第百十五話:脅迫(2)
邪悪なる道化師による逃れられぬ誘いは続く。
彼の言う遊戯とは一体いかなるものなのだろうか?
その場にいる者たちに強い嫌悪感と同時に、幾ばくかの興味を与える中、その内容が語られ始める。
「遊戯の内容は簡単です。この街における布教合戦。それにてどちらの神が偉大か決着を付けましょう」
クレーエを含む全員が最初に抱いた感情は、困惑のそれだった。
もっと悪辣でおぞましい提案がなされるのかと思ったがやけに穏当なのだ。
無論まだ遊戯とやらの触りが明かされただけだ。相手のこれまでの言動を考えるにそれだけで終わるはずもない。
むしろここから邪悪なる精神の本領が発揮されると考えても何らおかしくはなかった。
全員に緊張が走る。だが……。
「ルールは無用……と言いたい所ですがぁ、それで皆さんが納得しないのは理解しております。すなわち暴力行為、洗脳行為、その他公平性に欠ける行いは禁止といたしましょう。人々に危害を加える行為は、吾輩たちも望む所ではありませ~ん」
何ら裏のない、むしろクレーエたちにとって都合の良い内容が語られる。
穴がないとは決して断言はできないが、だとしても表面上は何ら問題がないように思われた。
ともあれ、自らの信奉する神。その信仰を布教する崇高なる行いを出汁に遊戯に興じるという考え自体は、いつまで経っても理解できなかったが……。
「それを信じろと言うのか?」
クレーエが静かに問う。
自らの主張が通らないと見るやすぐさま人質を持ち出すような不逞の輩だ。
どうせ守ると主張する禁止行為も自分たちの状況が悪くなればすぐさま覆すのだろうという不信感が強くあった。
しかしながら相手は相変わらず不誠実にのらりくらりとその追及をかわす。
「勘違いしないで頂きたいのは、これは譲歩なのですよ。貴女がたにも拒否する権利はもちろんありますがぁ。拒否した結果は己の選択であると受け入れる必要があるのでぇす。吾輩はあくまで提案するまで。決断し結果を出すのは貴方がたの役目っ!」
詭弁だ。あからさまな脅迫をしておいて、逃げ道をなくしておいてこのような言論を持ち出す。
自分で決めたのだから、責任は自分で取らないといけない。
詐欺師がよく使う常套句であり、この手法によって不幸になった者は枚挙にいとまがない。
本来なら否定すべき文言。明らかにこちらを絡め取ろうとする甘言。
しかし……。
「それとも。たかだか調査隊規模で、全ての人を救うことができますかなぁ?」
ついで放たれる言葉は、どれほどの強い意志と聖なる心を持ってしても否定することができなかった。
これだけはヴィットーリオの言うとおりだ。ここで軽挙に出て眼の前の者を切り捨てたとして果たしてすべての民を救うことができるだろうか?
イラ教の教祖と主張するこの男を失えば、破滅の王であるイラ=タクトがどのような態度に出るかは考えるまでもない。
ようやく復興の兆しが見えたこのアムリタの地に、また厄災を呼び込むのはあまりにも酷に思えた……。
葛藤は無言の態度となって対話の歩みを止める。
煮え切らない態度に焦れたのか、それともクレーエのこの態度すらすでに予想の範疇なのか、ヴィットーリオがその胡散臭い顔をこれでもかと歪めて吐き気を催す笑みを浮かべる。
「んむぅ、仕方ないなぁ! もう吾輩大サービスしちゃう! 吾輩たちが欲しいのは人と土地! だからここまで譲歩しているのです! 争いがなければその方がやりやすいですからなっ!!」
判断に窮す。
マイノグーラのあるイドラギィア大陸南部――通称暗黒大陸が不毛の土地であることは周知の事実だ。とりわけ彼らの本拠地とされる大呪界はその傾向が強い。
肥沃で実り豊かな旧レネアの土地を狙うのは一定の説得力がある。
また人に関しても彼らが本当に人々を心の底からイラ教の信徒として洗脳できるのであれば様々な面で有益となろう。
エル=ナー精霊契約連合の事例を見るからに、邪悪なる者たちは自らの勢力を増やすことを目的の一つとしている。
だとすれば少なくとも人々の命は守られるだろう。
もっとも命さえあればどのような状況にあっても良いとは口が裂けても言えないが……。
マイノグーラの手に落ちた聖なる信徒がどのような扱いを受けているのかクレーエたちはその一切の情報を知らされていないのだから。
情報が不足しておりどうにもならない。
迷いは続き、気づかないうちに助けを求めるようにクレーエはヨナヨナに視線を向けていた。
「あー、確かにその通りだ。ウチらはそれを目的としている。アンタらはうちらの事を血も涙もない悪意だけのバケモノの様に感じているかもしれないが、別にそんなことはないんだよ。うちらだって笑ったりするし泣いたりもする。面倒ごとにならなきゃそれでいいってのはこっちだって一緒だ。まぁこいつがいつも面倒ごとを持ってくるんだけどな」
この少女が言うのであればそうなのだろうか?
