっちはただオルドに金もらってただけだ!」
その言葉を皮切りに、男たちは一斉に背を向けて逃げだした。その姿を見て、当のオルドは慌てふためく。
「おい、待て!俺を置いていくな!」
我先にと広場の入り口に駆ける彼らを見ながら、ヴェルナーは特に追おうともせず呟く。
「ま、それで逃げられるほどこの町は甘くないんだけどな」
その言葉を合図にするかのように、突如逃げる男たちの目の前に異形の集団が現れた。全員が全身を真っ黒に染め上げた者たちの集団。深い闇を思わせる黒ずくめの男たちが、まるで一匹の生き物のように彼らを威圧し、蹂躙した。
異様な圧に押され、行く手を遮られたオルドたちはたまらず、後ろへ後退する。しかし、そこにもまた新たな集団が湧きでるように現れた。広場の門前から、路地から、野次馬で埋まった歩道から、まるで一つの大きな塊のようにうねり、男たちの行く手を阻む。銃のほかに、斧や槍など異なる武器を携えた者たち。先ほどの黒ずくめとは真逆の、老若男女問わず様々な出で立ちの集団。しかしその目はどれも共通して、オルドたちを怒号の目で睨みつけている。激情の怪物、それが途端に大きな唸り声を上げると、男たちに襲いかかった。
前後を巨大な怪物に飲み込まれ、成す術もなく拘束されるオルドたち。彼らは知らなかったのだ、この町に存在する二つの強大な『盾』の存在を。
首都トランベルよりほど近い、交易の町グリアモ。日々数え切れないほどの旅人や商人を迎え、時に流浪者や荒くれ者を誘い込む喧騒の町。その町の平穏を守る『盾』こそ、グリアモ自警団『バルドグロック』、そして帝国軍派遣部隊『グリアモ駐屯兵団』である。
◆
「くそっ、何なんだ一体…!」
目の前で仲間たちが次々と拘束されていく中で、オルドは人ごみの中を這うように逃げ回っていた。そもそも自分たちは、偶然目についた酒場で気分良く酒を嗜んでいただけであったのに。店主に絡んで店のものを幾分かぶち壊したが、せいぜい駐屯兵に連行されるくらいで、その後親父の名を使って免罪にしてもらえば万事解決だと思っていた。予想が甘かった。突如現れた謎の二つの集団、膨れ上がるギャラリーの数、明らかに異常だ。
とにかく逃げなければ―――。地を這う虫のような姿は、実に屈辱的であったが形振り構ってなどいられない。ゆっくりと、しかし機敏に前進を続け、ようやく野次馬の切れ目に顔を出した。
―――ガンッ
野次馬の足の隙間から覗いたオルドの鼻先に黒い鉄槌が落とされ、石畳の破片が宙を舞った。
「ひいっ!」
「どこ行くんだよ」
黒い鉄槌の上に見えたのは、悪魔のような面持ちの男。最初に酒場で見かけたあの男だった。凍てつくような銀色の瞳がこちらを見下ろしている。
「仲間見捨ててどさくさにまぎれて自分だけ逃亡か。どこまでも屑の野郎だな」
「だっ、黙れ!」
自分の無様な恰好も顧みず、オルドは男に喚いた。
「悪いが、勝手な行動は控えてもらうからな。大人しくついてくりゃ悪いようにはしない」
どこまでも上から目線で語る男に憤慨する。こんな奴のいいようにされてたまるか―――。
オルドは体を力の限り跳ね上がらせ、野次馬を退けさせた。周りの幾人かが小さな悲鳴をあげ、その隙に踵を返して男から距離を取ろうとする。が、
「だから勝手に行動するなって言ってんだろ」
背後から苛立った声が聞こえたかと思った瞬間、首筋に鋭い衝撃が走り、オルドは意識を失った。
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