第百二十六話:流転
舌禍の英雄。破滅の王に破れる。
否――最初から勝負にはなっていなかったのだ。
拓斗はアトゥが彼を召喚するはるか以前より此度の流れを予測し、その対策をとっていた。
アトゥが拓斗のあり方を呼び起こし意識を取り戻せば良し、焦れてヴィットーリオに助けを求めてもまた良し。
どのように転んでも最初から拓斗の勝利に揺るぎはない。
『Eternal Nations』においてイラ=タクトこそがもっともヴィットーリオを上手に扱えるとするその評価はなんら誇張のない純然たる事実だった。
「た、拓斗さまぁぁぁぁぁ!!」
先程まで置物と化していたアトゥが拓斗にタッとかけよりその身に抱きつく。
突然のことに少し驚いた拓斗であったが、平静を装うことができたのは成長の証しだろうか。
「わ、私は感動しておりますぅぅぅぅ!」
だがそんな拓斗が抱く内心の動揺とは裏腹にアトゥは感動しっぱなしだ。
あれほど華麗にヴィットーリオを打ち負かしてみせたのだ。
憎きライバルを打ち負かす爽快感もさることながら、拓斗が常に自分を選んでいてくれたという事実が彼女を幸福の絶頂に誘う。
「しゅごい! 拓斗さましゅごい! これほどまで華麗にあのヴィットーリオの策を見抜いて打ち砕くとは! 私感激です!」
ちなみに拓斗はアトゥに抱きつかれてカチコチである。
平静を装うことはできたが、所詮拓斗ではここまで。特に気の利いたことを言うでもなくただテンションが最高潮に達した愛おしい腹心にされるがままになっている。
「でもどうして私に説明してくださらなかったのですか? 私は、私は本当に拓斗様がいなくなるんじゃないかってこれほどまでに心配したのにっ!」
「いや、ちゃんと説明したけど全然理解してなかったよねアトゥ」
「…………拓斗さまぁぁぁ!!」
ごまかしたな……。
ギュッと抱きつかれながら、冷や汗をかく。
確かに拓斗は早い段階でアトゥにこの作戦の事を伝えていた。
それは彼女があまりにも心配するからであり、そもそも彼女が勘違いをして暴走しないために協力を得るためという理由からだった。
だがこの態度を見る限りあまり分かっていなかった様子。
アトゥはもともとこのような謀りごとをする英雄ではないしする必要もないので仕方ないとは言えるが、もう少し自分の話を理解しようと努めてくれればと拓斗は少しばかり困ってしまう。
だがとうの本人はそんなことどこ吹く風。
敵に奪われた自分を敬愛する主が奪い返してくれた上に、その後のトラブルも全て彼の手のひらの上で解決してしまったのだ。
彼女が有頂天になるのも致し方ないと言えよう。
とはいえ、少々浮かれすぎの嫌いはあったが……。
「ふっふっふ! しかしこれで分かりましたね。拓斗さまの腹心はやはりこの私! お前程度では私と拓斗さまの間に入り込むことはできないのですよヴィットーリオ!」
アトゥによる勝利宣言。
一体彼女が何をしたのかという疑問はあったが、とりあえず勝利宣言はしなければいけないようだ。
自ら敬愛する主を取られんとするいささか子供じみた感情で持って、アトゥはもはやお前の出る幕はないとヴィットーリオに現実を突きつける。
そして圧倒的な敗北を喫した舌禍の英雄はというと……。
「おぎゃああああ!」
突然大きな叫び声をあげながらその場でごろごろと転がり始めた。
「「えっ、ええ……」」
突然の奇行に思わず引いてしまう拓斗とアトゥ。
二人仲良く抱き合いながらまるで仲睦まじい夫婦のように同じ反応を見せる二人の態度にヴィットーリオは更に叫び声を上げる。
「目の前で繰り広げられる唐突な寝取られ! 吾輩の脳が破壊されるぅぅぅぅ!」
「いや、寝取られもなにも、最初から始まってないんだけど……」
「わきまえなさい! わきまえなさい!」
ヴィットーリオの中では敬愛する主が突如どこぞの馬の骨とも知らない小娘に寝取られたということであろう。拓斗もアトゥも全力で否定しているが、言い聞かせて受け入れるようでは舌禍の英雄などとは呼ばれていない。
相変わらず二人に向かって怨嗟の声を上げつつ、如何に寝取られが人の心を破壊するかを言って聞かせているヴィットーリオであったが、当の二人はそんな話を一切聞いていなかった。
「あ、あとアトゥ。その……ちょっと近いかも」
「あっ! ご、ごめんなさい! その、拓斗さまが私の事を想ってくれていたとおもったらつい……」
「う、うん。僕も改めてありがとう。その……アトゥがずっと僕の看病をしてくれていたから、あれだけ早く戻ってこられたんだ」
「お、お慕いしていますから……」
「え、えっと」
「わーっ! わーっ! 今の無し! 今の無しです拓斗さま!」
ようやくお互い抱き合っていることに気付いたのか。
顔を真っ赤にして離れる二人。どうやら二人の世界にはすでにヴィットーリオは存在していないらしい。
ヴィットーリオの話を聞いていたら永遠に終わらないので放っておこう。
