2.IDLING FOR LOVE

2.IDLING FOR LOVE

 まなこはぐしゃぐしゃに泣いていた。

 これから私にされることを予感しているのだろう。それが楽しいことでないのは、彼女の身体がコンクリートの冷たい台の上に拘束され、その顔の前にナイフがかざされていることが教えてくれている。

 身体の端々に刃先が当たるたびにまなこは泣き叫んで、それが、当たり前だけれどいつも聴いているその声と同じなので、私は分かっていても我慢ができなくなってしまう。自分の聴覚をサイレントモードに切り替え、ナイフをまなこの薄い胸へと滑らせた。

 赤いミニドレスの胸元が縦に裂け、刃先はその間をもぐり込んで彼女の身体に血のにじむ線を作っていく。肋骨の間を深く刺すとまなこは大きく身体をのけぞらせた。いい気味だ。鯉のようにぱくぱくと大きく開くまなこの涎まみれの口にナイフを差し込み、何度も何度もFUCKするみたいに出し入れする。まなこが咳き込むたび、粘性を持った赤い液体が噴出した。舌の切れ端とどろどろの体液にまみれたナイフを引き抜いて、彼女の青白い喉元に突き刺す。その一撃でまなこは絶命した。

 千塚さん、あなたが好意を抱いている女の子がいるということを知ったせいで、私はついついこんな想像をしてしまいます。その相手がたとえ、自分とは何の面識もなく、あなた自身も知り合うことができない相手だったとしても。


 運命を仕掛けると言ったあおいちゃんが最初にやったことは、あらゆるSNSを調べて千塚さんの登録の有無を確認することだった。私が彼のスマホから入手したプロフィールには、電話番号といくつかのメールアドレスが入っていた。それを元にあおいちゃんが「Linx」というSNSでかけた検索で千塚さんのアカウントはあっさりと見つかった。

 Linxは一時期、社会現象と言われるほど流行ったSNSだったが、今では登録されているだけでまったく使われていない「死んだアカウント」も多く、以前のような活気はなくなっている。私からすれば、そこにログインするのは半ば朽ちかけた黴くさい蔵に足を踏み入れるような感覚だったけれど、一部の人の間ではいまだに情報交換の場として使われていることもあるらしい。千塚さんのアカウントは「生きていた」。彼がLinxへ最後にログインしたのは一時間前で、最終の更新は二日前だ。

 目玉をあおいちゃんのスマホにくっつけるようにして千塚さんのプロフィール画面をのぞき込む。千塚さんのアイコンには何かのロゴマークのようなものが設定されていた。カラフルな色が踊るデザインは、さっき見た彼の雰囲気にはあまりマッチしていないように思えるが、その意外性のあるチョイスにも、新鮮な楽しさを覚える。

 たったの数分前には無機質な英数字の羅列のみだった彼の情報が、今ここに視覚に訴えるかたちとなって現れ、多分な意味とイマジネーションを含んだ言語となって広がっている。早く千塚さんのことを色々知りたいという期待と、なんだか知るのが怖いような緊張とが入り混じる中、彼のプロフィールを味わうように目で追った。

「三十四歳なんですね」

 千塚さんの生年月日を目にしたあおいちゃんが素早く計算して私の耳元でつぶやく。

「嘘! もっと若く見えるよ。あの見た目で三十代なんて詐欺だよ」

「最近は若く見える人も多いですしね。りんちゃんと十一個違いですか。まあ、SNS上での記載なので生年月日を偽っている可能性もありますけど、あとでゆっくり検証していきましょう」

「うん。でも何歳だって私は千塚さんが好きだから関係ないけどね。あ、ねえ、千塚さんて血液型はB型みたい」

「ふーん、自己中心的でエキセントリックなB型ですか」

「ちょっと、自立心旺盛で大物タイプのB型でしょ?」

 千塚さんの情報が入ってくるたびに自分の脳細胞が喜びに震えるのが分かるようだった。砂糖のたっぷり入ったお菓子を食べたときみたいに、体中に甘い気持ちが広がっていく。もっと、もっとと、お菓子に伸びる手は止まらない。しかし、ページを読み進めるうちにだんだん、私はそこに書いてあることにどう反応をしていいのかが分からなくなってきていた。千塚さんのプロフィールは下方の欄の「趣味・好きな休日の過ごし方・好きな言葉」など私が欲しい情報すべてが、初めて目にする同一の単語で埋められていた。

