第5話 黒い頭

5 黒い頭




 ――変な夢を見た。


 ―――変な空の色だった。


 ――――変な街角に立っていた。


 長い影が立っていた。


 ぐるぐる笑う。宙に浮かぶ黒い球体。


 球体の表面に浮かぶ幾何学的とも有機的ともいえる赤い筋の数々。脈打つように鼓動のように明るく暗く明滅を繰り返す。


 モヨコは変な街角に立っていた。地面から伸びるビルの数々がまるで古い森の木々のように枝分かれして曲がりくねって斜めに傾いて切り絵の風景のようだ。


 夕暮れのようなセロファンのような毒々しさと郷愁が混じった赤い空。


 街は無音で耳が痛くなってしまうほどだ。車もない。人もいない。


 浮かんでいるのは真っ黒く、表面にいくつも赤線を浮かばせた球体。それはどんどんと地面に落ちてきている。ゆっくりしたスピードだが確実に。


 それは徐々に視界を埋めていくのにまるでスクリーン越しのような遠のいた感情でモヨコは見上げ続けていた。




 眩しい。


 と思ったときはもう朝だった。初期設定からいじっていないメール受信音。金属質な音が寝起きの頭にキンキンと響く。


 枕元のそれに手を伸ばすと受信件数が15件とかいってしまっていてそのどれもが絢香からだった。


 モヨコは半分閉じかけたまぶたでベッドから上半身だけ起こすと長い黒髪を指で無造作に梳きながら携帯電話を操作する。


 『おはよう』から始まったそれは『今日は何時に来るの?』『メール返せ!』『いい加減起きろ!』『モヨコさぁん;;』『あんたなんて最低!』『い、今のは本気じゃないから怒ったらダメだよ』『起きたら返信ください』『一人は辛い…』『怒ったなら謝ります』なんてメールのタイトルだけでほぼ内容と心情が察することができてしまうのだった。


 全部見るのもめんどくさくそのまま電話帳から絢香の番号を呼び出すと耳元に当てる。電話の呼び出しが通常音じゃなくていわゆる待ち歌、で聴きたくもない謎のアイドルアニメソングを鳴らされる。


「もしー」


 なんてモヨコの呼びかけが終わる前に。


「ちょっとモヨコおそいじゃないのーっ!!」


 思わず電話を耳元から話す。まさに右耳から左耳に声が突き抜けていったみたいだ。


「寝起きからうるさいわ…じゃわたし二度寝するから寝るね」


 ガチャリ。ピピピピピピピ。すぐさま鳴り出す携帯。


「もしー」


「なんでいきなり切るのよ!!もうちょっと常識ってものがないの!?ねぇ?きいてるの!?」


「うん、きいてなかった」


 ガチャリ。ピピピピピピ。


「もしー」


「ちょ、ちょっとモヨコ…イジワルするのはやめてよね…なんかわたしした…?」


 受話器の向こうで絢香はすでに涙目状態だった。


「寝起きであんな大きい声聞かされる身になってよ…」


 なんてモヨコはちっとも悪びれたりはしない。


「だっていま何時と思ってるの?」


「んー?」


 未だに眠気が抜けきっていない頭のままでモヨコは壁の片隅にかかっている時計に目をやった。


「まだ七時半じゃない…どんだけ楽しみにしてるのよ…」


「う、うん…で、でも普通ほら、学校行く時間を逆算したら6時半には起きてるものじゃないの!?」


「わたしはそうじゃないの。全く…」


「だってわたしの方は命かかってたりするじゃん!そりゃ焦るよ!」


「…そうだったわね」


 これがそれこそ昔流行ったホラー映画『リング』のように死の1週間のカウントダウンであれば緊張感と焦燥感と持ちうるすべてをかけたストーリーが始まるのかもしれないが3ヶ月ぐらいという曖昧さでわりと当事者以外はフワフワした感じなのである。もちろんきいた当初はなんてことだ!とも思ったのだけど死ぬということを想像しがたい13歳にましてや3ヶ月なんてまるで終わらないとすら錯覚してしまう。


「とりあえずご飯も食べないといけないし…9時ぐらいにはそっちに着くようにするわ」


「絶対だからね!遅れたりしたら承知しないからなほんとうにもうゆるさないんだからっ!」


 許さないとどうなるのとか言ってみたかったけどさすがにそれは意地悪しすぎなのでわかったわ、と答えて電話を切る。


 今日の集まりはモヨコと絢香だけだ。絢香からはモヨコがいやだったらやめておくけど、と一言断りがあったけれどモヨコとしては構わず誘ってくれといった。そんな久子は一応誘ってみると今日は予定があるし二人とは別ルートで調べておくっていう返答だった。


 予定…つまり絢香の危機なんてその程度にしか受け止められていないのかもしれない。久子はモヨコと違って仲のいい友達なんてはいて捨てるほど、それこそ愛の歌ぐらいいるのだ。


 そもそも別ルートで調べるって言ったって幽霊は井ノ口邸にいるし、怪しげなノート、通称悪魔祈祷書も井ノ口邸、人知の及ばない謎の現象を見抜く目はモヨコ、いったい何をもってどの要素から久子は別のルートを調べるというのだろうか。いくら念押ししてみても久子にとっては暇つぶしの延長に過ぎないのかもしれない。


 多少のもやもやを抱えこんだまま階段を降りるとお父さんとお母さんはすでに仕事着に着替えていた。ラジオの声とテレビの音が交錯する、それが呉家の生活音である。お父さんの趣味というか唯一の生きがいはラジオでお父さんは家にいる限り必ずラジオをつけるしそんなお父さんに関係なくお母さんといえばテレビで朝の情報番組を見る。


 キッチンの水切り場に積まれた器を適当に手に取るとモヨコは軽く水ですすいでそのままガスコンロの上に乗ったままのお鍋から無造作に中身をすくう。昨日の肉じゃががまだ半分ほど入っていた。


