第百話:狂乱

 マイノグーラの都市ドラゴンタンでは、ここ最近奇妙な光景が見られるようになった。

 様々な色合いの奇抜な衣装を身にまとう怪人に引き連れられた集団が、それだ。


「はぁい! みなさぁん! ではぁ、ここで今一度お尋ねしましょ~う! 世界一強くて格好良くて頭が良くて素晴らしい神ぃ……それはぁ~~?」


「「「イラ=タクトさま!!」」」


「んグッドォ!!」


 男の掛け声で、集団が一斉に返答する。

 その一糸乱れぬ姿はどこか異質なものを感じさせ、老若男女問わずのその構成は一種の狂気すら感じさせる。

 彼らの瞳はどこかうっとりしているようで、だがギラギラとした暗い光が他者を威圧してやまない。

 集団は男を囲むように集まり、その一挙一動を目に焼き付けると言わんばかりの妙な集中力を見せている。

 その姿こそまさしく男の求めるものなのだろう。

 どこまでもよく通る声は、不気味なまでに集団を支配していく。


「んではぁ、この世で一番は~~?」


「「「イラ=タクトさま!!」」」


「んナイスぅぅぅ!!」


 誰が音頭を取ったでもなく、一糸乱れぬ返事の合唱。

 集団の外では何事かと怪訝な表情で様子を窺う住民もいるが、どちらかというとかかわり合いにはなりたくないようで、その誰もがそそくさとその場を後にしている。

 無論、件の集団はそのような外野に構う様子は一切ない。

 彼らの視線が向かう先はただ一人。

 その男の名前はヴィットーリオ。

 幸福なる舌禍との二つ名を持つ、れっきとしたマイノグーラの英雄だった。


「もっともっとぉ! タクトさまを称えましょう! タクトさまを敬いましょう! 唯一無二! 万夫不当! 徳高望重! 秀外恵中! 焼肉定食! 年中無休! 我らが神イラ=タクトさまをっ!!」


「「「おおおおおおおぉぉぉぉお!!!」」」


「わぁぁぁぁ!」

「きゃあああ!」


 人々が放つ歓喜のうねり。その最前列には獣人の親子が揃って歓声を上げている。

 とりわけ狂信的で、とりわけ狂気的な二人である。

 どこにでもいそうなこの親子ですらここまでの有様になっているのだ。

 彼らが見ている共同幻想は、きっと彼らにとって何よりも素晴らしく、何よりも心地よく、そして何よりも尊いものなのだろう。


 歓声は止まない。むしろそれはどんどんと熱を帯び、大きくなっている。

 彼らには見えているのだろう。その視線の先に、愛し敬う存在が。

 祈りにも似た歓声は止むことなく続く。

 その光景は熱狂的で、幻想的で、非現実的で、そしてどこか異常で……。


 まるでを崇めているようでもあった。


「んむぅ~! いい感じですぞぉ! 皆さんの声援はぁ、必ずやイラ=タクトさまへと届きぃ、祝祭の日に実を結ぶでしょう! 絶対ぬぃ!!!!」


「「「おおおおおおお!!」」」


 ヴィットーリオの言葉で、集団の盛り上がりが最高潮に達する。

 街の中心部に位置する往来の一角を堂々と占拠しての騒ぎだったが、すでに正気の住民は全て去り、道沿いの店も尽くが閉店、本来であればいの一番で飛んでくるはずの衛兵ですら目を逸して知らぬ存ぜぬを決め込む有様だ。


