第2話 エラン・ヴィタール―2

 レベルが1、下がっている?

 明らかに、俺の息は乱れていた。

 動揺を隠しきれなかった。

 先のことを考えれば考えるほど、視界が狭まっていく。

 深い海の底に沈んでいくように。



 唐突に、目の前で叫び声を浴びせられる。



「おーい!」

「うわっ!? レイス……」

「ふふ、人間味ある反応ありがとう。大丈夫?」

「あ、ああ」



 曖昧な返事をして頷く。

 レイスは目の前でしゃがみ込んで、手首に付けたデバイスを起動させた。

 見た目はコンパクトなアナログ腕時計に見えるが、ボタンを押すと華奢な腕に世界地図が投影された。



「今、私たちがいる所はここ」



 彼女が指さしたのは、世界地図の左下。

 赤い点が明滅している。

 おそらく、現在の位置情報を示しているのだろう。

 世界はHのような形をしており、俺たちは一画目終わりにいる。



「目的地の王都は、ここだな」



 腕の世界地図に人差し指を向ける。

 一画目の真ん中辺りだ。

 レイスは「そうよ」と首を上下させ、俺の瞳を見据える。



「途中の村や町を寄りながら行くと、三日ほどで着くはず」

「俺は、レイスに付いていく。ただ、それだけだ」



 レイスの綺麗な瞳を見て、そう言った。

 俺は、とりあえず人がいる場所まで行きたい。

 レイスから目的と俺の情報を聞き出したいのだ。

 ポンチョを着用し、フードを被る。

 レイスは人差し指をクルクルと回して、口を動かした。



「『サイレントステップ』」



 二人の足元を、人差し指から放たれた光る粒子が纏わりつく。

 これは、スキルか。



「これで、足音は聞こえなくなったわ」

「良いスキルだな」



 スキルは、未だ詳しく解明されていない世界の謎の一つだ。

 とある辞書での説明には、スキルとは”不可能を可能にする特殊能力”と載っている。

 スキルは、大きく四つに分類することができる。

 魔法系、武具強化系、補助系、特殊系。

 レイスが唱えた『サイレントステップ』は補助系に分類されている。

 魔物を倒すことで手に入るスキルポイントを消費して、様々なスキルを習得することができる。

 習得できたスキルを駆使できて、ようやく魔物と渡り合えるのだ。

 レイスは得意げに手のひらを広げ、いきなり炎を出現させた。



「魔法も得意よ。どう?」

「おお、頼もしいな。俺がいなくてもいいんじゃないか」

「そう思える力があればいいのにね……今は、あなたが頼りなの」



 心の底からの願い、そう読み取れる瞳をしている。

 手のひらの炎を消して、顔をこちらに向けた。

 俺は力強く頷いて。



「ああ、任せてくれ」



 立ち上がって、洞窟の外に出る。

 止みそうにない土砂降りの雨。

 横にレイスが並び、森の方に指を向ける。

 彼女の案内を頼りに、俺は足を動かした。

 視覚を信じ、聴覚を信じ、周りを警戒しながら。







 大きな雨粒が地面を穿つ音、雨具に弾かれる音。

 魔物の荒々しい寝息の音。

 慎重に進み始めて、しばらくしてからのことだった。

 蛇型の魔物が、行く手を遮るように蜷局とぐろを巻いていた。

 人を丸呑みできるほどの体格を誇り、二つに分かれた舌をチロチロと出し入れしながら、においを感じ取っている。

 まぶたがないため、寝ているのかと思っていたが、どうやら起きているらしい。

 俺たちは草むらの中に隠れ場所を確保し、姿勢を低くした。



「エラン、ぶっ飛ばしてきてくれる?」

「それは構わないが……あの魔物、何かに警戒しているようだ」



 この世界において、魔物とは一般的に人の生活を脅かす生物を指す。

 魔物にもレベルが設定されており、目の前の魔物はかなりレベルが高い方だ。

 もちろん、人に襲ってくるものばかりだ。

 魔物もスキルを使用し、縄張りに侵入してきたものを全力で排除する。

 できるだけ、避けて通りたかったが仕方ない。

 腰を低くしながら歩き、距離を縮めていく。

 後ろから、レイスが質問してくる。



「何か、って何に? というか分かるんだ、警戒してるって」

「ああ、尾を震わせて威嚇しているんだ。カラカラという音が聴こえるはずだ」



 レイスは止まって、両耳に手を当てている。

 少し間をおいて、うんうんと頭を振った。



「聞こえたけど……もしかして私たちに威嚇しているの? 何だか見られている感じがするけど」

「いや、距離はかなりある。それに地中で生活する生物だから、視力は悪いはずだ。俺たちに威嚇しているわけではないようだが、近づきすぎないように注意してくれ」

「はっ、待って!」

「どうした」



 左耳に手を当てているレイスが、何かを聞き取ったようだ。

 俺も左を意識しながら、耳を澄ませた。

 泥濘を乱暴に歩く音。

 それも複数の足音だ。

 レイスがハッとした顔で、ぼそりと呟いた。



「奴らだわ」

「奴ら? 昨日の兵士連中か」



 黒い迷彩服で、銃をぶっ放してくる狂った集団。

 何より奇妙だったのは、人間味を感じないことだ。

 一言も発しない、動揺さえもないのが恐ろしく不気味だった。



「ただの兵士ではないわ。彼らは操られているのよ、手先として」



 答え合わせをするように、レイスが喋る。



「操られている、だと? 誰にだ」

「……黒い仮面の男よ」



 レイスの手を固く握りしめ、震えていた。

 唇を強く噛んで、怒りを表している。

 黒い仮面の男、と聞いて思い出した。

 橋から転落した時、ヘリの横で空中に浮遊していた人物。

 もしかして、奴が?