 呉家の場合朝ごはんというと晩ご飯の温め直しである。


「おーモヨコ早いないつもと比べると」


「…友達に電話で起こされた」


「ああ、昨日言ってた子ね。ま、せっかくの友達なんだから遊んできなさいな」


「んーわかってるよー」


 と言って一緒に食卓に着くのだが朝に弱いモヨコは箸で2~3回つまんだら終わりなのである。


「アンタあいかわらず朝食べないねー」


「なんか胃に入んないから…」


「お母さんとは偉い違いだよな」


 なんて軽く毒はくお父さんは毎日外仕事のせいで肌の色は浅黒く体つきも引き締まっている。


「なにいってんの。食べないと身体持たないんだからわたしが食べるのは当たり前なの」


 と言い返すお母さんは恰幅のいい、まさにおばちゃんって感じなのだ。


「お母さん牛乳ー」


「それぐらい自分で取りなさいっていつも言ってるでしょ」


 なんて言いながらもちゃんとコップに注いでくれる。


 モヨコはそれをゆっくり飲み干すと立ち上がる。


「それじゃ出かける準備しようかしら…」


 食器をそのまま流しに突っ込むとモヨコは階段を上がる。無駄にぐるりと回っている階段は学校の階段と同じく古い木製なのでやはり踏むたびにぎし、ぎし、と軋む。


 すでに白がくすんだ壁にはいつかいたのかも忘れたようなクレヨンの落書きが未だにうっすら残っている。階段を上がってすぐのモヨコの部屋。


 ベッドと本棚とタンスに机。典型的な一人部屋なのだがそこにはモヨコ自身を表すような小道具は全くない。例えばカーペットであったりぬいぐるみであったりそういうものだ。机の上のペンスタンドに突っ込んである文房具をとってみてもシンプルで機能性だけが保持されている無個性。そこにはマスコットも遊び心も入り込む余地なんてない。ペンスタンドの隣には結局昨日開くことのなかった例のノートがまだ乗っているのだがモヨコはそれを横目でチラリと確認するとタンスの眼の前に立った。


 母親が使わなくなったという両開きのクローゼット。


 本来のモヨコは室内ではくたびれたワイシャツだったり学校指定のジャージであったりなんてまるでむとんちゃくな服装なのだが今日ばかりはそういうわけにもいかない。


 遊びに出かけるというと語弊があるがそれでも同世代の人間と出かける、となるとそれはとても久しぶりなのである。ちゃんとそれなりの身だしなみなんてものを、とクローゼットを開けたところでモヨコはうなだれた。膝から崩れ落ちた。悲しみの淵に佇んだ。


 ハンガーに掛けられている服はスカートにしてもシャツにしても野暮ったいものばかりだ。


 それはそうだ。お兄様以外に見せる服なんてどうでもいいやなんて思っていたのでモヨコ邸の目の前に住んでいる30過ぎたおばちゃんのすでに入らなくなった服(この辺りではまだまだ若くておしゃれに気を使ったことになっているのだ。田舎の高齢化をなめてはいけない)、をそのままお譲りしてもらってばっかりで自分で買うどころか親にさえかってもらったのはいつなのか思い出せない。


 それにモヨコもそれでも別に構わないや、と思っているフシがあった。どうせ誰かに見せるわけじゃないし…お兄さまのための服は別に確保しているしお兄様のための服なんてそんな姿、ほかの誰にも見せたくないし…


 しかし今回は違う。相手は絢香なのである。都会から引っ越してきた絢香なのである。


 ハイセンスハイファッションテレビの中のカルチャーにまみれた流行最先端の塊なのである。その前にこんな服を着ていくというとなんか蔑まれたりするんじゃなかろうかなんて思うと。勝たなきゃいけないわけじゃない。けどそれでもそれなりの…むむむ。


 ハンガーを次々に手に取り上下に並べてはアレは違うこれは違う。これとこれは。なんて迷った所で。センスとは?オシャレとは?差し色コーディネイトグラデーションシルエットスタイルの意味がゲシュタルト崩壊を起こしてなんかどれとどれを組み合わせた所で結局田舎の野暮ったい服装になるのだ、としか思えなくなってくる。どう転んでも絶望、敗北、バッドエンド。絢香の隣に並んで劣等感を味わうことを避けられない。のか?


「うー…なんでこんなことに頭悩ませなくちゃいけないのよ…そもそも相手は井ノ口さんよ井ノ口さん。そんなによく見せようとして一体何を考えてるのかしら…」


 といいつつもやはり適当に選んだ服を着ていくのは抵抗があるのでうんうん頭をひねっていた所で再度絢香から催促の電話がなる。結局チェックのスカートに日焼けしたくないので長袖の白いブラウスという無難な服装に落ち着くのである。


 家を出る頃にはすっかり日差しが眩しい。夏が近づいているというのは辺りの木が緑の葉っぱをこれでもかと生やしていることで充分に気づいていたのだけれども。


 でもまぁまだただいるだけで汗をかく、というほどでもなくモヨコは若干太陽に目を細めると井ノ口邸に向かって歩き出した。とりあえず荷物としては事件のいろいろをまとめて記入するためのノート。学校でも使っている布のペンケース。それを白いトートバッグに押し込む。


 とりあえず今日までの出来事も一度まとめて書き留めておいたほうがいいかもしれないな、と思いながら。


 歩きながらモヨコはとりあえずこれまでの事件のキーワードをいくつか並べてみる。少しは考えがまとまるかもしれない。


 幽霊。凶器は豆腐の可能性。完全密室。謎のノート。不可解な人物。黒い靄。


 ざっと思い浮かぶのはそれぐらいなのだが後半になるとそれはモヨコにしかわからない事実でまるでこれが呉モヨコにうってつけの事件、あるいは呉モヨコのためにお膳立てされているかのように思えてきてしまう。


「そんなわけないよね…」


 多少変なモノが見えようとモヨコは平々凡々なお兄様に愛されたい女子中学生のつもりであるし、ましてや家族にしたってただの農家である。


 いわれもないし何かを代々受け継いでいるということもない。逆らえない運命として世界の危機に立ち向かう、あるいは誰かを救う、そんな大それた使命なんて与えられておりはしないのだ。モヨコのこの能力はまったくもって何かの間違いでたまたま与えられたにすぎないしそこに意味はないのだ。


 考え事をしているといつの間にか井ノ口邸の前に来ていた。もともと歩いて10分もかからないのだし。井ノ口邸は典型的な日本家屋。屋根瓦が強い日差しを浴びて黒く光る。砂利が敷き詰められた庭には今までと違い、シルバーの乗用車が停められている。


 あーなるほど、普通に企業なんかにお勤めをしていると土曜や日曜日は休みになっていることが多いのだ。とモヨコは一人うなづいた。


 というのも農業というのは土日も関係ないし事実今日だって両親は畑に出ている。ただその分平日も関係なく気乗りしなければ昼の2時や3時でもう仕事を切り上げる日もあるし、シーズン外や雨の日だったりすればもう朝から家にいることだってある。


 今日はこの家に絢香の両親がいるのである、という事実を頭で理解すると庭の前で思わずモヨコは足をとめた。あまりにも一人でいる時間が長すぎたせいで実のところちょっとした対人恐怖症に近いものがある。


