希望

 

 まだ薄暗い時間、誰も起こさないように宿を出た。


 外は虫の鳴き声だけが聞こえる。それに少し寒い。ちょっと早すぎたかもしれない。


 いまさら戻って寝る訳にもいかないので、このままアビスへ行こう。アビスは寝ないから行けば話ができるだろう。


 畑を通り、アビスの入り口へ足を踏み入れる。階段を下りた広間で止まった。


「アビス、起きてるか?」


『フェル様、おはようございます。こんな朝早くにどうされました?』


「おはよう。実は今日にでもオリン国で見つかった遺跡へ行こうと思ってな、その連絡に来た。あと、情報も聞いておきたい。色々お願いしてたよな?」


『それは構わないのですが、よろしいのですか? 昨日はヴァイア様の結婚式でしたよね? もう一日くらい残って余韻を楽しんでもいいと思うのですが』


 そうしたい気もするが、それをやるとずるずると村に残りそうな気がする。すぐに行動を起こした方がいい。それを馬鹿正直に言うつもりはないけど。


「従魔達に遺跡探しをさせているのに、遊んでいる場合じゃないだろ。もう四日も村にいるんだ。切り替えて行かないとな」


『そうでしたか。なら報告します。まずは――』


 アビスからの色々と報告を受けた。


 まず、魔王様が宿の部屋に開いたと言うゲート。座標を調べた限りだと、内海に沈んでいる研究所の座標だそうだ。これは魔神ロイドが残したイブの情報から割り出した場所に近いらしい。


 つまり、研究所は魔王様の拠点だったということだ。アビスが言うにはそこにイブがいる可能性が高いらしい。


 なぜかと言うと、そこにセラが封印されているからだ。ウロボロスからの情報にセラが封印されている座標があったらしい。それも内海の研究所を示していたということだ。


「強襲した方がいいか?」


『やめてください。イブは休眠状態かもしれませんが、気付かれればおそらく返り討ちです。下手に刺激はせず、魔王様を探し出すか、もっと情報を得ましょう』


「そう、か……そうだな。私ではまだ勝てないだろう。もっと強くならないとな。でもイブが襲って来る可能性はないのか?」


『以前も言いましたが、おそらくないでしょう。イブはフェル様の記憶を奪ったと思っているはずです。空中庭園での話から推測しただけですが、フェル様が絶望する時まで何もしてこないと思います。イブは人には耐えられない長い時間と言っていたのですよね? 数百年は来ないと思いますよ』


 絶望か。私が何に対して絶望すると言うのだろう? なんとなく分かる気もするが、本当に絶望することがあるのだろうか。アビスに聞いてみよう。イブと同じような思考があるなら、私よりもちゃんとした答えが分かるかもしれない。


「アビス。私が長生きして絶望するなら、何に対して絶望するんだ?」


『イブがどういった意味で言ったのかは分かりません。ただ、予測でなら言えます。聞きますか?』


「ああ、教えてくれ」


『孤独、ですね』


「コドク……孤独か? 独りぼっちと言うことか?」


『はい。フェル様に死は訪れません。それは多くの別れがあると言うことです。いつか知り合いがいなくなり、一人になるでしょう。感情を持たない私なら耐えられますが、感情のあるフェル様は耐えられないかもしれません。フェル様の体はどんな怪我も病も時間をかければ治ります。ですが、精神は別です。辛い、寂しい、苦しい、そういう感情が膨れ上がると、殻に閉じこもる可能性があるのです』


「殻に閉じこもるというのは、死んでいるように何もしなくなるということか?」


『それに近いです。それがイブの狙いなのでしょう。そうなったフェル様なら、体を奪うのは楽ですからね。精神的な抵抗が無ければ、フェル様の体をずっと操れますから』


 そういうことか。リエルが乗っ取られても抵抗できたように、イブが私の体を奪っても、私が抵抗する可能性がある。それをさせないために、私の精神を弱らせておくという理由なのだろう。


「なら、私が絶望しなければ、イブが私の前に現れることはないと言うことか?」


『おそらく、ですけどね。イブにも永遠と言える時間があります。それを待つだけでいいのですから、無理に襲って来る必要はないでしょう。あるとすれば魔王様が目覚める直前、もしくはしびれを切らして、ということは考えられますけど。ただ、これらは憶測ですよ? もっと違った目的があるかもしれませんから、安心はしないでください』


