ep4.盗っ人女子大生

「じゃっ、また明日! 行こランドセルちゃん!」


 笑顔になったランドセルちゃんを連れて彼女は降車した。


 このときの俺が気付いてなくて、数分後の俺が気付いていることがひとつある。それは、さっき彼女が座席の端のバーにかけた俺の青い傘がなくなっているってこと。




ep4.盗っ人女子大生




「傘を人質にするの、本気まじだったのかよ……」


 階段を下りてすぐのプラットホームにたたずみながらそう呟く俺、時刻AM7:27。きっと。いや、左腕のアナログの電波時計が示しているから絶対そうだ。


 そう、俺は今日、自分の意思で3両目2ドアに乗ろうとしている。なぜかって? 決まってる、青い傘を取り返すためだ。先祖代々受け継いだ大切なものってわけではないが、今日取り返さないと。なぜなら、午後雨が降るって予報だから。折り畳み傘も以前電車でなくしたので持ってない。したがって、あの青い傘が必要となる。


 さて、闘いに出るか――。俺はかっこつけて十字を切ろうとしたけど、駅でこんなことをして仏様ほとけさまに見放されたらお年玉もらえなくなるかも、と思ってやめた。




「あれっ、おはよ! 今日も寝坊したの?」


 ファジー理論を掲げてプラットホームに滑りこんでくる電車。時間はぴったりだ。それに乗り込むと明朗快活とはどこか違う、天真爛漫な声が降ってきた。知らない人にこんなに元気に話しかけられる大学生を、俺はひとりしか知らない。


「おはようございます。今日は寝坊はしてませんよ」


 名も知らぬおねいさんだ。今日はTシャツにジーンズというラフな格好をしてる。俺は彼女の言葉をやんわりと否定してリュックサックをゆっくりと床に置く。


「じゃあなんで? 自転車がパンクしたとか?」


 無邪気に訊いてくるおねいさん。単純に傘を取り返しに来ただけなのだけど、すっとぼけるつもりなんだろうか? ちなみに俺は駅まで親に車で送ってもらっているからチャリがパンクすることはない。ってか嫌な予感がする。これはひょっとして、


「俺の傘人質にしてるの、お忘れですか?」


 不審に思った俺は物騒な“人質”というワードを満員電車で口にしてみた、が。


「いやっ、まさかぁ! そ、そんなことないよ!」


 棒読みを2乗したような棒読みで手をひらひらと振る彼女。


「青の傘、今日持ってないんですか? 人質を家に置いてくる誘拐犯なんて、誘拐犯として失格じゃないですか?」


 わかりやすい嘘をつく人だとは思いつつも俺は疑問文を重ねる。


「なわけ、ちゃんとあるよ! ちょっとした手品マジックで透明にして浮かせてるだけ!」


 これは隠し通そうとしているというより、ボケに走っているのでは?


 そう心の中で呟いて、話題を変えることにする。


「そんなイリュージョンあるんですね、初めて知りました。じゃ、そういうことにしておきますか。――それはそれとして、昨日はありがとうございました」


「昨日? あ、ランドセルちゃんの件?」


 あれだけださいださい言っておいて使うのかよ、ランドセルちゃんっていう愛称。


「そうです、覺張かくはり駅が目的じゃない駅だったら申し訳ないなと思いまして」


 覺張かくはり駅というのは終点のひとつ前、昨日ランドセルちゃんたちが降りた駅だ。


「あ、だいじょぶだよー! 私あそこが目的地だったから! それに、“降りるときは『降ります!』っておっきな声で言えばみんな優しいから道開けてくれるよ”ってランドセルちゃんに言って、逆方面の電車乗るところを見届けただけだから!」


 ひまわりのような笑顔を返す彼女に、俺はほっとして胸をなでおろす。


「そうなんですか、よかったです」


「おぅ」


 会話が途切れた。俺はさっきから引っかかっていることを考えることにする。


 俺がいつも降りているのは終点。おねいさんがいつも降りているのは終点のひとつ前。ということは、おねいさんが俺の傘を拾ったのは、俺が降りるより前。持ち主が電車にいるのに傘を拾ったら、それは取ったって言わなくないか? 盗った、じゃ?


「……って、いつも覺張かくはりで降りてるんですか?」


 俺はこの結論が事実であることを確かめるために、沈黙を破って訊いた。


「そだよ? さっき言ったじゃん」


 なんでそんなこと訊くんだろうという表情かおで彼女は答える。


「俺、終点で降りるんですよ。その傘拾った日って終点で降りましたか?」


「あ……」


 彼女の目が左右に泳ぐ。視線が上がっていき、中空にヘルプを求めている。


 俺とおねいさんの間に、気まずい空気が流れる。流れるというかもはや静止してそうだ。早くどっか行けよこの空気。まぁ一緒に酸素もどっか行ったら困るけど。


「一昨日、降りたのは終点ですか?」


 だが、ここで引き下がるわけにもいかず、俺はもう一度訊いた。


「やぁごめん! 一昨日さ、一日中いちんちじゅう雨だったじゃん? うち出たときは小雨だったからいいかなって傘置いてきちゃったんだけど降りる頃には結構しっかり雨降っててさ。折り畳み傘もこの前こないだ電車に忘れてなくしちゃったんだよ。それで困ってたら、新しそうな青い傘が視界に飛び込んできて。これは毎日まいんち頑張ってるあたしへの、神様からのお恵みだー! って思って。……ほんとにごめんな、明日返す」


 すると、ダムが崩壊したかのように、寿限無を暗唱するかのように。すらすらと彼女の口から言葉が出てきた。かつてない饒舌。これが俺の傘を盗んだ理由か。まぁ、納得できなくはない……? というか、それ以前に。


 ひとつ、つっこませてくれ。俺にしろおねいさんにしろ、電車に傘忘れすぎかよ!


「犯罪ですよ、それ。シンプルに窃盗やらかしてますよ」


「あは」


 “☆”がつきそうな言い方でおねいさんは笑った。顔文字で表現するところ、不等号をふたつ並べた目をしていた。




 このときの俺は知る由もない。“明日返す”の明日は来ないということを。

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