第6話 二人の過去

 私とイレーナは北西区の路地を、同区画のすみに向けてゆっくりと歩いていた。

 隅へ向かえば向かうほど、門の周辺や中心地に比べ建物同士の間隔は広くなってゆき、次第にまばらになっていく。

 宿以外の建物も増え、民家らしき建物や売地なども多く見られるようになってきた。

 手袋をした街行く子供たちが雪を投げ合って遊んでいる姿を横目に見ながら、私は隣を歩く彼女に話しかけた。


「イレーナさんは、どうしてこの街に?」


 彼女は小首をかしげて一度こちらを見やり、木板もくばんに石灰石を走らせる。速筆だが、それでいて流麗りゅうれいな字体だ。


『私は、呪いを解きに来ました』

「なるほど。では、あなたに呪いをかけたのは、この街にいる呪術師で間違いないのですか?」


 そう問うと、彼女は首肯してみせた。どうして分かるのか、と問う前に、彼女はその答えを示してくれた。


『呪いを受けた日の翌日、呪術師グラムルから手紙で、解呪金の要求があったのです』

「……呪術師、グラムル」


 それは、王女から伝えられたこの街にいるという呪術師の名前と一致する。


『そして王都で、呪術師グラムルの居場所を、金髪ブロンズの老婆が教えてくれました。怪しげな雰囲気でしたが、その老婆の言う通り、この街には呪術師がいた』

「なるほど……」


 その老婆とやらがなぜグラムルの居場所を知っていたのかは分からないが、ともかくイレーナさんがこの街に来た理由は分かった。

 彼女は王都で呪いを受け、そして呪術師グラムルより解呪金の要求がなされ、グラムルの居場所を知り、この街に来た。呪いを解くために。

 ではやはり、王都で王女に呪いをかけたのも……。

 私はその疑念を確信に近づけるべく、もう一つ質問をする。


「その箱には、何が入っているのですか? 旅の荷物にしても、随分と大きい」


 イレーナは背中に、自身の身長ほどもあろうかという大きな背負子しょいこを担いでいた。そしてその中に、ひと際スペースを取る大きな箱があったのだ。

 私の予感が正しければ、その箱の中には――


『これには、楽器が入っています』

(やはり……。つまり彼女は、)

『私は、吟遊詩人をやっていました』


 何故呪術師は、彼女に〈失声の呪い〉をかけたのか。勿論、どんな人物でも突然声を失うということは耐えがたい苦痛を伴うだろう。だが、決して少なくない代償を払って、わざわざ呪いをかけるのだ。その対象には、より効果の望める相手と内容を選ぶはず。

 声を失うことで、誰よりも絶望し、困ることになる相手である点。そして、王女と同じく、一月ほど前に王都で呪いを受けたという点。

 この二点から、私は彼女を、一月ほど前に王都を訪れていたという吟遊詩人なのではないかと推測していた。そして質問の結果、その推測が正しかったことが分かる。

 ……王女は、お忍びで吟遊詩人のことを見に行っており、その帰りに呪いを受けたと言っていた。

 時期が一致するイレーナが呪いを受けたのは、呪術師グラムル。つまり、王女に呪いをかけたのもやはり、この街にいるという呪術師、グラムルである可能性が高い。


「ありがとうございます。やはり、私の探すべき相手も、呪術師グラムルである可能性が高そうです」


 よかったですと言うように、イレーナはにこりと笑顔を向けてくる。本当に可愛らしい人だ。


「ところで……」


 話していて、もう一つ気になることが出てきた。

 彼女はやはり、吟遊詩人だった。だが確か王女は、こう言っていたはず。

 城下に、「双子の吟遊詩人が来ていた」と。

 つまりイレーナには、双子の姉妹か兄弟がいるということになる。


「イレーナさんは、双子で活動する吟遊詩人ではなかったですか?」


 イレーナの肩が、ぴくりと震える。彼女は苦笑いを浮かべながら、文字を刻んだ木板を見せてくれた。


『弟は今……遠くにいます。私の呪いを解くための解呪金を集めるために、各地をめぐってくれているのです』

「ああ、なるほど……」


 ……。恐らく、彼女の語った内容は、半分嘘だ。

 彼女の言葉を真に受けるなら、彼女は解呪金を持たずにこの街に来て、弟さんを待たずに呪術師の宿へと向かおうとしていることになる。

 それは、道理に合わない。

 弟さんが遠くにいるというのは、本当。だけどそれは、彼女が語ったように、解呪金を集めるために各地を巡っているから遠くにいるというわけではなく……。

 だが、それを指摘することに意味は無いし、彼女が何らかの理由から話したがらなかったことを、無理に詮索する必要もない。

 私はここに、呪術師グラムルを捕らえ、王女との呪いの関係性を調べ、或いは吐かせ、関係があるなら呪いを解かせるために来たのだから。

 そもそも、不用意に彼女の極めてセンシティブでパーソナルな部分に踏み込んだのが間違いだった。

 私の問いはきっと彼女にとって、最も訊ねられたくないことだっただろうから。

 しかし、一人後悔の念にさいなまれて押し黙っている私を、彼女は『大丈夫ですか?』と健気に気遣ってくれる。

 気遣われるべきは、きっと彼女の方なのに。

 私はせめて彼女の気遣いを無駄にしないように、努めて明るく振る舞う。


「ええ、大丈夫です。いろいろ教えてくださってありがとうございました」


 彼女は私の目を見て、にこりと笑いかけてくれる。そして、話題を変えるように、


『ところで、あなたはどうして探偵になったのですか?』


 あなた、という文字を見てそう言えばまだ名乗っていなかったなと反省し、同時にこの質問にどう返すべきかを考えた。

 本来なら、明け透けに語るべき内容でもない。だが、そんな意図は無かったとはいえ、彼女の触れられたくない過去に無遠慮に触れてしまったことに対する贖罪しょくざいのために――。

