ep13.屋上は喫茶店

「わかってると思いますが、ただじゃ帰りませんからね?」


 制服に色がつきそうな緑色のフェンスに背を預け、俺はイッチー先生に言った。


「ま、そんな秒で教室に戻られても。ここまで階段を上ってきた意味がないからね」


 ターゲットを見つけたライオンのような目でクールに返してくる先生。


「いいでしょう。まず、俺がどうして授業をサボってるかわかりますか?」


 面接開始。


 というよりは、


 俺と先生の戦いの火蓋が今、切って落とされた。


 っていう方がかっこいいか。




ep13.屋上は喫茶店




「どうして授業をサボってるか? どうしてだろ? 単に勉強が嫌いだからじゃ?」


 どうしてだろ? と言ったわりには秒で答えるイッチー先生。甘いな。ファミレスのパフェぐらい甘いよ。そんな先生に、喫茶店のコーヒーを飲ませてあげなきゃ。


 俺はそう思い立って、なんとなく作戦を立てる。名付けて喫茶店作戦だ。え、ださい? ネーミングセンスありありの俺が考えた作戦名だよ? ださくないよな?


「そんなわけないじゃないですか。俺はゆーて馬鹿じゃないですから」


「新品の傘を電車に置き忘れてくるほどの馬鹿なのに?」


 喫茶店の苦いコーヒーは早すぎるか、と思いスタバのフラペチーノぐらいの攻撃をする。それに食いついてタリーズの抹茶ラテがイッチー先生から飛んできた。スタバに比べると甘さが減っている。これは、しゃれた喫茶店のコーヒーを投げるべきか?


「そうですよ?」


「新品の傘を電車に置き忘れてくるほどの馬鹿なのに?」


 一語一句変えずにさっきの台詞をリピられた。なんなんだよーもう。


「そうですよ?」


「新品の傘を電車に置き忘れてくるほどの馬鹿なのに?」


 二度あることは三度ある、ということわざがこの世界にはある。そして、仏の顔も三度まで、ということわざもまたこの世界に存在しているのだ。反論開始。


「あれは、仕方ないじゃないですか! 人間の失敗のひとつやふたつくらい、笑って忘れてくださいよ! 過失でやったことなんですから! 市原先生も、自分が同じことやらかしたときにいつまでも引きずられるのは嫌じゃないですか! それと一緒ですよ! 自分がやられて嫌なことはやらないでください!」


 無理だった。しゃれた喫茶店のコーヒーを投げられるほど、俺は大人じゃないや。


 学校の屋上からの俺の叫びは、緑色のフェンスを突き破って蒼穹に吸い込まれていった。それに重なって、イッチー先生の笑い声も重なって吸い込まれていった。“ワールドワイドウェブ”をアルファベット3文字で略したような笑い方だった。


「笑って忘れてくださいって言ったでしょ?」


 言いましたね。俺たしかについさっき言いましたね。あーあ、言いましたね。


「違うんですよ、それは嘲笑じゃなくて愛想よく笑ってなかったことにしてくださいって意味なんです! 教師志望なら察してください!」


「良くないよ、向くん。“教師志望なら”察してください、なんて。教師志望なら、全員察せると思う? 教師志望じゃなかったら、察せなくても許されると思う?」


 冷静に咎めてくるイッチー先生。俺は冷静さを欠いてきている気がする。しゃれた喫茶店の苦いコーヒーを浴びせるつもりなのに。キャラメリゼの部分が焦げっ焦げに苦くなったクイニーアマンを投げられたのは俺の方だったのか。いや、まさか。イッチー先生が、クイニーアマンなんて知ってるはずがない。そんなはずがないのだ。


「それは置いといて!」


「そういうわけにも――」


 イッチー先生の言葉をみなまで言わせず、俺はこう断言する。


「俺は、市原先生が嫌いなんです」


 しゃれた喫茶店のブラックコーヒーをイッチー先生にぶちまけるのは、そう難しいことではなかった。角砂糖もスティックシュガーもついていないそれをくらった彼女は、畏怖が混じった表情でこちらを見た。

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