 モヨコだって一応、ガラガラーと扉を開けて「○◯ちゃーん、あーそーぼーっ」なんてことは気味悪がられる前の小学生の時は平気でやれていたのだが今はちょっとためらう。というよりも足がすくむ。


 もちろんそれをやったところで死んだり評判落ちたり断られたりするわけではない。むしろやって当然のことなのである。けれどそんなのは理屈じゃない。なんか生理的にそれをやるのがキツイとしかいいようがない。


 だからモヨコは一度入った庭からそっと出るとケータイを取り出して絢香にメールを打つ。


『家の前まで来てるんだけど出てきてよ』


 すぐに返信は来る。


『そのまま入ってきていいから』


 それは困る。素早く打ち返す。


『いいからはやく』


『もーわかったー今降りる』


 その文面を確認してモヨコはホッと胸をなでおろした。


 ここにいるととりあえず不審者なので庭から出ると石塀に何もいないのを確認する。というのもこのあたりは夏になると赤い頭の黒い毛虫、通称とはかむしが大量発生するのだ。それを踏まないようにするのは夏の一大使命となっている。できれば近寄りたくもない。


 全く手入れされていない柿の木が塀を乗り越えていてちょうど日陰になっている。


 でもほぼ間違いなく今日は絢香の親がいるんだよなぁ…どういう風に…なんて色々と脳内シミュレーションを繰り返すモヨコ。そんなとき。


「もーよーこーちゃーん!!」


 耳元ゼロ距離で声。にゅっと石塀から首だけ出してる幽霊がそこにいた。あいかわらず青っぽい外見と火の玉以外はとても幽霊には見えない。休日にもかかわらず幽霊は今日も学生服のようなものをまとっているように見える。


「あ、愛さんっ!?心臓に悪いわよ…もうちょっとなんかゆっくり現れてよね。ていうか普通に目の前からやってきてよっ」


 思わず後ずさるモヨコ。首だけすすーって動いて幽霊はモヨコに近づく。


「えーだってわたし地縛霊だよー。この家に縛られてるっていうのにー。だからこうやって塀から首を出すのが精一杯なんだー」


「あぁ、そう言えばそうだったわね…ところで井ノ口さんまだ降りてきてないの?」


「あーあやかちゃんねーめんどくさいから呼んできてってー。全く人使いが荒いよねーっていうか幽霊使い?これはもうストライク、あ違う、ストライキ!起こすしかないよ」


「あざとすぎる間違い方は萌えを通り越して腹立つからその辺の加減は間違えないようにね」


 ふぁさり、髪をかき上げるモヨコ。といいつつも内心ドキドキなのである。いくら幽霊が付いているとはいえ結局これでは呼びかけするしかない。つまり必然的に絢香の親と遭遇する…うわぁ…


 けれどもうここまで来て玄関先で絢香の親と遭遇すると緊張するから助けて!なんて本音をいえるわけがない。覚悟を決めるしかないのだ。


「それじゃ行きましょうか…」


 前向きなセリフ、差す陽射しと裏腹にモヨコの気持ちは暗澹、足取り重い。


 ジャリジャリ砂利を踏みしめて横開きの玄関の前に一人たつ。本当は隣に幽霊がいるのだが正直戦力外なので省く。


 ゴクリと息を飲んで、深呼吸して、すうはぁ、なんか無駄に鼓動が大きくなってるのを自覚してしまうのだけどそれに集中しすぎてしまうと本当に一歩が踏み出せなくなるので勢い良く扉に手をかけた。


 そして扉を真横にぴしゃーん!思ったよりけたたましく音が響いてこれじゃあ怒りのあまり乗り込んできたかのようだ。心臓がばっくんばっくんなるのだがこのままそっと閉めてなかったことにしてはいけない。振り絞るのだ、勇気と声を。


「あーやーかー!」


 さすがにこの年になって『あーそびーましょー』なんてことはいえないのだけどこれはこれでちょっと変というか乱暴というか…今さら後悔しても遅い。


 土間の奥からヒョイ、と顔をのぞかせるのはゆるふわの金髪ウェーブをなびかせた女性。なんかお姫様としか形容のしようがないのだけど服装がなんだかわからない英語をプリントした緑のTシャツとジーンズというのがもったいない。


「あーあの人絢香ちゃんのお母さん」


「消去法でそれぐらいわかるわ」


「ん、絢香のお友達?」


 思ったよりも流暢な日本語で女性は小首をかしげた。絢香ママということで絢香の年齢から逆算して考えると若くても30半ば、普通であれば40にならないぐらいだと思うのだけど見た目が若々しさというよりも幼さが残って20半ばを少し過ぎたようにしか見えない。まさかお姉さんにしか見えないなんてべたべたなお世辞を言うことになる日が来るのだろうか。 


 外人を見慣れていない田舎育ちのモヨコなので年齢の予想がほとんど役に立っていないのも手伝っているのかもしれない。


「あ、絢香さんにはいつもお世話になっています。呉モヨコって言います」


 ペコリと頭を下げる。


「ああ、ああ、そんなに丁寧な挨拶はいいのよ。すぐに呼んでくるからまっててね。そっちの部屋、わかるかしら?そこでまっててくれればいいから」


 と玄関からすぐの客間を指さす。まぁ昨日もさんざっぱら作戦会議に使っていたので大丈夫だ。


「おじゃましまーす」


 言いながら靴を脱いで上がりこむ。借りてきた猫みたいに畳の上にちょこんと座っていると階段を降りる音がしてやっとで絢香が現れた。


 正直絢香ママの服装が服装だからやっぱり田舎だから服装なんてこんなもんだよね、とちょっと胸をなでおろしたのだけど現れた絢香は普段はツインテールの金髪をバッサリ下ろしてどこかお嬢様系学校を彷彿とさせるワイシャツに赤いネクタイ。それとスカート。というか絢香自体が本当に絵になるお嬢様スタイルなのであった。


 おしゃれかもしれないけれど若干のコスプレっぽさも漂う。家の中でネクタイを締める理由が全く分からない。ただ中身はともかく見た目は外国のお貴族様みたいな絢香なのでしっかりと着こなしている。