 いや、違う。私はただ、罪悪感から救われたかったのだ。そしてそれにかこつけて、自身の過去を、誰かに知って欲しかった。


「私は、イマジカ。イマジカ・アウフヘーベンと言います。私が探偵になったのには、私の母と、そして妹の死が、深く関わっています」


 瞠目するイレーナはしかし、決して目だけは逸らさない。

 ……この人なら、大丈夫だ。きっとこのことを言いふらしたりはしない。

 私はこれまで誰にも話すことの無かった自身の過去を、イレーナに打ち明けることにした。


 ***


 私は王都で生まれたらしいが、その頃の記憶はほとんどない。

 父は物心つく前に亡くなっており、ちょうどその時期、母はクリスタの東方にある小さな村へと移り住んだと聞いている。

 母は様々な魔法を生み出し、また既存の魔法の新たな活用方法を見出した、高名な魔法学者だった。

 王国にいた頃は王宮でその辣腕らつわんをふるっていたらしいが、私が知る彼女の姿は、自宅で一人研究に没頭し、そしてそれ以上に私と妹に愛情を注いでくれる、しがない研究者、あるいはごく普通の母親の姿だった。

 唯一普通と言えなかったのが、母は日中、決して外に出なかったことだ。

 しかしそれは彼女の身に宿るある特異体質に起因したため、私と妹はそれに対して何ら不満を覚えることはなかった。

 その日も、私たちは母に頼まれて、市場に買い物へ出かけていた。それは私と妹が、ちょうど10歳になった年のことだった。

 なんでも「呪いを解く方法を見つけたことを記念して豪華な夕飯にする」とのことで、いつもより時間のかかる買い物だった。

 そして買い物を終え、家へ戻ると――、母は兵士に捕らえられていた。

 そこには私たちの暮らす村が属する領地の主がいて、小太りの身体の前で腕を組んでいた。

 兵士が母を日差しの中へと引きずり出してひざまずかせると、領主が口を開いた。


「先日我が屋敷で、一人の使用人が殺された。現場には、お前がかつて国王から下賜かしされた、魔法学者を示すバッジが落ちていた。この事件で最も『疑わしい』のは、お前だ」


 ――違う。バッジはしばらく前、誰かに盗まれたのだ。母は『もう私には必要ないものだから』と探すことはしなかったけれど……。


「ニーナ・アウフヘーベン。お前は領主である私の屋敷に仕える使用人を殺した。これはただの殺人に留まらない。領主わたし、あるいは国家への反逆でもある。よって、お前を死刑とする」


 死刑。その言葉が脳内に反芻はんすうされ、抱えていたかごが、手から滑り落ちた。

 買ったばかりの野菜が中からこぼれだし、れたトマトがぐちゃりと潰れていた。

 私たちは走って、母を連れていく兵士を止めようとした。だが、


「来てはだめ!」


 母は、これまで聞いたことも無いような大きな声を出して、私を制した。

 そして、いつもの優しい口調でこう続けた。


「きっと帰ってくるから、お家で大人しく待っていて。……そうね、今日の晩御飯には、チーズをたくさん使っていいわ」

「いやだ! お母さん、行かないで!!」


 私は叫び、尚も駆け寄ろうとしたが、妹が私の手を握ってそれを引き留めた。


「お姉ちゃん。今は、お母さんの言う通りにしよう」

「アリア……でもっ……!」


 妹は私などよりもずっと聡明だった。

 妹には分かっていたのだ。その時、もしも私が母のもとへ駆け寄り連行の邪魔をしたら、領主への反逆と見做みなされ私も殺されていたことを。


「お母さんが殺人なんてするはずない。きっと無実だって分かって、戻ってくるよ。……お母さんが、死ぬはずない」


 私は、妹の真剣な眼差しと、連行されていく母の姿を交互に見た。何度も、何度も。

 母は馬車に入れられる際、私たちに笑いかけた。そして、小さく口を動かした。私にはそれが、「さようなら」と言ったように見えて――

 私は気づけば、妹の手を振り払って走っていた。

 だが、全てはもう遅かった。馬車は走り出す。子供の足では、到底追いつくことなどできない。息が切れる。しかし足は止めない。それでも徐々に距離は離され、次第にその後ろ姿は小さくなってゆき……、母は、連れていかれてしまった。

 乱れる呼吸を整える暇もなく、夕日に赤く染まる小さな街道の中心にうずくまって、私はずっと泣き喚いた。

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