魔王という呪縛
私を倒したら魔王になりたい。そんな旨のお願いをされた。
目の前にいる男は馬鹿なのだろうか。勇者が私を倒したら一週間程度で勇者も死ぬ。それはこれまでの状況を考えたら間違いない。コイツもそのことは知っているような口ぶりだった。私を倒して魔王になったとして一週間だけだ。
そういえば、魔族は魔王に従うのかと聞いていた。もしかして命令を聞かせたい魔族がいるのか? それとも魔族に自害しろとかそういう命令をするつもりか? 他の魔族を殺さないと言ったのは、直接手を下さないとかいう言い逃れのためか?
そんな奴に魔王の座をくれてやるわけにはいかないな。
「お前が魔王となって何をするつもりだ? お前は他の魔族は殺さないという私の願いを聞いたはずだ。言葉尻をとらえて魔族を全滅させるつもりか?」
「どこからそういう想像ができるんだい? そんなことは考えていないよ。僕が魔王となってやりたいことはただ一つ。とある魔族を僕の従者にしたいんだ」
とある魔族? 確かに魔王なら魔族を従者にすることも可能だろう。でも、なぜそんなことを?
男は笑顔でこちらを見ている。少々イラッとする。とりあえず、色々と確認しておこう。
「知っているようだが、改めて言葉にしてやる。魔王である私を殺したら、勇者であるお前も一週間程度で死ぬ。その一週間だけ魔王となり、とある魔族とやらを従者にしたいのか?」
「ああ、そこからして勘違いしているね」
「勘違い?」
「そう。まず、僕は勇者じゃない。それに君を殺したりしないよ。僕には勝てないと理解してもらうために、少々攻撃はするけど、殺す目的じゃない」
勇者でもなく、殺す気もない?
「にわかには信じられないが、まさかお前は単に魔王になりたいということか?」
「正解。僕がやろうとしていることには、どうしてもその子が必要なんだ。だから僕が魔王となり、その子を従者にしたいんだよ」
「……フフ」
自然に笑みがこぼれた。
目の前にいる男は勇者でもなく、私を殺しに来たわけでもない。目的と言えば、とある魔族を従えたいという話だ。これが笑わずにいられるか。
「フフ、フフフ、お前、そんな事のためだけに、こんなところまで来たのか? ウロボロスの外は汚染された魔素、中は強力な魔族や魔物達。そんな危険な場所に、たったそれだけのために、ここまで来たのか?」
「まあ、そうだね。君にとってはたったそれだけのため、かもしれないけど、僕にとっては重要な事だからね」
「ハハハ! そうだな、人によって物事の重要さは異なる。お前にとってはこんなところに乗り込んでくるほど大事な事なんだろう。笑ってしまってすまないな。だが、こっちの事も考慮してくれ。勇者かと思って身構えていたら全然違ったのでな」
「そうだね、こっちも考慮不足だったよ。で、どうだい? 僕の願いを聞いてくれるかな? 君に勝ったら魔王になってもいいかい?」
「いいぞ。私を倒せるなら魔族の皆もお前に従うだろう。私は魔王を辞めて、お前に魔王の座を譲る」
「そうか、ありがとう」
だが、言っておかなくてはならない。魔王になるのはいい。だが、魔王にはそれなりの責任がある。
「一つ言っておく。魔王は勇者に殺される運命だ。その覚悟はあるのか?」
目的があって魔王となっても、勇者という存在がそれを邪魔する可能性もある。それに次の魔王のためにやっておくべきこともある。
「それに勝てなくても命尽きるまで勇者と戦い、魔族に魔王の強さを見せておくべきだ」
ちゃんとした覚悟があり、私よりも強いというならいくらでも魔王の座を渡そう。だが、覚悟がないならダメだ。
「大丈夫。そもそも勇者に負けるつもりもないから」
……男の言っていることを理解するまで数秒掛かった。勇者に負けるつもりがない? 勇者に勝つと言うことか? なんだか色々と残念な奴だな。ちょっとでも面白い奴だと思ったのだが、間違いだった。
