人魚の涙を採取する
宝石を取り扱う職人になるために、できなくてはならないことがある。それが、人魚に対する交渉だ。何を交渉するのか?
「あ……あなたの涙をわけてください」
そう。真珠を分けてもらうためだ。
「見返りには何があるのかしら?」
多くの人間から涙の真珠を求められているのだろう。その人魚は私をからかう様に、岩場に肘をついてにやにやと笑って見せる。
「金貨」
「使わないわ」
「ペンダント……」
「ごめんなさいね、海水で錆びてしまうから」
「う……じゃ、じゃあ何がほしいですか?」
私は作業服の膝を握りしめて尋ねる。
「あなたが私にあげたくないものって何かな?」
「命です」
「そこまで言ってないわよぉ」
人魚の彼女はけらけらと笑った。
「ねえ、好きな人はいるの?」
「秘密を寄越せってことですか?」
「まあとりあえず話してご覧なさい?」
「います」
「どんな人?」
弓を作る職人の息子だ。本人も弓の使い手で、朝早く彼の家の近くを通ると、的に向かっている彼が見える。
その真剣な横顔が胸に、目に焼き付いて──それが恋だと気付いたのはつい最近のことだ。同じ町内だから、会う機会はもちろんあって。でも、話題はあまりないから、私は彼の事をよく知らないし、彼も私の事をよく知らない。もっと知りたいし、知って欲しい、興味を持って欲しいと思うのに……。
そんなことを、ぽつりぽつりと話していると、人魚が手を伸ばした。白くて冷たい手が、私の頬に触れる。
「そう……辛い?」
「辛い? 振られたわけでもないのに、辛いことってあるんですか?」
「だって、思うように話ができないのでしょ? 辛くないの?」
「わかりません」
「そう……」
人魚は小さな呟きとは裏腹の、強い力で私の腕を引っ張った。
「きゃっ」
岩場から私は転落して水に落ちた。人魚の冷たい肌に引き寄せられる。
「あなたの体温は高いのねぇ」
人魚は言う。足がつかないほど深い。ここで手を離されたら溺れてしまう。
「ねえ、あなたが渡したくないけど、私への報酬になるもの、あるんだけど」
「えっ」
「頂くわね」
冷たい指先が、位置を確かめるように私の唇をなぞると、人魚はそこに口付けた。氷を付けられたような、冷たい感触。
びっくりして私は固まってしまった。人魚はすぐに顔を離すと、濡れた私の髪を梳く。
「涙って安くないの。人魚の真珠が欲しいなら、これくらいのことは覚悟しておかなくては駄目よ」
ショックで涙をぼろぼろこぼす私を、砂浜に連れて行くと人魚はどこかに行ってしまった。私が呆然としながら座り込んでいると、やがて彼女は戻ってくる。
「はい。あげるわ」
その掌には綺麗な粒ぞろいの真珠が三つ、光っている。
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