第6話花守たるもの 前
花守の目的は勿論霊魔の浄化であるが、そのために果たすべき役割――仕事としては大まかに二種類ある。
一つは、他人からの依頼。
これには本当に些細な、ご近所さんからの相談といった程度のものから、もっと大それたものまで存在する。
当然依頼であるからには報酬が存在し、特に想苗のように『御家』という後方支援を持たない花守にとっては主たる収入源となる。
とはいえ、幾ら【霊境崩壊】によって霊魔が溢れているとしても、依頼そのものは定期的に発生するわけではない。
喜ぶべき事ではあるが――霊魔が住人たちを一切脅かさない月だって、理論的には存在し得るのである。
とすると、花守には収入が無くなってしまうことにもなる。
根本的に巫子であり、『御家』という機能によって生活を保障されている事の多い花守であっても、そうではない花守たちにとっては死活問題だ。
そしてこの大災害に晒された今。
花守の減少は国力の減少そのものであるとさえ、言える。
そのため国は、花守たちに必要最低限の収入を保証している。住宅の支給も進んでいるというし、贅沢をしなければ食うには困らない。
花守として、在る限りは。
花守として活動するには、花守に求められる役を果たすより他にない。しかし、先に言った通り、依頼そのものは不定期に発生する。知名度の低い花守などは、依頼が回ってこないことさえある。
では、どうするか。
簡単だ――要するに、花守の目的に沿った活動をしてさえ居れば良いのだ。
即ち、霊魔の浄化。
依頼もなく、それでも目的のために活動するのなら。
花守は、もう一つの仕事をするより他にないのである。
『自主的な巡回ですか』
【金宝】は退屈そうに呟いた。『気の滅入るお役目ですね』
「仕方がないでしょう。戸上の御家はほぼ壊滅、私の実家は問題外の下流階級。依頼や召集にお声が掛かるほど、知名度があるわけでもありません」
諦念を滲ませて、想苗は応じる。「地道な御勤めで、経験を積むよりありません」
桜路町区の繁華街。
時刻は勿論、夜。月は雲に隠れつつあり、つい最近設置されたガス灯が、どうにか辺りをヒトの領域に押し留めている。
健気な抵抗、と言わざるを得ないだろう。
何せこの地区より東――帝都夕京の半分は既にヒトの領域ではない。
月の裏側、真夏の夜の幻、一時の影法師。
彼岸の住人たる霊魔、彼らの放つ瘴気のせいで、一般人はおろか瘴気に耐性のある花守でさえ、休息もなく活動することは出来ない。
最早帝都は、人間だけの街ではない。
ヒトが創った街だとしても。
そこに箸を付けるのは、ヒトではないかもしれないのだ。
『……本当に、気が滅入る。ヒトの世界を思うのなら居て欲しくはありませんが、我々の今後を思うのなら、出来ることなら大物を期待してしまいますね』
「まあ――そうですね」
戸上の、祐一郎様の御家は最早、断絶も目前である。
戸籍上は想苗が残っているから、想苗が家督を継ぎ、改めて婿を取り、子を為せば良い。そうすれば、戸上家は続くことになる。
だが――祐一郎様の血筋は、ここで途絶えることになる。
歴史的にも、別に珍しいことではない。
血筋なんてものはふとしたことで良く途絶えるし、あやふやな隠し子で繋ぐことも多い。
要は、結果だ。
跡目を継いだ子が何を為すかで、その血筋はあとから如何様にでも補強できる。
「戸上家の事を思えば――私は名誉を追い求めなくてはならぬでしょう」
『後は、後妻ならぬ婿殿か』
【金宝】の声に、揶揄するような調子が混じる。『良い家柄の次男坊辺りを狙いたいところでしょうね、当主代理殿?』
「……まあ、良縁有らば、ということで」
狙うのは良いが、難しいだろう。
先の大災害の影響で、家督を継げる長男はその多くが死亡してしまった。そのため次男、下手をすれば三男以下にまで、家督相続の重荷は繰り下がっているのが現状だ。
そんな災害の後で、第何位の継承権にしろ、男児を婿に出したいと思う良家が有り得るわけもない。
「私ももう二十四。子を授かることを期待するよりは、才能ある子を養子縁組、というのが妥当なところでしょう」
そもそも、二年もの間子を授からなかった我が身体だ。今更――新たな男児など。
――最早、捧げる髪もありませんしね。
「そして養子縁組とて順番待ちなのがこの時代。となると、割り込めるだけの名声はやはり必須です」
『怪物よ来たれ。民よ苦しみたまえ、というわけですな』
「また舶来物の書物ですか? 随分と気に入ったのですね、ど、ど……」
『ドルナツ。レウム・R・ドルナツです。長らく生きてはいますが、えぇ、異なる言語というのは興味深い』
「それは良かった」
何にせよ、興味を持つのは良いことだ。
想苗は自嘲気味に思った――あの事件以来、己の心からは興味が消え失せてしまったようだ。
あるのはただ、漠然とした切迫感だけ。
すべきことがある、という感覚だけが存在している。それが何なのか、いつ、どこで、誰にするべきことなのか、肝心なことが一切解らないままに、ただ在るだけの脅迫。
それに突き動かされて、想苗はとかく霊魔を斬っている。
斬るための、努力もしている。
努力の末の、成果も欲している。
だが。それだけだ。
――何も、ない。
どちらにするか、決めろ。
指南役代理の花守の言葉が、今更のように心の奥を貫いている。嗚呼、歴戦の花守殿。私には――どちらもないのです。
