ep7.おねいさんの理由

「……ん? ……あぁ、そうだね」


 おねいさんの心の声を汲み取りたくて、声が裏返らないように気を付けて発した俺の声が彼女に拾われたのは、しばらくしてからだった。


「おねいさん?」


「……あ、なに!? ごめんなんでもないよ大丈夫! 気にしないで!」


 なんっかどうも調子狂うよなー。俺は車窓からどんよりとした景色に目をやった。厚い雲が空を覆って、地球征服している。これだから、梅雨は嫌いだ。




ep7.おねいさんの理由わけ




「まぁ、別になんでもないならいいですが」


 青空が隠れているとは到底思えないほどにしっかりと雲に覆われた空を見ながら、俺はこともなげに言って会話を半強制的に終わらせようとした。だが、


「ちょ、うぇいとうぇいとうぇ~いっ!」


 決してなんでもなくはない表情かおでおねいさんが手を挙げた。テスト中に消しゴムを落として焦る生徒そのものだった。


「ご用はなんでしょうか」


「君におねいさんって呼ばせてる理由を話させてく――いただけないでしょうか」


 俺の冷たい反応に、おねいさんは捨てられた子犬の上目遣いでそう言った。


「ふむ、いいだろう」


 “おねえさん”ではなく“おねいさん”と呼べって強調した理由ってことだろうか? それは気になるかもしれない。というか普通に気になるな。おねいさんが自分のことを教えてくれる機会は多くないし、聞いてやるか。そう思った俺が腕を組んで偉そうに許可すると、おねいさんはいつもと変わらない笑顔でこう口にした。


「ってゆーか、なんでさっきから私が下手したてに出てるんだよ。おかしいだろ君」


「たしかに。その節は申し訳ない」


 台詞に反して腕を組んだままの俺に、彼女はさもおかしそうに笑った。




「弟がいたんだ」


 ぽつりぽつりと、彼女は物憂げな表情かおで話し始めた。俺は過去形が恐くて、なにも言えずにただ小さく頷いた。どうやらそれは彼女へのキューとなったらしかった。


「3つ離れてたんだけど、なんか君に似てる気がして。逆か、君が弟に似てるのか。あ、でも、う~、どっちだろ。まぁいいや、弟はうちのことを“おねいさん”って呼んでたんだ。おねえさんって呼べばいいのに、なぜか“い”にアクセントを置いてさ」


「それが俺に“おねいさん”って呼ばせてる理由、ですか」


 彼女はひといきで言って、こちらを見てきた。なにか反応しなければならないような気がして、ひとまず首肯しておく。


「そ。なんかごめんな、押しつけちゃって。君はうちの弟じゃないのに」


「俺は別に……。おねいさんがそうしたいならそれでいいですよ。おねいさんの人生なんだから、ご自分の好きなように生きてください」


 俺はゆっくりと首を横に振って力強く言った。好きな曲の歌詞を要約したのだったから、こんなに自信をもって言えたんだと思う。彼女はドライアイからほど遠い目で俺をきょとんとしながら見た。そして数秒後、ありがと、とつぶやいてこう続けた。


「もし弟が高校生になってたら、って考えるとつい重ねちゃうんだよな~。君に」


 こちらの反応をうかがう彼女に、俺は目線でキューを出す。やっぱり雨の日のおねいさんは弱気でなんかおかしい。まぁ、これから話す内容が暗いからだろうけど。


「結論から言っちゃうと、弟を殺したのはうちなんだよね」


 え、とのどまで出かけた声が引っかかった。おねいさんの弟さんが亡くなったのは察していたけど、他殺だったとは。しかもその犯人が今、俺の目の前にいる……?


「うちが小1のとき、友達と公園に遊びに行こうとしたの。そうしたら母が、“弟も連れて行ってあげてよ”って。散歩したかったらしくてさ。だから弟と友達とうちの3人で、公園に行くことにしたんだ。それで、公園に行く途中に踏み切りがあって」


 おねいさんは途切れがちに、ところどころ日本語がおかしくなりながら話したから聞き取りづらかった。それでも頑張って聞いた内容をまとめると。


「電車が過ぎるのを待ってるときに友達と話に夢中になってたら、蝶を追いかけて踏み切りの中に入っていった弟くんに気付けなかったってことですか……?」


 とりあえず、おねいさんは自分の弟を殺したかったわけじゃないってことだ。


 彼女はそ、と頷いてこう続けた。


「ざっつらいとだよ。だから弟の友達には人殺しって呼ばれてる。今も。電車に轢かれるべきだったのは弟じゃなくてうちだったんだよ。まぁ……もし今そんなことしたら、さっき君が言ったように電車は停まるし周りの人に迷惑はかかるし最悪だけど。そうやって死ねないからこそ、自分がほんっとうに嫌いだ。嫌いで嫌いで嫌いで仕方ないや。お願いだから、この世界から嫌いっていう感情が消えてほしい。切実に」


「べっつに、自分のこと嫌いでもいいんじゃないですか」


 どんよりとした空を車窓越しににらみつけ、吐き捨てるようにして俺は言った。おねいさんは、目を見開いてこちらを見た。それは、目からなにかが溢れるのを阻止しようとしているのか、俺の発言に驚いたのか、両者なのかはわからなかった。

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