「そうだな。気を付ける。それにしても、今のところ私に有利な部分がないな。あまり、受け身になりたくないのだが」


 防御よりも攻撃をしたい。守って勝てるわけじゃないんだ。負けないだけ。襲われるにしても、こちらの都合のいい時に迎え撃ちたい。


『一つだけ有利な点がありますよ』


「そんなものがあるのか?」


『はい、それはフェル様の記憶です。記憶が戻っていることをイブは知りません。これは大きなアドバンテージでしょう』


「記憶……そうか、イブの事もそうだが、私は魔王様の事を思い出している。確かにそれは有利な点だな」


『はい。おそらくですが、フェル様から魔王様の記憶を消したのは希望を奪うためでしょう。たとえフェル様が一人になったとしても、魔王様がいるという希望があれば、絶望しないとイブは考えたのでしょうね』


 希望……希望か。魔王様が私の希望。そうだな、その通りだ。


「用意周到というかなんというか。本当に嫌な事をしてくる奴だな、イブって奴は」


『私やドゥアト、ウロボロスとは違い、思考が人に近いのでしょう。最悪ですね』


 本当に最悪だ。だが、アビスの言う通り、有利な点もある。私の記憶だ。


 記憶を消されるかもしれない、そんな不安から永続的に使える日記魔法をヴァイアに教わった。記憶を戻すと言う魔法ではないが、忘れてしまった記憶を呼び起こすには最適な魔法だ。


「間違っている可能性もあるが、イブの目的は分かった。アビスはそれをさせないように色々と対策を考えてもらえるか? 私はその間に強くなる。イブを破壊できるほどにな」


『分かりました。私も最強で最高を目指さなくてはいけません。イブを倒せればそれが叶うでしょう。協力は惜しみません』


 それはどうかと思うけど、まあ仲間がいると言うのはありがたいな。


「よろしく頼む。それじゃカブトムシが起きたら、オリン国へ行くから準備して村の広場に来てくれと伝えてもらえるか?」


『はい、伝えておきます』


 これで問題ないかな。よし、一度村へ戻って私も準備しよう。


 入り口に向かって歩き出そうとしたら、ジョゼフィーヌ達がやってきた。


「フェル様、お待ちください」


「ジョゼフィーヌ達か。おはよう。私に用なのか?」


「おはようございます。遺跡に行かれるなら、私達の誰かお連れ下さい。フェル様は不老不死、護衛は不要と思われますが、なにとぞお願いします」


 一緒に連れていけ、か。


 スライムちゃん達は私に対して雑な扱いをしていたが、それは私が敬意を払うなという命令をしたから、らしい。もしかしたら、私はスライムちゃん達に好かれているのかも知れない。ちょっと遠回しなツンデレをさせていたようで申し訳ない気がする。


 そうだな。ウロボロスにいた頃のように皆で探索するか。


「念のため確認したいのだが、村は大丈夫か? ウロボロスからも魔物達を色々連れて来ていたようだが、アイツらが暴れる可能性はないな?」


「問題ありません。昨日の料理を食べさせたところ、私達ではなく、村に服従しました」


「安いな。いや、ニアの料理ならそれくらいの影響はあるか……分かった。ならすぐに用意しろ。全員で遺跡探索に行くぞ。お前達は私の護衛なんだからな」


 スライムちゃん達がちょっと驚いていた。もしかしてそんなことを言うとは思ってなかった?


 そしてジョゼフィーヌが頭を下げると、他の全員が一斉に頭を下げた。


「敬意を払うことをお許しください。ですが、今、私達はどうしてもこうしたいのです」


「私はお前達に嫌な命令をしていたようだな。すまなかった。お前達は私の従魔だし、私に敬意を払うのは当然の事だったのだろう。あの命令は撤回する。これからは好きにしていい。ただ、お前達とは主従の関係ではあるが、友だとも思っている。それだけは覚えておいてくれ」


 そう言うと、スライムちゃん達はさらに頭を下げた。地面にくっ付くぞ。いや、スライムだからそれが当然なのかな?


