第5話 王都―3

「私の本当の名前は、エーシェリア・ヒーアート。ヒーアート王国の王女」



 レイス、俺、ゼノンの順で聖堂の奥にある階段を下りていく。



「つまり、レイス・デートルというのは偽名か」

「”偽の名前”、というよりかは”義の名前”よ。レイス・デートルは、自分が信じた道を進むための義名」



 レイス・デートルという名前は、どこから生まれたのだろうか。

 それを聞く前に、一つの小部屋に通された。

 丸テーブルが置かれただけの部屋。

 ゼノンは壁に凭れ、レイスはテーブルに両手をつく。

 俺も、ゼノンに倣って壁に背を預けた。



「一つ質問なのだが」

「なに?」

「これから、どう呼べばいい?」

「引き続き、レイスでよろしくね。レイス・デートル……夢と希望のために戦う少女よ」



 にっこりと微笑んでいたレイスは、一つ呼吸をすると表情を曇らせた。

 本題に入るつもりだ。



「一ヶ月前……」



 そう言って、彼女は過去を語り始めた。







 私が17歳の誕生日を迎えた日。

 豪華な長机が置かれた部屋で、お父様とお兄様が祝ってくれたの。

 お父様はワインをちびちびと飲みながら、私に短剣を手渡した。

 何の変哲もない両刃の剣。



「お父様、これは?」

「代々、受け継いできた”力”だ」



 口元を緩め、穏やかな口調でそう言い放った。

 私は”力”の意味がよく呑み込めず、困惑の表情を浮かべていたのだろう。

 お父様は笑いながら、私の肩を掴んで。



「まあ、御守りみたいなものだ。これから、王女として各地を旅する。道中、危険なこともあるだろう。その時は、この短剣を信じなさい」



 私の持つ短剣が、お父様の分厚い手で包まれていく。



「道を切り開き、探険するのだ。短剣だけに」

「酔いが回りましたか?」

「ふふ、エーシェリアは厳しいな」



 お兄様は口角を上げながら、微笑んでいた。



「妹よ、多少のユーモアセンスは必要だよ。特に、王という器にはね」

「どういうことですか?」

「人を笑わせられない王様に、民の心は理解できない。違うかい?」

「さすがだな、良いことを言う」



 お父様からのお褒めの言葉を頂いて、お兄様は軽く頷く。

 私はお兄様の言葉で、いつも気付かされる。

 王族としての生き方を、お兄様から学んできた。

 お兄様は慈しむ瞳で、じっと見つめる。



「大きくなったね、エーシェリア。お母様を亡くしてからも、妹は健気に励み続けてきた。学業も、武術も。今日まで、よく生き抜いてくれた。これからも、その調子で生きてくれ」

「本当に素晴らしい娘だ」



 お兄様の言葉に続いて、お父様が誇らしげに首を縦に振る。

 私は照れくさくなり、少し顔を俯けた。

 お父様は何か思い出したように、机の隅に置いていた本を掴む。

 黒く厚みのある見た目。

 そして、それを私に手渡した。



「お父様の手記……どうして私に?」



 私は堪らず尋ねた。

 この本は、お父様が常日頃から大切にされてきた書物。

 一度、気になって内容を問いかけたが、うやむやにされてきた。

 それを私に渡して、何を考えているのだろうか。



「そこには、私が生涯かけて研究し続けてきたことを記してある。私も、もうよい年だ。エーシェリアに、私の研究を託したいのだよ。研究をしてくれ、ということではない。そこに書かれていることを知っておいてほしいのだ」