「なに、この『ゆめいろファクトリー』って」

「……調べましょう」

 ふたりでのぞいていたスマホを手に取るとあおいちゃんは早速その単語を検索にかけたようだった。表示された結果を追うあおいちゃんの大きくて丸い目がほんの数秒の間に針金のように細くなる。

「あ、りんちゃんどうしよう。この千塚さんていう人、キモいかも」

「ちょっと、失礼なこと言わないでよ。私の千塚さんに気持ち悪いところなんてあるわけないでしょ!」

 あおいちゃんからひったくったスマホの画面には、カラフルな衣装に身を包んだ少女たちの画像が表示されていた。検索結果によれば、「ゆめいろファクトリー」とはアイドルグループの名前で、五人のメンバーたちは現在全員が中学生であるらしかった。

「ロリコンのアイドルオタクでしたか」

「別に、誰だってアイドルを好きになったりすることはあるじゃない」

「普通は大の大人が自分の自己紹介ページを中学生のアイドルグループの名前で埋めたりはしないでしょう」

「まあ、そりゃそうかもしれないけどさ。冗談でやってるだけかもしれないじゃん」

「だといいですね」

「……。ねえ、Linxって確か日記も投稿できたよね。千塚さん何か書いてるかな」

「さあ。ゆめいろファクトリーのことでも書いてるんじゃないですか」

 あおいちゃんは針金の目つきのまま手元だけを素早く動かして、私のスマホに千塚さんの日記のページのURLを送った。


 3月30日 23:35:46

 うわああー!

 ゆめいろのライブ行って来ました!

 最高だったああああ!まなこおおおおおお!

 本当にゆめいろからは元気をもらいます!

 物販でまなこのTシャツが買えなかったのだけがマジで心残りですが、今度のライブでリベンジしてきます!

 とりあえず今日は余韻に浸りながらゆめいろの曲聴いて寝ます!


 最新の日記を読み終えると、自然とため息が漏れた。あおいちゃんも自分のスマホで同じ画面を見ているようだった。私に伝えるわけではないのだろうけれど、その口元からは千塚さんに対する否定的な言葉が漏れていた。


 1月26日 21:17:45

 今日のまなこのブログに載ってたゆめいろの変顔がツボです。

 アイドルであそこまで出来るってすごいよね。可愛いけど!

 まなことねねとりんの仲の良さには毎回癒されます。まなこってなんであんなに可愛いんでしょうねえ。


 10月22日 22:59:00

 限定版のDVDのポスター、ねねとりんのバージョンがかぶってしまったのでねねとりんのファンで欲しい方いたら教えてください。

 ちなみにまなこバージョンは今三枚うちにあります。もったいなくてまだ貼ってないけど。

 ところで皆さんは壁に貼ったポスターの劣化ってどうやって防ぎますか?


 彼の更新頻度は週に一度程度だったが、日記はどこまで遡ってもゆめいろファクトリーの話題一色だった。

「やっぱりロリコンのアイドルオタクじゃないですか」

 今度はしっかりと私の目を見据え、あおいちゃんは言った。その眼差しは有刺鉄線だ。

「ロリコンがそんなに嫌い?」

「気持ち悪いです。犯罪者予備軍じゃないですか」

「は? 言い過ぎじゃない? 実際に手を出さない限り単なる性癖じゃん。てか、アイドル好きだからロリコンだって決めつけるのも短絡的じゃない? そんな風に言うのって偏見だと思うよ。そんなことより、『まなこ』ってどの子?」

