第百二十八話 再動(2)

 プレイヤーに関する問題。神に関する問題。

 拓斗が頭を悩ませる事柄は尽きることはない。その上で通常の国家運営も行わなければいけないのだ。

 ゲームではプレイヤーを飽きさせないためにイベントを目白押しにするのが鉄板とは言われているが、別にそんなところまでゲーム準拠にしなくてもいいのにと拓斗はこの状況に少々呆れてしまう。


 コンコンと、扉がノックされ、アトゥの声が聞こえる。

 どうやら休憩の為の飲み物が用意できたようだ。

 とりあえず喉を潤して気持ちを切り替えるか。そんな事を考えた拓斗の視界にアトゥとともに入室してくる別の人物が写った。


「お待たせしました。拓斗さま」

「王よ、私も失礼いたします」


「あ、エムルも来たんだね。ようこそ」


 アトゥとともに飲み物の乗った盆を持ってきたのはダークエルフの内政官エムルである。

 拓斗としては別に誰が来ても歓迎するのだが、今日はエムルが非番だったことを思い出し、おや? と疑問に思う。

 その答えはすぐに解消される。


「あまり考え事に根を詰めるのもどうかと思いまして、休憩がてらに甘いものを用意しています。エムルはちょうど厨房で何やらお楽しみだったので連れてきました」


「す、すいませんつい……」


「はは、人が多い方が賑やかだしね。じゃあ折角だし会議室の方で休憩と行こうか」


 よくよく見るとエムルが持つ盆にはなかなかの量の手作り菓子がのせられている。

 どうやら宮殿に備え付けられた広い厨房で趣味に興じていたらしい。

 普段ほとんど使われることのない厨房の意外な利用者に感心する拓斗。自分も料理か何か気晴らしに挑戦してみるかな? と思いつつ、用意されたコーヒーに早速口をつけた。


 ………

 ……

 …


 脳を酷使すると甘いものが欲しくなる。

 アトゥとエムルが用意してくれた茶菓子は、その言葉通り拓斗の全身に行き渡り血糖値の上昇とともにどこか活力の様なものを与えてくれていた。

 自分の身体の状態をよく理解している拓斗は、まだ自分が一般的な人間――それも前世での人間と同じ生理作用を持っていることにある種の驚きを感じながら、逆に英雄名も無き邪神やイラの信徒による祈りのブーストについて思いを馳せる。