「教祖! 教祖! 教祖! 偉大なる教祖ヴィットーリオ! 素晴らしき教祖ヴィットーリオ!」


「おおっと! 待て待て待って~! のんのん。吾輩はぁ、あくまで伝道者! 君たちが祈りを捧げるのはぁ?」


「イラ=タクト! イラ=タクト! 我らが王! 我らが指導者! 偉大なる神!」


「んイエスッ! 間違えてはいけませんよぉ?」


 珍しく、不思議な事が起きた。

 集団からの称賛が自分へ向いたことでヴィットーリオが少しばかり慌てた様子を見せたのだ。だがそれもつかの間、その卓越した欺瞞の弁舌ですぐさま軌道修正をはかる。

 趣旨を違えず自らの役割をまっとうするとは聖職者としては立派に思えるが、残念なことに彼は聖職者ではなく詐欺師の類だ。

 それも特別たちが悪い詐欺師である。


 だが、得てして詐欺に会う被害者というものは、自分がそうであると気づく直前まで自分自身を賢く正常な判断力を持っていると自認するものである。

 彼らのように……。


「「「イラ=タクト! イラ=タクト!」」」


「もっと愛をこめて!!」


「「「イラ=タクト! イラ=タクト!」」」


「盛り上がって来ましたぞぉぉぉ! よっしゃ布教だぁぁぁぁ!」


「わぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 盛り上がりが最高潮に達したことで我慢できなくなったのか。

 ヴィットーリオに先導された集団は何処かへ向けてゆうゆうと練り歩き始める。

 どこに行こうというのか?

 信仰の熱に浮かされた彼ら本人ですら、それは定かではないのかもしれない。


 ただ一つ分かることは……。

 きっと彼らはゆく先々で同じことをするのだろう。

 神への祈りを捧げ、愛を説き。

 その規模を巨大化させながら。


 狂気的な集団はまるでうねる荒波のようで。

 未だ彼らを知らぬ哀れな人々の元へと、その教えを説きにゆく……。


 ◇   ◇   ◇


 その光景を都市庁舎の自室の窓から無言で眺め、ドラゴンタンの都市長であるアンテリーゼ=アンティークはなにやら思案の表情を浮かべていた。


「あれは……なんなのでしょうか?」


 窓から見下ろす彼女の隣には、唖然とした表情で同じくその光景を眺める一人の文官。

 最近では専属の秘書として辣腕を振るっている獣人の彼からの、至極もっともな問いかけに、視線を一瞬移したアンテリーゼは一瞬肩をすくめてなんとも表現し難い顔色を見せる。