「それじゃ、カブトムシの用意ができたら村の広場に来てくれ。他の従魔達への引継ぎとはちゃんとやっておいてくれよ」


「はい、すぐに対応致します」


 ジョゼフィーヌがそう言うと、全員が地面をヌルヌルと動き、高速で離れて行った。本気を出すとあんなに速いのか。


 よし、もう皆も起きた頃だろう。私も戻って準備しないとな。




 宿に戻り、今日、オリン国へ行くことを皆に説明した。


 皆から不満の声が上がる。特にヴァイアとアンリだ。


「フェルちゃん、もっとゆっくりできないの? 今日もまだお祭り気分でいいと思うんだけど」


「そうしたいけどな、私にはやらなくてはいけないことがある。ヴァイアの晴れ姿は目に焼き付けた。私にはそれだけで十分だ。それにほら、ヴァイアとノストがいちゃつくのを見るのが辛いし」


「フェルちゃん、ひどい!」


「冗談だ。ただ、ヴァイアとノストを見ていると、私もすぐに魔王様を見つけたいと思ったんだ。すまないな」


 八割は嘘だ。本当はこのぬるま湯のような居心地のいい場所にいると、私が抜け出せなくなるからだ。それを断ち切るために、私は村を離れる。


 この三年、魔王として頑張っていたが、本当の私は優柔不断で、意思が弱く、情緒不安定だ。はっきり言って、ヴァイアやディア、リエルよりも精神的には弱いだろう。


 強くなりたい。


 肉体的な強さだけでなく、精神的にも強くなりたい。ならなければイブに付け込まれる。必ず強くならなければ。


「それじゃアンリも一緒に行く。大丈夫、魔剣があれば誰にも負けない」


 アンリは相変わらずだな。もしかするとアンリの方が精神的には強いのかもしれない。ちょっと複雑だ。


「アンリ、昔、言っただろ? アンリが強くなったら一緒に遺跡巡りをしてやるって。アンリはまだ弱いからな、今はまだ駄目だ」


 精神的な強さはともかく、肉体的な強さはまだまだだ。というか単純に子供すぎる。


「そうだった、そんな約束をしてた。仕方ない、アンリはすぐに強くなるからもうちょっとの辛抱。我慢する」


「そうだな。スザンナやクルと一緒に修行しておくといい。でも危ないことはするなよ?」


 アンリはニコリと笑って頷いた。


 今度はリエルとディアが近づいてきた。


「相変わらず忙しくしてんだな。でも、すぐに帰ってくるんだろ?」


「もちろんだ。発見した遺跡を調べたらすぐに帰ってくる。規模は分からないが一週間程度だろうな。遅れそうならアビスを通して連絡するつもりだ」


「フェルちゃん、気を付けてね。遺跡の中には凶悪なトラップとかもあるらしいから、注意しないとダメだよ?」


「ああ、気を付ける。それに関してはジョゼフィーヌ達を連れて行くから大丈夫だ。トラップを発見するのは得意だからな」


 ウロボロス内を探索していた時もそんな感じだった。戦いでも重要な戦力だが、そういった探索でも力を発揮してくれるだろう。


 ちょうどいいタイミングでカブトムシがゴンドラを持ってきた。すでにジョゼフィーヌ達は全員が乗っているようだ。私もすぐにゴンドラに乗りこもう。


 いつの間にか村の皆が見送りに来てくれていた。どう考えても、この村はいい所だ。ちゃんと帰ってこないとな。


「それじゃ行ってくる。また、お土産を買ってくるから楽しみにしていろよ」


 歓声が上がった。それに合わせてカブトムシがゴンドラを空へと持ち上げる。


 ゴンドラから下を覗くと皆が手を振っていた。私も手を振り返す。名残惜しい。後ろ髪を引かれると言うのはこの事か。でも行かないと。


「よし、行ってくれ。まずはオリン国の遺跡だ」


 カブトムシが村の上空で旋回してから、オリン方面へ移動した。


 魔王様はいつか私に会いに来るとおっしゃった。でも、待っているだけなんて嫌だ。


 すぐに見つかるような場所に魔王様はいらっしゃらないだろう。残念だが、今回発見した遺跡にいるとは思えない。だが、一つ一つ遺跡を調べていけば、いつかは魔王様を見つけることができるはずだ。


 今回はその第一歩。さあ、気合を入れよう。魔王様はきっと私を待っていてくれる。どれだけ時間がかかっても魔王様を必ず見つけ出すぞ。

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