 千塚さんがゆめいろファクトリーのことを語る中でも登場頻度の高いその名前が私は気に掛かっていた。あの書き方を見る限り、どう考えてもその子が彼の「推し」なんだろう。

「この真ん中の子みたいですね。江藤真奈子ちゃん。ニックネームが、まなこ。この春、中三になるみたいですよ」

 あおいちゃんが画像の中央に映る赤いミニドレスを来た少女を指差す。彼女はそのまま、画面に記載されているプロフィールを読み上げていく。

「誕生日は五月三日」

「ゴミの日じゃん」

「血液型は自立心旺盛で大物タイプのB型です」

「はあ、自己中心的でエキセントリックなB型ね。絶対性格悪いよコイツ」

「身長148センチ」

「そのわりには顔でかく見えるね」

「特技は変顔と一発ギャグですって」

「あー、なるほど。自分の容姿が平均より上だからって反感買わないようにわざとそういう少しはずしたこと言ってくる感じね。あざといクソガキだわ、こりゃ」

 エスプレッソのように苦い感情が胸に広がる。こども相手に低レベルな憎まれ口を叩くことを恥ずかしいと思う気持ちはあるものの、デミタスカップよりも器の小さい私は直情的になってしまう自分を抑えることができない。

「まあ、まなこのことはひとまず置いて、落ち着きましょう。幸いなことに千塚さんの日記はLinxにアカウントがある人なら誰でも読める設定になっていますし、彼が入っているコミュニティやSNS内の交友関係を探っていけば千塚さんの情報は色々と読み取れるはずです」

 たとえば……とあおいちゃんはつぶやくと、千塚さんの「友人」が一覧できるページを開いて表示されたアカウントの一つを示した。

「このマスオさんという方、彼は千塚さんとの関係性を、中学からのつながりと書いています。千塚さんと同級生だというこの方は、東第一中学校卒業生のコミュニティに入っているんです」

「ってことは、千塚さんもそこの卒業生ってことだよね?」

「おそらく。東京出身で今もこっちに住んでいるなら実家暮らしの可能性もありますから、その場合は住所もすぐに特定できそうですね」

 あおいちゃんはLinx内のページをさくさくと切り替えながら、そこかしこに散らばっている千塚さんの情報のかけらをひとつ、またひとつと私に渡してくれる。その速度と洞察力は昔とまったく変わっていないようだった。

「さすが、だね」

「祐一のパトロールで鍛えてますから」

 あおいちゃんは顔色ひとつ変えずクールに答えた。

 

 私が働いていた目黒の小さな雑貨屋に「かつひろ」がやってきたのは二年前の夏だ。インターネットを通じてずいぶん親密に交流してきた相手だったけれど、実際に顔を合わせることになったのは、そのときがはじめてだった。

 当時私がやっていたSNSを彼にフォローされたのが出会いのきっかけ。そのアカウントでは顔出しもしていなかったし、恋愛の愚痴ばかりを書き込んでいたから、知らない男が何かアクションをしてくるのは珍しかった。警戒心と興味から相手のプロフィールをのぞきにいった。そろそろ生活習慣病が気になり始める三十六歳のシステムエンジニア、という自己紹介。アイコンはその原因をつくっていそうなデカ盛りラーメン。積極的に仲を深めていきたいとは思えない相手だった。


 何の興味も湧かない男、深く関わることはない他人、早死にしそうなメタボおっさん、ファーストインプレッションでそう片付けたはずのかつひろと私の心が通じ合うまでに、そう時間は掛からなかった。

 ただし、私たちのつながりは恋愛関係ではなく、あくまで友人としての結びつきだ。私とかつひろは、恋愛の価値観がとても似ていた。

「りんちゃんは悪くないですよ!彼氏さんの行動が悪いんです。相手に意思があるのが悪いんです!」

「いつだって全身全霊の愛情で向き合ってくれなきゃ嫌ですよね!」

「彼氏さんの目に映る女が全員死にますように!」

 付き合っていた彼氏への不満や愚痴を投稿すると、必ずと言っていいほどつけられるかつひろからのコメントは、そのほとんどすべてが私を気持ち良くさせた。彼は私の理解者で、同志だった。彼にもまた恋人がいて、私と同じように相手に関する話題ばかりをSNSに投稿していた。


「だけど、どうせ彼女は僕のことが嫌いなんだ」

 恋人とのデートを楽しんだという報告のあとに、かつひろはたびたび後ろ向きでひねくれた文章を投稿する。彼女の笑顔を見ると、不安になると語る。自分が相手を思う気持ちが強すぎて、向こうは内心それを疎ましく感じているのではないか、と。