「おっそーい!!モヨコおっそーい!!!」


「呼ばれてきてあげてるってことを忘れないでほしいわ」


 突きつけられた指をさらりと受け流して悪態つきながらも絢香が現れたことでモヨコもペースを若干取り戻す。が、今は親御さんもいるのでいつものよりは控えめに。


「ところで今日の話し合いってここでやってもいいの?別に秘密にするようなないようでもないと思うけれど訊かれても大丈夫というにはちょっと頷きかねるわ」


「それぐらいわたしだってわかってるに決まってるじゃん!とりあえず部屋行こ、わたしの部屋。


 お母さんわたし部屋に上がるけど勝手に入って来ないでよねー!」


「え、せっかくジュースとお菓子用意してあげたのに」


「あ、それはもらうもらう」


 台所からの返答ににお盆を受け取りに行く絢香。


「モヨコはこっち持って」


 ジュースの1.5リットルのペットボトルをそのまま渡される。


「どんだけ喉乾く予定なのよ…」


「いいからいいから」


「すいません、それじゃおじゃまします」


「どうぞごゆっくりー」


 階段を二人と幽霊で登る。


「あ、そういえば愛さんって本当にご家族にも見えてないのね」


 さっきから絢香ママと幽霊は何度もご対面してるはずなのに絢香ママは全く幽霊に反応を示さなかった。


「そうだよーだから今のわたしにはあやかちゃんとモヨコちゃんしかいないんだよー」


 と二人の首にギュッと手を回そうとするのだけど幽霊だからもちろんスカる。


「触れない…」


 と手のひらをじっと見つめて悲しそうな幽霊。


「愛さんこの前から何度同じ失敗してるのよ…いい加減馴染めばいいのに」


「でもやっぱりそばにいるのに触れないのは辛いよー」


「なんでそこはちょっとラブソング風に言うのかしら」


「自称プリティ詩人(笑)だもんね、幽霊ってば」


「あーあやかちゃんがばかにしたー!おかあさんにいいつけてやるー!」




「わたし両手ふさがってるからモヨコ開けて」


 と言われた扉の前はご丁寧に『AYAKA'S ROOM』なんて木製のネームプレートがぶら下がっている。


「はいはい」


 ガチャリと開くとそこは見事に女の子の部屋だった。ピンク色のカーテンに枕元にはぬいぐるみが沢山。モヨコは詳しくないので気づかなかったがそのほとんどがアニメの男キャラのデフォルメなのだが。そしてガラスの小さいテーブルの上にお盆を置くと絢香はクッションをすすめてきた。ウサギの形をしている。


「なんか、アレね…井ノ口さんってそんなに愛さんに色々突っ込める立場じゃないよね…」


「どういういみよ!」


「十分井ノ口さんも乙女ちっくじゃない」


「お、女の子が可愛い物好きで何が悪いってわけ!」


「そーだそーだかわいいは正義!」


「愛さんに味方されるなんて…末期」


「たしかにそれはへこむ」


「え、ええー!?なんで二人共そこは一致するのかなー!?ひどいよ、泣いちゃうよー」


 とりあえずテーブルの上にジュースとお菓子を並べる。


「さて調べておいてっていったことはできてるかしら?」


「あーうん。この家管理していた不動産屋の電話番号と凶器に使われた豆腐は凍っていたのか、てことだよね。とりあえず電話番号は親に聞いてきたから大丈夫。いつでもかけることはできるよ。


 あとは豆腐の方だけどネットで引っかかったんだけどこの事件、当時の週刊誌でも特集が組まれたみたいなの。で、そこには『豆腐は凍っていなかった、しかし他に凶器のたぐいと思われるものはなく、また被害者の頭蓋骨の陥没と現場に落ちていた豆腐の形がぴったり一致した』ていう記述があったみたい。」


「週刊誌ねぇ…あの辺の記者の情報収集能力とその正確性はどれぐらい期待していいものかしら」


「まぁ情報元は警察関係者からの聴きこみになってるからそれなりに信じていいんじゃないの?」


「と言っても匿名の情報なんでしょう?それに警察関係者といえばもっともらしいけれど実際は何が何だかわからないわ。


 知り合いに警察がいる、程度でも警察関係者になるのだし。だったらいくらでも捏造できるし、でもまぁ正直豆腐が凶器って確定したところで事件が進むわけじゃないしね…。


 一応トリックというか豆腐を凶器にする方法を確定させてそこからそれが可能だった人間を…って絞ることもできるでしょうけどこれだけ時間がたったらもうその辺を探るのはほとんど不可能に近いわ」


「むーだから凶器は豆腐って言ってるのにーなんで信じてくれないのー死神さんだってそう断言してるんだよーっ」


「そりゃあなたの言う死神だって目にしてないんだから信じられるわけないじゃない。死神云々の下りが狂言である可能性はまだ全然あるわ」


「幽霊がいるんだから死神がいたっておかしくないでしょー?そもそもわたしがそんなところで嘘つく必要ないもん」


「おかしくないのと目のあたりにするのは全然別物よ。まぁ確かに愛さんの発言だけを根拠に調べているからそこに嘘があったらもう迷宮入りなんだけれどね」


「ところでモヨコの方は?あの後何か思いついたりした?」


「ごめんね、あの後はお兄様に今日も頑張ってねって褒められた喜びで有頂天になった後は勉強してお兄様の夢を見ながら寝たわ。今日は少なくともお昼は勉強できないか先にやっておこうと思って」


「え、そんなに宿題多かったっけ?」


 お兄様のそのくだりいる?と思ったが触れるとろくでもないことになるのは絢香も学んでいるのでスルー。


「宿題はすぐに終わったわ、自分で言うのもなんだけれどうちの学校のレベルって大したことないでしょう?


 田舎の公立中学、周りはほとんど農家ばっかりで学歴を重視して塾に通わせるおうちなんてクラスに一人か二人しかいないものね。でもわたし、行きたい高校のためには宿題だけじゃ追いつかないのよ。うちも農家でお父さんもお母さんも塾に行ってまで成績上げる必要も余裕もないっていうから自分でやるしかないからね。


 まぁわたしのことはどうでもいいわ。あのノートにしてもいかにもって感じで怪しいものね。もしもあれが犯人が残していったノートっていうならあの部屋だって徹底的に警察が一度調べたはずだし今も残っていることのほうがおかしいはずだわ。


 だから普通に考えれば事件が起きてから家族が引っ越して、管理会社の手が入るまでの間の空き家の時期に誰かが仕込んだって考えるのが妥当でしょう。いたずらか何か目的があったかは知らないけれど」


「それならその間に犯人が隠していったって可能性もあるじゃん」


「ゼロじゃないけどそうする必然性は乏しいわよね。逃げ切れているわけだし、こんな余所者が目立つ田舎でもう一度現場を訪れるなんて危険なはずだわ。


 ましてや殺人事件があった空き家よ。目の前で立ち止まるだけでも相当な違和感を与えるはず。そんな危険を冒してまでもう一度犯人がここに来るよりはまだイタズラのほうが可能性があるのではないかしら?


