第百十四話:脅迫(1)
「ふっふっふ~ん。ふんふんふ~~ん♪」
ご機嫌極まりない鼻歌が響く。
まるでこれからとても楽しいことが起きると言わんばかりに歌い手の気分を表したものだ。
世の中広いと言えども、これほどまで機嫌よく奏でられる歌はないだろう。
しいて欠点を言うのなら、その鼻歌が絶望的に下手くそであることと、現在その歌い手であるヴィットーリオが雁字搦めに拘束されているということである。
「――おいっ、おい、バカ教祖!」
隣から声があがった。
イラ教の代理教祖であり、山羊の獣人であるヨナヨナだ。
もう少し彼女の立場をわかりやすく説明するのなら。気がついたらいいつの間にかヴィットーリオとともに拘束されていた哀れな少女といったところである。
「ふんふふふ~ん。ふふふふっ~ん! ふふふ、ふぉぉぉぉん!!」
鼻歌は続く。
……残念なことに。というべきか、この場にいるのはヴィットーリオとヨナヨナだけではない。
それ以前にこの場所は旧南方州騎士団本部であり、周りにいるのは複数の聖騎士とクオリアの兵士である。
かつては食堂、そしてレネア神光国建国の際には騎士団の本部とされたその大広間は、現在ヴィットーリオとヨナヨナだけの監獄となっている。
部屋の中央にある柱にくくりつけられた二人は、聖なる者たちの鋭い視線を受けながら捕虜としての立場を過ごしていた。
「おいバカ教祖! 聞いてんのかって言ってるだろ!」
もっとも――捕虜の自覚があるのはヨナヨナだけかもしれない。
ヴィットーリオは先程から下手くそな鼻歌に興じており、何故かついでとばかりにヴィットーリオから呼び出しを受けて拘束された彼女だけがこの状況に慌てふためいている。
「話を――聞けっ!!」
聖騎士たちの鋭い視線に耐えかねたのか、それとも流石に駄音を聞かせ続けるのは申し訳ないと感じたのか、ヨナヨナは拘束された身で器用に体をねじりその頭にある角をヴィットーリオに突き刺す。
瞬間、奇妙な演奏を唐突に終わりを告げ、代わりに絶叫が響いた。
「ぬぁいたぁいっ! そんな大きな声を出して品がないですぞヨナヨナくん! 折角クオリアの皆さんが対話の場を用意してくれたのにぃ。これじゃあ折角の穏やかな場が台無しっ! 吾輩の顔も丸つぶれっ!」
「うるせぇ! 少し黙れ! 相手さんめっちゃ怒ってるだろ!?」
「吾輩お口チャック!」
シンと、今度は不気味なまでの沈黙が大きな部屋を満たす。
彼ら――クレーエとアムリタ調査団の聖騎士たちはようやく訪れた沈黙を良しとしたのか、哀れな捕虜を尻目に少し離れた場所で相談を始める。
もっとも、視線は引き続き二人に向かっており、怪しい動きをしないか注意深く観察しているが……。
「……なぁバカ教祖。なんでうちらは無事なんだ? 普通、こう、捕まったらあるじゃん?」
聖騎士たちが相談ばかりでこちらに何もしてこないことを疑問に思ったのか、ヨナヨナが小声でヴィットーリオに尋ねる。
ヴィットーリオ自身も散々っぱら一人で歌唱を披露したことで一定の満足を得たのか、珍しくヨナヨナの問いに答えはじめる。
「それは簡単ですぞヨナヨナくんっ! 彼らの教えでは降参した者に手を出してはいけないことになっているのですっ! 故にすでにギブアップした吾輩に彼らが暴力を加えることはありませんっ! 素晴らしきかな非暴力主義! 尊きかな平和主義! 戦闘能力のない吾輩が考えた、たった一つの冴えたやり方!」
クオリアでは聖神アーロスが信奉され、その教えである聖書がもっとも尊き法として定められている。
無論国家として運営するために実務的な法や規制が存在するが、それらはすべて聖書の教えを元にするものだ。
ゆえに彼らクオリアの者はこの聖書の教えを遵守することを第一に考える。
たとえ相手が魔のものであろうと、たとえそれが悪手であろうと、聖書の教えを違えることは彼らのアイデンティティを毀損するため決して違えることができない。
ヴィットーリオがこの場において余裕の態度を取っているのもそれが理由であった。
敵を絡め取るためにあらゆる努力を惜しまない。彼がクオリアの聖書をどこからともなく取り寄せてその内容すべてを読みこんだのは果たしていつだろうか?