 恋人同士ではあってもお互いがずっと同じ気持ちでいることは難しいと世間では言われることもあるけれど、かつひろはそういう意見に耳を傾けるつもりはないようだった。自分が望む分だけ相手が愛情をくれないならば、それは裏切りだとすら考えていたように私には読み取れた。そうだとすれば、大いに共感を覚えるところだった。

 ふたりでひとつになれないなら意味がない。私たちはお互いに相手を選んだのに、天秤がどちらかに傾くだなんて許せない。こちらが欲しがる愛情を充分にくれない恋人なんてラーメンを出さないラーメン屋と一緒だ。赤地に白抜きの文字が書かれたいかにも食欲をそそる暖簾を出しておきながら客に水しか出さないラーメン屋があるとすれば、私はその店を理性を以て許すことが出来ない。恋を貫かない恋人なんてあり得ない。看板の偽りを許さない。ラーメンのスープみたいに愛を継ぎ足し継ぎ足し継ぎ足し続けて変わらない秘伝の味を保っていてほしい。

 いつしか私たちはお互いの投稿へのコメントでは飽き足らず、ダイレクトメッセージで毎日のようにやりとりをする仲になっていった。


 ある日、いつものようにおっさんとの恋バナに花を咲かせていると、かつひろから恋人の誕生日が近いという話が出た。その流れで、私は自分の働く店で彼女へのプレゼントを探してみてはどうかと提案した。かつひろが店にやってきたのは、その翌日だ。そこで私は、初めてあおいちゃんと対面する。彼女はややはにかんだような笑顔で「かつひろ」というSNS上で使っていた名前を私に告げた。

「ごめんなさい。性別も、年齢も嘘ついてて」

 私に頭を下げたのは、かすみ草のブーケのような女の子だった。小柄な彼女に潤んだ瞳で見つめられるとこちらが何か悪いことをしてしまったように感じ、彼女の嘘を追求する気持ちも阻まれる。しかし、同年代の女の子が中年のおっさんを騙り、私に会いに来るまで正体を明らかにしなかったのは不自然で、さらに言えば怖かった。警戒心から、むしろ私は努めて明るく彼女に接した。

「謝らないでください。おじさんだとばかり思っていたかつひろさんがこんなに可愛い女の子だったなんて、かえって嬉しいくらいですよ」

「そう言ってもらえると、救われます」

 微笑みの表情をつくった私につられるように、彼女も少し顔をほころばせる。狭い店内に二人きりだった。相手は私に気を遣ってか、ペアグラスを購入してくれていた。モロッコ風のモチーフが描かれたグラスを梱包しながら、私はレジに立って彼女と向かい合うかたちで話をしていた。ちょうど夕立が来たところで、この店が面している小さな通りには人の姿も見えない。誰もこの接客から私を助けてくれそうにはなかった。

「でも、りんちゃんに話してたこと自体は、本当ではあるんです……」

「彼女さんのことですか?」

「はい。性別は逆に置き換えて書いてますけど。つまり彼女って書いていたのは、彼氏のことで」

 雨音は強くなっていた。強い風が店のドアにぶつかってくる。私はすぐに商品の梱包が完成しないようにグラスを包む紙を指先でくしゃくしゃと丸めたり、セロテープを貼り直したりを繰り返していた。グラスじゃなくて傘を買ってくれていたら、会計の作業もすぐに終わらせて笑顔をキープしたまま彼女を送り出せるのに。

「りんちゃん、篠田祐一って、覚えてます?」

「……」

「今、私が付き合ってる彼氏なんですけど」


 その名前を聞いたのは久しぶりだった。また、そのときまでもう耳にする機会はないとも思っていた。あおいちゃんの現在の恋人だという祐一くんと私は、ふたりが付き合う以前に何度かデートをしたことがある。

 私は当時付き合っていた彼氏とうまくいかない時期で、気分転換になんとなく飲み会で知り合った祐一くんに誘われるまま食事に行ったりどこかに遊びに行ったりしていた。ただ、彼との仲はとくに発展せず、連絡を取り合うことも自然となくなっていた。

「祐一って自分の恋愛遍歴をぜんぶ私に喋るんですよ。元カノ、片想いの相手、過去にデートした子まで。その中に、りんちゃんの話もありました。なんか、好きだったみたいですよ」