 結局内容が解読できないことにはなんともいえないという条件付きではあるけれど」


「やっぱそれしかないのかなぁ」


「今手を付けれることってそれしかないしね…あとは不動産屋さんに電話することぐらいかしら」


「はーい、といってもなにを聞けばいいんだっけ?」


「あの部屋の備え付けの家具、前の人と思われる忘れ物があったんですがって感じで?」


「でもそれって実際なに忘れてたか聞かれると困るよね…気持ち悪いノートがありましたってクレームにしかならなくない?」


「でも実際そうだからそう聞くしかないでしょう」




「…はい、はい、ありがとうございました」


 携帯電話を耳から話すと絢香は通話ボタンを押した。


 隣で聞いていたモヨコたちにも会話の内容は筒抜けではあったのだが…


「なるほど、全く気付かなかったと…それでそのノートが気になるならこちらで引き取って処分してもいいって」


「わたしはそれよりこの家がお祓い済みだということの方が驚いたよ。


 そこに幽霊がいるっていうのにさぁ!」


「ふっふっふっ、できる幽霊はその程度のお祓いになんて負けないんだよーっ!」


「お金がかかるからめんどくさくて適当に済ませた可能性もあるけれどね」


「だとしたらそんな民間業者はとんだ不良業者だわ」


「それに不動産屋さんが訊いてくれたみたいだけどリフォームの業者さんもそういうのに気づいた様子はなかったみたいだしね」


「あのーもしかしたらー手詰まりなのー?」


「なんで張本人がそんな呑気なのよ…」


「怒ったらダメだよーまぁまぁジュースどうぞ」


 注ごうとするもスカスカとペットボトルを握れない幽霊。


「ノートの出所から事件を探るっていうのは無理そうね…」


 なんて言いながらモヨコはコップに口をつける。


「となるとあとできるのって…」


「素直にあのノートに取り掛かれってことね」


「はぁ、それしかないよね、やだなぁ」


「しょうがないじゃない、手がかりらしい手がかりがほとんどないんだから」


 絢香は立ち上がると机の引き出しから昨日のあのノートを取り出すとテーブルの上に置いた。


 二人と幽霊はゴクリ、と唾をのむ。一度は開いたノートだというのにいまだその禍々しさはとどまることを知らない。


「じゃあ開くわよ」


「うん」


 モヨコはいよいよノートの表紙をめくる。


 現れたのはページ中に黒く塗りつぶすように書き散らされた文字の羅列。


 めくり始めてみるが似たようなページが続く。


 そこで指先に感じた違和感。


「ねぇ、もしかしてこれってページ、引っ付いてるわよね?」


 摘まみ上げて横から見ると確かに二枚、、貼りついている。


「ほんとだ。破かないように気を付けてね」


「そんなに不器用ではないわ」


 角をつまんで指でこするとうまいことページの端がはがれた。


 その両端を慎重に指でつまむとあとは破けないようにゆっくりと力を籠める。幸いしっかりと張り付けたものではなく、スティックタイプのノリのような、剥がそうと思えばきれいにはがせるタイプのものだ。


 ぺりぺりと小気味のいい音を鳴らして封印されていたページがついに目の当たりにされる。


 そこにあったのは他のページと同じ漢字の羅列。


 などではなく。


 見開きとなったページの左側。


 コンパスで描いたような完璧な円があった。しかしそれは円ではなかった。球体である。


 なぜ円を見てこれが平面的なものでなく立体的なものを描いたものであると区別できたのか。


 円の中に描き込みがされていたからだ。円全体は薄暗く色付けしてあるがその中にはまるで血管が這うようにいくつもの赤い筋が巡らされている。そしてその歪曲具合がこれが立体を描いたものであるということを示していた。


 よぎったことがある。それは今朝見た夢。モヨコの夢に現れた風景。その中で見たものにそっくりだ。というよりもそのモノだ。そしてそれは。


 モヨコは恐る恐る、といった様子でノートから目を上げた。絢香もすぐに気づいたみたいで泣きそうな顔をしながら顔を上に向けた。


 絢香の上に浮かぶ『呪い』。幽霊いわく自分の活動のためのエネルギーを吸い上げる装置、である黒い球体。揺らめき不定形な形ではあるがその中では球体がひそんでいることが見て取れる。太陽がその周りで火柱などを上げているのと同じようなものだ。


 そしてそういうもので遮られ今までは気づくことはなかったが目を凝らせばわかる。絢香の上に浮かんでいるそれにも確実にある。静脈、葉脈、血管、例える言葉は何でもいい。赤い筋はそこにある。脈打つように這いずるようにその赤い筋は球体の表面で蠢いている。


「どういうことよこれ…」


 絢香の声は震えている。


「…わたしにわかるわけないじゃない」


 さらに空気が重さを増した。


 自然と二人の目はこの元凶である幽霊の方へと目が向く。


 いつもであれば気の抜けた素っ頓狂な一言でも放つ幽霊だったが彼女もこのノートはあまりに想定外だったようだ。


 幽霊も目を丸くして呪いとノートを交互に見詰めた。


 右側のページには図画はなく漢字が書き綴られている。ただそれは他のページのように一面を意図もなく埋め尽くすものではなく。二行だけ、ポツンとページの真ん中を陣取っていた。


「えっと…なんだっけこれ…」


「知らないの?これだからゆとりは…」


「片方は知ってるよ!っていうかゆとり言うな!同い年でしょ!なんでモヨコネットやらないのにそういう煽りだけ知ってるのよ!ったく…上は十二支でしょ?下のやつは最初の3つぐらいは見たことあるんだけど…」


『子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥


 甲乙丙丁戊己庚辛壬癸◯◯』


 書かれていた文字だ。


「まぁ下のやつは上に比べたらあんまりメジャーじゃないからしょうがないかしら。十干って名前のはずだわ。中国の暦だか風水だかそんな感じの。でもどっちかというと甲乙、使っても丙ぐらいまでで日常だと格付けとか優先順位とか示すときに使うことが多いと思うの」


「モヨコ詳しいね」


「こういう時こそご自慢のスマホでググったほうがいいと思うのだけれど。わたしが知っていたのはたまたまね。お母さんが毎年お正月にこういう占いっていうか運勢の本買ってくるから。といってもわたしも名前以外はろくに知らないけれど」