 私は中身の真ん中辺りに指をかけ、本を開いた。

 そこには、隅から隅までビッシリと文字が敷き詰められていた。



「私が生きた証を……大切に持っておいてくれないか、エーシェリア?」

「もちろんです、お父様。それと、勝手な言い分なのですが……」

「遠慮はするな、どうした?」

「この研究、私が引き継いでもよろしいですか?」

「ほう、そうきたか」



 お父様は顎髭をさすりながら、好奇な目つきになる。



「一見すると、これは……御伽話おとぎばなしの研究でしょうか。所々に有名な昔話について記しています」

「その通りだ。そうか、研究したいというなら、いくらでもしなさい」

「ありがとうございます、お父様」



 礼をして、短剣と書物を胸の前に持ってきた。

 お父様から託された物、大切に扱わなくては。



 突然、扉が乱暴に開いた。

 兵士が一人、慌てた様子でお父様に向き直る。



「大変です!」



 お父様は毅然とした態度で立ち上がる。



「何事だ」

「し、城に何者かが侵入してきました! 既に、兵士が五人犠牲に!」

「すぐに、ゼノンを呼ぶのだ!」

「ハッ!」



 その直後、兵士の動きが固まった。

 徐々に、両手を首に持っていく。

 苦痛の声が、途切れ途切れに聞こえてくる。

 いきなり、兵士の背後から人影が現れた。

 人影が兵士の首を掴んでいる。



「か、くっ、かはっ……!」



 兵士は、ジタバタともがいている。

 お父様は壁に掛けてあった剣を手に取り、人影に刃を向ける。

 厳しい表情をするお兄様も、同じように武器を取っていた。



「貴様、何者だ!」



 お父様が叫ぶと、人影が答える。



「……返してもらおうか、僕たちから奪った物を」



 兵士は正気を失ったように暴れているが、拘束され続けている。

 そして、人影が掴む腕から黒い粒子が一斉に放出された。

 黒い粒子は兵士の口や目、鼻に吸い込まれていく。



「見ておけ、王様。自分の所有物が奪われていく有様を」

「その能力……」



 兵士の目が黒く染まっていき、首から手を離される。

 すると、俯けていた顔を上げ、腰に差していた剣を振り回し始めた。

 自我を失った兵士は奇声を上げながら、お兄様に突っ込んでいく。



「お兄様!」

「どうか、許してくれ。君を斬ることを」



 無我夢中で襲ってくる兵士を冷静に見つめ、お兄様は素早く剣を振り下ろす。

 やがて、血が止まらなくなり、兵士は床に倒れ伏した。

 うつ伏せの兵士は時折、体を震わせながら、呻き声を発している。

 まだ、死んでいない。

 お兄様は、切先を兵士の心臓に向けて突き刺した。

 「えうっ」と声を吐き出して、伸ばす腕が止まる。

 私は急な展開に頭が追いついていかず、だらしなく見ているだけだった。



「なにが、おこっているの?」

「エーシェリア、離れるんだ」

「逃がしはしない、血はここで絶やす」



 人影が前に出て、シャンデリアの光に照らされた。

 黒装束でフードを被り、顔に仮面をはめている。

 仮面も光を許さない黒だ。

 敵は手のひらを、こちらに向ける。



「まずは余計なものを排除する。その後に、貴様だ……ヒーアート王」

「ルサンチマン……生きていたのか」



 お父様は、目の前の人物を知っている。

 そんな口振りだ。

 ルサンチマンと呼ばれた人物は、じわりじわりと前に歩み出る。

 しばらくして、扉から大量の兵士が駆け付けてきた。



「何としてでも、殿下を守り通すのだ!」

「「「うおぉー!」」」



 唐突に開きっぱなしの扉から、一本の赤色の剣が飛来する。

 独りでに移動する剣は、兵士たちの胴体を切り裂いていった。

 私は思わず見開き、口を塞いだ。

 見開いた目には、残酷な光景が映し出されている。

 自由自在に飛んでいた剣は、ルサンチマンの手に収まった。

 同時に、もう一人の人物が進入してきた。

 その人物もまた、仮面を着けていた。

 しかし黒い仮面と違って、赤い装束に赤い仮面の格好だ。



「一年ぶりだなぁ、この場所に来るのは。色々と思い出してしまう」

「その声は、ジェノシデールか! 今になって、襲ってくるとは」 

「ふっ……今が好機なんだから、仕方ないだろ。そして……」



 ジェノシデールは、ルサンチマンの隣に並び。



「好機の内に、やるべきことをやる。それが一流の仕事人だ」



 腕を伸ばして指を鳴らすと、空中にいくつもの剣が出現し、ジェノシデールを守るように並んでいく。

 それから、ジェノシデールは口角を上げて、指を遊ばせる。

 浮遊する赤色の剣は指の動きに合わせて、部屋中を荒れ狂った。



「まずは……王子からだ」



 荒れ狂う大量の凶器は、お兄様を狙って飛んでいく。

 お兄様は姿勢を低くして剣を構えると、次々に向かってくる凶器を俊敏な手捌きで弾いていった。

 あまりの早業に感心したのも束の間。

 大量の剣は徐々に速度を増していき、お兄様は息を荒くしていた。

 やがて、一本の赤い剣が、お兄様の剣を弾き飛ばし。

 無防備のお兄様に、七本の剣が襲った。



「ぐはッ!」



 赤色の剣が全身を串刺しにし、刃を伝って床一面に血が広がっていく。

 胴体を持ち上げられた状態で、私に手を伸ばしたまま動かなくなった。

 血だらけの顔から涙がこぼれ落ちていく。

 その瞬間、私は絶叫した。



「お兄様ーッ!」



 私は生まれて初めて、殺意という感情を覚えた。

 どこまでもドス黒い怒り。

 絶対に奴らを……殺してやる!

 必ず!

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