第百五話:日記(1)

 旧レネア神光国首都。


 灰燼と化した旧大教会は、しかし現在聖王国クオリアの臨時指揮所と変貌していた。

 本国からの支援もいくらか到着したのか、瓦礫が片付けられ更地になった場所にはいくつもの天幕が張られ、配給用の食料や医療用の薬草など様々な物資が集積されている。


 破滅の王が顕現し、その悪意と暴威を奮って聖女ごと一つの国家を滅ぼした起点。

 そのような場所に指揮所を作ることに、無論反対の声もあった。

 だがだからこそ、聖王国クオリアがその地に根を張り邪悪の監視と人々の慰撫、そして都市の再建を行う事に意味があったのだ。

 言葉にすれば聞き心地はよいが、現状クオリアの最高戦力である日記の聖女たちはこの南方州で釘付けとなっていた。


「イムレイス審問官。区画整理に関する報告書。炊き出しに関する報告書。疫病の治療状況に関する報告書になります」


「――ありがとうございます。それぞれ口頭で概略を教えてください」


 天幕の中にある執務机では、異端審問官であるクレーエ=イムレイスが聖騎士より報告を受けながら都市の復興を指揮していた。

 クオリアにおける異端審問官はその特殊な役職柄、様々な知識や技能を有する。

 有事の際に軍を率いること、他国と交渉を行うこと、災害に見舞われた都市の復興など、その権限と能力は多岐にわたる。

 ゆえにクレーエにとって聖女の代理として聖騎士団と部隊を率い、この地で復興を行うことは決して無理難題ではなかった。

 だが何もかもが足りない。

 今回の派遣はあくまで調査の名目。むろん聖騎士以外にも州の軍兵や後方支援用の聖職者などいくらかの人員は連れてきているが、一つの都市全体を立て直すなどと言った大規模な活動は当然想定されていない。

 いわんや被害は南方州全体に広がりつつある。

 各地に点在する村落はもちろん、いくつか規模の大きな街も他に存在する。

 彼女達が駐留するこの都市が最も被害が大きいと言えど、他の被害を無視して良いものでもない。

 そして南方州全域に手を差し伸べるにはあまりにも彼女が動かせる力は少ない。

 正直なところ、クレーエが施す様々な施策は効率的ではあるものの焼け石に水と言ったところであった。


「以上が報告になります。続いて都市に蔓延する疫病についてですが、幸いな事に風邪のようなもので自力で回復した者も多数おります。ただ感染力が高く南方州全域へと急速に広がっており、楽観はできません。仲間とも話していますが、おそらく長期戦を覚悟しなければならないかと」


「それはよくない。――このような場合患者の隔離による封じ込めが鉄則ですが、規模が大きく人員も足りない状況ではそれも覚束ない。悔しいですが重傷者を重点的に治療するしかありませんね」


 クレーエの言葉に同じく年若い聖騎士の男は悔しげに頷く。

 決して防げぬものではない。ただ物資と人手が足りなさすぎる。

 思うように行かぬ焦燥感が、苦渋の表情となって表れていることは明らかだった。


 支援に乏しい。薄情に聞こえるが、実のところ本国――つまりクオリアとしても何も指をくわえて待っている訳では無かった。

 エル=ナー契約連合が落ちたのであれば戦乱の世が来るのは避けられぬ未来。

 破滅の王の活動も確認された以上、クオリアとしても軍の再編が急務であり、そちらに手を取られているのだ。

 今頃聖都では聖騎士の再教練と、軍の編成で大わらわだろう。

 なにせクオリアは長らく戦というものを経験してこなかったのだ。

 中央から動かない依り代の聖女を除いて、唯一の聖女である日記の聖女を動かしただけでも情があると言えた。

 むしろ、この状況で聖女を動かす胆力をこそ褒め称えるべきだろう。

 だからといって現状が何か良くなる訳では無かったが……。

 破滅の王がもたらしていった呪いは、彼らに重くのしかかっていた。


「しかしながら良い報告もあります。この地の現状を憂慮された枢機卿の尽力により、本国の医療司祭の増援が決定されております。厳しい状況ではありますが、時間があればいずれ収束するものかと思います」


