記憶喪失

 

 昼食後、午後はのんびりしようと思ったのだが、見舞いと称して色々な人が会いにくるとリエルに言われた。


 体調はいいし、ここ一ヶ月の状況を聞きたいから、これもリハビリと思って言葉を交わしておこう。情けないことに一ヶ月も寝ていたからな。ちゃんと情報収集をしておかないといけない。


 部屋で待っていると、女神教の爺さんとアミィが来た。二人とも笑顔だ。


「無事に目を覚ましてくれたようじゃな。フェルが眠ったままだったりしたら、巻き込んだ儂は死んでも死に切れんから助かった」


「リエルを助けに来たのは親友だからだ。別に爺さんに巻き込まれたわけじゃないぞ?」


「いや、リーンの町へ、リエル様の護衛を依頼したときから巻き込んでおるよ。当時はリエル様だとは思っていなかったが……不思議な縁があるものじゃ」


 そういえば、そんなこともあったな。初めてリエルに会ったのは牢屋だった。ずいぶんと懐かしい気がする。


「巻き込まれたおかげでリエルに知り合えたんだから、気にしなくていいぞ」


「そうか……さて、一つ伝えておこうと思っての。実は儂とアミィはロモンで聖人教の布教活動をすることになったんじゃ」


 爺さんの言葉にアミィも頷く。


「もちろん洗脳なんかしませんよ?」


 そんな際どい冗談を言わないで欲しいが、それくらいの冗談を言える雰囲気にはなっているのかな。


 あれ、待てよ? そうなると爺さんはソドゴラ村に帰ってこないのか?


「ロモンに留まることになるのか?」


 爺さんは少しだけ微笑んでから頷いた。ちょっと寂しそうに見える。


「レメト湖を知っておるじゃろ? あそこにいる魔物達が大人しくなったので、あの辺りに町を作る話が出ておるんじゃ。そこで孫や家族達と一緒に町を作る開拓者として住むつもりなんじゃ。その町で布教活動をするわけじゃな」


「そうか、あの辺りに町を作るのか」


「うむ、ロモンという国はほとんどが女神教への寄付で成り立っていたと言っても過言ではない。これからはその寄付も大幅に減る。お金があるうちに色々な場所で開拓をすることになったんじゃよ。ロモンの土地は広いが手を付けていない場所も多いからの」


 ロモンが国としてどういう風に機能しているのかは分からない。だが、あのウィンの事だ。多分、教皇として政治的なことにも口をだしていたのだろう。ロモンはこれから大変になりそうだな。


「そうか。それじゃ、爺さんは村には帰らないということなんだな」


「そうなるの。村にある教会に関してはリエル様が使うそうじゃ。改装して孤児院を建てられるとか。いやはや頭が下がる。儂も布教活動をしながら、孤児院を建てるつもりじゃよ」


「ああ、午前中に聞いた。リエルが子供達にお母さんとか言われてたからな。最初聞いた時はびっくりした」


 それを聞いたアミィが、手を叩いた。何かに気付いたようだ。


「リエル様は聖女様から聖母様になった……そういうことですね?」


 え? そういう事かな?


「おお、聖母様か。それはいいのう。もう女神教はないんじゃ。女神教の聖女リエルではなく、聖人教の聖母リエル。うむ、これはアムドゥア様に伝えておくべきじゃろう」


 これはどうなんだろう? リエルは嫌がりそうな気がするけど。まあいいか。私はノータッチだ。


 その後、爺さんとアミィは私と握手をしてから部屋を出て行った。


 またソドゴラ村へは行くと言っていたが、しばらくは会えないだろう。私は普段から村に入り浸っていたわけじゃないが、知り合いが村からいなくなるのはなんとなく寂しいな。


 でも、爺さんもアミィも終始笑顔だった。新天地での生活に不安とかはないんだろう。家族と一緒に暮らせるみたいだし、嬉しさのほうが勝ったか。羨ましい事だ。


 私は目が覚めてから、なんとなく不安、というか落ち着かない。何かこう、大事な事を忘れているような気がして、モヤモヤする。


 リエルが言うには記憶の混乱があるから不安になるんだとか言ってたけど、本当にそうなのだろうか。


 そんなことを考えていたら、ノックが聞こえた。「どうぞ」と言うと、村長と女性が入ってきた。女性は元教皇だな。何となく覚えがある。


「無事に目を覚まされたようですな。心配致しましたぞ?」


「すまんな。よく覚えていないんだが、リエルを助け出すとき無理をしたのかもしれない。それはともかく、一応、そっちの女性を紹介してもらえるか?」


 女性が前に出る。そして深々と頭を下げた。


「初めまして。ティマと申します。この度は助けて頂いて感謝の言葉もありません」


 ティマと名乗った女性は、三十前後だろうか。胸元ぐらいまである金色の髪で、白い修道服を着ている。顔もかなり綺麗な造形だ。ウィンの好みということか。


「魔族のフェルだ。ベッドの上からで申し訳ないが、よろしく頼む。えっと、念のための確認だが、教皇だった奴だよな?」


「はい、その通りです。そしてアンリ様の乳母でありました」


 村長は私の視線に気づいて頷いた。私に説明したことは知っているということか。


「その辺りの話は大体聞いている。ところで頭の怪我は大丈夫か? あの後、空中都市へ行ったからその後の状況は知らないのだが」


「はい、おかげ様で問題ありません。すぐに治療していただいたのが良かったのでしょう。フェルさんのおかげです。ありがとうございます」


「え? ああ、そうだな……?」


 治療した? 私が? 私がそんな事できるか? 止血ぐらいならできる。でも、教皇が倒れていた時は結構重傷だったはずだ。止血するぐらいで大丈夫だったのだろうか?


