ep14.授業中の子牛談義

「それは置いといて!」


「そういうわけにも――」


 イッチー先生の言葉をみなまで言わせず、俺はこう断言する。


「俺は、市原先生が嫌いなんです」


 しゃれた喫茶店のブラックコーヒーをイッチー先生にぶちまけるのは、そう難しいことではなかった。角砂糖もスティックシュガーもついていないそれをくらった彼女は、畏怖が混じった表情でこちらを見た。




ep14.授業中の子牛談義




「それは……どういう意味だい?」


 イッチー先生の口が開いたのは、俺の体内時計の秒針がきっかり2周半したときだった。もうすぐカップラーメンができてしまうところだったよ、危ない危ない。


「文字通りの意味ですよ」


 威圧するように言い、ばれないように彼女の反応を伺う。あのエネルギッシュな笑顔は風船のごとくしぼんで、心なしか身長がひとまわり小さくなったように見える。


「今後のために、ぜひとも詳しく教えてくれないか」


 そう言う先生は歯をくいしばっていて、俺はわざとらしくため息をついてやった。


「……いいでしょう! まず、公私という単語はご存じですか?」


「子牛? 高級なレストランとかででてくるやつ? おいしそうだよね!」


 イッチー先生、あのエネルギッシュな笑顔が少し回復してる。お祈りするみたいに手も組んで目もきらきらさせちゃってるし。残念ながら全然違う話なんだよなー。


「違う、なんで俺が今から食べ物の話するんですか」


「あ、講師か! 向くんが今から講師になるからちゃんと話聞けよって?」


 講師ってなんかがっぽがっぽお金もらえそう。今回くらいならやってみてもいいかもな。……いや今はそんなことしてる場合じゃない。落ち着け、振り回されるな俺。


「違う違う、今から俺は講演会的なのやらされるんですか」


「わかった、孔子ね! 子曰くどーたらこーたらってやつ。あれは学びになるよね」


 どーたらこーたらって! どーたらこーたらには一体何が入るんだよ! 出題者でさえ正答がわかってないクイズだやっほーぃ! とか言ってる場合じゃなくて。


「違う違う違う、吾十有五にして学に志すとかはどうでもいいんですよ!」


「え、じゃあなんのこうし? さあ向くん、答えをどうぞ! じゃじゃんっ!」


「格子柄のこうしですよ……って違う違う違う違う!」


 やばい。俺もぼけるようになってきてしまった。


「真面目に生きようよ、向くん」


 それはめちゃくちゃ俺の台詞だ。そっくりそのままお返ししたいよ。


「公私というのは、公私混同の公私です。おおやけとわたくしの公私です」


「あーなんかどこかで聞いたことあるかもしれないー」


 聞いたことある程度って。何歳だよこの人。義務教育で習っただろ。心の中でこっそりとツッコミを入れ、にっこりと頷いてあげる。俺ってやっさしー。


「俺の中で、電車でおねいさん――市原先生と話してたのは、ハンバーガーショップで店員さんが無料ただでスマイル売ってるのと同じようなことなんですよ。接客業ーみたいな? だから当時は仕事だと思ってそれなりに話してられたのですが。俺にとって学校って、プライベート? なところなんですよ。行けばたくさん友達がいて、ふざけ放題で、楽しいことだらけで。そこに市原先生ってゆー、なんだろ、ちゃんとしないといけないみたいな、お客さま? が紛れ込んでくるのが嫌なんです。すごく」


 俺は何度もつっかえ疑問符を乱用しながら、そう語った。そして、


「なるほどな。家でくつろいでいるところに仕事がぶちこまれるってことか」


 イッチー先生のこの台詞に大きくかぶりを振った。


「そういうことです。公私混同って言葉の使い方、合ってますか俺?」


「わかんないけど合ってるんじゃない?」


 さらりと言うイッチー先生に、俺は笑いかけた。


「だから、これ以上俺に近づかないでください。お願いしましたよっ」


「いや、それは無理。これからも仲良くしてね」


 にっこにこの笑顔をこちらに向けてくるイッチー先生。俺は自教室に聞こえるんじゃないかってくらい、大きくため息をついてやった。

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