「なるほど。疫病については見通しが立ちましたね。しかし次の問題は少々厄介です」


 都市に蔓延している感染力の強い疫病に関して、解決への道筋が見えたことで少しばかり安堵するクレーエ。

 これで解決と行けば、どれほど楽だっただろうか。

 だがこちらの問題は、時間の経過による解決を期待するにはあまりにも不可解すぎた。


「問題は信仰心を忘れた者たちのことですね……」


「正直なところ、いかんともし難いというのが現状です。目下アムリターテ大教会の禁書庫を当たっていますが、それらしき記述の文献はなく、皆目見当が付かない状況です」


「それは良くない。闇の秘術はクオリアにて固く禁じられております。たとえ研究目的であっても関連する書物を所持すれば極刑が下ります。残念ながら情報は得られないでしょう」


「異端審問局の方では何かご存じありませんか?」


「闇なる秘術への対応は、聖なる御業によってのみなされるもの。理解し紐解こうとすること自体、間違いなのです」


「それは失礼しました」


 あまり褒められた質問ではないが、クレーエは特段彼に注意するつもりはなかった。

 異端審問局は信徒の言葉尻を捉えて糾弾する組織ではないし、何より今は一人でも人手が欲しい。

 その程度のことは当然わきまえているし、むしろ異端審問官というのは通常よりも忍耐力が必要な役職だ。

 故にこの場においては彼のように思った事を口にする人物の方がありがたかった。

 それがたとえ若さ故の無謀さであってもだ。


「記憶が失われている。それも信仰心だけが特定的に。なんたる邪悪なる技か。嘆くことすら分からない者たちを見るのは、さすがに小職もつらいものがあります」


 疫病と忘却。全く性質の異なる破滅の王による呪いではあったが、それらは非常に効率的にこの南方州を混乱に貶めているとクレーエは声に出さず推察する。

 どちらか一つであれば楽だった。

 疫病だけであれば、南方州に滞在する聖職者を総動員して治療に当たらせることができる。

 忘却だけであれば、都市機能を掌握後に順次再度の教化を行えば事足りる。

 両方だ。

 両方同時に発生しているからこそ、まるで粘性の高いぬかるみにはまり込んだかのように動きを制限されている。

 破滅の王がどのような目的でこの地に呪いを放ったのかは不明だ。

 だが単純な破壊や死をもたらさない辺り、悪しき意図が隠されていることは間違いなかった。


「後ほど小職も再度被害に遭われた方と話をしてみましょう。もしかしたら見落としていた気づきがあるかもしれません」


 もう何度も試みた信仰忘失者への聴取。

 最初の数度以降はさして目新しい情報も得られてはいないが、だとしてもやらない理由にはならない。

 クレーエは粘り強い忍耐でもって、調査を継続する意思を示す。


「わかりました。早速手配いたします。では――神のご加護がありますように」


「ありがとうございます。貴方にも神のご加護がありますように……」


 深々と礼をしながら、若い聖騎士は退室していく。

 彼が去り際に口にした言葉は、聖教ではあまり使われない挨拶文だった。

 無論教義の内にあるものなのだが、比較的仰々しい祈りや儀式の際に使われる挨拶文なので、一般的な会話の中で聞くことはほとんど無い。

 ただこの地に来てからは比較的その文言を使う者は多かった。

 誰しもがこの世界に現れた邪悪なる者たちに恐れをなしている。

 これから先、未来はどうなってしまうのだろうか?

 クレーエは、静かに瞳を瞑りしばしの間、神へ慈悲を請うた。


 ◇   ◇   ◇


「貴方は……たしかケイマン医療司祭でしたか?」


 クレーエの目の前に連れてこられた男を見て、彼女は数秒の後にその名前を思い出した。

 記憶が確かならこの都市のどこかの教区を担当している医療司祭だ。

 信仰心が厚く、医療司祭としての実力も高かった事を覚えている。

 だが、ケイマン医療司祭が見せた反応は彼女の記憶の中にある彼とは違和感を覚える程に差異があった。


「は、はぁ……そういう貴女はたしかイムレイス異端審問官、でしたかな?」


「……ええ、以前こちらの街で発生した神父殺害事件の際に何度かお話をお伺いしております」


「そう、ですね。いや、確かにそうだ。しかし、私は……なんと言って良いやら、すみません」


「ご気分が優れないのですね。それは良くない。どうぞそちらにお座りになって楽にしてください。あくまでこの地で起こっていることを究明するための聴取です。小職の所属に基づいたものではありませんので気を楽になさってください」