「最後の◯◯ってなに?」


「十干っていうぐらいだから10個で完結してると思うわ。だからそこの○の意味なんてわかるわけないじゃない」


「じゃあわたしがググればいいってわけね。ご自慢のスマホの威力見せてあげる」


「そうね、井ノ口さんはネット担当なんだからその辺は期待したいけれど。ただ〇〇って本来ない余分な箇所だから暗号とか謎解きの類になるんじゃないのかしら…でも最近はなんでも調べられるらしいし実際愛さんの事件のことだってほとんど調べられたんだからやって見る価値はあるんじゃない?一応メモ取っておけば?」


 煽りに対して反抗してみたものの見事なスルーに絢香は力が抜けてしまった声を出した。


「でもこのノート…おかしいよね」


「…わかってるわ。井ノ口さんの方から口にするとは思わなかったけれど」


 お互いあまり触れたくはなかった。けれど避けるわけにもいかない。ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。


「ノートの中身が殺人事件なんか関係なくてまるで愛さんの『呪い』について書いてあるような」


「まだ最初の方だから、と言いたいところだけど正直ここまでこの絵と『呪い』が似ていては否定する理由を探すほうが阿呆のやることになってしまいそうね」


 二人はもう一度幽霊の方をじっと見つめる。似つかわしく難しい顔で必死にノートを眺めていた幽霊がやっとで二人の視線に気づいてパタパタと手を振った。


「え、え、そんな目で見られても本当にわたし、心当たりなんてないんだよー」


「でもここに載っているのってあなたの呪い、じゃないの?」


「わたしの呪いっていうよりこれ死神さんのことだと思う…よ?恨みを晴らすために現世に残る方法は死神さんが教えてくれて、やってくれたんだもん」


 なんとなく歯切れの悪さを感じたもののこのまま追及してもどうしようもなさそうだ。いまのところ『死神』は幽霊の口から出ているだけの存在でそんなものについてどれだけ情報を得てもその正当性を確認することはできない。


 続くページはこの前も見た漢字ばかりのページ、やはり意味の分かる単語が拾えない文字だらけなのだ。必死に一文字目一文字目から読んでみるものの『案会穏元差雑例氏七滅相六円府――』とやはりでたらめに書き連ねられているようにしか見えない。


 音読みしてみれば『あんかいいんげんさざつれいしななめつそうろくえんふ――』となってしまう、一文字が一音を意味していると暫定して読みの一文字目だけ拾ってみれば『あかいげさざれしなめそろえふ――』となってしまう。


 ということは特定の字を特定の字に置き換える換字式の暗号化と思ってよく出てくる文字を調べようとしたところでモヨコは気づいてしまった。


 1ページあたり40字×25行、つまり1000字びっしりと埋め尽くされているのだがその中に一つたりとも同じ漢字がない。


 常用漢字は2000種類を超える程度、ただしその枠を外せば5万種類とも18万種類ともいわれる。ぱっと見では明らかな旧字体も混ざっていてもしかしたら一文字たりとも同じ漢字を使っていないのかもしれない。特定の読み方が連なる、定期的に同じ読み方の字が出てくる、などの規則があるのだろうか?仮にあったとしてもその法則は複雑でとても見つけることができそうにない。


 パソコンで一度打ち出してデータとして管理してしまえば少しは法則を見つける手掛かりになるのだろうが汚い字でつぶれて判読できないものもかなりの頻度で出てきてしまっているのは解けないテストをやらされているようなものだ。ましてや対となる換字表等があってしまったらもはや目も当てられない。


 モヨコは困り顔でそのことを絢香に伝える。


「は、解けない暗号を用意するわけないでしょ!?そんなのクソゲーにもほどがある!絶対どこかに答えがあるに決まっているって!」


 とムキになって絢香はページをめくるめくるめくる。そしてほとんど最後に近づいたところで。


「あ、あったー!!ほらこれ!絶対事件の解決につながるヒントだよ!」


 と自慢気にページを開いてモヨコに見せつける。


「だったら助かるのだけど…」


 そこには今までと違ってちゃんと横文字で読める情報が書いてある。


『×キングドレアム 円卓の騎士×王者の宝冠


 〇ヤマタノオロチ ミヅチ×勾玉


 ×雷神トール   エレキ×雷の槌




 ソラナキ出現場所 砂漠の塔23F』


「ね、これ、絶対この事件の大ヒントだよ」


「…井ノ口さんゲームはあんまりしないの?」


「どうして?」


「これちょっと前に流行ったドラゴンファンタズムってゲームの攻略メモ…だと思うわ。お兄様がやってたのちょっと見たことあるし」


「え…?ちょ、なんでこんな思わせぶりなノート作っておいて!」


「そうね、せっかくこんないかにも、なノート作るんなら最期までそれっぽく作ればいいのに…まさかこのノート書いた人、新しくノート買うお金もなかったのかしら、はぁ」


「あ、でもほら、このゲームのこの情報が事件解決のヒントに!」


「なったりするのかしら…愛さんはこのゲーム、したことある?」


「え、なに?」


「ドラゴンファンタズム、たぶん愛さんたちが直撃世代だと思うのだけれど。流行ったのって5年ぐらい前だし」


「あードラファン!そういえば男の子たちがはまってたねぇ」


「愛さんは?」


「え、もともとゲームってそんなにやらないしそのころ受験だったからなぁ。なんか一度ブームに乗り遅れるとあとから始めても今更って感じだし追いつけないからなんかいやだよねー。


 対戦とかケータイゲームとかだと自分が一番取れないのがつらくないー」


「愛さん、今時ケータイゲームなんて言わないわ。ソシャゲっていうのよ」


「えーじゃぁ結局このノートなんの役にも立たないじゃん…幽霊の事件のことなんにもわからないのと一緒なんて」


「ドラゴンファンタズムに関しては事件と関係あるかも怪しいものね。筆跡が違いすぎるし、思わせぶりなノートを書いた人とは別人のような、無関係って言われた方がすっきりするわ。それでも少なくとも一歩前進にはなったわね」


「え、解けない解けないって言ってた暗号のヒント、つかめたってわけ?さっすがモヨコ!そこに」


「しびれたりあこがれたりしなくていいわ。そもそも全然、事件のことなんてちっともわかっていないもの」


「やっぱりだめじゃん!」


「このノートにとらわれすぎてはだめだってことがわかったわ。とりあえず他のところからアプローチしていくしかないってことね。休みだし今日はちょっと駅の方まで下見に行かない?」


「なんで?」


「ここからさらに上がっていったら家なんてどんどんなくなっていってケータイなんて圏外、民家もない山道がしばらく続くことになるわ。そう考えると犯人が山の方から来たなんて考えにくいと思うの。


