第百二十三話:再演

 アムリタの街。その郊外。

 イラ教――すなわちマイノグーラの面々はヴィットーリオが見せた最後の献身によって無事聖女ネリムの興味の外へと脱出していた。


「追っ手は……来てないみたいだな。あの痛いくらいに強烈な光の気配は、アムリタの街にとどまったままだ……」


 人はまばらだ……ヨナヨナやエルフール姉妹は当然だが、それ以外の信徒の数が圧倒的に少ない。

 逃げ遅れたというわけではない。見知った顔が多くあるため、おそらくヨナヨナたちとともにやってきた旧来の信徒は無事なのだろう。

 つまりこの街に来て新たに獲得した信徒がそっくりそのまま奪還されたということでもあった。


「見逃されたか。それとも興味が無いか……」


 疲労困憊の様子でぼんやりと街の方向を見つめるヨナヨナ。

 相変わらず街の中心部からは光の柱が上がり、その場所で聖女の奇跡が乱発されていることを示している。


「後者だろうね。きっと日記に書いてある優先順位は、人を助けることが先だったんだよ」

「もう何も分かっていない感じでしたね。その点は幸いだったのです」


 さしものエルフール姉妹も疲れた様子だった。

 空に浮かぶ月は彼女たちにまた力を与えていたが、それでも極限状態の戦闘における精神的な負担は彼女たちからいつもの調子を奪っているのだろう。

 とは言えここまでくればよほどのことがない限り安心だろう。

 後は闇夜に紛れて安心できる自軍領域まで撤退すれば良いだけの話で、それは闇に属す彼女たちにとって十八番とも言える得意分野だ。


「んで、アンタはどうするんだ?」


 一段落ついたところで、ヨナヨナは小さな問題を片付けることにした。

 視線の先には異端審問官クレーエ=イムレイス。

 いや……元異端審問官と言った方が良いだろう。少なくとも彼女はもう自らが信じる神を捨てたのだから。


「小職は……私は。もうどうすればいいか分からないのです。もう……一体」


「んー……。まっ、辛いときこそ一旦立ち止まって休むことが必要だぜ! なぁに、ウチらはそういうの得意なんだ。どっちにしろ国には帰れねぇだろ? なら一緒に来いよ」


 そう明るくクレーエの背中をぽんと叩いてやる。

 人生における難問は、すぐに答えが見つからないものだ。

 少なくとも彼女に立場と今後の目標について即答を求めるのは酷というものだろう。

 今のクレーエに必要なのは休息だ。

 温かい飲み物と寝床。ぐっすり休んで、身体と心の疲れを取り、そうしてようやく未来へと目を向けることができる。

 ヨナヨナ自身の経験と、いままで彼女が導いてきた人々との経験が、クレーエに向けて最も的確な言葉を投げかける。

 代理教祖という立場は何も名前だけではない。彼女はそれに足るだけの資質を有していた。


「それにしても……」


 無言で頷きまた静かに歩き始めたクレーエに優しげな瞳を向けながら、ヨナヨナはつぶやいた。

 その言葉で周りにいる耳ざとい者たちは彼女が何を言いたいのか瞬時に理解し、同時に今まで考えないようにしていたある男の事を思い出す。


「死んじゃったね」

「あっけなかったのです」


 ヴィットーリオが殿をつとめたという事は、すなわち自らの命を犠牲に彼女たちを守ったということでもある。

 無論生死は確認していないがゆえにまだ生きている可能性はあるが、相手の聖女の力量を考えると希望は薄いだろう。

 ヴィットーリオは元来戦闘向きの英雄ではない。その事は彼との付き合いが長いものであれば誰しも理解している。

 彼の人智を超えた頭脳があの場から脱出を可能とする妙案をはじき出した可能性もないと言えば嘘になる。

 だが、残念ながら……。

 ヨナヨナとエルフール姉妹は、先程までわずかに残っていた闇の気配が、街の中央から完全に消失したことを知覚していた。


「ったく、バカ教祖め。散々かき回して、散々めちゃくちゃにして、勝手に死ぬのはねぇだろうが……」


 寂しそうに、つぶやく。