「勇者には勝てない。それはこれまでの歴史が証明している」
「まあ、そうだろうね。だから僕の強さを見てくれないかい? 僕が勇者に勝てるほどの強さを持っているかを、身をもって体験して欲しいんだよね」
私より強いからと言って、勇者に勝てるわけじゃない。だが、私もこの二年半で相当強くなったはず。勇者の強さはいまいち分からないが、私よりも数倍強いと思っていいはずだ。
私に圧倒的な差で勝てるなら勇者にも勝てる可能性はあるだろう。なら、試すのは当然だな。そもそも、私より強いかどうかも分からない。ここまで言っておいて弱かったらどうしてくれよう。
「いいだろう。お前の強さを私に見せてくれ」
「いいよ」
軽いな、おい。でも、その余裕にはちゃんとした理由があるのだろう。ならば、慢心しない。準備を整えて戦わないと。
「色々と準備させてもらうが構わないな?」
「もちろん。まずは君の攻撃を受けきって見せよう。僕の攻撃はその後だ」
男はニコニコと笑いながら、普通に立っている。かなりの余裕だ。本当に攻撃を受けきるつもりなのだろう。なら十分に準備をさせてもらうか。
玉座から立ち上がり、宝石がちりばめられたローブを玉座へ脱ぎ捨てた。先程までオリスアと特訓してたからな。ローブの下は白いシャツと黒いスラックスのズボンだけだ。
シャツの一番上のボタンをはずし、腕をまくる。亜空間から取り出した紐で髪の毛を後ろで縛った。
さらに亜空間からグローブを取り出す。右手の「罪」、そして左手の「罰」。これを手に装備した。総務部のレモが選んでくれたんだけど、結構気に入っている。名前はちょっとどうかと思うが。
用意が終わったので深呼吸。これで準備万端だ。
「こっちの準備は整った。そろそろ始めるが構わないか?」
「いつでもどうぞ」
男がそう言った瞬間に、相手の目の前へ転移した。そして渾身の左ボディブロー。
だが、その攻撃が当たると思った直後、大きな音が鳴り、男に当たる手前で空間にひびが入った。しまった。結界か。コイツの余裕はこれか。
慌ててバックステップして距離を取った。攻撃が当たらなかった割りに、男は驚きの表情をしている。
「驚いたね、このバリアにひびを入れられるのかい?」
バリア? 結界の事だよな? まあ、呼び方なんてどうでもいい。私の攻撃では結界を貫けなかったと言うことだ。相当な物だろう。利き手ではないが、フルパワーで殴った。それに耐える結界なんて初めて見た。
なら、今度は利き手での攻撃だ。余裕をかましているのか、男は全く動かない。今のが全力の攻撃だと思って安心しているのだろう。
「もう一度、攻撃させてもらう。次は本気だ。死んでも恨むなよ?」
「怖いね。分かったよ、死んでも恨まない。ただ、次は僕も攻撃するよ。君の攻撃の後だけどね」
耐えられると思っているようだが、オリスアにもやめた方がいいと言われている攻撃だ。正直、死ぬと思う。もし、これに耐えられるようなら、本当に魔王を譲ってもいいな。
左手のグローブに魔力を込めた。
「【アベル】」
そして右手のグローブにも魔力を込める。
「【カイン】」
左手のグローブから魔力が失われ、右手のグローブから魔力があふれ出す。どこから来る魔力なのかは分からないが、左手で込めた魔力よりも多くの魔力が右手に集まってきた。このまま、殴らせてもらおう。
「【ロンギヌス】」
あふれ出した魔力を再度グローブに込めて、パンチを繰り出した。地面を破壊するほど踏み込み、腰を入れた右ストレート。距離など関係ない。拳から放たれた直線状の物をすべて貫く。
事実、男の張っていた結界は消し飛んだ。しかし――男の左手が私の拳撃を受け止めていた。
「これは、すごいね。バリアを破壊した上にヒヒイロカネに傷をつけるとは驚いたよ」
何を言っているのかは分からないが、私の攻撃が効かなかったと言うことだろう。しかし、結界は破壊した。なら次は接近戦で戦おう。一撃で駄目なら、連発すればいい。