「新しい英雄さま……らしいわよ。なかなかに、変わった方よね」


 ヴィットーリオの情報はすでにアンテリーゼに伝わっている。

 彼女が直接会話をしたことがある英雄はアトゥただ一人だ。

 その印象が強いせいか、ヴィットーリオという新たな英雄が現在進行系で巻き起こしている騒動を受け入れるには少々心の整理が必要だった。

 浮かぶ表情は、その複雑な内心を表したものと言えよう。


「はぁ、それはまた。しかし、新しい宗教……ですか。アンテリーゼ都市長、良く許可しましたね?」


 ドラゴンタンには土着の宗教が存在する。

 それは元々の所属国家であったフォーンカヴンより脈々と受け継がれた祖霊を信仰する原始的な宗教だ。

 本来であれば宗教を広めるとなると様々な利害関係や問題が発生するために慎重な判断が為政者には求められる。

 だが今回の件はそれら慎重かつ十分な検討をすっ飛ばす形で例外的に行われていた。


「まぁ別に否定するものでもないし、その辺りは個人の自由だし皆ゆるいからね。それに、ここはマイノグーラですもの」


 実のところ、許可など出してはいなかった。

 例の英雄がいつの間にか勝手に行い、勝手に始めたのだ。

 無論アンテリーゼも慌ててヴィットーリオを呼び出して自体の説明と即時活動の停止を求めたのだが……。

 気がつけば言いくるめられた挙げ句、許可まで出していたというのがことの顛末だったりする。


「本国はなんと言っているんですか?」


「とりあえず様子見みたいね。向こうも持て余しているらしいわ。逐一報告だけはするように結構きつく言われてるの」


 アンテリーゼとて腐っても都市長の地位を与えられている重要人物だ。

 自画自賛ではあるが、自分のことを一角の人物であると贔屓目なしで自認している。

 だからこそ、あれほどあっさりと言いくるめられたことに強烈な違和感を抱いていた。

 慌てて本国のアトゥに連絡を取ったところ、仕方ないといった雰囲気で追認される始末だ。

 ヴィットーリオによって、都合の良い展開が半ば強引に作られている印象が拭えなかった。


「はぁ、そうなんですね……。っと、長く話しすぎましたね。何か他にやっておくことはありますか?」


「いえ、特に無いわよ」


「分かりました。では失礼します」


「は~い、ありがとね。じゃね~~」


 バタリと、静かに扉が閉められる。


「――様子見ってより、相手をする余裕がないと言った方が正しいのかもしれないけどね」


 秘書の去った部屋で、アンテリーゼはひとりごちた。

 決して聞かせられない、聞かれてはならない言葉だ。上層部以外知られてはいけない問題が今のマイノグーラには存在している。

 だがそれよりも今は目の前の懸念の方に気が向いた。

 一人になった部屋で堂々と酒をカップに注ぎながら、アンテリーゼは考えにふける。


(しっかし……変わったことをするものね。

そもそもマイノグーラの住民は皆イラ=タクト王に崇敬の念を抱いているわ。それをわざわざ宗教に落とし込んで成立させる意味はどこにあるのかしら?)


 マイノグーラの住人となった者は、その全てが例外なく王への忠誠を植え付けられる。

 それは日に日に増していき、彼の偉業と日々の平和な暮らしによって強固に強化されていく。

 アンテリーゼとて最初はあれほどに怯えていた王に対して、今は何ら恐怖の感情など抱いていないのだ。

 まぁ緊張はするが……それはどちらかというと偉大なる存在を前にするそれだ。

 この純度の高い忠誠は、無論街に住まう人々も同様のはず。


 クイッとカップを煽ると、強烈な酒精が喉をやき、胃へと滑り落ちていく。

 窓の外から流れてくる歓声を酒のつまみとしながら、拓斗より直接賜った酒の味に酔いしれる。


(アトゥさんから説明があったけど、かの英雄――ヴィットーリオ殿は策謀に長けるとのこと。ならばこの行為に意味がない、なんて事はありえないのだけれども……)


 一見すると無駄に見える行いだ。

 街の住人をいくら信徒にしたところで詰まるところは同じ。宗教の輸出を図っているのか? だとしたら納得は行くが少々稚拙に感じる。

 クオリアでは聖神アーロスを主とする聖教が信仰されているし、フォーンカヴンでも土着の宗教が存在する。

 ドラゴンタンの住人はイラ=タクト王への忠誠があったからこそすんなりと受け入れられたが、他の国ではこうはいかないはずだ。

 それどころか場合によっては禁教指定すら考えられる。むしろクオリアやエル=ナーなどの宗教国家が対策をしてくるのは火を見るより明らかだ。


 この地で宗教を興す理由がまったくもって理解できなかった。

 本来なら必要のないことだ。加えて無駄でもある。


(まぁ私が宗教が持つ力の全てを知ってるって訳でもないし。もしかしたら意外な理由があるのかもしれないしね。それにしても次から次へと……まったく、厄介ごとは仲間が好きで群れる習性でもあるのかしら?)


 ため息をつく、酒の酔いだけがこの逼迫した状況下で唯一の慰めだ。

 本国、つまり大呪界にあるマイノグーラの本拠地においてアトゥやダークエルフが今回のヴィットーリオの行動に関してどのような判断を行っているかはいまいち分からない。

 少なくとも、アトゥと手紙でやり取りした手応えでは、混乱し持て余していることは確かだった。

 マイノグーラを悩ませる懸念事項はそれだけではない。


 フォーンカヴンとの交渉や対話も続けていかなければならないし、両国の戦力を強化することは現在の国家情勢を考えると急務だ。

 一応のところ……今は北も東も、そして南も落ち着いている。

 だがいつまたぞろ野心を持った者たちが現れるのか分かったものではない。

 その時……果たして今のマイノグーラの状況で対処が可能なのか?