少なくとも、このような作戦をとれるだけの理解があることは確かだった。
だが聖なる者たちとて、いいようにやられるわけではない。
抑えても響くヴィットーリオの説明が耳に入ったのか、代表としてクレーエが二人の側へとやってくる。
「戯れ言もそこまでです魔なる者よ。この場で貴方がどのように取り繕ったところで、いずれ正式な形で処罰の沙汰が下されます。死ぬのが早いか遅いかの違いです」
事実である。
聖書において降伏したものへの攻撃は禁止されているが、それはあくまで一時的なものである。
後に中央より法に基づいた決定がなされれば、それこそが法理となり神の理となる。
そして中央が出す決定に死以外のものがある可能性は万が一に等しい。
だがその程度のことはヴィットーリオとて百も承知である。彼はクレーエの言葉にわざと挑発するように大きな大きなため息をつくと、まるで理解の足りぬ幼子に教えるようにひどく侮辱的なもの言いで語り始めた。
「おんやぁ~? 本当にそれで良いのですかなぁ? 吾輩は取り引きを持ちかけてきたのですがっ! お得な取り引きですぞぉ。今ならポイントも付きます! あっ、カード作りますぅ?」
「愚かな……我々は魔なる者の取り引きに――」
「ヴィットーーリオッ!!」
いきなり、叫んだ。
その声量はあたりを小さく揺らすほどであり、遠巻きに事態の推移を眺めていた聖騎士たちも思わずぎょっとした表情を見せる。
「……なんですか?」
大声を直接浴びたせいか、隣で目を回しているヨナヨナを少しばかり不憫に思いながらクレーエがその真意を問いかける。
相手の口車に乗るのはしゃくではあったが、話を聞かないことには進まない気がしたのだ。
「吾輩を呼ぶときはヴィットーリオとお呼びください。応じて頂けなければ、貴方の事も子猫ちゃんと呼んじゃいますぞ!」
「名前など覚える必要はありません。魔なる者の名前に、呼ぶ価値も覚える価値もないのですから」
「子猫ちゃああん!!」
「だからいくら小職を挑発したところで――」
「にゃにゃにゃ~~~ん! 子猫ちゃわああああん!!」
クレーエの頬が紅潮したのは侮辱のあまりか、それとも気恥ずかしさか。
ともあれ一向に話を聞かずに自分勝手に主張を始めるヴィットーリオにクレーエもどう対応してよいかわからない。
相手のペースに巻き込まれるのは危険ではあるが、かと言って放置しておいても厄介極まりない。
彼女とでその職務上様々な狂気に満ちた者と相対してきた。
異端審問官はその職務上、精神的破滅を迎え狂気に陥ったものとの接触が多い。
そういう者たちは得てして自分たちだけの世界に浸りがちではあったが、目の前の存在はそれに輪をかけてひどかった。
特に、全て理解してあえてやっているということが容易に推察できる点が、最も耐え難い悪行である。
「あの、すいません……」
先程まで目を回していたヨナヨナが目を覚ました。
クレーエはなぜか一緒に捕まることになった此の少女に目を向けると、何事かと言葉を促す。
隣にいる男がとびっきり頭がおかしく会話が通じない存在なのだ。クオリア出身のために獣人への差別感情が少なからずあるクレーエだったが、今は彼女の存在がとてもありがたく思えた。
「ほんと、うちのバカが申し訳ないんすけど。こいつ一旦言い出したら聞かないんで、とりあえずこの場だけは名前で呼んでやってくれないっすかね?」
「……ヴィットーリオと言いましたか。いいでしょう、あくまで譲歩ではなく我々の慈悲と捉えなさい」
ひどい頭痛がしたが、仕方ないので話に乗ることにする。
形式的には悪に屈したことになるのだが、この程度のことで邪悪に靡いたと思われては困る。
クレーエはおそらく彼に振り回されているであろうこの少女の面目を保ってやるという理由にならない理由で納得し、いやいやながらも目の前の男を今後ヴィットーリオと呼ぶことにした。
「んぐぅぅぅっど! それではこれで正しく取り引きのテーブルに着くことができましたねイムレイス審問官殿!」
「取り引きなど存在しないと先ほども申しましたよ。魔なる者ヴィットーリオ。我々に課された神の使命は、貴方がこれ以上民を拐かしその邪悪なる思惑を蔓延らせることを止めることにつきます」