「さて、僕の番だね。君の解析は終わった。悪いけど勝たせてもらうよ」
次の瞬間、雷の魔法が使われたような音が鳴り響き、両手に痛みが走った。両手のグローブが少しだけ破壊されたようだ。原型は保っているが、魔力を感じない。タダのグローブになってしまったようだ。
「そのグローブは中々面白いね。疑似永久機関を組み込んだ旧世界の物のようだ。ちょっと危険だから動かないようにさせてもらったよ」
簡単に言いやがって。誰にも壊せないから防御に使えるって触れ込みだったのに。でも、一体何の攻撃をした? 攻撃が全く見えなかった。
「もういいかな? 降参してくれるかい?」
降参? そうだな、私にはもう攻撃の手段がない。今から接近戦をやっても勝てないだろう。でも、私はまだ動ける。降参なんかするわけない。
「断る。私が降参するのは死んだ時だけだ」
この男なら勇者も倒せるかもしれない。なら私を殺して魔王になって貰わないと。私を殺す気がないとか言っていたが、その程度の覚悟で皆がコイツを魔王と認めるものか。私に勝ったというちゃんとした証拠を残してもらわないと。
「魔王を名乗りたいなら私を殺せ。ただ倒すだけなら、他の魔族にもできるんだ。他の魔族とは違うところを……私を殺してでも魔王になるという覚悟を証明してほしい」
「……分かったよ。ならおいで。全力で相手してあげよう」
「感謝する。勇者を凌ぐと思わせるような力を私に見せてくれ」
すぐさま男の前に転移して、思いつく限りの攻撃を行った。だが、全ての攻撃を受け止められた。本当にコイツは勇者じゃないのだろうか。
どれくらい攻撃をしただろうか、三十分か一時間か、それよりも短いのか長いのか。
攻撃は男に一切届かず、拳を振るう力も無くなってきた。それでも攻撃を続けたが、最後には魔力が切れ立っていられなくなり、床に仰向けに倒れてしまった。息を荒げながら男を見る。
「強いな、お前は。あれほど特訓したのに、お前にはまったく通用しなかった」
「気にすることはないよ。僕の場合はちょっとズルをしているようなものだからね」
「はは、ズルか。気付かなかった……さあ、トドメをさせ。私はもう動けない。私を殺して新たな魔王となり、皆を守ってやってくれ」
男は片膝をついて私の顔を覗き込んだ。
「……どうして笑っているんだい?」
笑っている? 私が? いや、そうか。なんとなく理由は分かる。
「そうだな、多分だが、お前なら勇者に勝てると思ったからかな。それに私が魔王をやるよりも魔族を繁栄させるんじゃないかと思えた。それだけだ」
「それだけじゃないだろう? 君は……死にたかったんだね?」
死にたかった? そうだろうか? 別に死にたいとは思っていない。ただ、自分が魔王ということに違和感があった。死ぬことで魔王という呪縛から解放されると思ったら、嬉しくなったのかもしれないな。
「死にたいと思ったかどうかは分からない。ただ、魔王から解放されると思うと、少し嬉しい。私を魔王と慕ってくれた皆には、無責任すぎて申し訳ないと思うが」
「魔王からの解放か。なるほどね……さて、フェル。もう辛いだろうから目を閉じて眠るといい」
「ああ、後の事は頼んだ。そうだな、できれば痛くない方法で殺してくれ」
目を瞑った。この男は信頼できると思う。この男が魔王なら魔族や獣人、魔物達はこれからもっといい生活が送れるかもしれない。勇者さえ何とかできれば、魔族は安泰なんだ。それを見届けられないのが心残りではあるが、今はすごく安心している。
しまったな、冥途の土産に男の名前ぐらいちゃんと覚えておくべきだった。でも、もう遅いか。さあ、意識を手放そう――向こうで両親に会えるといいな。
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