拓斗とアトゥの判断は奇しくも同じもので、ある意味でそれが正解と言える。
無論眼の前で主を取られた哀れな英雄の怒りは収まらない。
「くそがぁっ! 付き合いたての中学生みたいな甘酸っぱいラブコメしやがってぇ……。吾輩がこの作戦にどれだけ心血を注いだか知っていてそんな仕打ちをするのですかぁっ!」
「つ、つきあい……! ま、まぁっ! 私と拓斗さまはとーっても仲良しですからっ! 最初からハッピーエンドは決まっていたのですよ! セカンドプランは身の程をわきまえて、以後私の視界に入らないところでマイノグーラに献身するように! ねーっ! 拓斗さまーっ!」
「そ、そうだねアトゥ」
「えへへーっ!」
アトゥは天然であった。拓斗への想いが溢れ、本心で彼への思慕を表明しているだけに過ぎないのだが、それがとことんヴィットーリオの神経を逆なでする。
滅多なことでは本心から怒りをあらわにしないヴィットーリオではあったが、これだけは割りと真剣に頭に来ていた。
そういう意味では、きっとアトゥとヴィットーリオは犬猿の仲で永遠のライバルなのであろう。水と油という表現が正しく似合う関係性だった。
「正ヒロイン気取りかぁっ!? まだレースは終わってないですぞぉっ!」
「いや、なんで貴方がヒロインレースに乗ってる前提なんですか? 無いに決まってるでしょ!」
「うるさぁぁぁぁいっ!!! 吾輩は諦めませんぞ偉大なる神イラ=タクトよ! いつかそこの頭お花畑恋愛脳を蹴落とし、神の伴侶としてうさ耳ドジっ子メイドになってみましょう!」
「その話……まだ続いていたんだ」
拓斗も呆れ顔だ。
彼の策が決まっていたら今頃うさ耳ドジっ子メイドになったヴィットーリオを最愛の配下として世界征服を始める最強無敵のイラ=タクトが始まっていたところだ。
本人はあらゆる手段を持って本当に伴侶としてふさわしく変身してくるだろうが、元がヴィットーリオなので嫌悪感がすさまじい。
きっとその世界ではアトゥも宮殿から追い出され、道端で哀れに物乞いをする運命が待っているのだろう。
最悪極まりないとはまさにこの事だ。無事彼の企みを挫くことができて本当によかった。
「吾輩諦めない! 諦めなければ夢は叶う! ネバーギブアップ、ネバギですぞ吾輩っ!」
「諦めなさい! もうチャンスはないのです! 私と拓斗さまの勝ちです! 試合終了! ゲームセット!」
ぎゃーぎゃーと、二人の英雄が実にくだらないことで言い争いを始める。
しかし……ともあれこれで一段落ついたと言えよう。
ヴィットーリオに対して本当の意味で支配者としての格を見せつけたし、自分の力も取り戻せた。
アトゥも変わらず自分の側にいるし、国家の運営も手を加えるところが多けれどなんとか軌道に乗りつつある。
ヴィットーリオのやらかしで聖なる軍勢が更に力をつける結果となったが、まぁそれも不可抗力だ。難易度は高いほうがやりがいがある。
イラ教という面白い組織もできたことだし、これからますますやる事できる事は増えていくだろう。
目的は忘れていない。次元上昇勝利を得て失った全てを取り戻すという目的は、拓斗に慢心の二文字を与えずに歩みを進ませる。
「まぁ……ヴィットーリオが居てくれるのは頼もしいよ。これからも僕の為にその知恵を貸してくれ。お遊びは……ほどほどに」
「んんんんっ! 無論、もちろん、イエッサー! 幸福なる舌禍ヴィットーリオ! 今までも、そしてこれからも御身の為だけに、我が全てを捧げましょうぞぉぉ!」
これにて此度のいざこざは無事終幕。
すでに指導者としての権能によってアムリタで起こった戦闘と、イラ教の信徒たちが退却したセルドーチの状況は把握している。
エルフール姉妹を戻したりヨナヨナに新たな指令を出したりと部隊の再編は必要だが、全体を見れば国土を増やす結果となっており成果は上々だろう。
まぁ急激に支配地域が増えたことでまた皆には書類仕事に奔走してもらわなければならないが、もはやその辺りは逃れられぬ宿命なのかもしれない。
思えば、こうやって腰を落ち着けて戦略を練られるのも久しぶりだ。
ヴィットーリオを加えた次なる戦略を考えるのが、楽しみでならなかった。
「というわけで、早速吾輩は次なる作戦をば……」
無論、ヴィットーリオが話を聞くはずはないので、ある程度の釘刺しは必要だ。
忠誠の言葉を述べた側から暗躍しようとする舌禍の英雄に、拓斗は分かっているなとばかりに忠告する。
「その前に、ちゃんと皆に説明はしておくように」
「はて、みんなとは?」
「ヨナヨナとエルフール姉妹だよ」
「…………やっべ」
本人もすっかり忘れていたのだろう。それとも興味がなかったか。
彼は自分の死を偽装して日記の聖女から撤退している。
しかもそのまま放置して、自分の復活能力とその無事を仲間に伝えていないのだ。
彼女たちがどのような感情を抱いていたかは拓斗とて分からないが、表面上の態度を見る限りでも相当の折檻があると思われた。
