第百十八話:屈服(1)

 ヴィットーリオによって夜半に行われた闇の調略。

 その出来事から数日。クレーエは表面上冷静を保っていた。

 状況は相変わらず良くなく、日記の聖女リトレインの力を持って人々を救い続けているが、ヴィットーリオらイラ教によって提案され行われている遊戯は聖なる者たちに圧倒的に不利な結果となっていた。


「アムリタの状況はもはや我らに対応出来る段階にありませぬ」

「住民の九割が憎きイラ教に改宗し、我らの神から離れました」

「なぜ、この様なことに……」


 天幕での会議。以前ではその外では治療を待つ人々や聖なる教えを求める人々でごった返していたが、今はその喧騒も嘘だったかのように静まり返っている。

 無論彼らとて手をこまねいていた訳では無い。

 聖騎士や信徒は精力的に人々に説法と教化を行っていたし、数少ない聖職者はネリムとともに病に伏せる者の治療にあたっていた。

 状況を俯瞰し、第三者の視点として見てみると十分以上によくやっていると判断できる。

 だが……それ以上にイラ教の手は早かった。


 自分たちが10の教えを広めれば相手は100。自分たちが10人治療すれば相手は1000。

 どのような手法を用いているかは理解不能だが、だが確実に人々を救っており、同時に救われた人々はイラ教の恭順の意を見せている。

 それは自分たちが必死でその信仰を思い出させた者なども例外ではなく、ケイマン医療司祭を含めこれからのアムリタ復興に必要な実力ある人材が自らの意志でこの場を去る結果となっていた。


 敗北は必定。

 だが一定数だが市民を北に逃すことができた。

 この街でイラ教に教化したものも無体な扱いを受けているという状況ではない。

 その点で言えばヴィットーリオはともかく代理教祖のヨナヨナは約束を違えなかった。

 苦しむ人が出なかった。

 状況は最悪の一言だが、その一点においてのみは希望があるとクレーエは考えていた。

 しかし、彼女の考えを聖騎士たちが共有しているとは限らない。

 むしろ彼らの考えはまた別のところにあった。


「もはや聖女さまのお力に縋るしかありません」


「それはよくない。ネリムさま……聖女さまのお力はご自身への負担が大きい。この戦局を覆すだけのお力を求めるとすれば、一体どのような影響があるか!」


 突然の言葉に思わずクレーエは席を立って抗議する。

 無事とは言えずとも、このままアムリタ放棄の策を取るだろうと考えていたのだ。

 この状況下においては聖騎士たちも納得し、中央へと戻り再起を図るために依代の聖女らと共に力を蓄えると、そう考えていたのだ。

 その考えは残念ながら甘いものであったことを彼女は知る。


「イムレイス審問官。貴方のその邪悪への姿勢。我々は疑問に感じております。あまり惰弱な姿勢を見せられるな。異端審問官は身内にだけ威張り散らす職位ではないでしょう?」


「ええ、その通り。此度の対応、些か弱気と言わざるを得ません。神の試練は時として重く苦しいものとなる。だが決して乗り越えられないものではない。聖女さまはその為にこの地に使わされたのだと我々は理解しております」


 クレーエは内心で驚愕する。

 よもやこれほどまでに聖騎士たちが心魂を曲げ邪悪への対処に執着しているとは思いもよらなかったのだ。

 身内を害するとヴィットーリオに脅され、何も言えず黙りこくっていた者たちが今更気炎を上げてどのようにするというのか?