 一都市を治める者にしては些か過分な情報と、一都市を治めるに十分過ぎる知識が、アンテリーゼを暗澹たる気持ちにさせる。


(なによりも、当のイラ=タクト王が原因不明の記憶喪失で伏せている。というのが一番の問題なのよね)


 アトゥの奪還成功とレネア神光国の暫定的な撃破という吉報を知らされた後に特大級の爆弾を伝えられたアンテリーゼの胃が、ストレスから来る胃酸過多で壊れなかったのは不幸中の幸いだろう。

 以後部下の前でも平静を保ち、事実をひた隠しにして情報漏洩を阻止できたこともまた不幸中の幸いだ。


 もっとも、あくまで巨大で全貌も分からぬ大きな大きな不幸の中の、ほんの小さな幸いではあるが。


(はぁ……もっと楽に過ごせると思ったのにね。もしかしてこの世界って、私が思っているよりも何倍も危険なのかしら? 知りたくない事実だったわ)


 考えれば考えるほど暗澹たる気持ちになり、思わず酒を飲む速度も速まる。

 とは言えだ。

 彼女は意識を切り替える。

 このまま管を巻いていても始まらない。そして自分は腐ってもドラゴンタンの都市長だ。

 出来ることが少しでも残されているのなら、足掻かねばならぬし、足掻いて見せる。

 アンテリーゼはカップの中身を勢いよく流し込み、喉の焼けるような熱と共に立ち上がる。


「よしっ! 誰かいる? おーい!」


 故に決断する。

 と同時にすぐさま人を呼ぶ。思い立ったら即実行。

この行動力の高さがアンテリーゼが優秀であると評価される要素の一つであった。

 もっとも、時折仕事サボりという悪しき方向に発揮されることもあったが……。


「そんなに大声出さないでも聞こえていますよ都市長。まったく、用事があればさっき一緒に済ませてくれればよかったのに……」


「うるさいわねー。今思いついたのよ、今!」


 だがアンテリーゼと違って部下は優秀で、基本的にサボるということを知らない。

 彼女が声をかければすぐさま返事があり、先程退出した秘書がやれやれといった表情を見せながらも現れる。


「それで、どうかされましたか?」


「んー、ちょっと馬と護衛を用意してくれる?」


「おや? どちらへ?」


 秘書が不思議そうな表情で行き先を尋ねる。

 普段ならまたサボる気か?と小言の一つでも飛んでくるのだが、ちゃんと今回は目的あっての外出であると察したのであろう。

 言葉にせずとも察する者は秘書として有能だ。自分の中にある疑問を明け透けなくぶつけて来る点も相まって、なかなか有能な部下が育ってきたと満足気にうなずく。


「大呪界までね。本国で直接アトゥさんと相談したいことがあるのよ」


「わざわざ本国まで出向くなんて、何か問題でもありましたか?」


「いいえ、ただ――」


 と、そこまで答えてハッと口を噤む。

 これ以上先は言わなくて良いし、これ以上先は彼が知るべきではない。

 考えが表情に出たのか、秘書の男は「分かりました。すぐ用意させます」と答えると静かに頭を下げ、そのまま退出する。

 その後ろ姿を眺め、再度良い部下を持ったとその配慮に内心で感謝する。

 彼のことだ、もしかしたら今までの態度や会話からすでにある程度の察しはついているかもしれないが……。


(『偉大なる神であるめっちゃ凄いタクトさまを称えるめっちゃ凄い教』……ねぇ。名前はふざけているけど、あまりにも広がるのが速すぎるわ)


 ヴィットーリオがこの街に来てまだ三日程しか経っていない。

 にもかかわらず信者の数は異状な勢いで膨れ上がっている。

 今はまだ奇妙な人々の集まりにしか過ぎない彼らがこれ以上膨れ上がったら。

 よしんばその布教の手をマイノグーラだけではなく他国へと伸ばし始めたら。

 彼女の予想を超えて、この街と同じように布教が成功すれば……。


 おそらく、大陸全土を巻き込んだ混乱が巻き起こされる。

 懸念は、もはや確信に近いものとなっていた。


=Message=============

 ドラゴンタンで宗教が設立されました。


 ~~邪教イラ~~


 偉大なる神イラ=タクトを讃えよ!

 永劫不滅の絶対神を!

 その前に神はおらず、その後ろに神はいない

 唯一無二のその御名を讃えよ!


 来るべき祝祭の日に備え、ただひたすら祈りを捧げるのだ!

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