第7話 冤罪の証明
私は妹に連れられ、なんとか家に戻った。
泣き続ける私の頭を、彼女はずっと撫で続けてくれた。私はなんとか落ち着きを取り戻し、ひたすら母を待った。だが結局その日、母は戻ってこなかった。
翌日も、その翌日も。私はほとんど寝ることも無く、母の帰りを待った。
そして、母が連れていかれてからちょうど一週間後の朝。家のドアが、突然開いた。
私は母が帰ってきたのだと期待して、すぐに玄関へと駆け付けた。だがそこにいたのは、母ではなかった。
「まずは家の中から探すぞ」
兵士は後ろを振り返りながら指示を出していた。
するとそのリーダーらしき兵士に続いて、ぞろぞろとたくさんの兵士が家に入ってきた。
「ねえ、お母さんはどこ!」
私は兵士たちに問うが、彼らはそれを一瞥するだけでまともに取り合わない。そして、
「あったぞ、ここだ!」
家の奥。母の研究室で、彼らは声をあげた。
「ここにある物を、全て持っていけ」
つまり、彼らの目的は、母の研究成果だった。
「やめて、お願い。それはお母さんが必死に研究して作った物なの!」
私はそう叫んだけれど、兵士たちは聞く耳を持たない。アリアはただ、その様子を見て立ち尽くしていた。微かに動いた口から、小さく言葉が漏れる。
「お母さんは、もう……」
崩れ落ちる妹の姿を見て、私は外へ出た。
そこにはやはり、領主がいた。
「ニーナ・アウフヘーベンはこれより二週間前の昼間、我が屋敷に仕える使用人を、
彼は村人たちに状況を説明していた。
「よって、殺人罪、及び反逆罪により処刑された。罪人の研究資料の中には、国家転覆に用いるためのものがあったかもしれん。この地を治める領主として、それらは全て
母が……処刑……。
「嘘だ……!」
私は領主に向かって走った。だが、領主の周囲にいた兵士に阻まれる。
「それ以上近づけば、お前も母と同じ罪に問われることになるぞ」
「お母さんが死んだなんて、絶対に嘘だ!! お前は嘘つきだ……!! お母さんは、死なないんだから……!!」
私は兵士の後ろにいる領主に向かって叫んだ。だが、領主は私を見下して言った。
「ああ、そうか。そうであったな。お前の母親は簡単には死なない。だが、嘘ではない。お前の母親は死んだ」
彼は口の橋を釣り上げて
「胸に、銀の剣を刺してな」
「……!!」
そこでようやく私は、領主は母が何者であるのかを知っていたのだと知った。
――母は、吸血鬼だった。
吸血鬼は、基本的には不死身だ。ある時を境に年老いることもなくなり、美しい見た目を維持し続ける。だが、そんな吸血鬼にも二つだけ弱点があった。
一つは、日光。日光を浴びている間、吸血鬼は身体機能が著しく低下する。もう一つは、銀。吸血鬼は銀に触れることが出来ない。
そして銀は、唯一吸血鬼を殺すことのできる手段でもあった。吸血鬼は、心臓を銀の武器で抉られることでのみ死に至るのだ。
じゃあ、やっぱり、お母さんは、もう……。
何も言えなくなった私に対し、領主は満足そうに頷く。
だが、私の後ろから再度、領主を糾弾する声が響いた。
「だったら、やっぱり
領主が眉を吊り上げてそちらを見る。私も、後ろを振り返る。そこにいたのは、アリアだった。
「ほう……? それでも母の死が受け入れられないと? それは紛れもない、事実であるというのに?」
「違う!!」
「ではなんだ?」
アリアは領主を
「母は確かに吸血鬼だった。だからこそ、貴方は嘘をついていることになる。貴方は、こう言っていた。使用人が殺されたのは、『前庭で昼間のことだった』と」
その言葉に、私ははっと息を呑む。
「そうだ……確かにおかしい」
「……なんだ、それがどうした?」
領主は不愉快そうに眉を寄せる。彼は知らなかったのだ。吸血鬼の弱点は、銀以外にもあるということを。
「吸血鬼は、銀と、そして日光に弱い。日光の下では、身体機能が著しく低下する」
「なっ……!?」
領主はようやく、自身の失態に気づいた。
アリアは、核心を突く。
「そんな吸血鬼である母が、日中、日差しを遮ることのできない屋外で、殺人を犯せたはずがない……!」
目を見開いてたじろぐ領主に、アリアは尚も言葉を続ける。
「それなのに、貴方は目撃証言があると言った。この殺人が不可能な母を、貴方自身が目撃したと。……つまり、こういうことになる。真犯人が何らかの方法で母の顔を装っていたか、或いは……」
一呼吸置いて、アリアは言った。
「貴方の証言自体が、母を
「……っ!」
領主の表情が、いっそう険しくなる。
その周囲で、話を聞いていた村人たちが領主に怪訝そうな眼差しを送っていた。
それを見た領主は、声を荒げてまくし立てた。
「お前の母が吸血鬼だった証拠がどこにある!? そして仮に吸血鬼だったとして、吸血鬼が日光の下では満足に動けないという証拠もだ! それらが無ければ、話にならんわ!」
妹の返答は、その問いを待っていたかのようだった。
「ありますよ」
「何……?」
アリアは、後ろ手に持っていた一枚の紙を突きつけた。
そこには、こう記されていた。
++ ++ ++ ++ ++
【特異体質】
〈亜人:吸血鬼〉
不老不死となり、肉体の最盛期を境にして年老いることが無くなる。
銀と日光に弱く、銀には触れることができない。
また、日光の下では身体機能が著しく低下する。
銀で心臓を抉ることでのみ死に至る。
血と異性の匂いに敏感になり、異性の匂いを嗅ぎ分けられる。
++ ++ ++ ++ ++
「なんだ、それは……?」
