ep12.廃れた緑色のフェンス

「向くん、少し時間ある?」


 振り返ると、外ハネ気味のショートボブに黒いリクルートスーツ。エネルギッシュな笑顔。今の俺にはそれが、悪魔の笑顔に見えた。


「市原先生でしたっけ? 俺今時間ないです。ご用があればまたの機会に」


 満面の笑みを貼り付けて答える俺。一礼して、ドアに向かってダッシュ。次の授業なんだったっけな! もうわかんないから階段に向かって走っちゃお。




ep12.廃れた緑色のフェンス




「もうすぐ授業始まっちゃうけど、どこ行くつもり?」


 さっきと変わらない笑顔で階段を駆け上がってこう訊いてくるイッチー先生。体力すごいな、スーツ着ててその速さとか。軽くこえーよ。俺いちお運動部なんだよ?


「市原先生こそもうすぐ授業始まってしまいますが、どこに行くおつもりですか?」


「どこかはわかんないけど……。目的は問題児を教室に連れ戻しに、かな?」


 すごく困る、そのエネルギッシュな笑顔で俺のこと問題児認定されても。ってゆーか、さっき先生が紹介してくれたとき、俺は頼れる奴として紹介されてただろ!


 体力が減ってきたのにイッチー先生への怒りも相まって、俺は階段をどがんばたんいわせながら駆け上がる。2階の教室から2階分上ったので、恐らくここは4階だ。


「あ、ほら先生! チャイムなりましたよ、教室戻らないと先生が心配しますよ!」


 今鳴ったのはキーンコーンカーンコーンでおなじみのウエストミンスターの鐘。イギリスのロンドンにある時計台でも流れてるやつだ。なんだっけな、ビッグバンっていうんだっけ? ビッグバンってなんかスケールやばくないか? やばいよな?


「そうだね! 向くんも教室戻らないとね!」


 少し息切れしつつもいちいちエクスクラメーションマークをつけて返してくれるイッチー先生。率直に言って、迷惑極まりない。早く教室に戻ってくれ。頼む。ひとりにしてくれ。俺はもう、授業をひとつサボる覚悟してここまで走ってきたんだから。


 4階にいる生徒たちの、やる気が感じられない“おねがいしまーす”の声を右耳から左耳に流して、さらに階段を上る。この先に5階はない。あるのは、狭い屋上だ。


 なくなってきた体力をないタンクから供給し、ドアが開きっぱなしの屋上に水族館のイルカのごとく飛び込む。それを追う飼育員、いや、イッチー先生も同じようにして屋上に飛び込んできた。それを見計らって、俺は勢いよく屋上の扉を閉める。


 ばーん、という音にイッチー先生はびくっとした。ここまできて、一瞬あの笑顔が消えた。一瞬だけだった。プロフェッショナル。そんな単語が脳をよぎったが、一体なんのプロフェッショナルなんだろうか。まぁ、今はそんなことはどうでもいい。


「俺は今から授業サボりますが、市原先生はどうしますか?」


 閉めたドアに背を預け、イッチー先生の正面に立って挑発するように問う。


「もちろん、この授業が終わる前に向くんを連れて教室に帰るよ?」


 使命感と自信に満ちた彼女の表情。どこから来るんだこの作り笑顔は。


「ふぁいなるあんさー?」


「ファイナルアンサー」


 なかなかやるじゃんか。エネルギッシュなのは笑顔だけではないようだ。


 安心した俺は大きくかぶりを振ってドアを開け放して、劣化してそうな緑色のフェンスの方に向かって歩いていく。イッチー先生も無言でついてくる。


「わかってると思いますが、俺は覚悟してるのでただじゃ帰りませんからね?」


 制服に色がつきそうな緑色のフェンスに背を預け、俺はイッチー先生に言った。


「ま、そんな秒で教室に戻られても。ここまで階段を上ってきた意味がないからね」


 ターゲットを見つけたライオンのような目でクールに返してくる先生。自信に満ちた表情かおで俺からフェンスひとつぶん離れてそれにがっしゃーんと音を立ててよりかかったけど、いいんだろうか? この学校のフェンスはまぁまぁ古くなっている。フェンスが壊れるとかはさすがにないだろうけど、緑色の塗料が新品のリクルートスーツについても知らねーからな。もしそうなったらからかってやろうっと。あの色、緑色っていうよりは緑に白を混ぜたみたいな色なんだよな。黄緑でもなくて微妙な色だ。


「いいでしょう。まず、俺がどうして授業をサボってるかわかりますか?」


 面接開始。


 というよりは、


 俺と先生の戦いの火蓋が今、切って落とされた。


 っていう方がかっこいいか。

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