 果たして自分は人間なのか否か。

 別に面倒ごとさえなければ人間であるという状態にことさらこだわりはないが、逆に言えば面倒ごとがあるのであれば御免被りたいことでもある。

 拓斗は、自分自身の調査も折を見てやらねばなと、また積み上げられたタスクが一つ増える事を実感する。


「そういえば、王とアトゥさんは本日は朝からずっとご一緒でしたが、どのような執務を成されていたのですか?」


 拓斗が用意されたコーヒーを飲み干し、ふぅと一息ついたタイミングで、エムルが話題を探すようにそんな事を切り出してきた。

 話のとっかかりを作るものとしては上等だが、アトゥとしていた相談内容が少々特殊な為にどう説明するのか一瞬口ごもる。


「あー……」


「あっ! も、もしかして聞いてはいけないことだったとか!? も、申し訳ございません! 私ったら!」


「ち、違いますよ! 何勘違いしているんですか! 変な勘ぐりはやめなさいエムル!」


 拓斗の逡巡をどのように受け取ったのか、エムルが途端に顔を赤らめて謝罪の言葉を述べる。

 その態度をどう受け取ったのか、さらにアトゥまでもが顔を赤らめると慌てた様子で否定する。


「いや、先日のサキュバスからの提案について相談していたんだ。神の国についても関わってくるから、できれば僕らだけで話をしておきたかったんだよね」


 変な勘違いをしている二人とは裏腹に、拓斗だけは冷静に相談内容について説明を行う。

 ダークエルフ達を国家の運営に参加させるという方針の手前、あまり拓斗とアトゥが二人きりで物事を決めるのは避けたいところだ。

 エムルなどは変な勘違いをしているようだが、これがモルタールやギア辺りに伝わって不安や不満を持たれても困る。

 だからこそ拓斗はこの案件に関しては例外的な話であり、ダークエルフ達が入り込む余地はないと言外に匂わせたのだ。

 プレイヤー関連は、このような形で濁すことが拓斗の中で通例となっていた。


「そうでしたか。私ったら、な、なんて想像を……本当に申し訳ございません! そうですよね、王とアトゥさんが二人きりでそんな、……私ったらなんてはしたない考えを!」


「き、気にしないで」


 とは言え、拓斗の懸念は無用の長物だったことはエムルの反応を見れば明らか。

 自分の想像が間違いだったと気づいたのか、この年頃のダークエルフは逆に先ほどよりも狼狽し始める。

 正直何を想像していたのかは気になるところだが、下手に突っ込んでも藪から蛇なのでこのまま何も見なかった聞かなかった事にしておくのが良いだろう。

 拓斗はこの場にモルタールやギアがいないことに内心で安堵する。

 忠誠心が高い二人がいたのなら先のエムルの態度は間違いなくとがめられていただろうし、その過程でエムルが抱いたあまりよろしくない想像が白日の下にさらされるからだ。

 それはそれで、拓斗によって非常に恥ずかしいことなるので勘弁願いたかった。


「しかしサキュバスですか……。私たちにとって伝承の存在。まさか現実に現れるとは思いもよりませんでした。それに人知を超えたあの巨大な幻影も……もしやかの者たちは王のように神の国からやってきたのでしょうか?」


「もしかしたらね。神の国の話は君たちが知るべきでないものも含まれている。だからアトゥと相談していたんだよ」


「いえ、そのような理由でしたら当然かと。しかしながら我らダークエルフも、その身の及ぶ限り、王のお力にならんとしていることをどうかお知りください」


「もちろん、勝手に話を進めるような事だけはないから安心して。みんなの力は頼りにしているから」


「というかエムル。貴女たちの献身がないと私と拓斗さまが比喩無く眠れなくなるので働くのは必然ですよ」


「現状でもみんなの睡眠時間は結構削れているけどね……」


 ここらが妥当な説明か。

 拓斗もこの辺りは探り探りな部分がある。できれば情報を共有しておきたいが、さりとて共有しすぎるのも不味い。

 ただ最低限敵が油断ならない存在であるという認識は持っているようなので現状は良しとする。


 エムルの作った菓子……焼き菓子をパクリと口に入れる。

 甘い味わいと香りが口いっぱいに広がる。上質なバター、ミルク、小麦粉をふんだんに使ったものだ。拓斗はあいにくこういったものに詳しくないので今口にほおばっているものが何か分からないが、以前緊急生産で生み出した現代のレシピ本をいくつか渡したことがあったので、その中にあるどれかなのだろう。

 糖分が身体を巡り、ゆっくりと頭が冴えてくる。


「ふぅ。とりあえず会談の件はまだまだ先の話だし、今後ダークエルフの皆も交えて細かく検討しよう。そうだ、本会議は後で正式に行うとして、折角エムルにきてもらったんだし現状の進捗でも確認しておこうかな。アトゥ、エムル。どうかな?」


 どうせ休憩が終わればまた打ち合わせが始まるのだ。

 であれば少しだらけた形になるが飲み物と菓子を片手に話を進めるのも悪くはないだろう。

 そういう意味を込めて提案してみると、アトゥとエムルから好意的な返事が返ってくる。


「はい、では現状で上がっている報告についてお伝えしますね」


「折角の休憩ですから、話題の種にさらっと行きましょうか拓斗さま」


 後ほどモルタール老らダークエルフとの会議で詳細を検討するとは言え、事前の確認は必要だ。

 特に現在は拓斗が病み上がりということもある。実のところ調子は問題ないのだが、それでも長らくある種の昏睡状態だったことは事実だ。

 己の頭が錆び付いていないかを確認するためにも、拓斗は念のため事前に情報をとりまとめておくことを選んだのだ。


「まず、今回の戦闘――空白地帯と化したレネア神光国にて発生したクオリア勢力との戦闘の結果についてです。ヴィットーリオさんと日記の聖女との戦闘の結果、日記の聖女に何らかの覚醒が発現。当初の予定であった南方州の掌握は失敗。ただし正統大陸との接続領域に属す都市セルドーチは我が国へ編入、地域一帯を掌握し対クオリアの最前線となっております」


「うん、ヴィットーリオの報告とも、こちらで確認した情報とも合っている。日記の聖女の動向が不明だから注意が必要だけど、どうも彼女はコントロールが効かない様子だからいくらでもやりようはある」


「クオリアとしても今は崩壊したレネア神光国地域の立て直しに忙しいでしょうから、積極的にこちらへ手を出す余裕はないと見て良さそうですね」


 先日の事件。舌禍の英雄ヴィットーリオがレネア神光国が残した土地を掌握しようと暗躍した事件は、マイノグーラを含め大陸に大きな変化をもたらした。

 その一つがマイノグーラの新たな領土獲得。

 正統大陸への接続領域と、レネア神光国の一部領域。

 それらはマイノグーラの国力が増加する得がたい功績ではあったが、同時に巨大な問題をももたらしてきた。


「それよりも、新たに編入した都市の事が気になるんだけど……その、どんな感じ?」


「王が懸念されている通り……かなり修羅場です」


「やっぱりかぁ……」


 それがこれ。

 単純に得た領域が巨大すぎて管理が追いつかない問題である。

 わかりきっていた事実を改めて突きつけられた形にはなるが、うれしくも頭が非常に痛い悩みであった。


「人材の育成も急ぎで進めておりますが、それ以上に拡張の速度が速すぎます。おそらく次の会議ではこの辺りの嘆願が主となってくるかと思います」


「ドラゴンタンですらようやく落ち着いてきたって感じなのに、さらにですからね。下手したら今のマイノグーラの総人口を超えているかもしれません」


(ゲームでは都市を編入したら数ターン都市が混乱状態になってたけど、こっちは国規模で混乱……か)