少なくともヴィットーリオよりは誠実に見え、どちらかというと苦労人にも見える。
相手の目的はおおよそ知ることができた。
破滅の王が直接出てきていない以上、ある程度猶予があると考えることもできる。
そもそもレネア神光国が崩壊したのは破滅の王イラ=タクト襲撃によるものだ。
そしてその根本的な原因は二人の聖女――華葬の聖女ソアリーナと顔伏せの聖女フェンネが破滅の王を討ったことにある。
大呪界に引きこもる王を刺激したことが原因としてこの悲劇が起きたのだとすると、一見して平和主義に見える彼らの行動もあながち罠だと否定することはできない。
気づけば、クレーエは己の中にある情報を自らに最も都合の良い形で組み立てていた。
それを指摘する者はどこにもいない。
もっとも、指摘したところでどうにかなるという問題でもなかったが……。
やがてクレーエは一つの決断を行う。
「先の約束を守り、お互いの行動に関知しないと言えますか?」
それはヴィットーリオの提案の受諾。
聖なる国に属すものが、邪悪なる国に属すものと交渉を締結させる。
すなわち聖神アーロスによって禁止された教えに抵触するものであった。
「イムレイス審問官!」
聖騎士たちが慌てて声を荒らげる。
何を世迷い言をとの非難の叫びだったが、彼ら自身はそれ以外の手段を持ち得ないことに気づいていない。
「責任は小職が取ります。この場は……ひとまず時間を稼ぎましょう」
「し、しかし!!」
責任を取らぬ者は楽だ。代案を出さずに非難だけしている者は更に楽だ。
クレーエはそのことをよく理解していたが、この状況下において生贄が必要なこともまたよく理解していた。
愛する親族や家族が苦痛の果てに殺されるのを覚悟で邪悪なる提案を否定しろとどうして彼らに言えようか。
そのような残酷な行いをするのであれば、彼女一人がすべての罪を背負って処断される方がマシだと思えた。
聖クオリアに住まう者たちは神の教えに忠実だ。
人々は互いを慈しみ合い、家族を愛し、仲間に敬意を払う。
その優しさが……彼女たちを自縛し不幸へと誘う。
「心配だと思うだろうから、そこのバカについては余計な事をしないようウチが監視しておく。これはイラ教代理教祖ヨナヨナとして、偉大なる神イラ=タクトの名の下に誓う。だからその点は安心してくれ。これがイラ教としての誠意であり譲歩だ。もちろん、アンタらの身内にも手は出させねぇ」
ヨナヨナの助け舟は、いつも欲しい時に欲しいものが出される。
その誠実な態度に内心で感謝の念を送りながら、クレーエはやがて自分の人生において大きな転機となる宣言を行った。
「いいでしょう、神の信徒は悪なる者に決して屈しない。その挑戦、受けてみましょう」
「んぐぅぅぅっど! 貴女はいま、確かに正しい選択をしましたぞ――イムレイス審問官」
果たして、これで良かったのだろうか?
時間稼ぎのつもりが、もっと良くない結果を呼び寄せてしまうことになるのではないだろうか?
クレーエの中で拭いきれない不安がヘドロとなって心を蝕むが、だとしても彼女はこの選択以外を取れなかっただろう。
ふと……日記を抱えて父を追う、あの心優しい少女の顔が浮かんだ。
「ではぁっ!」
「「うおっ!」」
刹那、突風が吹き上がり、同時にヴィットーリオがすっくとその場に立ち上がる。
聖騎士たちが慌てて剣を抜くが、彼はすでにヨナヨナを小脇に抱えて窓に足をかけるところだった。
警戒していなかったと言えば嘘になるが、油断があったのは事実だろう。
あの男はいつでも逃げ出せることができたのだ。最初から全てが茶番で、この取り引きを行うためだけにあえて捕まったふりをしていた。
「しばしおさらば! また会う日まで! あでゅ~~!!」
道化師の耳障りな笑い声が窓の外から遠ざかっていく。
ヴィットーリオがちゃんとヨナヨナを忘れず連れていったことに奇妙な安心を覚えながら、クレーエはこれから自分たちに押し寄せる苦難を想像して表情を暗くする。
「イムレイス審問官」
聖騎士たちの困惑の表情が彼女に集まる。
まずは彼らの説得が必要だろう。そうしなければせっかく自らが命を投げ打つ覚悟で手に入れた貴重な時間が失われてしまう。
「納得いく説明を、して貰いますよ」
その言葉に頷く。クレーエの戦いは、まだまだ終わる気配を見せていなかった。
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