「んっふっふー。真面目ですねぇ。現場の判断でやればいいのに、あくまでクオリア本国の裁定を待ちますか。現場と上との板挟みで気苦労を貯めるタイプですねぇ!」
「…………」
論戦を嫌ったのか、それとも図星だったのか。クレーエが押し黙る。
一瞬の沈黙、先に声を上げたのはヨナヨナだった。どうやらこれ幸いと勝手に話を進める腹積もりらしい。
「話が進まないからそこのバカの代わりに自己紹介しておくよ。うちらは偉大なる王イラ=タクトが治めしマイノグーラに住まう民。その中でも彼を神と崇める、あー……イラ教の者だ。ウチが代理教祖で、このバカが教祖。この地には新たな神の顕現の布告と信仰を広めに来ている」
「一応ねっ! 建前的にはねっ!」
「……余計な事を言うんじゃねぇ!」
ヨナヨナの言葉にどよめきが起こった。
発生源は少し離れた場所でことの成り行きを見守っていた聖騎士たちだ。
初めて知る情報に驚きがあったのか。無論クレーエも相手が独自の宗教を持っていることなど寝耳に水で少なからず驚きの感情を抱いていた。
もっとも、彼女が初めてイラ教の存在を知ったとしても、答えるべきことは一つしかない。
「この地は我らクオリアが治めし土地。何人たりとも聖神アーロス以外を信奉することは許されておりません。況んや邪悪なる者が色目を使う余地など一欠片として存在しない」
「おんやぁ? ここは元レネア神光国ではぁ? クオリアとは別のお国ですよねぇ。他所の国を自分の物の様に扱うのって、それちょっとおかしくないですかぁ?」
「レネアはクオリアを祖とする分派とも言える国家。そして同じく聖教を信仰する聖女により興されし国。クオリアが支援の手を伸ばし庇護するのも当然のこと」
「吾輩はお気持ちの話では無く、道理の話をしているのですがぁ? それとも聖教では他所の国が崩壊したから火事場泥棒をしてもよろしいと? あっ、ちなみにウチの国ではやってもいいことになっておりますぞ!」
「貴方に理解は求めていません。我らの聖なる意志は、この地にはびこるあなた方の悪意を必ず退け打ち払う。それだけが事実です」
「まぁ、そうなるでしょうなぁ」
痛いところを突かれたのは事実ではあるが、この程度の舌戦はクレーエとて慣れたものだ。
今まで処断してきた数多くの異端者や発狂者の中にもこのように論戦を仕掛けてけむに巻いたり言質を取ろうとしたりしてきたものが数多くいた。
そのような者たちに真正面からぶつかり、その張りぼての論説を完膚なきまでに打ち崩すこともまた異端審問官に課せられた使命だったのだから。
故に、ことこの地の所有権に関して言うのならば、クレーエは一切の隙を見せることがないと己と神に宣言することができた。
だが、彼女の相手をするは舌禍の英雄。
そもそも彼が舌戦や論戦で相手を打ち負かすことを目的としているとは限らない。
やはりというべきか、当然というべきか。
「なのでぇ! 吾輩はここで一つの提案をするのです!」
ヴィットーリオはここに来て振り出しに戻るかのように、また同じ提案をするのであった。
「またそれですか。同じことをくどくど言うのは良くない。貴方の言う提案を我々が受け入れることはないですが、言うだけであれば許可しましょう」
また下手に叫ばれては叶わないと思ったのか、クレーエは早々に折れてヴィットーリオに発言を許す。今回も譲歩した形だ。
過ぎた独断と先行は部隊内での軋轢を生むことになるが、この程度なら全くの問題はない。
聖騎士たちも特に咎めるような物言いをしてこないことから、ある程度は納得しているのだろう。
もっとも、下手にクレーエの行動に文句をつけてヴィットーリオの対応を投げられては叶わないという思いが聖騎士たちの中にはあったようだが……。
「それで、提案とはなんでしょうか?」
「そう、それがゲーム! 皆でゲームをしましょう。ゲームっていって分からないですかねぇ。遊戯です。楽しい楽しい遊戯! どうですぅ? ワクワクしてきませんかぁ?」
「遊戯? この場に及んで遊戯とはどういうつもりですか? それに忘れたのですか? 我らが邪悪なる者の言葉に乗ることはありません。貴方はこのまま中央からの沙汰を待ち、そして聖なる御意志にて処断されるのです」
「んでは殺します」
突然の剣呑な言葉に、思わずクレーエは息を呑む。
