第百二十五話:驕り

「うんうん。いいね。実に良い。だがその提案は却下としよう」


「……え?」


 拓斗の言葉に、ヴィットーリオは素っ頓狂な声を上げた。

 彼は自らの主が何を言っているかわからなかった。

 いや、その言葉の意味は理解できる。だがなぜそのような事を言い出すのか、全くもって理解できなかった。


「いや、本当。僕の知るヴィットーリオって感じだ。本音で語ってくれて、僕は嬉しいよ」


「なぜ……?」


 策士がなぜと問うのは愚かな行為だ。

 いわんや相手を拐かすためではなく、自分が理解できない状況について答えを求めるという行為は、己の敗北を認めることと同義である。

 ヴィットーリオとてそのようなこと当然のように理解している。

 理解してい尚、その言葉しかでてこなかった。


「おや? 僕がイエスと言うと思ったのかい? まぁ確かにこの邪書ではヴィットーリオを最も信頼する配下であると定義されているからね。彼の言葉だけは唯一耳を傾けると、そう書いてある」


 欲張りだね――。そのように付け加え、拓斗は薄く笑う。

 彼の言葉は真実だ。そしてヴィットーリオがここまで自信に満ちて彼の前で延々と演説を行った根拠でもある。

 拓斗はヴィットーリオが創設したイラ教の信徒たちが生み出した認識の力でその意識を取り戻した。

 それはすなわち邪書の設定が間違いなく《名もなき邪神》に通った事を意味し、すなわちそれは記載通り拓斗がヴィットーリオを第一の配下としその言葉を受け入れる事を意味する。

 それだけではない。ヴィットーリオはいくつもの策を用意してみせた。

 イラ教という巨大な第二の国内勢力を用意することでマイノグーラの国力を大いに増大させたし、更には宗教という国家に囚われない支配手段も用意してみせた。

 また結果論ではあるが日記の聖女という巨大な敵を用意し、今までの彼では戦力的に対応不可能な状況も作り上げた。

 邪書が描く最強無敵のイラ=タクトの存在を拒否することは、道理の面でも理解しがたい。

 それ以前にイラ=タクトが最も信頼する第一の配下であるヴィットーリオの作戦を否定することはあり得ないはずだ。その様に仕組んだ。

 なにか……大きな間違いをしている。

 ヴィットーリオの瞳が揺れる。自らの作戦が土台から崩されるような、そんなあり得ない想像が彼の胸中を支配し始める。


「最初から違和感を抱いていたんだ。君のその振る舞いは、とても好ましいものだけどどこか遠慮があるんじゃ無いかって。君が僕の能力に不信感を得たように、僕も君の行動から似たような不信感を抱いていた」


 拓斗が語る。

 それはまるで彼がヴィットーリオの策を見抜いていたかのような物言いだ。

 だがそれはおかしい。彼が目覚めた時点ですでに彼はヴィットーリオの理想とするイラ=タクトへと変化し続けている。

 舌禍の英雄を第一の腹心として考えているはずのイラ=タクトにどうしてそのような思考ができようか?

 だからこそ、前回謁見した時に汚泥のアトゥがその場にいなかったのではないか?

 自分の腹心はヴィットーリオであると内外に知らしめるために……。

 だが、ヴィットーリオの混乱をあざ笑うかのように、拓斗は実に軽やかに話を続ける。

 それはまるで久しぶりにあった友人に近況を語るかのような気軽さだ。


「まぁ確かに僕は少々情けない作戦が多かったし、事態を舐めて失敗したこともあった。その点では君に落胆される部分はあったと思う。だから、少し僕の方でもいろいろと対策をとっていたんだ」


 おかしい、おかしすぎる。

 なにか間違いが起きている。ヴィットーリオは頭を必死の勢いで回転させながら自ら今まで行ってきた行動をかえりみる。

 だがどこにもミスは存在せず、何らしくじりは存在しない。

 一体どこで自分は拓斗にその作戦を知られ、対策をとられたのか?