 エルフール姉妹はその言葉に応えない。彼女たちでは計り知れない関係性がヨナヨナとヴィットーリオの間にあったことをよく理解しているからだ。

 悲しみにくれる者に余計な言葉は棘となる。

 失う悲しみを知っているからこそ、無言を貫くのが優しさであると理解していた。


「説教する予定も、ボコボコにする予定も、それにアンタに感謝する予定も台無しだ……」


 ひゅうと、風が吹いた。

 肌を刺すその夜風は、彼女たちの身体に籠もった熱を休息に奪っていく。

 冷めた熱とともになにか大切なものもなくなってしまったような、そんな寂寥感が心を支配していく。


「とりあえずセルドーチに戻るのです」

「そこで王さまに今後の方針を相談だね」


 双子の言葉で、皆がゆっくりと歩き出す。

 夜の移動は慣れたものだ。追っ手が放たれないかぎり南にある支配下の都市セルドーチへの行程は特に問題ないだろう。

 だが状況は芳しくない。

 場合によってはセルドーチの放棄も必要となってくる。

 せっかく手に入れた南方州でも有数の都市を手放すのは惜しかったが、少なくともあの聖女が相手では逃げの一手を打つのが正解だ。

 あとは彼らの王であるイラ=タクトがどのような判断を下し、どのような手段を命令するかによる。

 もはや彼女たちがある意味で当てにしていた神算鬼謀は存在しないのだから……。

 最後に己の瞳にその光景を焼き付けると言わんばかりに、ヨナヨナは一度アムリタの方角へと振り返った。


「……ままならねぇな」


 ポツリとつぶやいた言葉は夜風にのって流れていく。

 彼女の言葉に応える者は誰もいなかった。


 ◇   ◇   ◇


「愚かな人間が見せるドラマは、何よりも輝いていて美しい。平穏を望む思いが大きいほど、手に入るはずだったそれがこぼれ落ちる時の慟哭は愛おしい」


 道化師が語る。

 死したはずのその男は、まるでそれが当然であるかのようにその場で演説を始める。


「ああ、そうなのです。吾輩は本当にあの哀れな小娘に慈悲を与えていたのです。吾輩の神が吾輩に唯一の生きる希望を与えてくれたように。正しい選択の果てにあるのは、なんら曇りのない純粋な幸福だったはずなのに!」


「しかしながら! ああしかしながら! 人はどうしてこうも選択を誤るのか! そして吾輩はどうしてこうも人の不幸が大好きなのか!」


「炊きたてのほかほかご飯がここにないのが悔やまれるぅぅぅぅ!」


 バン! とポーズを取り、不誠実な笑みを浮かべる。

 辺りに明かりが灯り、その場がどこであるかが明らかになってくる。

 見慣れた木製の床に、いびつに歪んだ調度品の数々。

 玉座の座るものとその横に侍る者の二つの影。


「祈りは成就し、祝祭の時はここに成れり。本来なら最強の聖女と名高き依り代の聖女を引き出すつもりでしたが、よもや日記の聖女がその役についてくれるとは手間が省けましたねぇ」


「英雄の力を持ちしチビッ娘どもですら抗えない強力な敵対者の出現。まさに、まさに吾輩が待ち望んでいたもの! これで、これにて貴方様の策は全て封じられた!」


 くるくると、本当に嬉しそうに。心底嬉しそうに。

 ヴィットーリオは語る。

 全て作戦通りなのだと。貴方の敗北だと。


「そうでしょう?」


 彼は玉座に座る人物に勝利を宣言した。


「偉大なる神――イラ=タクトよ!」



=Eterpedia============

【幸福なる舌禍ぜつかヴィットーリオ】特殊ユニット


 戦闘力:0 移動力:3

《邪悪》《英雄》《狂信》

《煽動》《洗脳》《説得》《脅迫》《説法》《折伏》《宣教》

《破壊工作》《魔力汚染》《文化衰退》《焚書》《詐欺》《通貨偽造》《スパイ》

《隠密》《偽装》《潜伏》《逃走》


※このユニットはコントロールできない

※このユニットは戦闘に参加できない

※このユニットは一部の指導者コマンドを使用する

※このユニットは死亡すると拠点で復活する

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