 そう前置きしてあおいちゃんは、祐一くんの話から個人を特定できそうなキーワードを抽出し、私を探し出した経緯を語った。

 私にはこれまで、恋愛のトラブルが原因で見ず知らずの女の子に同じようなことをされた経験があった。SNSで一方的に私のことを探るようなメッセージを送ってこられたり、嫌がらせをされたりしたこともある。だけど、実際に私のところまで会いに来た女の子はあおいちゃんが初めてだった。

「全員見つけ出したなんて、すごいね」

「まあ皆さん、セキュリティが甘いので。りんちゃんだって、本名をひらがな表記にしただけでしょ。宮下鈴みやした りんさん、この店が紹介されてたネット記事にも名前出してましたよね。ここで働いていたこともずっと知ってましたよ」

「……みんなに会いに行ってるの?」

「りんちゃんが初めてです。たぶん、他の人には会いには行かないですね」

 私がその理由を尋ねる前に彼女は言葉を続けた。それは、自分の気持ちを確かめるためでもあったのかもしれない。得意料理のレシピを説明するようなさっきまでの口調とは違い、少したどたどしい様子だった。

「やりとりしてたのは、りんちゃんだけですし。あとの人は、ネットから観察してただけで。……祐一がどんな女と関わっていたのか気になって、みんな特定したけど……そのあとのことは、とくに考えてなかったんです」

 沈黙の中に雨の音が入ってくる。風は止んで、しとしととした小雨に変わっていた。彼女と話している間に夕立は過ぎようとしていた。

「ごめんなさい、こんなことして」

 目を伏せて彼女が言う。もうすぐ、何事もなかったように雲も晴れるだろう。こうして話が一段落して、雨が止んだら、彼女は梱包の終わったグラスを持ってここから出ていくのだろうけれど、「そのあとのこと」はどんな風に考えているんだろうか。

「平気です。気持ちは分かりますから。あと、祐一君とは、なんていうか、肉体関係とかはなかったからそこは安心して欲しいというか」

「知ってますよ。祐一ってそういうところも素直に話すし、嘘つけないから。てか、ヤッてないって分かってるから会いに来られたっていうのもあります。そういうことしてた女だったら出会い頭に殺してます」

 彼女の大きな目が見開かれる。笑顔に似た勝ち気な表情をつくったあおいちゃんに、今度は別の場所でゆっくり会いましょうと切り出したのは、私のほうだった。私は彼女が考えてもいなかった「そのあとのこと」を知りたいと思っていた。


 「千塚さんを攻略するには、やっぱりゆめいろファクトリーがキーになりますよね」

 友人一覧のページをスクロールしながらあおいちゃんがつぶやく。

「千塚さんの友人たちのアイコンを見ると、このグループに関する画像を使用している人が非常に多いんですよ。彼自身もそうですし」

 千塚さんのアイコンがゆめいろファクトリーのロゴマークであったことは公式ページを開いた際に判明していた。友人一覧に並ぶ画像も、メンバーの顔写真やCDのジャケットだと思われるアイコンで埋め尽くされている。

「友人数の多さから考えて、彼は同じファン同士だったらすぐにつながってもいいって思うタイプなんじゃないかな」

 あおいちゃんは喋りながら自分自身の言葉に頷いている。

「りんちゃん、千塚さんと近づくために彼女たちのファンのフリをしてLinxに登録しましょうか」

「は? 私にあの子たちのファンになれっていうの?」

「千塚さんと仲良くなるためにファンを装うだけです。まあ、多少は彼女たちのことを勉強する必要も出てくるでしょうけど。もしかしたら知っていくうちに好きになれるかもしれませんしね」

「あおいちゃん、自分の好きな人が興味を持ってる他の女の存在、許せる?」

「ごめんなさい。ひどいことを言ってしまいました。……まあでも、行きたい大学に合格するために受験勉強するようなもんだと思えばいいんじゃないですかね。どうでもいいプライドにとらわれてないで、とっとと千塚さんを手に入れましょう。彼が欲しいって言ったのは、りんちゃんでしょ。いいじゃないですか、やり方になんかこだわらなくたって。心にもないことを言ったって。すべての道は千塚に通ず、ですよ!」

