僕は夜の中

@99kagaribi

僕は夜の中

日付が変わった時、僕はようやく家の玄関の扉をあけた。


独り暮らしの部屋はとても静かで、少しだけ現実と離れているような気がした。


 ネクタイを解いて、スーツを脱いで、自分にまとわりついていた仕事の名残を、シャワーで洗い流した。


おなかがすいた。


部屋の明かりもつけずに、帰る途中コンビニで買った惣菜とサラダをほおばり始める。簡素な食事はものの5分で終わってしまった。


 もう後は明日、いや、日付が変わった時点でもう今日なのだろう。


眠らなくては、仕事に差し支えてしまう。ベッドに横になった。


何も考えたくないのだ。何かを考えたら、眠れなくなる。僕はそれをよく知っている。


 夜の静寂だけが、この部屋を、いや、僕の世界を覆っていた。


ただ、この闇の中が僕の心をひどく安心させていた。このままこの闇に溶けて消えてしまえたら、どんなに楽なんだろうか。


結局その時点で、僕は何かを考えていることに気付かされた。


 そこからまるで渦のように、いろんな思考が流れ押し寄せてくる。


数多の考えに苛まれながらも、行きつくところが【僕は何をしているんだろう】だから世話がない。


 仕事をしているときは、ひたすら仕事をするしかないから考える暇などない。はずだ。


その反動なのか、独りで夜の中にいると考え込んでしまうのだ。


 意味もなく天井を見上げる。


空も長らく見上げていない気がしてきた。


夜空はどんな風景だったか、いよいよ思い出せなくなってきたようだ。


 いや、僕は寝なくてはいけないのだ。


それなのに、とめどなく溢れかえる思考を止めることが出来ないのだ。


 気づいたらベッドに転がって30分経過していた。


ああもう、気を紛らわせるしかない。どうしたらいいのだろう。


 ふと、端末の明かりが付いた。そうだ、音楽を何か聴こう。


ながらくこうやって音楽を聴くことをしていなかった気がする。イヤフォンが見つからない。


 仕方がないので、音量を小さ目にそっと音楽を流すことにした。


部屋に小さく流れ始めた音楽は、ああ、とても懐かしい。


 10代の頃、とても感銘を受けた音楽じゃないか。あの男性の声がすごく心に響いて、新しい歌が出るたびに買いに走ったなぁ。


あの頃の感激や高揚感が無いのは、それほど大人になってしまったのかと苦笑いするしかなかった。


 いや、違う。忘れてしまっているだけなのだ。


そうでなければ、彼の歌声が、彼の綴った歌詞が、こんなにも心に響いて、涙がこぼれるはずがないのだから。


 いつから声を押し殺して泣くようになったのだろう。子供の頃は大声で泣いていたように思うんだ。


心はこんなにも震えて、前を向いて歩いて行きたいと必死に訴えかけている。


 僕は夜の中、日常と少しかけ離れた場所で、ようやく息を吹き返す。


 僕は夜の中、この時にようやく、生きているという実感がわきあがる。


少しだけでも前が向けるだろうか、少しだけでも自分の事が見えるだろうか。


 きっと今日は、星がきれいなんだろうな。






そう思ったのを最後に、僕は意識を手放した。


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