 だから駅まで行けば道路も大きくなるし、犯人が使ったのはそっち側からのルートの可能性の方が高いって思うのよね」


「でも山からなら人目につかないならそっちからの方が可能性高いんじゃないの?」


「地元のわたし達だって使わないようなルート、他の人がわかるかしら…子供会のそうめん流しで一度行ったことがあるけれどその年の後は二度と行かなかったのよね…それだけ身近な場所じゃないってことだと思うのだけれど」


「え、そうめん流し…?って夏祭りでやるようなあれだよね。なんでそんな山の中でやるの?」


「みんなで軽トラの荷台に乗って行ってその場で竹を切って…で、山の湧き水のところにそれをさしてやったのだけれどおかしいのかしら」


「うっわちょーなつかしー!そういえば一回だけだったね、そうめん流し」


「あっ確かに愛さんもいたわね」


「え、マジで山ん中でその水でやるの?流すの?そうめんを?なんか汚くない…?」


「は?都会の薬品塩素、工業用排水まみれの水と一緒にしないでよ」


「そーだそーだ!」


「なにその結託、田舎って怖い…」


「都会の方が怖いわ。まぁそんなわたし達でも一度しか行ったことないような道がよそから来た人が使うかしらってことよ」


「ナビとか使えばうーん、どうだろ…」


「ただ山側のルートなら車やバイクは必須、犯人が愛さんの知人だというなら当時学生の可能性が高いわ。だったらまだ駅から歩いて行ける距離にあるんだから下るルートの方だと思う。協力者がいたらそれもわからないけれど可能性を追いすぎて行動を起こさないのも阿呆のすることだわ。


 お兄様も言っていた、図書館で机上の倫理をこねくり回しているよりも歩いて外の空気でも吸った方がアイデアがわくこともあるって。


 至言だわ。それに思考は帰ってからでも夜からでもできるけれど、わたしたち中学生にとって現場を歩くっていうのはお昼じゃないとできないでしょう?だから駅までのルートは確認しておきましょう。


 それに一応ノートも持っていきましょう」




 二人は井ノ口邸を出るとまずは下る。数百メートル歩いたところでモヨコは振り返った。さっきまで塀から手だけ突き出して手を振っていた幽霊もすでにその手を引っ込めている。彼女が地縛霊だとしたらもうここから先は見えても聞こえてもいないと思う。そこまで確認してからモヨコは絢香の袖を引っ張った。


「井ノ口さん、わたし達の勝利条件ってなんだかわかってる?」


「それぐらいわかってるよ。幽霊の事件の犯人を見つけて連れてくることでしょ」


「それは解決に至る方法の一つでしょ。それにわたしたちの勝利条件じゃない。愛さんの勝利条件だわ。わたし達の勝利条件は呪いの解除、あなたの生存なのよ。そのためには事件の犯人なんてどうでもいいわ。事件の犯人が絶対必要という場合を除いてね。


 そのことは忘れないでいてほしいのよ」


「…確かにそうだけど。じゃあモヨコはあの幽霊見捨てるってわけ?」


「呪われているっていうのに優しいのね。そりゃ出来れば犯人も見つけられたほうがいいかもしれないけれどわたしにとってはそこまで重要じゃないわ。


 それに井ノ口さんがわたしに頼んだのは愛さんの事件の解決じゃなくて呪いを解くこと、でしょ。時間だってないんだしたとえ犯人を見つけられなくても呪いの解除の方法がわかるならそれを実行すべきよ」


「…そう、だよね。呪いを解いて生き延びることが一番大事だもんね」


 絢香の返事がどことなく煮え切らないものには気づいていたがモヨコはあえて無視する。愛着や同情なんかで幽霊に構うよりも先にまずは呪いを解いておいて損はない。


「内容はわからないけどノートにはまだまだ解決のとりかかりになりそうなものはあるわ。とりあえずそこからかかろうと思うの」


 ノートを肩掛けのバックから取り出してみたものの絢香はまだモヨコが言おうとしていることがつかめずに首を傾げる。


「名前が書いてあるじゃない。そのノートには」


 改めて表紙を見る。『正木 ●●』赤ペンで書かれた文字。ノートの表紙自体がピンク色だったせいかあまり目立つものではなかったがしっかりとみれば確かにそう書いてある。


「でもこれだけでしょ?」


「とりあえずこの町に住んでいる誰かだったら訪ねてみようと思うの」


「調べるってこと?でも中学校じゃそんな苗字の人きいたことなかったと思うけど…先生に電話でもするの?」


「別にそんな事しなくても電話帳見ればいいじゃない」


「ピザでも頼むわけ?ああいうのって飲食業とかサービス業とかじゃないっけ…」


「タウンページしかないような都会と一緒にしないでよね。田舎にはテレパルがあるのよ!だからわたしのうちに行くわ。


 幸いわたしの家ももうすぐだし」




 昼下がり。13時。夏というにはまだ全然早い時期だけどもこの時間の陽射しは暖かいというには少しだけ強い。アスファルトで舗装されただけの中央線も引いていないような道路をモヨコと絢香は歩いていた。路肩には軽トラックが停められて畑仕事をしている人がいたりする。


