第百四話:儚

 拓斗の意識が戻り、早速その手腕を発揮しマイノグーラを導いているその頃。

 ドラゴンタンにおける邪教イラもまた、着々とその規模を拡大させていた。

 彼らが現在力を入れているのは主として拠点作りである。

 イラの信徒たちは街の商業区に存在するかつて有力者が住んでいた大型の邸宅を購入し、改造のうえで集会所として利用している。

 設立からまだ数える程の時間しか経過していないにもかかわらず、彼らは着々と組織としての形を整えつつあった。


「おーい、バカ教祖。いるかぁ?」


 邸宅――集会所の一室、かつて使用人の部屋として扱われていた簡素な部屋に、およそ敬意と礼儀に欠ける口調で入室する娘がいた。

 ドラゴンタンでも珍しい山羊型の獣人。だが人の要素が強いのためそうとわかるのは角や耳と言った部位のみ。

 齢にして十五、六。

 山羊族独特の特徴的な目つきと粗暴な態度が目につくが、身につける装飾品はどれも一級品であり、美しい角とその見た目も相まって黙ってさえいれば男が放っておかないだろう。

 娘の名前はヨナヨナ。邪教イラにおける代理教祖の位を戴く、組織のナンバー2である。


「ん~~~~? はいはぁい、おりますよぉ」


 椅子以外には何もない部屋で何やら思索にふけっていたヴィットーリオが面倒くさそうに返事をする。

 彼――ヴィットーリオの近況は、意外なことに目立った行動が無かった。

 おおよその組織構築が終わってしまえば後は全ての布教活動や雑務を部下に放り投げ、こうやって日がな一日自室に閉じこもるようになっていたのだ。

 腐っても邪教イラの教祖。本来であれば信徒の前に姿を見せて説法を行うべき立場のヴィットーリオがこのような行動にでるのは重大な問題だ。

 だがそもそもがわかりやすい教えの宗教だ。各々が勝手に拓斗の偉業を称える集会を開くなどして組織は比較的問題なく運営されていた。

 むろん、そのような中でも細々とした雑事やトラブルは存在する。いわんや彼にしか解決できない案件となれば必然的にヴィットーリオに話が行くのは当然の帰結だ。


「邪魔するなってったって、そもそもアンタ何もやってないじゃん。何もやってない奴が偉そうにするんじゃねぇよ。いいから働けよ、ぶん殴るぞ?」


「んんっ! DV彼氏かな?」


 棘のある言葉だが暖簾に腕押し。

 ヴィットーリオは相変わらずニヤニヤとした薄気味悪い笑みを浮かべ、何を考えているのか分からぬ態度だ。

 代理教祖などというまどろっこしい役職をつけられ、仕事のすべてを放り投げられている事実に、ヨナヨナはほとほと疲れていた。

 元が親なしの浮浪者という出自の為、世間の荒波には十分揉まれてきたつもりだったが、頭を使う仕事だけはどれだけやってもなれないと思ってしまう。

 上司が全く仕事をせず、あらゆる面倒ごとのすべてを自分に押しつけるのだからなおさらだ。

 なおそこに上司自身の無茶ぶりも含まれているため不満と怒りは余計募る。

 はぁ……と、大きなため息を吐く。

 ため息をする度に幸せが逃げていくとは誰の言葉だったか、ヨナヨナは諦めにも似た心境でヴィットーリオをにらみ付ける。


「おぉ! なんという鋭い視線! 吾輩漏らしてしまいそう! んところでぇ! わざわざ吾輩の部屋にお越しになったということはぁ、何か理由があるはず。いったいぜんたい、なぁにようですかなぁ??」