空気が変わった。先程までどこか緩んでいたそれが、唐突に張り詰める。
「ポルネ村のクイル、サリー、セルドーチのルドルフ、ルーダス、フレイ、あとリーリエとフローシア。全員殺しましょう」
「――なっ! それはっ!」
聖騎士の一人が叫んだ。
その顔は怒りに満ち、今にも斬りかからんばかりの勢いでヴィットーリオを睨みつけている。
「どうなされましたか?」
クレーエは頭の中で先の名前を自分の記憶と照らし合わせながら、努めて静かな声音で激発する聖騎士へと問いかける。
「……申し訳ありません。サリーは私の姪です」
その言葉だけでヴィットーリオの発言の真意は容易にわかった。
あれほどまでにふざけた態度を取り、やれ提案だ提案だと並べまくし立てながらその実やることと言えば人質発言。
典型的な小悪党とも言えるその態度に、クレーエも思わず侮蔑の言葉が漏れる。
「この外道が」
「そのとおおおりっ!」
だが、クレーエたちから受ける侮蔑と怒りの視線も、目の前の男――ヴィットーリオにとっては心地よいスパイスでしかないらしい。
事実先程平然と人質の存在を明かした彼は、返す言葉でこんなことを言い出した。
「吾輩もこんなことやりたくないのです! だって可哀想じゃないですか! なんの罪も無いポルネ村のサリーちゃんを殺すなんて! 将来は幼なじみの鍛冶屋のカイルくんと結婚して素敵なお嫁さんになることが夢のサリーちゃんを、カイルくんの目の前で無残に殺すだなんてっ!!」
「貴様っ! ふざけた真似を! サリーに手を出してみろ! その身が一片の欠片になるまで切り刻んでやる!」
人質の親族である聖騎士の男が剣を抜く。
周りの者も止めようとするが、似たような立場なのか反応が薄い。
「聖騎士グレイン。それは良くない。望まぬ血が流れることは神の望むところではありません」
「ぐっ! も、申し訳ありませんイムレイス審問官。しかし……」
「大丈夫です。貴方の考えるようにはなりません。させませんよ」
聖騎士たちは一触即発だ。
グレインと呼ばれた聖騎士以外にも脅迫を受けている者はいるのだろう。ヴィットーリオは先程複数人の名前を挙げていた。
それらの名前が何を意味するのかなど考えずとも容易にわかる。残る聖騎士たちが浮かべる様々な表情を見ればそれは明らかだ。
「いいかな? このバカの代わりに言っておくが……本人達は今のところ無事……ってかウチらの信徒になってるから身内みたいなもんだ。アンタらが心配するようなことは何一つ起きちゃいねぇ。むしろ物流が改善されて生活の質が良くなってるまである」
怒りの高まりを見越したのか、先程まで黙っていたヨナヨナがまた助け舟を出してきた。
その言葉が事実であると信じるには邪悪なる者という相手の立場がいくらか邪魔したが、それでも聖騎士たちに一応の安堵が生まれ張り詰めた空気は少し和らいだのは事実である。
「けど……ああ、なんつーか。さっきも言ったけどこのバカ教祖は一度言い出したら聞かないんだ。だから――もし断るなら覚悟だけはしておいてくれ」
だが、難事は未だ過ぎ去っていない。
状況が相変わらず悪いことは彼らとしても理解していた。邪悪の口車に乗ることは危険極まりないが、さりとて受け入れなければ大切な人の命が危ぶまれる。
この場でヴィットーリオを打ち取り、その勢いのまま大切な者が住まう都市や村まで進撃しその身を確保するのが最良ではあるが……。
最良の作戦と、達成可能な作戦は全く別の概念であるということは誰しもが理解していた。
「はいはいはい! そんな暗い雰囲気にしない! 幸せが逃げていっちゃいますぞ! もっと笑顔で! ほらにっこり!」
道化師が嗤う。
まるでこの結果を初めから理解していたように。
決して他の道を選べぬよう、丁寧に準備したと言わんばかりに。
聖騎士たちが抱く葛藤を残さず味わい尽くすように。
「おめーがそうしたんだろうが。もう少し相手を怒らせないようにしろよ……」
「おやぁ? そうでしたっけ? ――まぁそれはさておき……場も盛り上がってきましたのでゲームをしましょうゲームを。おっと、遊戯と言った方が良かったですかな?」
道化師は、ただただ嗤うのであった。
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