第15話彼方からの声
「……何者か」
誰何の声には、刃のような鋭さが混じった。
それとは別に、声が現実として空気を揺らすのを、【金宝】は懐かしく感じていた。
刀霊として想苗殿と、或いはそれより以前の花守たちと念話を交わしたことは数多あるが、こうして実体化し、見ず知らずの者に声をかける機会はそう多くはない。
時代も相手も異なる思い出、その共通点はただ一つ――状況だ。
見知らぬ相手の予定にない来訪は、現状、看過できる程度を越している。
「答えよ、吾は汝のことを知らぬ」
「私はあなたを知っていますよ。【金宝】、戸上の家に伝わる刀霊ですね」
青年は、丸眼鏡の弦を神経質そうな仕草で押し上げた。「どうかご安心を。私は、ヒトの側ですから」
「むっ……」
奇妙な言葉だ、人か否かなど見れば解るだろうに、何の宣言だ。
それに――仮の主の名を告げられて尚、【金宝】自身の内より溢れる青年への警戒を、緩めることが出来なかった。
未だ戸口に立ったままの青年は、疑念など慣れっこだというようにひとつ、頷いた。
「戸上想苗は留守のようですね、残念です」
「……何か用事でもあったか、人間」
「えぇ、まあ。伝えるべき事が一つと、見定めるべき事が一つ」
「っ、知っているのか……」
「当然です、彼女もまた、貴重な戦力なのですから」
その言葉に、【金宝】は漸く不審の源泉に思い至った。
酷薄な内容を淡々と語る、青年のその瞳。
家の中、そして【金宝】を見る視線の元には、何の感情も浮かんでいなかった――昆虫や魚のように、ヒトと異なる情念の気配さえ無い、全くの虚無。
ヒトも獣も石も川も、生命意識の有無も区別なく。
あらゆる何もかもを駒として扱うような、作り物のような青年の姿に、【金宝】はうすら寒いものを感じていたのだ。
「……来訪は、伝えよう」
「えぇ、よろしくお願いします。本部に出頭していただければ構いませんので――あぁ、そうそう一つだけ」
ついでのように紡がれた問いは、その実青年の主たる目的の一つだったようだ。それが解るくらいには、匂わせている。
戸口の端、家と外との境に立ち、青年は短く訪ねた。
「彼女は未だ、ヒトの側ですか?」
丘の上の公園に、戸上想苗は思い出が無かった――子を授かるまで想苗には余裕がなかったし、生まれてからは猶予がなかった。
我が子が、待望の霊力持ちであると解ったその時点から、想苗の役目は子育てから後継の育成へと切り替わったのだ。
日常の全てが、我が子を【花守 戸上蛍】を完成させるための薪と化した。鍛練や教育は元より、遊びにおいても身体や反射神経を鍛えさせてきたのである。
無駄なことは、なにもしなかった。
霊力を持って生まれた以上、蛍は花守になる――なってしまう。次の子が期待できぬ以上は、この未来はけして揺らがない。
瘴気にまみれ、我が身と魂を危険に晒しながら、日の国のために戦い続ける定めだ。
絶対に、清くは居られない。
ならばせめて、正しく居られるよう。願った正しさのまま生きられるように、想苗も祐一郎様も、それぞれが持つ強さを惜しみ無く伝えていたのだった。
――現実は、それさえも間に合わなかったわけだが。
『お母さん、どうしたの?』
だから。
これはけして、記憶の再現ではない。
顔を撫でる爽やかな風。枝と枝が擦れ合い、葉が鳴らす。
鼻孔をくすぐる土の匂い。昨日までの雨が太陽に干されている香り。
…………駆け出して直ぐに振り返り、私のことを気遣わしげに眺めながら、それでもやはり公園の遊具の方から未練を切れないのだろう、そわそわと落ち着かない様子の…………嗚呼、私の子……!
「……えぇ、何でも、ないわ……蛍」
『そう?』
「えぇ、あとから行くから。良いのよ、好きに……遊んできなさい……」
『……うん!』
全ての枷が外れたように、駆け出していく蛍。
その背中を、想苗は苦笑しながら見送る。ああして、何の意図も無く自由奔放に駆ける姿を、想苗はずっと夢見てきたのだ。
定めなど要らなかった。
欲しがるのなら持っていけば良いが、せめて、選ぶ自由だけは与えてやりたかったのに。
『――ここでなら』
声が響く、姿の無い声が。『叶うのですよ、貴女の夢が』
「……ゆめが、かなう……?」
ぼんやりと、言われた言葉を想苗は繰り返した――その瞳からは、大事な何かが失われているように見える。
立ち尽くす想苗の身体を、瘴気が静かに包み始める――。
……
…………
………………
「――させぬわっ!!」
刹那、黄金が舞い降りる。
霊力を帯びた羽ばたきが、想苗を呑み込みつつある瘴気を散らす。
支えを失くし、ぐらり、傾ぐ身体。
崩れ落ちるその寸前、密度を増した瘴気が意外にも優しい手つきで想苗殿を抱き止めた。
「……霊魔」
『大丈夫かい、君、無事だったか?』
その言葉、声音で、何が起きたか【金宝】は瞬時に理解した。
幻覚、幻聴。
それに惑わされてここまで来て、濃い瘴気によって幻は更に加速。そして――この声真似の霊魔が止めを刺したのだろう。
平時から現実でないモノに悩まされている想苗殿だ、例えこれほど似ておらずとも、恐らくは簡単に転んだ筈――あぁ、自分にとっても、何とも甘美な誘惑だとも。
『大丈夫だ、僕がいる』
霊魔は、祐一郎の声で囁いた。『ここでなら、君は幸せになれるんだよ』
「小癪な……」
自らの依り代、大太刀を足に握り直す。
胸の奥より沸き上がる黒い怒りが、羽ばたきを霊力の嵐へと変えていく。
「ヒトの心、弱き場所をわざわざと狙うその性根。叩き直してくれよう、霊魔」
ひときわ輝く黄金が、辺りを焼き尽くさんばかりに包んでいく――。
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