 驚愕と衝撃、そして奇異なことにある種の喜びを感じながら、ヴィットーリオは主の言葉を待つ。


「――以前、君はセカンドプランは常に必要と言っていたね。覚えている?」


「え、ええ、もちろん。忘れておりませんぞ」


 セカンドプラン。つまり代替手段だ。

 あらゆる作戦には予想外の出来事が起きる。そのために様々な対策を練るのは策士の常。

 ヴィットーリオが用意したのは代理教祖のヨナヨナ。

 最も彼女の場合は、ヴィットーリオが何らかの問題でイラ教の行動を管理できなくなった場合に彼の意を受けイラ教をコントロールするためのものだが。

 その意味では代理教祖という立場はヨナヨナを正確に表したものだ。

 だが拓斗が言いたいのはヨナヨナの件ではないだろう。物事には予備が必要という手段の話だ。

 その意図はつまり――。


「そっか、良かった。ならこれで分かるはずだ」


 眼の前の拓斗の姿がブレる。

 そこに現れたるは異形の赤子。擬態の能力を持つ、強力な拓斗の配下であった。


「確かに僕がイラ=タクトとして《名も無き邪神》の力を使いすぎたことによってこの問題は引き起こされた。君の作戦も実に見事と言わざるを得ない。ただ僕はこの問題に対して、何も考え無しだったわけじゃない。一応、対策はしていたんだよ」


 赤子の口から拓斗の言葉が漏れる。

 《擬態》を見破るにはそれに見合った能力が必要だ。ヴィットーリオも同じ能力を有しているが、残念ながら見破ることに関しては専門外だ。

 全く予想だにしていなかったと言えば嘘になるが……その意図がいまいち見えない。


「で、《出来損ない》!! 模倣能力か! しかし、何故!? ――まさかっ!!」


 記憶を呼び起こす。

 前回の謁見の際に、彼はなんと言ったのか? 忠誠の言葉を求めたのではなかったか?

 その求めに応じ、自分は疑問に思いながらも是と答えたのではないか?

 自分は何に忠誠を誓った? それは本当にイラ=タクトだったのか?

 あの擬態能力を有す赤子の化け物に誓ったのだとしたら?

 いや……だとしたら、前提が崩れる。

 偶像崇拝を禁じる教えに。イラ=タクト以外を奉じてはならぬと言う絶対の教えに。

 神に対する認識の分散がなされ、解釈の余地が生まれる。

 それを自分がやってしまった。他ならぬイラ教の教祖である自分が!


「わ、吾輩を騙したのですか!?」


 その言葉に拓斗はふふと軽く笑う。

 《出来損ない》から語られる言葉で、本物の彼がどこにいるかは分からないがこちらの状況を常に監視しているのであろう。

 確か拓斗の指導者としての能力はまだ戻っていなかったと聞いていたが、それも最初から嘘だったのだろう。


「君との知恵比べはいつも僕をワクワクさせてくれる。懐かしいな、毎回君の企みを当てる度に手を叩いて喜んだものさ」


 すでに状況は真逆のものとなっている。

 ヴィットーリオの策は全て封じられ、拓斗の勝利が確定している。

 舌禍の英雄に今から巻き返す手段は無いに等しい。相手の手段にまったく見当がつかないのだ。

 その状態で起死回生の手を打てるなどとは、さすがのヴィットーリオも甘い考えは抱いていなかった。


「しかし! だとしても納得がいきませぬぞ! 吾輩が行った再定義は、貴方さまに確実に届いたはず! でなければ今でもその身は意識を失ったまま! このような策を打てるはずがない! 吾輩は! 貴方様の唯一にして無二の信頼を置く腹心なのですぞ!」


「君が僕の意識喪失を《名も無き邪神》の能力故のものだと推測したのは確かに正しい。破滅の王やマイノグーラの指導者と同様に、僕を構成する性質であると考えるのも間違ってはいない。ただ一つ勘違いしているのは、あくまでそれはイラ=タクトの話であって、伊良拓斗の話では無いんだ」