「まぁ、身から出た錆さ。仕置きは覚悟しておくように。それに君は死なないし、何されても安いだろ――」
ニヤリと笑って見せる。
まぁ散々周りに迷惑をかけてきたのだから、この程度の事は当然として受け入れるべきだ。
いい気味だという思いが少なからず存在することを理解しながら、拓斗は自らの英雄にそう言い伝える。
そんな、主従の会話が終わりに入ろうとするときだった。
『あっ、あー。テステスー。聞こえているかしら』
「「「――っ!?」」」
突如、世界に轟くかのような巨大な声が辺り一面に響いた。
すぐさまその出処を探そうと臨戦態勢に入る三人。
いち早く気配と音の発生源に気付いたのはアトゥだった。
「拓斗さまっ! 外です!」
慌てて外に出る。
予想外の出来事に三人とも険しい表情をしているが、この世界において予想外は日常茶飯事。
この程度で心が揺らいでいては勝利など遠く彼方だ。驚きはすれども動揺はなかった。
だが……。
『イドラギィア大陸にお住まいの皆さんごきげんよう。皆さんのエッチなおかず、サキュバスのヴァギアお姉さんよん♪』
空一面に映る巨大な半裸の痴女を見ては、その前提も覆る。
「なんですかあの痴女は……」
アトゥの呆れた声に思わず同意。
天を突こうかと思われる程の巨体。うっすらと背後の景色が見えているところを見ると何らかの魔術的な技術による幻影なのであろう。
漫画やゲームなどでたまに見る悪役の演出に似ているが、そこに映されるのが目に毒な妖艶な美女となれば流石の拓斗も判断に困る。
「エ、エル=ナーの魔女か。動きは無かったはずなのに、いきなり大胆な行動にでるなぁ」
視線はこちらに向いていない。すなわち自分たちだけに向けたものではない。
おそらく大陸全土に向けた放送のようなものなのだろう。
事実彼女の口から語られた内容は、その推測を肯定するようなものであった。
『この世界にいる全てのプレイヤー、組織、国家に提案するわん。皆思うところはあるかもしれないけど、互いを知らないままに争うなんてナンセンス! ここは一旦休戦して平和的な話し合いをしない? その為の用意がこの魔女ヴァギアにはあるわぁん♪』
拓斗はすでにTRPG勢のプレイヤーを撃退している。
その衝突は突発的なものだったし、その結果もまた中途半端なものだった。
こちら側が世界征服を狙っているとは言え、TRPG勢の目的はあまりにも不明だったし、それこそエル=ナーやそこを支配した魔女の目的も不明である。
結局こちら側がやることは変わらないのだとしても、相手がどのような考えを持っているかを知ることは悪くないように思えた。
特に……この世界には自分たちを呼び寄せた神々が存在する。
それらの意図を知るという観点でも、興味深い提案だ。
『各組織には後ほど使者を遣わせるわ! では拡大の神の使徒。魔女ヴァギアの名において、各々方の列席。楽しみにしているわよ~ん♪』
言いたいことだけ言って消えた。
使者を送るということはある程度こちらの情報も割れているということだろう。
エル=ナーの魔女。すなわちサキュバスの軍勢と魔女ヴァギアの存在についてはほとんどと言って良いほど情報がない。
クオリアやレネアとの争いに手を取られていたとは言え、情報面では一歩先を行かれていることが確実だ。
「拓斗さま、これは一体……」
困惑した様子でアトゥが尋ねる。
せっかく少しは落ち着けると思ったのにまた面倒事が起きるのか? という言外の不満があふれている。
拓斗としてもその言葉には同意だった。
クオリアとの国境を強化して引きこもりながら国力を増加させる予定が、出鼻からくじかれた気持ちになる。
とは言え……動き出した世界は待ってくれない。
「うーん……」
「ついに動き出したって感じでございますなぁ」
さしものヴィットーリオも呆れた様子だ。
彼もある意味で派手好きではあるが、その上を行かれる演出に思うところがあったのだろう。
変な対抗心を覚えてくれなければ良いがと思う拓斗であったが、その保証がどこにもないことを彼自身よく理解していた。
そして、運命の流転は彼らを待ってはくれない。
「ん?」
わずかな予兆が拓斗の脳裏を駆け、次いでそれは通達される。
=World Message==========
プレイヤー鬼剛雅人および無価値の魔女ムニンの消滅が確認されました。
明白の神は敗北となり本遊戯から退場となります。
残るプレイヤーの奮戦を、遊戯管理者盤上の神は心より応援しております。
―――――――――――――――――
ここに来てシステムメッセージ。
しかもこれはおそらくこの世界で行われている争いそのものにかんするものだ。
加えて神と来た……。
「こりゃあ忙しくなりそうだ……」
情報の奔流に溺れそうになりながら、世界の挑戦に対して拓斗は薄く笑うのであった。
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