第7話花守たるもの 後
――花守というのは、特殊な存在だと思うんだ。
祐一郎様がそんなことを言ったのは、蛍が生まれて直ぐの頃だった。
長い梅雨空の合間の晴れ間。忘れられていないかと不安になった太陽が、久方ぶりに顔を出した日だった。
昨日までの雨に濡れた草葉を踏んで、女中たちが、ここぞとばかりに気合いを入れたらしい洗濯物の山を、懸命に干していた。
それを縁側から眺めながら蛍をあやしているときの、漠然とした疎外感を良く覚えている。
「とても、特殊だ」
朝食を終え、縁側に揺ったりと座りながら、祐一郎様が話している。「誰でも、成りたければ成れるというものではない。僕は父の跡を継いだから成ったし、父も祖父から、祖父もその親から、それぞれ継いできた――幸運なことに」
「幸運、ですか?」
「そう、幸運」
鈴蘭のように控えめに、笑う人だった。
笑顔の数そのものは多く、笑っていないときを思い出せないほどではあったけれど。
大輪を咲かせることは、無かった。
「戸上の家のように先祖代々花守を輩出してきた家に生まれたからといって、必ずしも花守と成れるわけではないだろう? 跡目が途絶える家も、けして無いではない」
それは、確かに。
花守には、霊力を持つ者しか成れない。
それを大前提として、更に大成するためには、相性というものが深く関与するのだ。
祐一郎様の手元に、目を向ける。
五尺三寸、朱色に金接ぎが幾本も走る見事な
【金宝】と名付けられたその刀は、単なる刀ではない。長い歳月を経て神気を帯び、そして自らの意識を持った存在である。
付喪神の一種――刀霊。
その神秘的な力を引き出せるかどうか、即ち、刀霊と相性が良いかどうか。それこそが、花守として重要な素質なのだ。
「そうならないために、各家は勿論努力している。刀霊と代々交流を深め家そのものと絆を育んでいるし、霊力を持つ者を養子にしたり婚姻関係を結んだり、血を深めている」
「……私のように、ですか?」
「僕は君を愛しているから結婚したんだ、もちろん」
けれども、高い霊力という持参金は、説得には大いに役立っただろう。
霊力は万人に宿るものではない。
帝都に走る五大霊脈を管理する、例の名家ほど血眼にはならないだろうが、花守の家はいつでも貪欲に、霊力持ちを集めている。
「特殊だし、特別な才能だ。僕たちのような者しか花守には成れないし、僕たちにしか、【金宝】は扱えない」
「だから、幸運ですか?」
聞き返す声に、猜疑心が宿ってしまった。「私には、呪いのようにも思えます」
何しろ他に道がない。
花守の家に生まれたからには花守と成るべし。親は子の未来にそう願うし、生まれる前から、花守よ産まれるべしと願われている。
そもそも、結婚相手さえ『花守を産めるか否か』を考えて、選ばれるのだから。
花守の家に生まれた者は、花守となるしかない。
花守の家に生まれた者は、花守を産むしかない。
花守の家に生まれた者は、花守を育てるしかない。
そのいずれかが途絶えたとき。
その者は、出来損ないと呼ばれるのだ。
我が子を、そう呼ばせるかもしれないのだ。
「君の不安は尤もだ、想苗。事実、僕の不徳だが、君の二年間は酷いものだったろう」
「いいえ、祐一郎様」
すまない、と頭を下げた祐一郎様に、慌てて首を振る。「先代様も、奥さまも、全ては期待が故。もどかしさは理解できましたから」
それに。
祐一郎様は何時でも優しかったから。優しく、暖かく、そして頼らせてくれたから。
「だが、それでも尚。僕は自分や君、そして蛍が花守に成れることを、幸運だと言いたいんだよ、想苗」
祐一郎様は庭から視線を此方へと向け、抱く蛍を見て、それから、私を見た。
その澄んだ瞳に浮かぶ真剣な輝きは、私の心に今でも光っている。
祐一郎様は、こう言った。
「僕が花守だから、大事な人を護ることが出来るんだ。最高の幸運だよ、想苗。僕は、僕らは――大切な誰かを護る機会を、与えられたんだ」
……
…………
………………
「これは、いったい……?」
青年が何かを言い終えるより早く、霊魔は動いていた。
ヒトを外れつつある怪物に、間合いなど有って無きものだ。黒く侵食された右腕はしなり、鞭のように青年の喉を狙う。
怪物に出会ったことは勿論、その腕が伸びたことも予想外だったのだろう。青年は棒立ちで、その場に縫い留められたかのように動けなくなっている。
そのままでは、死ぬだろう。哀れな青年は誰に顧みられることもなく、その人生を理不尽に奪われることになる。
――そんなことを、許してたまるものか。
がつん、という音が、青年の命を救う。
そして翻る、夜色の
「あ、貴女は……」
「下がりなさい。でないと……死にます」
鞘で霊魔の一撃を受け止めて、想苗は立ちはだかる。
続けて襲い来る二撃、三撃目を払い、いなし。
『想苗殿』
「……解っています」
祐一郎様は、言っていた。
花守に成れたことは幸運だったと。
大切な人を護る力を持った。それを振るう、機会を得られたと。
花を、守る。
大輪でも小振りでも、満開でも、咲き終え散るのを待つばかりでも、未だ蕾の、花となる可能性でも構わない。
守る。そのために、花守は力を与えられた、刀を持たされた。
――祐一郎様は幸運と言った。その代理たる私がどうして、不運不幸と嘆けようか。
「……貴方の人生もまた、本来は守られなくてはならなかった」
霊魔のごとき赤い眼も、理性を喰われたヒトの眼も、同様に見詰めながら、想苗は静かに宣言する。
「機会を逸したこと。その場に私も、誰も、花守が居なかったことは無念です。怨むのも良い、憎むのも良いでしょう。
最早言葉は届かない。
想苗も、【金宝】もそれが解っていた。そのことが、とても哀しかった。
「ですが、だからこそ。私は守りましょう。彼を、そして――貴方の最後の尊厳を」
彼は半分だ。霊魔になりつつある、哀れな犠牲者だ。
未だ――加害者ではない。
「……【金宝】」
『心得ました、想苗殿』
刀を、引き抜く。
清浄な黄金の輝きが、夜闇を束の間追いやっていく。
霊魔の視線が、意識が、【金宝】に集まる。
不用意に振るわれた黒い小刀。その動きを見切り、想苗はこれまで何千何万と見てきた動きを再現する。
『半歩引く。【金宝】は長いからね、相手の間合いを外しつつ、こちらの切っ先だけを届かせる。勿論それでは浅い、致命傷にはけしてならない。だが――それは斬る場所にもよる』
――えぇ。何度も間近で見ておりました、祐一郎様。解っております。
「戸上流、
「ぎあおああああおあぁぁぁっぁぁぁ!?」
悲鳴、そして、指を切り落とされた霊魔が小刀を取り落とす。
よろめく霊魔に対し、半歩引いた想苗は体勢も充分。
「はあっ!!」
引いた分の溜めをそのまま踏み込みに。
斬り払った【金宝】を返し、真逆の向きで弧を描く。
黄金の輝きが、霊魔の首を刎ねる瞬間。
赤い眼から血が一滴、静かに流れ落ちた。
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