 異端審問官という役職は、その職権から数多くの人々から恐れられる。

 誰しもが己の内に後ろめたい行いを隠しているという訳ではないが、だとしても万が一何か疑惑の目を向けられてしまったら。

 もしその疑惑によって望まぬ罰を受けることになったら。

 恐怖と向き合うことは聖教の教えにおいても信徒が己に課すべき修行の一つではあるが、だからこそ恐怖に打ち勝つというのはなかなか難しい。

 つまるところこのケイマン医療司祭もまた、クレーエという異端審問官に存在しない恐れを感じていた者の一人なのだ。


「それにしても、以前お目にかかった時とは少々雰囲気が変わられましたね」


 クレーエが気になったのはこの点だ。

 彼――ケイマン医療司祭は彼女に対してもっと怯えた態度を取っていたはず。加えて機嫌を伺うようなどこか媚びた態度も。

 他の聖職者と同様であり、その点に関しては特別不快感などを抱いていたわけでは無かったが、今の目の前にいる彼との差に違和感を覚える程度には印象深かった。

 態度が、明らかに以前とは別のものにすり替わっている。

 ……信仰を失った者は、誰しもこのような変化を見せた。

 聖アーロスの信徒は、その信仰心と己の生活が密接に影響している。

 自己を決定づける一部が突然消え去って困惑を覚えないものは居ないだろう。

 ケイマン医療司祭も同様だ。

 彼自身その点について自覚があるのか、クレーエの問いに何か居心地が悪そうに身を捩り、苦悶の表情を浮かべながらぽつぽつと語り出した。


「これを貴女に言って良いのかどうか迷いますが……どうにも心の中がぽっかり空いたような気持ちなのです。記憶を遡っても、貴女に対してはもっと敬意やいろんな気持ちを抱いていたはずなのですが、今は全くそれが無い。それどころか……」


「神への信仰を失っていると仰りたいのでしょうか?」


「はい、きっとそれが……私が失ってしまったものなのでしょう。けれども、何も感じないのです」


「ふむ、それは良くない」


 クレーエは少し目を伏せ、考えを巡らせる。

 少ない会話の中でも、彼の人格や考え方に問題が出ているようには見受けられない。

 洗脳を受けているという状況でもおそらくは無いだろう。

 やはり、信仰心だけが完全に欠如している。

 神への宣戦布告ともとれるこの邪悪な行いがどのような意図を持って行われたのか一切不明だ。

 目的が分かれば対策等も考えられるのだが、ことさら闇の思惑に考えを巡らせることは足下を掬われるため控えなければならない。

 しかしながら相手の目的より喫緊の問題は、この地の復興に必要不可欠な人員であるはずの現地の聖職者たち、そのことごとくが信仰心を忘却してしまっていることだった。

 特にこのケイマン医療司祭はその実績と実力とも保障されており、与えられた地位以上に尊敬の念を受ける人物だ。

 彼の助力があれば南方州全域に広がりつつあるこの疫病の根絶も早まるかと思われたが……。

 この地の立て直しにかかる時間は、クレーエが考えていたよりもはるかに長期に及ぶ可能性があった。


「イムレイス審問官。彼はあくまで破滅の王によってその記憶を奪われているだけの者。何卒ご寛容を……」


「ご安心ください。小職による面談はあくまで事情を尋ねる目的のもの、事態の全容が把握出来ていない段階で安易な決断はいたしませんよ」


 ケイマン医療司祭をかばっているのだろう、年若い聖騎士が上申を行ってくる。

 若さ故の無鉄砲さか、はたまた強い正義の表れか、異端審問官を目の前にし自分の身を顧みず仲間をかばうというその行い自体は好ましいものではある。

 だが根本が勘違いのためクレーエも少々辟易としてしまう。この調子で横やりを入れられ続けても集中力が霧散してしまう。

 ここはもう少しハッキリと説明しておいた方が良いだろうか?