「これは、姉の眼に宿る特異体質〈真実の眼〉を用いて、母の身に宿る理外の力を明文化した時の記録です」
「なっ――!?」
「明文化の際、立会人もいました。その人を呼べば、これが事実であると分かるはず」
そうだ。私たちは母の信頼する人のところにいって、私の能力を試すために、母の身に宿る理外の力を明文化したことがあった。
アリアはそれを覚えていたのだ。
村人たちは顔を見合わせ、ひそひそと何かを話し合っている。
見れば、兵士たちにも動揺が走っていた。兵士も全員が全てを知っていたわけではないのだろう。
そして、まさかここにいる者全員を殺すわけにもいかないはずだ。人の口に戸は立てられない。母の死が冤罪だった可能性は、いずれ広まる。
そうなれば、領主の評判は著しく下がるだろう。なにせ殺したのは、元とは言え国に仕えた高名な魔法学者だ。
「貴様ら……」
アリアの指摘に、領主は肩を震わせた。
「これだけ私をこけにして、ただで済むと思ってはいまいな……?」
その両目が、大きく見開かれる。そして、大きく手を広げて言った。
「お前たち、よく聞け。この子らは、私を
そう言うと、領主は右手を地面に付けた。すると、みるみるうちに彼の右手が赤黒い光を帯びていく。
彼の足元には、見覚えのある紙束が落ちていた。
(あれは……)
母は私たちに、自身の研究成果の一部を聞かせることがあった。
そしてその多くが、危険な魔法についての注意。
それらの魔法の中に、周囲の地熱を集めて火の矢として放つ、習得が容易であるにもかかわらず恐ろしい威力を
それが、この魔法だ。
母は言っていた。『これは、使っちゃだめ。簡単に習得できる分、使った後に多くの代償を支払うことになる』と。
領主は持ち出された研究成果の中から、その魔法を習得が容易であるという理由で習得していたのだろう。
とにかく逃げなければ。何か遮蔽物になるものを……。
「アリア……!」
「うん……!」
私たちは、家の中に向かって走った。あと三歩。二歩。一歩――家の中へ入る。私は間に合った。だが。
「アリア!」
私たちは間に合わなかった。私のすぐ真横を、強烈な暴風と
振り返ると、アリアはその胸に、大きな風穴を開けていた。
「え……?」
私が間の抜けた声を上げるのと、アリアが地面に倒れ伏したのはほとんど同時だった。
「アリア……?」
私は妹の側へ駆け寄って、その頭を膝に乗せる。妹の胸部は焼けただれていて、傷口からはとめどなく血が溢れ出していた。
そこに、領主の絶叫が響く。
「腕が!? 私の腕がぁ!!」
見れば、彼の手は魔法を放った後も赤黒く染まったままで、むしろその変色は腕へと侵食していっていた。
「焼ける……! 誰か、水を、水を持て! 腕が焼ける……!」
私たちを追いかけようとしていた兵士たちが、こぞって領主の下へ駆け寄っていく。
あれが、母の言っていた代償ということなのだろう。だが、そんなことはどうだっていい。今は……
「お姉ちゃん……」
「喋らないで! 今は、なんとか血を……」
私は止血のために、近くにあった母のローブを巻きつけた。だが、傷口が大きすぎて、血は止まらない。
「お姉ちゃん。もう、無理だよ」
アリアは掠れる声で言う。
私だって、頭では分かっていた。アリアの受けた傷は、到底助かるようなものではないと。
だけど、何もしないわけにはいかなかった。
「大丈夫、魔法なら……!」
分かっていた。そんな都合のいい魔法なんて、ありはしないのだと。仮にあったとしても、今すぐに習得できるようなものではないと。
「イマジカお姉ちゃん……」
アリアは、私の名前を呼んだ。そして、震える腕をゆっくりと動かして、玄関前に兵士が落としていった一枚の紙を取って、私に差し出した。
「これ、覚えてる?」
私はそれを受け取る。目を通すと、それはある魔法の効果と習得方法が記された紙だった。
母が私たちに、決して使ってはいけないと最も念を押した魔法。そんなことがあるわけないと、笑って答えた魔法。
その魔法の名前は、〈血縁の加護〉。
効果は、身体能力の向上。習得方法は――
「ねえ、お姉ちゃん。私を、食べて?」
双子の片割れが、もう一方の死体の一部を食べること。
「えっ……?」
私が、食べる? ……誰を? …………アリアを?
「だめ……」
私はアリアの手を握った。
「あきらめちゃだめだよ……!」
アリアは、力なく首を横に振る。
「私は、もう助からない。でも、お姉ちゃんが私を食べてくれたら……。私はこれからも、お姉ちゃんの力になれる。お姉ちゃんの、役に立てる。お姉ちゃんの中で、生き続けられる」
「アリア、お願いだから、生きてよ……! 私を一人にしないでよ……!!」
「おいしく、ないかもしれないけど……」
「アリア……っ!!」
「私を食べて、お母さんや、私たちみたいな人を、救ってあげて……?」
「私にはできないよ!! 私はお母さんやアリアみたいに、優秀じゃない!!」
アリアは、小さく笑った。
「そんなことないよ。お姉ちゃんには、その眼がある。それにお姉ちゃんは、私よりも……。お母さんと同じくらい、優しいから」
そして、掴んだ手から、徐々に力が抜けていく。
「あ……」
「お願い、ね。大好きだよ、イマジカお姉ちゃん」
その言葉を
お母さんが連れていかれてからも、死んだときかされてからも、決して泣くことのなかったアリア。
安らかな笑顔で静かに閉じられたアリアの目。その目の端からは最後に、一筋の涙が零れ落ちていた。
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