 遠い目をしながら過去の記憶に思いを馳せる。

 ゲームと現実は違うとはこの世界に来てからいやというほど思い知らされた事がらだが、一番の理由が書類仕事というのは予想外にもほどがあった。

 とはいえ、前世における先進的な科学技術と行政システムがあったとしても全く無くなる気配のそぶりも見せなかった難敵だ。

 商業AIが軌道にのれば人類の生活は一変するなどと言われていたが、おそらく人類と書類の友情は永遠に途切れることはないのだろう。


「とりあえずは対症療法的な感じしかないかな。幸いセルドーチの都市は住民がイラ教の教徒だ。マイノグーラに従順だし、一旦レネア神光国だった頃の統治システムをそのままスライドさせる形で時間をかけて手を加えていこう。ついでにヴィットーリオを働かせるのも悪くない」


「働きますかね?」


「働かせるんだよ。無理矢理にでも」


 ヴィットーリオは設定上コントロールがきかない。

 だがこの問題も現実とゲームの差異が出ているようで、ある程度ならこちらの話も聞いてはくれるようだ。もっとも、ある程度でしかないが。

 おそらく先日の格付けが効いたのだろうが、あれがなければある程度ですらコントロールは不可能だっただろう。

 そんなヴィットーリオであるが、能力だけは優秀なのだ。特に内政面に関して。

 彼はそのスキル構成が全て他者への嫌がらせに特化しているが、反面それらは頭脳面に秀でるものが有するスキルなので必然的に地頭が良い。

 伊達にイラ教の裏で君臨している訳ではなかった。


「頭だけは優秀ですからね。あれも余計な事さえしでかさなければマイノグーラにとって有益だったのに……」


「まっ、それも彼の魅力ということで」


 アトゥの非難にお茶を濁した答えを返す拓斗。

 見方を変えればヴィットーリオをかばうようなその言い分にアトゥの眉間にしわが寄る。

 あっ、これはアトゥの機嫌が悪くなる前兆だと素早く察して脳内で彼女の喜びそうな言葉をいくつかピックアップしていたそのときだった。


 コンコンと、ドアがノックされ何者かが来訪する。


「どうぞ」


 一瞬アトゥとエムルに視線を合わせ、頷く。

 椅子から立ち上がったエムルが談話室の扉を開けると、その場にいたのはモルタール老だった。


「失礼致します。王よ、我々では少々判断がつかぬ事柄がございまして、――ドラゴンタンに滞在中のとある旅人が、王への謁見を求めているのです」


 テーブルの上に並べられた食器と食べかけの菓子を一瞥すると、一瞬鋭い視線をエムルに向けるモルタール老。

 こりゃ後でうまくごまかしてあげないとかわいそうだなと拓斗が考えている間に、アトゥが先の報告について彼に報告の詳細を求める。


「普通に考えればどこの馬の骨とも分からぬ者と王が会う理由も必要性もありませんが、貴方がここまで話を持ってくるということはそうではないのですねモルタール老」


 マイノグーラの王ともなれば、日夜様々なものが謁見を求めてやってくる。

 不遜にも己の立場をわきまえず邪悪なる存在と取り引きを行おうと考える者も少なくはない。商人、傭兵、吟遊詩人、よく分からぬ素性の者が自分に一目会おうと悪戦苦闘するのが今のドラゴンタンだ。

 だがそれら時間を割くに値しない輩の対処はモルタールよりもさらに下の者に任せている。もちろん門前払いという形でだ。

 だからこそ、彼がここに来ているということは重要性が高いと判断された事になる。

 一体誰が?

 思い返しても現状では自分に接触を求める重要度の高い人物に思い当たる節はない。

 一体どんな名前がそこから飛び出してくるのか?

 拓斗が少しばかりの興奮を胸に宿しながら、その老練なるダークエルフの口から語られる名前を持つ。

 そして……。


「はい。その者、我らが知らぬ奇異なる出で立ちをしており、ただし佇まいは一流の戦士のそれ。そしてなにより――自らを勇者と名乗っております」


 拓斗の眉間に深いしわが寄る。

 その言葉に、拓斗は運命の歯車が自分たちの想像を超える速度で回り続けていることを実感するのであった。

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