第百二十四話:告白

 マイノグーラ宮殿。玉座の間。

 自らの能力で殿をつとめ死亡し、一足先に大呪界へと戻ってきたヴィットーリオは全くもってごきげんな様子で自らの主へと勝利宣言を行った。


 ヴィットーリオが『Eternal Nations』で最も厄介な英雄であるとされている最たる理由がこれだ。

 一度世界に召喚したからには彼をゲーム上から排除するには非常に困難を伴う。

 なにせ撃破しても拠点で復活し、何事もなかったと言わんばかりに平然と活動を再開するのだ。

 戦闘能力がないがゆえの絶大なるボーナス。

 彼が世界にもたらす悪影響を考え頭を悩ませる『Eternal Nations』プレイヤーが多かったと言われるのもまた納得だろう。

 ちなみに彼は例外的に召喚主であるマイノグーラが滅んでも残り続ける。

 出現した瞬間にゲームバランスが崩壊する危険性をはらむと言えば、彼がどれほど嫌がられたかを想像する一助となろう。


「偉大なる神――イラ=タクト。

 それは世界を滅ぼす厄災であり、死と恐怖をもたらす存在である。

 それは怒り狂う炎であり、冷酷なる吹雪であり、猛り鳴る雷である。

 それは血と刃と悲鳴である。

 それは世界を明け照らす太陽であり、沈み包む夜である。

 

 それは無限の叡智を持ち、無限の権能を持つ。

 それは永遠の命と永遠の肉体を持ち、金属、固い物、柔らかい物、六つの元素、ヤドリギ、あらゆるもので傷つける事叶わない。

 それは最初にありて、最後にある者。完全にして完璧なる者。

 

 偉大なる神を称えよ――」


 舌禍の英雄による大胆不敵な勝利宣言にも、拓斗は自分のペースを崩していなかった。

 彼の手には以前入手した邪書が開かれている。

 今の読み上げたのは神の項目――すなわち拓斗について言及された部分だ。


「なるほど……ね。聖女の神託書をベースに、より完全になるように付け加えられている」


「んっふっふー」


 その内容は尊大であった。

 イラ=タクトがどのような人物かについて書かれている箇所でさほどおかしな部分はない。

 だがその力の詳細については大きな違いがあった。

 実際の拓斗には存在しない能力や力がこれでもかと並べられ、拓斗という存在をより神格化するエッセンスが随所に散りばめられている。

 現実と書物の内容に差異があるというのは得てして起こりうるものだ。

 特にこういう信仰心を増幅させたり特定の人物の有様を宣伝したりするものでは大なり小なり誇大表示が存在するだろう。

 だがその内容が異常なほどであることは、拓斗本人を知るものであれば誰しもが理解できた。


 そしてその内容こそが、ヴィットーリオが仕掛けた第一の策だ。


「僕が《名も無き邪神》である事を利用した、イラ=タクトの再定義か。大きく出たね」


 ニヤリと、爛々と瞳を輝かせてヴィットーリオが深々とお辞儀をする。

 拓斗はその力の源を信仰心から得ている。

 であるのなら、その源に色を加えてやれば容易に神そのものも染め上げることが可能だ。

 ヴィットーリオが理想とするイラ=タクトの姿が、その邪書には記されていた。


「対象が違わぬように、偶像崇拝を禁止したのもこれが理由か。神の新定義を確実に僕に届けるため、僕とイラ教が敬う神は必ず同一視されてなければならなかった。余計な概念や解釈が入る余地を嫌ったわけだ。――とするとダークエルフの皆や大呪界の配下たち、そしてアンテリーゼ都市長のような僕を知る人達にイラ教への入信を勧めなかったのも理解できる。ふざけた名前と行動で呆れさせ、考慮する価値無しと判断させた手腕は見事だね」


 拓斗の言葉に少しばかり目を丸くするヴィットーリオ。

 そこまで読まれていたかという驚きが少しだけあった。だがこの場に至っては逆転の目は存在しない。勝者の余裕は、道化師を饒舌にさせた。


「《名も無き邪神》の力は非常に危険であります。我が神の意識が喪失したのはまさにこれが原因。すなわちあらゆる者を模倣するという行為は自己を希薄化させるもの。イラ=タクトであるという本質を希薄化させる愚策に他なりません」


「何者でもあるが、何物でも無い。そんなあやふやな存在がイラ=タクトという個人を名乗るのは矛盾しているということだね」


「しかり! だがしかしぃ! 取り扱い注意であるからこそそこに勝機が見える! あやふやな存在であるのなら、しかと固定してやれば良い! 《名もなき邪神》の設定の無さは、それを可能にする!」