 その言葉でヴィットーリオは大きく息を呑んだ。

 おおよその状況が把握できたのだ。だがそれは彼に大きく屈辱を与えるものだ。

 拓斗の言葉が事実なら、ヴィットーリオはそれこそ最初から一人踊っていたに過ぎないのだから……。


「君ならもうすでにある程度理解しているんじゃ無いかな? この世界がある種の多重構造になっていることを」


 ゆっくりと頷く。

 この世界に存在する者たちにはある種の絶対に超えられない壁が存在する事をヴィットーリオはおおよそだが理解していた。

 例えばダークエルフたちのような世界に元からいる存在は、一般的にゲームNPCのような存在と同等もしくは下位にあると定義できる。

 逆にプレイヤーなどの転生者は上位の存在であり、更に彼らをこの世界に呼び寄せたと思わしき神々は更に上位に位置している。

 それらに決定的な区切りや見た目の違いがあるわけではないが、圧倒的な力の差として区別が可能であった。


「イラ=タクトはあくまでも『Eternal Nations』における人格でしかない。そしてそれはより上位の存在である伊良拓斗の一部だ」


 《名もなき邪神》はあくまで『Eternal Nations』世界一位プレイヤーのイラ=タクトの一性質でしかない。

 チェスのコマが指し手を攻撃できないように、下位の存在もまた上位の存在に直接影響を与えることは強い困難を伴う。

 イラ=タクトという存在が消え去ろうと、伊良拓斗という人間が消え去るわけではない。

 特にそれが精神性や存在意義の話であるのならなおのこと……。

 それが世界の法則だ。


「すなわち、初めからイラ=タクトが《名も無き邪神》の力によって人格を失おうとも、僕への影響はなかったんだ」


 伊良拓斗はこの世界に転生者としてやってきてから常に『Eternal Nations』のプレイヤーとして振る舞ってきた。それがマイノグーラの指導者であり、破滅の王であり、名もなき邪神だ。

 だが彼の本質はあくまで伊良拓斗である。

 最も愛するお気に入りのキャラクターとともに数々のプレイをクリアした余命幾ばくかのゲーム好きの男子。

 それが拓斗という人間であり、揺るぎ難い本質だ。


「ただまぁ……長く指導者として過ごしてきたせいか、少しばかりテコ入れは必要だったけどね」


 拓斗が自身を喪失したのは、実のところ車酔いのようなものだった。

 ゲームにのめり込むあまり、ゲームの人物と自分を混同する。ショッキングな映画を見て発作を起こす人間がいるように、拓斗もまたイラ=タクトという概念の影響を受けて一時的に《名もなき邪神》の性質に引っ張られることとなった。

 だが……それすらも拓斗の中では想定内の出来事だ。

 そして対策は一つ。


「例えばそう……最も信頼する、幾万ものゲームプレイを繰り返して僕の事をよく知ってくれている子が、僕との――伊良拓斗との思い出をずっと語りかけて僕が誰かを思い出させてくれる。とかね?」


 彼の側にアトゥがいること。

 アトゥが床に伏せる自分に思い出を語ってくれることによって、自己の本質を呼び起こしイラ=タクトの呪縛から解き放つ。

 まるでメルヘンチックなおとぎ話のような話ではあったが、拓斗の予想通り実に素早く復帰することが可能となった。

 もちろん、アトゥがそのようにしてくれる保証は高い確率である。

 なぜなら自分が反対の立場ならそうするから。


 拓斗が復活したのはヴィットーリオの策によるものではない。偶然タイミングが合っただけで、本当はアトゥの献身によるものだったのだ。

 気恥ずかしくて言葉にはしないが、絶大な信頼がそこにはあった。


「あらゆる者を超える知謀を持ち、誰にも騙されたことがない。全てを操り嘲笑する者。だがそれは一度も騙されたことがないということでもある」


 コツコツ、足音がする。

 ドアがギィと開き誰かが入室してくるが、茫然自失のヴィットーリオには振り返る気力すら残されていない。


「えてしてそういう者こそ、思わぬところで容易に足下を掬われる。自分は騙されることはないという自負が、驕りとなって自らを殺すんだ」


 これを驕りといって良いのだろうか?

 最初からすでに敗北が決定していた。自分が呼び出される前からすでに策はなっており、完璧なまでにその準備が整えられていた。

 これを巻き返すなどヴィットーリオとて不可能に近い。

 過去を変えられないように、完成された復活劇に付け入る隙などないのだから。


「そうだね。わかりやすく結論を述べよう」


 背後から、声がした。

 ああ、これだ。この声だ。

 ヴィットーリオを唯一コントロールし、手のひらで踊らせて見せるその妙技。

 あらゆる知識を蓄え、その知謀によって全てを嘲笑う舌禍の英雄を御して見せる者。


「――最初から、アトゥさえいれば全て解決するよう仕組んでいた」


 ぽんと、背後から肩に手を置かれる。

 ヴィットーリオの瞳から涙が流れた。

 待ち望んだ主が目の前にいることが何よりも嬉しいと、やはり自らの信じた主は彼の信じた通りに偉大な存在であったと。

 ああ、早く、早く言ってくれ。

 自分に敗北の屈辱を味わわせてくれ。


「君はセカンドプランだよヴィットーリオ。どうやら出番はなかったみたいだけどね」


 正面にやってきた拓斗の視線が、ヴィットーリオに合わされる。

 優しく言い聞かされた言葉が何よりも尊い。

 初めて相対する主から聞かされる言葉。

 敗北の味は、ヴィットーリオを何よりも強く強く狂わせたのであった。

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