 それも自分で決着をつけるではなく他人の力を借りてだ。

 ここ最近の立場を考えてどちらかというと配慮を見せていたクレーエだったが、ここに至っては反論せざるを得ない。

 このまま彼らの言う通りネリムを犠牲にするわけにはいかなかった。


「自分たちでは解決できないからと聖女さまの力を当てにすると? 幼き少女に全ての責任を押しつけて、それでも聖騎士ですか?」


「聖騎士であるからこそ、時として非情な判断も必要なのです。――イムレイス審問官は少しお疲れだ。気晴らしの時間が必要でしょう。残りの議題は我らで進めます故、休憩を取られるがよろしい」


 周りを見渡す。怒りと不審に満ちた鋭い視線が一斉に彼女を突き刺す。

 まるで熱に浮かされたように同じ反応を見せる彼らに、返す言葉が出ない。

 非難の的にさらされているとは理解していたが、よもやこれほどまでとは思っていなかった。

 彼女を助ける者はこの場には誰もいない。


「……わかりました。では一旦失礼します」


 言葉通り退出の意を示す。体の良い厄介払いだ。二度とこの会議には参加させてもらえないだろう。

 天幕から出た背後からは、男たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきていた……。


 ………

 ……

 …


「あっ、イムレイス審問官」


「ネリム……こちらにいたのですね。私も少し休憩をいただきました。ご一緒しても?」


 あてもなく歩いていると、隊の休憩所の片隅で日記を書き込んでいるネリムを見つけた。

 普段なら様々な人々でごった返すここも、今では誰一人としていなかったが故に互いを見つけ合うことができたのだ。

 そっと、ネリムの隣に座る。

 もはや自分は部隊の主流から外された。今後の方針は残った聖騎士が決定するが、それが聖女リトレインにどのような影響をおよぼすかはわからない。

 いや……ごまかすのはやめよう。彼らは必ず求めるだろう。

 彼女が持つ記憶のすべてを神に捧げて、この危機的状況を覆すことを。

 圧倒的な奇跡を……。


「イムレイス審問官。私はそれで、いいですよ」


「何のことですか?」


 わかっていて、問うた。できればその先を言ってほしくなかった。

 彼女の口から、そんな言葉を聞きたくはなかった。


「力を、使うことです。きっと私の力はこのときの為に神さまから与えられたんだと思うんです」


「貴方は……貴方はもっと自分の幸せについて考えるべきです。これほどまで苦しんで、他人の為に奉仕し、全てを神になげうった貴方は、報いられるべきなのです」


 クレーエの説得にも、リトレインは首を立てに振らなかった。


「ネリムさま。最後の一線を越えた先に貴方はもう存在しない。小職にそんな決断をさせないで欲しい」


 必死の想いで言葉を尽くす。この時ほど口下手な自分の性格を呪ったことはないだろう。

 自分がなんとかするからどうかその決断だけはしないでほしい。

 口にするのは簡単だが、相手に受け入れてもらえるには如何ほどの対話が必要か……。

 ネリムの意志は固いように見えたが、それはどちらかというと諦念にも思えるものだった。


「イムレイス審問官は……お父さんが生きていると思いますか?」


「…………」


「もう何も無いのに、なくなっちゃったのに。これ以上生きている必要はあるのかな」


 生きてほしかった。生きて幸せになってほしかった。それだけが願いだった。

 だがそれすらも自分のわがままなのだろうか?

 もう何も手はないのだろうか? 無力感だけがクレーエを支配する。

 希望はどこにもない……少なくともここには。


「良き行いをしていたから、きっと向こうではお父さんに会える。そう思うんです……」


 その数刻後。

 聖騎士と信徒に歓迎され、ネリムは奇跡の行使を宣言する。

 そうして人々は満面の笑みを浮かべ、彼女の献身を口々に称えるのだった。


 ………

 ……

 …


「何故だ! 何故だ神よ!」


 クレーエの部屋は荒れに荒れていた。

 彼女の几帳面な性格を表すように整理整頓した仮初めの部屋は、当初の装いが嘘であったかのように荒れ果て、あらゆる家具が破壊され書類があたりに散らばっている。

 その中央で慟哭するのはたった一つの願いすら許されなかった哀れな娘。

 たった一人の大切な友人すら守れなかった、愚かで無力な娘。


 縋る神は答えてくれない。

 縋る神は彼女に救いを与えない。

 ならば捨てられし者が取る道は……。


「神よお許しください。貴方は何もしなかった……」


 ゆらりと、幽鬼のような所作でクレーエが立ち上がる。

 そのままふらりと部屋から出ていき、ついぞ彼女は戻ることはなかった。

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