審問官の弱み
仇討ち殺人であった。かつて殺された恋人の仇を討つために、異端となった女は、審問室におとなしく座っている。明るい金髪が、薄暗い審問室でランプの明かりを受けてきらきらと光っていた。
その審問室に、マーサは臆することなく入って行った。ジルは透過鏡の向こう側でその様子を見守っている。向こうからは鏡に見えるが、こちらからはガラスとして機能する窓だ。
「あなたの審問をするキャロラインです」
マーサの声に感情はない。いつものマーサだ。しかし、女は違った。挑戦するようにマーサを見る。悪戯っぽい笑みを浮かべ、
「お噂はかねがね。マーサ・キャロラインさんですね?」
「はい」
ジルは嫌な予感を覚え始めている。マーサのことを知っている。マーサは確かに、前科者の異端の間では有名な存在ではあるが、この女は初犯の筈だ。一般人が知っていると言うことは、調べたことになる。
マーサは淡々と、彼女の名前、年齢、簡単な事情について確認した。女はにこにこしながら一つずつ丁寧に答える。一見、罪を認めた物わかりの良い異端の様に見えるが……。
(マーサのことを知っている……マーサのことを調べたのなら……マーサのご主人が亡くなっていることも知っている筈)
ジルは自分の肘をぎゅっと握りしめた。制服に皺が寄る。
「何故、異端になるとわかって罪を犯しましたか?」
「あなたならおわかりになると思います」
「どう言う意味でしょうか?」
マーサが顔を上げた。彼女はこちらに背を向けている。ジルからマーサの顔は見えないが、女は依然にこにこした表情を崩さない。マーサの顔色もまだ変わっていない。
「あなたは、ご主人を殺した異端を見つけたらどうするおつもりですか? キャロライン審問官」
ジルは息を詰めた。マーサはなんて答えるんだろう。
「しかるべき罰を受けさせます。審問し、裁判に掛け、罪を償う。その一連の流れを受けさせます」
「本当に?」
女の笑みが歪んだ。
「私とあなたはおんなじじゃありませんか。愛する人を無慈悲に奪われ、その張本人は裁かれずにのうのうと生きている……いいえ、私の方は過去形になりますね」
彼女は自分の手を見る。自ら汚したその手を。
「そのあなたに、私を断罪することができますか?」
「できません」
(マーサ……)
ジルは、自分の胸が締め付けられるような気分を覚えた。これまでも、同じような境遇の異端を審問する機会はあったに違いない。マーサはどんな気持ちでそれらの審問を……。
「断罪するのは、私ではなくて裁判官です。少し、司法の流れについて勉強が必要な様ですね。私がするのはあくまでも審問」
マーサはガリガリと頭を掻く。やれやれと首を振り、ため息を吐く。
「うんざりする……ああ、ごめんなさいね。何故か私の主人が死んだことを知っている異端は、理由は知らないけど鳩時計の鳩みたいに同じことを言うのよ」
女はそれこそ、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしていた。ジルは、自分も同じような顔をしているだろうと悟った。女の顔が徐々に赤くなっていく。
同じ境遇のくせに、自分の復讐に対して偉そうに上からものを言ってくる審問官に、一矢報いてやろうと思ったのに……見事不発に終わったのだから、羞恥にプライドを焼かれているのだろう。おまけに鳩時計の鳩呼ばわりされたのだ。これで怒らない方がどうかしている。復讐なんていう、怒りの最たるものを選んだ人間は。
「あなただって……ご主人を殺した奴を見たら、絶対冷静ではいられないわよ」
案の定、静かな怒りの声で、呪うように言い放つ。だが、マーサはそれを一刀のもとに斬り捨てた。
「当たり前です。私は異端審問官ですが、人間です。ですが異端審問官になることを選んだ人間です。あなたとは違う判断をするでしょうね。さ、余計なおしゃべりはここまでよ。次の質問だけど……」
(……なんだ)
ジルはおかしくなって、声を殺して笑った。心配していた自分が滑稽だ。マーサは自分が思っているより、ちゃんと地に足がついている。
やがて、審問を終えてマーサが出てきた。女は別の審問官が牢に連れて行く。
「お疲れ様です、マーサ」
「あら、ジル、どうしたの? なんだか随分嬉しそうね。なにか良いしらせでもあったの?」
「いいえ。何でもないんです。ねえ、マーサ、そんなことより、お腹空きませんか? そろそろ私たちはお昼ご飯を食べるべきだと思うんです」
ジルがそう言ったまさにその時、廊下の鳩時計が、パッポウ、パッポウと高い声で昼過ぎを告げた。廊下の向こうで、異端の女が強く靴を鳴らすのが聞こえる。
「そうね。一段落したし、昼食にしましょう。今日はお弁当?」
「はい! 田舎から送ってもらった人参を煮てきました! マーサにも一個あげます。とっても美味しいんですよ」
「そう。煮てあるなら頂こうかしら。その前に、この一式をオフィスに置きたいわ」
「もちろんです。私のお弁当もオフィスにあるので。行きましょう、マーサ。半分持ちますね」
ジルはそう言って、マーサから書類を半分と言わず、八割受け取った。
あなたの辛さはわからない。
辛いことは分かち合えない。
けれど、あなたがちゃんと立っていられるかどうかがわかるなら、私はそれで構わない。
二人の足音と、明るい話し声が、廊下の暗さを少しだけ和らげた。
(文字書きのお題アンケートメーカー【https://shindanmaker.com/585011】より。似たもの同士)
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