 そんななか二人はモヨコの家へと向かう。


「……なんか思ったより遠い」


「これぐらいで音を上げないでよ、まだ5分ぐらいしか歩いてないじゃない」


「なんていうの?3分以上歩くときはバスとか電車に乗るのが都会のルールっていうか」


 と髪をファサッとドヤ顔をしてみせる絢香。なんか普段の仕草を真似されたみたいでイラッとするモヨコ。


「そんなのはじめてきいたわ、一体どれだけ物ぐさなのよ。これだからもやしっ子は」


「吊り橋わたる度胸ぐらいあるし」


「なんでわかるのよ」


「いや、小学校の時の国語のお話でしょ。そうかそうか、君はそういうやつなんだな」


「そこに飛び火するのはやめて!あれはほんとメンタルブレイカーなんだから」


「でもあれはどう考えても主人公が悪いよね」


「そこは否定できないけれどそのフレーズの破壊力は一部の人たちにトラウマを残したわ…」


「そっちの方こそメンタルもやしっ子じゃん…これだから電車どころかバスもないような田舎っ子は…都会っ子は満員電車に人ごみまみれの街で十分に鍛えられてるんだよ」


「ば、バスぐらいこのへんだってあるわよ!バカにしないでよね!」


 ただし1日に2本。しかもご老人のための町営タクシーバス。というのはゴクリと飲み込んだ。


 そうこうしているうちに呉家へと到着である。家の前に構える車庫には車がないあたり両親はもう畑へと出向いてしまったようだ。


 さっさと歩き出すが、絢香がついてきていないのに気がついて振り返る。


「どうしたの?」


「わたしの家、モヨコの家に大きさで負けてる…」


「まぁ車庫ある分ちょっとだけうちのほうが大きいかもしれないけどそんな凹むことじゃないでしょ」


「凹むよ!だってこれから何かあるたびにモヨコから『はぁ?うちより家ちっさいくせになに言ってるの?』なんていじめられるかもしれないじゃないか!」


「わたしどれだけ性格悪いのよ…っていうか井ノ口さんキャラがちょっと今日は安定してないんじゃないの?」


「こんな惨めな目に合わされて耐えられるか!わたしは帰るぞ!」


「ま、ち、な、さ、い」


 踵を返した絢香の手をぐっと引き止める。


「ははぁ、今さらやっぱり怖気づいて帰りたくなったってことかしら?でもしょうがないのよ。これはあなたの呪いを解くためなんだから」


「それはわかってるわよ!ただ」


「はいはい」


 モヨコは言葉を遮ってグイグイと手を引いていく。


 ということで車庫の横を抜けた。


「ワンワンワン!!」


「ひぃぐっ!!」


 ガシャンガシャンとチェーンを揺らしながら絢香に吠え掛かる犬。6歳児ぐらいの背丈はある白くてモフっとしたわんこだ。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない…ちゃんと繋いでるでしょ。というかもしかして犬が嫌でうちに入りたくないの?」


「や、あれ、おっきいし…わたし昔噛まれたことあるんだよ!しかもめっちゃ血が出てまだあとが残ってるんだからね!ほら!」


 と言って二の腕をアピールする絢香の腕には確かに歯型がある。


「うちの子は賢いからそんなことしないわよ」


「証拠がない!」


「噛むって証拠はあっても噛まないって証拠は出せないでしょ。悪魔の証明はやめて」


 犬はまだ絢香に向かって吠え続けている。


「はいはい、ちょっとおとなしくしなよね」


 モヨコが近づいて頭をさするとピタリと吠えるのを止める。なるほど立派な上下関係だ。


「これで大丈夫でしょ?」


 けれどもモヨコが手を離した瞬間。


「ワンワンワンワン!!!」


 すぐさまチェーンを引き千切らんばかりの勢いで絢香に吠え掛かる。


「ぜ、全然ダメじゃないのよー、ぐすっ」


 モヨコの背中に絢香は隠れる。


「…あれ?コロはそんなに他人に吠えまくる子じゃないんだけど…井ノ口さんなんか変なの持ってるんじゃないの?動物ってそういうの敏感っていうじゃない」


「ちょっとどういうことよ…」


「ほら、愛さんという名の幽霊に取り憑かれてたりするし」


「そ れ だ!」


「いないときにまでネタにされて愛さんは本当にかわいそうね」


「ネタ振ってきたのはモヨコでしょ」


「まぁそうともいう」


 けっきょくコロ(犬)は吠えるのやめないので諦めてすでに心折れかけの絢香の手を引いて玄関へ。


 玄関の周りにはよくわからない観葉植物。ガラスの引き戸を開けて中に入るとどこの観光地で買ったのかもわからない陶器の小さなカエルがおいてあったりする。


「ただいまー」


「おじゃましまーす」


「まぁ誰も居ないんだけどね」


「え、そうなの?なんだせっかく例のお兄様が見れるかと思ったのに」


「…お兄様に色目使ったら井ノ口さんでも生まれたことを後悔する瞬間が訪れるかもしれないわ」


「冗談に聞こえないからそういうのやめてよね」


「本気だからあたりまえじゃない。もちろん三途の川を渡ってみたいというなら止める気はないわ。お兄様とわたしの間に割り込むってことはそれだけの覚悟を決めるってことよ。わたしには六文銭を渡す慈悲なんてないからないから永遠に石を積むことになるわね」


「六文銭…?」


「…わからないならいいわ」




「冷蔵庫には麦茶ぐらいしかなかったわ…別にいいよね?」


「あ、うん、それはいいけど…」


 絢香と違って打って変わって殺風景なモヨコの部屋。


 テーブルのようなものもないので床のカーペットの上にそのまま座ることになる。


「さて、ノートなのだけれど」


 二人の真ん中にはあの大学ノート『悪魔祈祷書』が鎮座している。


 表紙に踊る赤い文字の発する異様は部屋の空気を重く落とすには充分な役割だ。破けそうなほど強い筆圧で書かれた文字は血と魂の叫びのようにすら見える。


 好奇心よりも恐怖心が先に立つ。が、今はその表紙に書かれた正木何某という名前ぐらいしか手掛かりを見つけられていない。


「少し待ってて、今持ってくるから」


 モヨコは一度部屋を出ると玄関に置かれた電話機のすぐ横に画鋲でぶら下げてある電話帳テレパルを外して持ってくる。緑色の薄い本だ。


「ほらこれ。ほとんどこの町に住んでいる人間の電話番号と住所はこれに載ってるわ。正木なんてこの町だと珍しい苗字のはずだから何件かには絞ることは簡単だと思うの」


「えーと正木だからまさき、でいいのよね…た、な、は…」


「そうね、これでしょうきだと正気を疑うわ」


「…」


 ページをめくる絢香。


「…スルーしないでよ」


 二人で電話帳をめくる。


「あった」


「ラッキーといおうか出来過ぎといおうか…一軒しかないなんて」


「でもモヨコこれでちゃんと場所わかる?」


「何年この町で生きてると思うの。十三年よ。大抵の場所なら心配されなくても辿り着けるに決まってるじゃない」


 『正木 康雄  ◯○-○○ △△町 坂下地区 ××-×××』


「坂下か…」


「遠いの?」


「ここからさらに△△町の南側の端っこに向かっていくことになるわ、というよりも坂下地区は△△町飛び地…なのだけどそんなことはどうでもいいわね。自転車で30分くらいかかるかしら」


「うぇぇぇ」


「あなたの為にやってるんだから、ね?」


「それはわかってるけど…」


「井ノ口さん自転車は持ってる?」


「まだ…」


「この町で自転車は人権よ。この事件が終わったら普通の子たちと遊ぶようになるんだからその時ないと困るんだから早く買ってもらうことね。


 …一応ボロだけどうちはもう一台自転車はあるから今日はそれに乗りなさい」


「しかしこんな暑い時に自転車でお出かけか…」


「文句言わないの」

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