「フェルさん? お加減が良くないのですか?」


 ティマが心配そうに顔を覗き込んできた。


「いや、そういう訳じゃない。ちょっと気になることがあっただけだ。気にしないでくれ。で、今日はお礼に来たのか? それも気にしなくていいぞ。言い方は悪いが、リエルを助けるためのついでだったからな」


「まあ」


 ティマが驚いた後、村長の方を見た。途端に二人とも笑顔になる。


「シャスラ様の言っていた通りですね。フェルさんならそう言うだろうと言っていましたので驚きました」


 言動がバレているみたいで照れくさいな。ここは話題を変えよう。


「えっと、ティマは聖人教を運営していくのか? リエルが四賢や教皇は聖人として扱われるようになったとか言っていたが」


「はい、つい先ほど、リエルさんから言われました。申し訳ありません。女神を、いえ、邪神を倒されたのはフェルさんなのに、私達がやったことにするなんて――」


「気にするな。リエルからの頼みだし、それで丸く収まるなら何の問題もない。むしろ、私が聖人扱いなんてされたら逆に暴れるぞ」


 リエル達には悪いが、聖人なんて晒しもの以外の何物でもない。


「ありがとうございます。記憶を奪われていたとはいえ、洗脳魔法による布教をしていたなんて許される事じゃありません。この罪はこれからの聖人教で償っていくつもりです」


「そうか。まあ、頑張ってくれ。ところで記憶は戻ったのか? ティマがソドゴラ村でリエルを操っていた時は記憶がなかったんだよな?」


「え?」


 なんだ? ティマが驚いた? なんで驚くんだ?


「フェルさんが私の記憶を取り戻してくれたんですよね? 私がこの体で目を覚ました時、すべての記憶が戻っていましたけど……?」


「私が記憶を取り戻した?」


 そんな馬鹿な。記憶を取り戻す方法なんてどうやるのか知らない。怪我の治療程度なら可能性はあるが、これはさすがに無理だ。


 なんだろう。本当に記憶が混乱しているだけなのか? 私は一体……?


「二人ともすまない。今日はこの辺にしてもらえるか。ちょっと気分が――」


「フェルさん! 大丈夫ですか! 今、リエル様をお呼びしますので!」


 ティマがそう言うと、村長を残して部屋を出て行った。


「フェルさん、大丈夫ですか?」


「あ、ああ、大丈夫だ。なんだか分からないが、焦燥感に駆られる。なにか大事な事を忘れているようで不安なんだ」


「もしかしたら、なにか魔法の影響を受けているのかもしれませんね。お一人でも大丈夫ですか? 今、ヴァイア君を呼んできましょう」


「そうだな。頼めるか?」


 村長は頷くと部屋を出て行った。


 部屋の中は一人だ。なんだろう、ものすごく寂しく感じる。私がこの世で一人しかいないような。そんな孤独感だ。記憶が曖昧だからそんな風に感じるのだろうか。心が締め付けられるようで、息が苦しい気がする。


 部屋の外がガヤガヤと騒がしくなる。そして、リエルを先頭にヴァイアとディアも入ってきた。


「フェル! 大丈夫か! どこか痛いのか!?」


「大丈夫だ。体の痛みはない。ただ、記憶が曖昧なのが影響しているのか、酷く不安になるんだ」


「ああ、そういうのはあるぜ。記憶が自身の証明みたいなものだからな。記憶が混乱している時とか不安になるそうだ。怪我とかで記憶喪失になった奴の治療をしたことがあんだけど、そんな風に言ってたぜ」


 そうなのか。それを聞くと自分だけじゃないと思えるからちょっとだけ安心だ。


 周囲を見ると、ヴァイアもディアも心配そうにこちらを見ていた。


「すまないな。ちょっと取り乱した。もう大丈夫だ。お前達が来てくれて、少し落ち着いた」


 リエルとディアが大きく息をついた。どうやら、心配してくれていたようだ。


 だが、ヴァイアだけがちょっとだけ眉間にシワを寄せていた。


「村長さんからフェルちゃんが魔法の影響を受けているかも、と言ってたけど、そういう魔法を受けた覚えはあるかな?」


「いや、そんな覚えはない。それがどうかしたのか?」


「うん、ちょっと気になってね。フェルちゃんが空中都市で何をしていたのかは知らないけど、もしかして邪神と戦った?」


「その辺りの記憶も曖昧なんだ。だが、何かと戦った気はする」


 再びヴァイアが眉間にシワを寄せる。どうしたのだろう?


「フェルちゃん、日記魔法を使ってたよね? 日記帳を持ってる?」


「日記魔法? ああ、使ってる。あれはヴァイアが改良した永続魔法なんだよな? 今まで一度も切ったことがないから使っているはずだ。日記帳なら亜空間にあるぞ。ちょっと待ってくれ」


 亜空間から日記帳を取り出した。


 次の瞬間、パンッ、と乾いた音が鳴り、日記帳が輝きだした。なんだこれ?


「え? 本当に!?」


 ヴァイアが驚いている。なんだ? ヴァイアはこの現象を知っているのか?


「フェ、フェルちゃん! これってフェルちゃんが外部の影響を受けて記憶を無くしているって事だよ! さっきの音はそれを知らせる音!」


「外部の影響……? 記憶を無くしている?」


「そうだよ! フェルちゃんは誰かに記憶を消されてるよ! 今、記憶を無くしている部分が赤い文字で書きだされるから、日記をよく確認して!」


 私の目の前で日記帳が自動的に開いた。ページが一枚一枚流れるようにめくれていき、何も書かれていないページで止まる。そして赤い文字で大量に何かが書かれ始めた。

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