 あおいちゃんが指し示した以外の道がまだ見つからないなら、今はそこを進んで行くしかないのだろう。この道が千塚さんに通じているという希望だけを抱いて、私はその場でLinxの新しいアカウントを取得した。


 偽装アカウント講師のあおいちゃんの説明によれば、千塚さんとつながるためには相手から警戒されないような下地づくりが大切らしい。Linxにある「コミュニティ」機能で自分の属性や嗜好をきちんとアピールし、千塚さんに友人申請を行う前にゆめいろファクトリーファンの友人を数十人単位で集め、適度に交流をしておくべきだと彼女は言う。

「応援するメンバーがかぶるのは、意気投合するか敬遠されるか賭けになるので、千塚さんお気に入りのまなこ以外の女の子を推している設定にするのがいいと思います。さあ、誰にしますか?」

 私の水先案内人が示したゆめいろファクトリーの集合写真から、黄色い衣装を来たショートカットの女の子を指差す。

「ねねとりん、ですね。大人しそうで性格良さそうな子じゃないですか。ねねとりん、変なあだ名ですけど」

「コイツが一番マシ。千塚さんにポスター要らないって言われてたから」

「うんうん。では、りんちゃんのアイコンはねねとりんの画像に設定しましょう。ちなみに、千塚さんと友人になったとしても、すぐにお誘いのメッセージを送るのは避けましょうね。まずは日記にコメントをして様子を見ること。距離感をはかりながら、とっかかりができるのを待つのが肝心です」

 サバンナで狩りをする動物たちの特番を見ていたときに、同じようなナレーションを聞いたことがあった。


 ゆめいろファクトリーは、明るくて元気なリーダー「まなこ」こと何も考えていなさそうなお調子者の江藤真奈子、ちょっぴり天然ボケの「まぽ」ことあざとくて性格の悪そうな井上麻保、最年少のピュアガール「ねねとりん」こと低年齢である以外にとくに特徴のない橋野寧々、ダンスがうまい「ゆきうー」こと機敏なチビの谷中由布紀、みんなの盛り上げ役「あやちゅん」こと一番年上で声のでかい大友綾という五人のクソガキどもで構成されている。

 名前を覚えるだけでも苦々しい。私は歯を食いしばりながらゆめいろファクトリーの知りたくもない情報を検索し、聴きたくもない音楽を再生し続けた。動画共有サイトでは、ライブで披露されたまなこの特技だという一発ギャグも見た。シンバルを叩く猿のおもちゃのように反応するファンの中に私も放り込まれたなら、バベルの塔が崩壊した直後のディスコミュニケーション状態を覚えるだろう。

 私は、ときにまなこを惨殺する妄想でストレスを発散させながら、ゆめいろファクトリーの情報を必死で脳みそにインプットし続けた。


 何度も推敲を重ねて書き上げた友人申請のメッセージを千塚さんに送ったのは、Linxのアカウントを取得してから五日後だった。返信はその夜のうちに来た。

「かつひろさん、友人申請ありがとうございます。ゆめいろファクトリーのファンなら大歓迎ですよー。よろしくお願いします」

 彼からの短い文面を確認してすぐ、あおいちゃんに連絡を取る。

「千塚さんが友人申請受理してくれた。ヤバい、付き合えるかもしれないコレ!」

「良かったね、りんちゃん。Linxで彼と自然に交流していけば、ライブ会場で合う口実とかできるかもしれないですもんね」

「うん。私、千塚さんと結婚するね」

「はい。応援しています」

 こんなに簡単に千塚さんと連絡が取れるとは思っていなかった。メッセージを送る前は不安でいっぱいで、送ってからは返信がもらえないのではないかとさらに心配で仕方のなかった私は、あまりのあっけなさに拍子抜けさえしていた。

 私の脳裏には、すでに千塚さんとの明るい未来が広がっていた。そう遠くない未来に私はきっと彼と再び出会い、恋に落ちるはずだと信じていた。もう一度巡り合うチャンスがやってきているこのスムーズな流れが、私と千塚さんとの間に確かな縁があることを感じさせてくれるようだった。何もかもがうまくいきそうだった。いや、うまくいく。運命の恋をするための準備はきっと整った。

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