 ヴィットーリオの部屋に来る者は少ない。

 すでに邪教イラは彼の手を離れて独自の動きを始めている。今更教祖としての役目を放り出して思索と暗躍にふける彼に興味を抱く者は少ないのだ。

 だからこそヴィットーリオも用事を問うたし、だからこそヨナヨナもここにきた。


「本国より召喚状が届いているぜ。年貢の納め時ってヤツだな。どうすんだ?」


 ヨナヨナが懐から取り出したのは一枚の書簡。

 よくよく見ると紫色の蝋に国家の紋章で封印がされており、それが一定の格式を持ったものだということがよく分かる。

 マイノグーラにおける重要事項の伝達に関して、今までは基本的に拓斗が直接念話で配下へと連絡を入れていた。

 だが当然彼が休息を取っている最中にあってはそれも不可能だ。

 故にわざわざ仰々しい手段をとったのだろう。

 国家印の押された書簡はそれ相応の意味を持つ。ぞんざいに扱って良いはずがないものだったが、ヨナヨナはぽいっとヴィットーリオに放り投げる。


「お行儀が悪いですぞぉ! まったく、親の顔が見たい――あっ! ヨナヨナくんは親に捨てられたんでしたっけ、これはしっけ――」


 刹那……。

 獣人特有の俊敏な動きでヴィットーリオの懐に入った少女――ヨナヨナは、そのままフッと短く息を吐き、その腹に思いっきり拳を打ち込む。


「ぐほぉっ! 暴力反対!」


 戦闘に秀でている訳ではないヴィットーリオは、無論その攻撃を受けて椅子から転げ落ち派手な悲鳴を上げる。

 だがそもそも身から出た錆であり、残念なことにマイノグーラでは彼が暴力を振るわれていると訴えたところで喜ぶ者はおれど問題視する者は少ない。

 当然少女も彼の抗議を聞き流し、要件を続ける。


「いちいち余計な嫌みを言わなくていいんだよ。いいからさっさと読め。アンタが本国でどうなろうが知ったこっちゃないが、そのせいでウチとイラの信徒が迷惑を被るのだけは勘弁なんだよ」


「んん~っ! その信仰心はべり~ぐっ! なんですがねぇ~。吾輩への愛が足りないっ! もあらぶ! もあかいんどりー!」


 腹の痛みでぷるぷると震えながらも笑顔でサムズアップ。

 ヴィットーリオがこの少女を代理教祖に据えた理由がこの信仰心だった。

 信仰心の高い者は有益だ。それはヴィットーリオにとってという意味でもあるし、何よりイラ=タクトにとって有益という意味でもある。

 信仰の強い者は誘惑に強く、自信の欲望に強い。

 信仰に強く依存し縋るが故に、他者の介入を一切許さず宗教の教えにただひたすら邁進する。

 それは教祖であるヴィットーリオに対してですら例外では無く、役職や立場という権威的なものすら考慮に値せず、その心の内に神以外存在しない。

 ヴィットーリオも、仲間も、国も、そして自身すらも……。

 全て蚊帳の外に捨て去り、ただイラ=タクトの為だけにあれ。

 それこそが彼が求めた完璧なる信徒であり、偉大なる神に対する祈りの供物だ。


「ヨナヨナくんはほんとーに出来がよいですが、その暴力だけはいただけませんなぁ。そんなんでイラの代理教祖が務まりますぅ?」


「安心しろ、ウチはこう見えて今までの人生でほとんど暴力を振るったことがないんだ。マイノグーラの仲間とイラの信徒には優しく。きっと神もそう仰るだろうからなっ!」


「えっ? ナチュラルに吾輩仲間はずれにされてない? 吾輩も仲間だよね? 仲間ですよね?」


「いいからサッサと手紙読め」


 軽口のたたき合いをしながら、ヴィットーリオは手紙を読み始める。

 彼の考えるプランは順調過ぎるほど順調に進んでいた。

 ヨナヨナはまさに理想の教祖であり、彼女こそが邪教イラの表に立つべき人物だ。

 猫族の親子もまた良い逸材だ。初期の信徒ではあるが彼女らもまた信仰心が強く疑うことを知らない。

 その他にも邪教イラを支える優秀な人材が集まりつつある。

 無論信徒達も順調に増え、今頃は貿易網に乗ってフォーンカヴンの領域まで手を伸ばしているだろう。

 狂信者たちはどんどん増え、祈りは神の元へと集まっている。

『邪教イラ』の――ヴィットーリオの目的は成就しようとしていた。


 ………

 ……

 …


「――んんんん~。これはこれは! なるほどなるほどぉ」


 本国――大呪界から送られてきた手紙を読み終わり、ヴィットーリオは薄気味の悪い笑みを浮かべぐっと椅子に大きくもたれかかる。

 その姿は相変わらず軽薄で、何を考えているのか一切分からない。

 ただろくでもない事を考えていることだけは確かだ。

 ヨナヨナは眉をひそめる。ヴィットーリオがこのように笑みを浮かべ機嫌良い態度を見せている時は、大抵めんどうごとが起きる前兆だからだ。


「あと、これ持ってきた伝令のヤツが教典欲しいっつってたから渡したけど。問題ないよな?」


 ヨナヨナが追加で問うた。

 現在邪教イラの権限は全てヨナヨナに委譲されている。

 故に彼女がヴィットーリオに許可を取る必要はないのだが、念の為であった。

 とりあえず情報をぶん投げておけば後は適当にやるだろうし、少なくともそれは邪教イラにとって悪い方向には向かわないだろう。――そのような打算があったからだ。

 その出自ゆえ一部の信徒からは不安視されがちであるが、彼女もヴィットーリオに認められるだけの才覚をその内に秘めているのだ。


「問題ありませぇん。む、し、ろ! この素晴らしい教えをぉ! イラ=タクトさまご本人にも知っていただくこと、それが重要なのでぇっす! こんなこともあろうかと、教典をきゅうううううピッチで作成して正解でしたぁ!!」