『……願ったり叶ったり、のようですぞ、想苗殿』
声に、想苗は意識を引き締める。
「霊魔ですか?」
『瘴気は感じる。そう遠くはない――我々からも、そして往来からも、な』
「然らば、放置はできませんね」
『……しかし……』
「? 何です、【金宝】。もしかして、余程の濃度ですか?」
『…………いや、そういうわけではありません。失礼、想苗殿の力量ならば、危険でもないでしょう』
お気になさらず、そう言って、【金宝】は口を閉ざした。
想苗は首を傾げつつも、しかし放置もできないのは確かだと、駆け出した。
……彼女の刀は、こう言いたかったのだ――霊魔だけの気配ではない、と。
音にならぬ意を酌む余裕が、想苗の脳裏にある筈もなく。
彼女は直ぐに、その場所へと辿り着いた――行っては、ならぬところに。
「…………これ、は…………?」
呆然と、想苗殿は立ち竦んでいる。
無理もないと、【金宝】はため息を吐いた――比喩的な表現だ、この世の何よりも冷たい我の体では、そんな温かみのある雑音は生み出せない。
だから、【金宝】に出来ることは身構えることだけ。
我を何時でも抜くが良い――仮初めの主人よ。
それだけの事態が、眼前には広がっている。
昼間は賑やかだった桜路町区、目抜通りから一歩裏路地に踏み込めば、その夜の姿は正しく異形だった。
夜の霧にも見える微かな灰色は、実のところ資格のある者にしか視えない代物だ。
即ち――瘴気。
それは、幽世の住人にとっての大気に準ずるものかもしれない。霊魔は瘴気の中に発生するし、瘴気を放つ。そしてそれは、少なくともヒトにとっては酷く有害だ。
「……アァァァア……」
「っ、霊魔……?」
『……どうでしょうね、複雑な問題ですが』
我が主人ならば、直ちに斬る。
そういう意味では、そいつは霊魔だろう。【金宝】の認識としては、それに尽きる。
主人が我ならば――恐らく斬れない。
そういう意味で言えば。そいつは、霊魔ではなかった。
「オオオォアァァァァアアア……!」
『想苗殿!!』
【金宝】の警告は、幸いにも順調に作用した――この反応が飯炊きの時にも通じれば、想苗殿の人生はもっと順調に行くだろうに。
だがまあ、どれ程障害溢れる人生であろうとも。ほんの一時でも主人と呼んだ相手の人生を、こんなところで終わらせるわけにはいかないのだ。
「くっ……」
大きく飛び退いた想苗殿の眼前に、そいつの腕が振り下ろされる。
続けて振るわれる腕を、想苗殿は大幅な動作で回避する。そこだけ聞けば素人のようだが、実際正解だと【金宝】も思う。
ただの腕ではない。
その細い先には――黒い刃物が握られているのだから。
長さは、脇差し程度の物。
切れ味も、本来刻まれている銘も解らない――夜の衣を纏った刃は、見る者に一切の情報を与えるつもりはないようだ。
真っ当な武器ではない。
刀霊としての感覚が、瘴気の気配を伝えてくる。刃全体を覆う黒は錆ではない、そんな静かな時間の流れが作り出したものではけしてなかった。
あれは、瘴気だ。
『解っているとは、思いますが』
【金宝】は上奏する。『かするだけでも、ろくな目には会いませんよ』
「出来れば、私の解ってない情報をお願いしたいのですけれどね!」
霊魔の腕は、伸びる。
それは先日の戦いで理解したことだ――この世界とは違う法則の下で生きる彼らだから、我らの常識とは全く外れた動きをする。となると、避けるにもより大きく動かなくてはならないのだ。
自然、体力も削られる。
「はあ、はあ、くぅ……」
『回避ばかりではじり貧です、想苗殿。早く抜刀を!!』
「それは……でも……っ!」
しゃがんだ頭上を、瘴気の刃が薙いでいく。続いて、力任せの振り下ろし。
転がるようにして避ける、が、我が身が邪魔だ。
『想苗殿、お早く!!』
「…………」
『何を迷うのですか、想苗殿!! あれは』
「あれはどう見ても、人間です!」
…………そうだ。
刃から、瘴気は感じられる。暗く澱んだ、数十年は放置された井戸の底のような、名残の煮凝りのような、深い瘴気を。
だが、それだけ。
刃を持つ右腕は同じく漆黒の闇に覆われているし、肩から胴、顔面の右半分も同様だ。
だが、それだけ。
残る部分は、屈強な男性の肉体そのままなのだ。
右腕は関節も無いみたいにねじくれ、不自然な軌道で刃を振るう。
憎しみと怒りに真っ赤に燃える右目が、想苗殿を呪い殺そうと睨み付ける。
派手な柄の着流しが、残響のように左半身を覆っている。
呆けたように大きく見開かれた左目から、滝のように涙が溢れている。
ヒトか、霊魔か。
複雑な、問題だ。
『……想苗殿、我を早く……』
「…………」
『……想苗!』
我は斬れる、あれは敵だ。だが、想苗殿では多分そうはできない。
――このままでは……。
そんな、その場の誰かではどうしようもない事態に。
解決策は、外からやって来た。
「これは、いったい?」
「っ?!」
声に、振り返る。
そこに立っていたのは、見覚えのある身綺麗な青年だった。
想苗殿は振り返り、【金宝】は彼を意識し、そして――そいつは見た。
漆黒の刃が、深紅の瞳が。
……霊魔が、彼を見た。
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