 クレーエがそう考え、口を開きかけた時だった……。


「あの、い、イムレイス異端審問官……」


 閉じられていた天幕の入り口から光が差し込み、一人の少女がやってきた。

 先ほど若さに勢い任せて抗議の発言をしていた若い聖騎士が慌てて目を閉じ深々とした礼を行う。

 クレーエは、聖騎士とは反対にケイマン医療司祭が戸惑いの態度を見せている様子を横目で確認しながら、少女――日記の聖女へと声をかける。


「どうかしましたかネリムさま。日記は、書き終わったのですか?」


「は、はい! 午前の分は、全部書き終わりました」


「それは良きことです」


 努めて優しい声音で、クレーエは聖女リトレインの返事に頷く。

 日記の聖女リトレイン=ネリム=クオーツは、その日に起きた出来事をその身にはいささか不釣りあいな大きさの日記に記すことを日々の勤めとしている。

 それは神聖なものであり、三法王と依り代の聖女の名において保障されおり、決して誰もその邪魔をすることが許されぬ絶対的なものだ。

 記されているのは、彼女の思い出。

 人々からの感謝の言葉や、過去に出会った大切な人。そして居なくなってしまった人。

 それら思い出を、彼らの言葉を、一字一句違える事無く記す。

 故に彼女はいつからか、《日記の聖女》と呼ばれる事となった。


 常に持ち合わせているその大きな日記こそが、彼女を彼女たらしめるものであるから。

 その日記を、彼女の大切な日記を、強く抱きしめながら……リトレインはクレーエを静かに見上げる。


「き、聞きました。みんなが記憶をなくしたせいで、人がたりないって」


「その前に、どうぞそちらの椅子におかけください。貴女を立たせたまま話を進めてしまっては、小職の責任問題となってしまいます。それに、日記が重くて大変だといつも仰っていたでしょう?」


「……え? あっ、あっ! は、はい……ありがとうございます」


 聖騎士がどこからともなく木製の丸椅子を持ってき、ネリムの後ろにスッと差し出す。

 あまりの早業に動揺していたのか、あわあわと慌てていたリトレインだが、しばらくして落ち着いたのか小さな声で礼を言ってちょこんと座る。

 その様子を確認したクレーエは、静かに頷きながら聖騎士とケイマン医療司祭に退室を促す。

 だが……。


「あ、そのままで、大丈夫です。その、よければ、ここに居てください」


 とうのリトレインから否の言葉が出た。

 他人に聞かせても問題ない話なのか、他人がいた方が安心できるのか、それともまったく別の理由があるのか……。

 いぶかしむクレーエだったが、しばしの思案を見せた後にようやく口を開く。


「では、話を戻しましょう。確かにネリムさまの仰るとおり人々の記憶は失われており、我々も困難な状況を感じております。そこに居るケイマン医療司祭もまた同様の状況に見舞われており、医療行為への復帰は難しいでしょう」


 込み入った話に巻き込まれたケイマン医療司祭が困惑気味に頷く。

 彼ら聖職者が使う技はその全てが神への信仰に依存している。

 奇跡というカテゴリに属する魔法の一種なのだが、信仰を失った状態での行使は不可能だ。

 無論奇跡に頼らない知恵の数々はいまだケイマン医療司祭の脳に刻み込まれている。

 だが信仰を失った彼に無私の奉仕を期待するのは、いささか希望的観測と言えるだろう。


 この地における破滅の王顕現。

 その被害の大部分は戦闘員――すなわち聖騎士に限定されている。

 医療司祭や一般の聖職者などは先の戦いに参加するどころか混乱する内に終わったというのが実情だ。

 人員は居るが、勘定に入れられない。信仰を持たぬ者が緊急時にどのような立ち振る舞いを見せるかをよく知っているクレーエとしては、ただただ忸怩たる思いを抱かざるをえない。


「そ、その……みんなの信仰が戻れば、この街は、助かるんですね?」


 突然、本当に突然。

 その少女はおかしな事を言い出した。


「それは、そうですが……現状では信仰を取り戻す方法が発見されておりません。幸い新たに神の教えを説く事は可能ですので、時間はかかりますが彼らも信仰心を取り戻すかと。小職はそのように愚考します」