 名前がない――すなわちそれは空白を意味する。

 空白であるのなら自分の好きなように名付けを行える。自分の好きなように色を加えられる。

 それがヴィットーリオが拓斗復活と同時に考えた不遜なる策だ。

 無論、名もなき邪神に方向性を与えたところで実際にそのとおりに新たな神が生まれるか? という疑問は残る。

 だがその点についてはすでにクリア済みだ。ヴィットーリオがイラ教を興し、程なくして拓斗が目を覚ましたことによって彼の推論は正解であったことが証明されたのだから。


「つまり、拓斗様が記憶を喪失したのは、力を失っていたのではないと? 存在があやふやになっていた……ということですか?」


「そう考えられるね」


 隣でやりとりを見守っていたアトゥの問いに拓斗が曖昧に応える。

 この高等な心理戦にすでに彼女はついていけずにいる。

 ただオロオロと事の成り行きを見守るだけだ。自らの主の力を信じているが、万が一があったらどうしようかという不安が、アトゥの心には確かにあった。


「だからこそ、ヴィットーリオはイラ教を作り、邪書に僕という存在を刻み込んだ。多くの信徒がマイノグーラの王でありイラ教の神であるイラ=タクトという存在を固定する為に。いわばこれは形の無い神に名前を付ける行為。神の再定義さ」


 名もなき邪神の能力を用いたイラ=タクトの再定義。新たなる神を生み出す祝祭。

 ヴィットーリオの策はたしかにその成果を十全に果たしていた。


「そして、その神は本物のイラ=タクトではない」


 チラリと、拓斗が自らの神格について記された箇所を閲覧する。

 そこに記されたるは最も致命的な一言。

 すなわち――


「『偉大なる神イラ=タクトは舌禍の英雄ヴィットーリオを一番の配下とする』……か。前に言っていたドジっ子うさ耳メイド発言はマジだったんだ」


「偉大なる神には偉大なる伴侶が必要でしょう。優秀で、愛らしく、従順で、おっぱいの大きい! なぁに、吾輩の頭脳をもってすればTSも容易い! すぐに神の理想の美姫となってみせましょうぞ!」


「僕の好みを勝手に断定して、勝手に嫁宣言しないで欲しいんだけど……」


 流石にその言葉に拓斗も呆れ顔だ。

 だが彼が本気であることは拓斗とて理解していた。それだけの狂気が彼の瞳にはあったのだ。

 マイノグーラに住まう者たちは狂信の能力を有し、得てして狂気的な信仰を拓斗に向けることがある。

 だがヴィットーリオのそれは他の追随を許さぬほどに強大であった。


「しかしまぁ、自分の立場を上げるのはまだ理解できるけど、僕を理想通りに改造しようとするのはちょっと解せないね。君が持つ僕への信頼は、そういう行いを嫌がるはずだけど……」


 ヴィットーリオの狂気を拓斗は理解している。

 だがそれゆえにこの一点だけは終ぞわからなかったのだ。

 彼が自分を真に主として認めるのであれば、その改造などという驕った手段を決して取らないだろうという予想があった。

 その予想を覆したのが一体何であるか? その事を知りたかったのだ。

 答えは、拓斗の予想だにしなかったものだ。


「貴方さまのせいですぞ」


「僕?」


「吾輩が敬愛するイラ=タクトがこの程度なのはあり得ない! 吾輩の知るイラ=タクトはもっと偉大で、もっと素晴らしく、もっと知恵にあふれ、もっともっともっと悪意に満ちている!」


 その言葉を聞き、拓斗は眉をひそめた。

 おおよその理由がこの時点でわかったからだ。


「こんな小娘と乳繰り合っている様な、そんな惰弱な存在では無い! かような闇妖精に心を砕くような惰弱な存在ではない! 敵に後れを取り、英雄を失うような惰弱な存在では無い!」


 その言葉に隣でことの成り行きを見守っていたアトゥが反応しようとする。

 それを手で制すと、ヴィットーリオの怒りの籠もった独白をしかと聞き届ける。


「貴方の素晴らしさは! 貴方が持つ無限の叡智と力は、何よりもこのヴィットーリオが理解しているのです! 貴方さまはもっともっと素晴らしい御方だ! こんなところで歩みを止めてよい御方では無い!」


 ヴィットーリオは不満だったのだ。

 自分の主が敵に後れを取ったことが。自分が認めし主が不甲斐ない姿を見せたことが。

 彼は決して主を見捨てない。そのような下賤な思考は彼に存在していない。

 だからこそ、彼は彼が望むままに、彼の主をより高みに上げる。


「ゆえに! 吾輩が本当のイラ=タクトを顕現してみせましょう! 吾輩こそがもっともイラ=タクトを識っている者! この世界の誰よりも、イラ=タクトという存在を愛している者! だからこそ――」


 ヴィットーリオは間違いなくイラ=タクトの配下である。

 その忠信は、いついかなる時も揺るぐことはない。


「貴方さまの全ては吾輩が用意しましょう。地位、力、配下、全て全て、このヴィットーリオが準備しましょうぞ」


  これこそが祝祭だ。

 全ての過ちと失態を過去のものとし、本来のイラ=タクトを降臨させる敬虔なる儀式。

 真なるマイノグーラをこの地に広めるための第一歩。


「さぁ、偉大なるプレイヤー、イラ=タクト! 吾輩と一緒に、またあの頃と同じように! 今度は吾輩と世界征服を! どうか! それだけが吾輩の望みなのですぅぅぅ!!」


 ヴィットーリオは高らかに宣言する。

 その心には、栄光あるマイノグーラの繁栄と輝かしき主と自分の未来の情景が、まるでそこに存在するかのようにありありと描かれていた。

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