 と、ここで蛇の魔物が動き始めた。

 同時に、銃声が何発も聞こえてくる。

 そちらに目を凝らすと、黒い人影が銃を手にしているのが見えた。

 しばらくして、蛇の巨体は泥を飛ばしながら沈んだ。

 体中に穴があけられていた。

 人影は一人、二人、三人と数を増やし、引き金に指をかけたまま、辺りに銃口を向けている。

 動きに無駄がない。

 それが人間味を感じない原因なのかもしれない。



「奴らを”見えざる手”という符牒で呼んでいるわ。手の先しか見えていない」



 操る者の全体像を捉えることができないということか。



「洗脳されているだけじゃない。肉体も強化されているの。私では、対等に戦えない。だけど、あなたの力なら!」



 なんとなくだが、レイスが俺に協力を求めてくる理由が分かった。



「俺に求めているのは、見えざる手の背後にいる……黒い仮面の男を倒すことだな」

「理解が早くて助かるわ。協力してくれる、よね?」



 端正な顔を威圧するように近づけてくる。

 内心、はっきりと断りたかった。

 今以上に厄介なことに巻き込まれそうだからだ。

 どうも、レイスの言う”黒い仮面の男”を倒したところで終わる話ではなさそうだ。

 まだ、レイスは隠していることがある。

 そんな雰囲気を感じ取った。

 何があって、黒い仮面の男を倒してほしいのか。

 そうした動機も知りたいし、何より。



「報酬、でしょ? 顔に出てるよ」

「俺って、隠すの下手なのか。それとも、レイスが心を読み取れるのが上手いのか」

「どっちもよ。……報酬は巨万の富、加えて所有地」

「おいおい、信じられないが」



 魅力的な報酬だ。

 俺の力をもってすれば、すぐに片が付くだろう。

 これほど美味しい話はない。

 ……そんな報酬があればだが。

 この少女が、それほどの財産を持っているなど考えられない。

 しかし、嘘っぽさは微塵も感じない。

 大真面目に語っている。

 疑う視線をぶつけても、少しも怯まず見つめてくる。

 レイスの物怖じしない態度に負けて、俺は信じることにした。



「わかった、さっさと終わらせよう。いいな?」

「ふふ、ええ!」







 唐突に、上から声が降ってきた。

 同時に黒い肉の塊も。

 俺たちは落ちてきた何かに吹っ飛ばされ、地面を転がった。

 不意打ちされ、頭が混乱している。

 頭を押さえながら立ち上がり、目を開けると正面から筋骨隆々の兵士が突撃してきた。

 咄嗟に両腕を前に構えて、突進を受け止める。



「く、何なんだ、お前は。何が目的だ」

「うおぉぉぉ!」



 目の前の怪物に問いかけても、雄叫びしか返ってこなかった。

 鼻先にいるから分かったのだが、俺より一回りも大きい図体だ。

 昨日、車に飛び乗ろうとしたときに相手した奴だ。

 怪物の馬鹿力を受け止めている間、レイスを探した。

 いた、兵士と魔法で戦っている。

 レイスの存在を認めてすぐ、巨体の脇腹を全力で殴る。

 組み合っていた腕がほどける。

 千鳥足の怪物に、もう一発。

 無防備な腹を思いっきり蹴り飛ばした。

 くの字に折れ、ふらふらと後退し、やがて水たまりに倒れこんだ。

 俺の持てる力、全てをぶつけた。

 これで死ななかったら、おかしいぐらいだ。



「『サンダーボルト』! 『エクスフレイム』!」



 木の陰に隠れながら、タイミングを見極めて魔法を放っている。

 ただ、その状況は長く続きそうになかった。

 増援の兵士がロケットランチャーで、レイスの樹木を狙っていた。

 すぐに駆け出して、例の兵士の顔面に膝蹴りを食らわせ、その勢いで他の兵士も薙ぎ払っていく。

 銃弾を受けても、痛くも痒くもない。

 背後から剣で切りつけられても、警棒で殴られても平気だった。

 むしろ、さっきの怪物から受けた突進の方が痛かった。

 その場にいる兵士を真正面から叩き潰し、レイスが遠くの敵を魔法で攻撃する。



「エラン! キリがないわ! 逃げよう!」



 レイスが叫ぶ。

 確かに、いくら兵士を捻り潰したか分からないくらい、地面に死体が転がっている。

 それでも、兵士は闇から現れる。

 これが洗脳された見えざる手か。

 想像以上に厄介だ。

 レイスの提案に納得し、二人で深い森の中へと走っていった。

 後ろから弾丸が飛んでくる中、レイスに不安をぶつける。



「なあ、あとどれくらいで抜けられるんだ。この森から」

「デバイスの表示では、あともう少しよ。だから、私についてくれば大じょ……」



 大丈夫よ。

 その言葉が発せられる前に、口を閉じてしまう。

 脚を貫く弾丸の痛みが、レイスを襲った。

 レイスが転倒する前に、腕を掴む。



「ぐ、い、いたい……」



 苦しそうに喉から声を出している。

 レイスを自分の胸に引き寄せ、背後から飛んでくる弾丸に当たらないように庇った。



「歩けるか」

「……ちょっと痛むぐらいよ」

「こんな時に強がるな。そのデバイス、借りるぞ」



 レイスの腕から腕時計を取り外し、自身の腕に装着する。

 ボタンを押して、世界地図と現在地を確認した後、すぐにレイスを抱えて足を動かした。

 外を、森の外を目指して。

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