ep2.コミュ力おばけ(?)

「あ、これ君のでしょ?」


 それなりに静かな満員電車の中、そう言って青い傘を差し出してきたのは女子大生っぽい人だ。拾っただけじゃなくて持ち主覚えてて返してくれるんだ。ほんとにいい人だな。俺は軽く会釈して傘を受け取ろうとする。


 が、彼女は俺の傘を強く握って放そうとしなかった。




ep2.コミュ力おばけ(?)




「なっ……?」


 なんでですか、と言いかけて彼女に目を合わせる。その目は、怒りを含んでいた。


「ありがとうも言えないの? 困るなぁ、これだから今どきの若者は」


 あなたも充分今どきの若者ですよね、という台詞をぐっと飲みこんで頭を下げる。


「傘を見つけてくださり、ありがとうございました」


「棒読みじゃん」


 傘を握ったままくすっと笑って彼女は言った。なんつーか喜怒哀楽が激しい人だ。


 にしても、やばいなこれは。勝手に親しみを感じられてしまっている。まぁいくら女子大生とはいえ、知らない人とこれ以上話すのはごめんだ。知らない人に話しかけられたときは、おさない、かけない、しゃべらない――あれ、これ避難訓練だっけ?


「すみません。友達と待ち合わせしているので、失礼します」


 俺はぺこんと一礼して、傘をぐっと奪い取る、


「あ、そっか! ごめんな、邪魔しちゃって」


取ろうとした。だがしかし、彼女の手から離れない。笑顔で歯を食いしばってる。


「あの、右手、楽にしてください」


「やなこった。この傘人質にするね?」


 なーんかもう手遅れな気がする。彼女は初対面だろうが誰とでも話せるのかもな。コミュ症の対義語といわれているコミュ力おばけって奴か? それとはまた少し違う気もするけど。いや、それはどうでもよくて。傘を人質にするってどんな発想だよ?


「どうぞご自由に。俺はその傘いりませんから。ちなみに身代金はいくらですか?」


「身代金? そうだな……」


 傘を握ったまま、彼女は左手を頬にあてて考え出した。よし、今がチャンス。


 俺はその場から立ち去ろうとする、そうしようとしたのだが。


「……お金はいらないから、仲良くしようよ。――あれ、君どこ行くの?」


 忘れてたんだ、ここが満員電車ってこと。人が多すぎて動けやしない。


「友達のところ行くんですって! ご丁重にお断りします傘あげますから!」


「嘘っしょ? 友達のとこ行くの。それに、この混みようじゃ行けないだろうしさ。少し話し相手になってよ。今実質フリーでしょ?」


 嘘、見抜かれてるし。今日はどうもツイてないなー。


「わっかりましたよ……。今回だけですからね? あなたも暇ではないでしょうし」


 俺はリュックサックを前に抱え直した。もう今日はここに居座るしかない。


「あ、ごめんけど、あなたって呼ばないでほしいな。なんとなく好きじゃなくてさ。せっかくだから、“おねいさん”って呼んでくれたら嬉しいや」


 なーにがせっかくだから、だよ。俺は心の中で毒づいて、こう反問する。


「おねえさん、ですか?」


 彼女はゆっくりと首を振って、ほぼ無意識に傘を座席の端のバーにかけた。意外と簡単に人質解放。これで降りるときに取り返せばいいや。傘の件は解決済み、っと。


「おねいさん。“え”じゃなくて“い”。小さい“い”でもないからね?」


 注文の多い料理店、物語の世界から出張中。シンプルにきちいぜ。


「承りました、おねいさん」


 耐えるんだ、俺。この人と話すのは今日、この電車に乗ってる数分間限りだから。明日からはちゃんと早起きして、ここではない、いつもの最終車両に乗ろう。


 そう決意したときだった。


「ねぇ、誰か泣いてない?」


 彼女は周りをきょろきょろと見回し、フレアスカートをふわふわ揺らして呟いた。


「え? 幽霊とかですか?」


 だが、俺には全くわからない。さっきと違って車内が少しうるさくなってきてる。


「そんなの信じてんの?」


 澄ます耳に飛び込んできたのは、馬鹿にするような言葉。言い方も馬鹿にしてる。


「違いますよ、冗談に決まってるじゃないですか」


 俺は目力を強くして言い返す。


「えーおばけ怖いんだと思ったー」


 そうごちゃごちゃ言い合っていると、俺らのすぐ近く、距離にして0.5mくらい。涙目の女の子がこちらを見上げるようにして見ていた。ラベンダー色のランドセルを背負っているので小学生だろうな。保護者の人はいなそう。迷子だろうか?


「どうかしましたか?」


 俺の問いに女の子は首を横に振った。それは、どうもしてませんよ大丈夫です、というよりは俺を拒絶したという仕草に見えた。今日はどうもツイてないなー。


「あ、さっき泣いてたのきっとこの子だよ。目が潤んでるでしょ」


 憶測し、小声で伝えてくる彼女。俺はぽんと脳に浮かんだ冗談を口に出してみる。


「リア充撲滅委員会の黒幕の方ですかね? だとしたら俺ら勘違いされてる――」


 憐れむような目で彼女は、俺が着ている紺ベストの右肩にぽんと軽く手を置いた。


 女の子が泣いてるのにそれを放っておいて冗談言えるなんて一生彼女できないよ?


 そう彼女の顔に書いてあった。ふん、なんだし。今日はどうもツイてないなー。

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