 その言葉にヨナヨナはおや?と首をかしげる。

 彼――ヴィットーリオに密かに教えてもらった話では、邪教イラの神であるイラ=タクトは現在その記憶を失っており床に伏せっていたはずだ。

 だが先の言葉では、まるでその事実を覆すような物言いである。嘘をついていたという線は薄い。

 彼の虚言には癖があるためなんとなくわかる。これは嘘では無い。

 ならば推測できる答えはただ一つ。

 イラ=タクトの復活である。


「んあ? 神は寝込んでるって話じゃあなかったのか? 元気になったのか!」


 途端、声のトーンが一段階あがった。

 深刻なイラの信者であるヨナヨナはその言葉で天にも昇る気分になる。

 本日の日記の内容はすでに決まりだ。そしてこの後の予定もより一層の祈りを捧げる事で決まりだろう。

 ヴィットーリオの事はすでに眼中にない。彼はヨナヨナのみならず信徒全員にとってもその程度の男である。


「神が復活なされたということは、我が事なれりということですねぇ! んーっ! えきさいてぃん! 吾輩の夢がまた一つ、実現に向かって歩みを進めましたぁ!」


 ヴィットーリオが大きく両手を広げながら、怪しげに身体をくねらせる。

 おそらく喜びの舞のようなものであろうが、ヨナヨナはそのあたり興味が一切なかったので特に指摘をしたり文句を言ったりすることもない。


「んで、どうするんだよ返事は? 出頭するんなら準備があるから遺書だけは書いといてくれよな。あと墓の用意はしねぇから。アンタには野ざらしがお似合いだ」


「んでわでわ。こちらをお届けください」


 いつの間にしたためたのやら、やけにかわいらしい色合いの手紙を渡される。

 中身を見て良いものかと一瞬戸惑うヨナヨナだったが、そもそも封筒などにも入っていないそのままの状態で渡されたので否応にも中身が目にとまる。

 その上でたった一言だけしか内容が書かれていなければ自然とその内容を読んでしまうのも仕方の無いことだろう。


 ――「行けたら行くわ」。ただそれだけが書かれたおおよそ返事とは呼べない返事に、ヨナヨナは頭を抱える。

 自らの主――神に対してすら傍若無人かつ自由気ままに振る舞うその態度。

 呆れを通り越して感心の念すら抱く。

 と、同時にこの不信心者へ盛大なる天罰を下してくださるよう心の中で強く神へと祈りを捧げる。


「……怒られても知らねぇぞ?」


 祈りの中、なんとか絞り出した声。

 その抗議の言葉にも、ヴィットーリオは相変わらずの態度でニヤニヤ笑うのであった。


 ◇   ◇   ◇


 その奇人は、一人自室で夢に微睡んでいた。

 この世界に来た瞬間から彼を突き動かす願いは、全てを巻き込みただひたすらに突き進んでいく。

『Eternal Nations』のあらゆるプレイヤーが試み、唯一を除いて誰もなし得なかったヴィットーリオの制御。

 けして縛られぬその神算鬼謀。

 人知を超える策謀の頭脳はこの時の為にこそあったのだと、貪欲に情報を食らい、濁流のごとく策を吐き出す。


「んふふふ~」


 全てが完璧であり、全てが完全であった。

 もはやここに至っては誰もその策を打ち破る事が出来ず、もはやここに至っては誰もその策を否定することができない。

 故にヴィットーリオは、己が打ち出した策を拓斗が理解した時に彼がどのような反応を見せるのか楽しみでならなかった。

 己が夢を、どう評価してくれるのか楽しみでならなかった。


「夢、夢、夢――」


 奇異なる詐欺師は全てを騙る。

 自ら敬愛して止まない主ですら欺き、一体何を望み叶えようと言うのか。


「夢は、愚かであれば愚かであるほど美しく輝いて見える。そう思いませんかなぁ? 我が神よ」


 だが祈りの果てに、ついに彼の夢は叶う。

 全ては――偉大なるプレイヤー、イラ=タクトの為に。


「祝祭の日は近いですぞぉ! 我が神よぉぉぉぉ!!」


 ヴィットーリオは、ただ心地よい夢に微睡んでいた。

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