 リトレインの質問にクレーエの瞳が揺れる。

 慌てた様子で事情を細やかに説明するのは動揺の表れか。

 それとも、彼女が――日記の聖女リトレインがどのような言葉を次に言い出すのを理解してか。

 クレーエの当たって欲しくない予想は、だが残念な事に寸分違うことなく正しかった。


「ち、治療します。わ、私の日記の力でそれが出来ることは、す、すでに分かってます」


「それは良くない、貴女の奇跡は――」


「イムレイス異端審問官」


 強い、意思の籠もった言葉がクレーエを遮った。

 わかりきっていた事だった。彼女の――リトレインの決断は誰にも止められないことを。

 止める術もなく、またその行いも許されていないことを。


「――っ! な、なんでしょうか? ネリムさま」


 琥珀色の瞳がクレーエを見つめる。

 透き通ったその瞳の先に何を見たのか、クレーエは気圧されたかのように身じろぐ。


「ここは、お父さんと一緒に過ごした街です」


「え、ええ、存じ上げていますよネリムさま。ちょうどこの場所につながる大通りをしばらく進んだ角を曲がれば、父君と暮らしたお家があるのですよね」


 記憶を呼び起こすまでもなく、クレーエはすらりと答えて見せた。

 いつの日か、彼女に直接案内されて教えて貰ったことがあったのだ。

 その時はすでに彼女は親元から離されていた為に、クレーエが招かれることも、またリトレインが帰宅することもなかった。

 だがその場所とその外観はしっかり彼女の記憶に刻み込まれていたのだ。


「はい、きっと、多分……」


 日記をめくり何やら確認していたネリムは、自分が思ったとおりの記述を見つけたのか答えながらこくりと小さくうなずく。

 おそらく家の所在地を日記で確認していたのだろう。クレーエはその姿にほんのわずかに眉を顰める。


「ずっと、ずっと祈ってるんです……」


 パタリと日記が閉じられ、クレーエが声をかける前にリトレインがぽつりと呟いた。

 それは小さな幼子にしてもなおか細い声音で、その場に少しでも雑音があれば聞き逃してしまうほどのものだ。


「お父さんは、言いました。『良き行いを続けていれば、必ず良きことが起こる』って。お父さんは、嘘をつかない人なんです」


「ええ、上級聖騎士ヴェルデルはとても高潔な方です。その言葉を言葉だけのものとせず、常に実行に移してこられた」


「わ、私は、ずっと良い子にしてきました。良き行いを、できるかぎり、してきました」


 日記の聖女リトレインの独白は続く。

 彼女を突き動かすのは父への想い。

 たった一人、この世界に生み落ちた彼女が唯一手に入れることが出来た肉親。

 血はつながらなくとも父娘の絆は本物で、だからこそ強く強く焦がれる。

 未だ巣を飛び立てぬひな鳥が親を求めて鳴き叫ぶことを誰が否定できようか?

 リトレインの願いは、なんの代わり映えもなく、なんの珍しさもないものだ。

 だが彼女に取っては何よりも代えがたいものなのだ。


「今は忙しくてきっと会えないけど、任務が終わればまたきっと……」


 勢いよく喋りすぎたのか、ふぅと大きく深呼吸するネリム。

 彼女の父――上級聖騎士ヴェルデル。

 それはかつて大呪界探索の任を受け、マイノグーラと接触した人物。

 もう、この世に存在しない者である。



「夢なんです。また、お父さんと一緒に暮らすの」



 リトレインは、少しだけ恥ずかしそうに笑った。

 その笑顔は、ほんの少し前に父との再会が叶った事からくるものだ。

 神は存在する。

 それは何も誤魔化しや希望めいたものではない。事実として、その存在は観測されているのだ。

 だからこそこの世界の宗教国家はこれほどまでに力強く人々の心に根付き、長らく繁栄を続けてきた。

 神の存在こそが、この国に住まう人々を支えていると言っても間違いではない。

 だから……。

 リトレインは祈りを続ける。

 神さまはきっと自分の頑張りを見てくれている

 試練は重く苦しいものだが、苦難と献身の果てに夢は叶うのだ。

 リトレインの――幼く弱い少女の願いは、だからこそ何よりも強かった。


「――奇跡を使います」


 その言葉に、クレーエは頷くことしかできない。

 幼き少女の祈りはただただ純粋な光を放ち、

 あまりにも強い輝きであるが故に……己の身すら焼き尽くそうとしていた。

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