第九十八話:舌禍(1)
嵐の前の静けさという言葉がある。
総じて大きな事件の前には、不気味なほどの静寂があるというある種のことわざだ。
この日も、そんな静けさに満ちた日だった。
「では召喚の儀式を始めます。……イスラの例を考えると大丈夫だとは思いますが、念のため注意だけはしておいてください」
周辺を警護するダークエルフの銃士が了承したとばかりに頷く。
かつて全ての蟲を統べる女王を生み出した儀式場にて、アトゥは以前と同じく英雄を産み出そうとしていた。
今回使用するは黄金の山々。
ブレイブクエスタス魔王軍を撃破した時に手に入れたものの一部だが、この場には辺りを埋め尽くさんほどの量が集められている。
英雄の召喚は回を重ねるごとにコストが重くなる性質がある。
あれ程あった金貨も、今回の召喚で半分以上消費してしまうことになる。
まだ余裕はあるが今までのように湯水の如く使うわけにはいかないだろう。
ギアやモルタール老、エムルやエルフール姉妹といった主要のメンバーはあえてこの場に呼んでいない。
ヴィットーリオは謀りを得意とする英雄である。状況を説明する前に余計なことを吹き込まれては不味いと警戒したのだ。
――ヴィットーリオの能力は特殊だ。アトゥですら何が起こるか予想がつかない。
故に最大限の緊張と、最大限の警戒を持って儀式を行う。
彼女が瞳を閉じしばらくして……金貨の山に変化が起こった。
はじめに空間の重力が消え去ったかのように金貨がふわりと浮き出す。
かと思うとそれらはまるで突風に吹き飛ばされたかの如くぐるぐると弧を描き、小さな竜巻となって儀式上の中心へと集まる。
黄金の渦はどんどんとその密度と速度を増していき、やがてひとつの塊へと変じていく。
そうして球体だった塊がゆっくりと人の形を取り、突如ガラスが砕けるような音と共に爆ぜ――。
「幸福なる舌禍、ヴィットォォォッォォルィオ! 召喚の呼びかけに応え、今日も元気に罷り越してござぁいまぁぁぁっす!」
それは現れた。
背丈は優に2メートルを超える。他に比べ高身長ではあるが反面その体躯は非常に細々としたもので、不健康な肌色と相まってともすれば乞食にも思える。
手足は異様に長く、その瞳は不気味にまでに黒く輝いている。
身につける衣服は赤青黄とバランスという概念を何処かへと置き去りにしてきたかのように混沌じみていて、ボロボロに着古されたそれで無駄に上半身を覆っており全体のバランスが歪だ。
頭には奇妙なデザインの帽子。
そして何より――まるでその虚言を弄する性根を隠しきれなかったとでも言わんばかりに伸びた鼻と、他者を嘲笑するかのように伸びたふざけたデザインの髭が、その英雄がどのような存在か如実に物語っていた。
ダークエルフの銃士の息を飲む音が漏れ聞こえる中、アトゥは彼を凝視し、その一挙一動を観察する。
やがて新たなる英雄――ヴィットーリオは、仰々しい態度でボウ・アンド・スクレープと呼ばれる貴族が用いる礼を行うと、視線を上げて自らを迎える集団へと興味を移す。
「おんやぁ?」
わざとらしい驚愕の態度。
「おやおやおんやぁ?」
わざとらしい困惑の態度。
そのどれもがアトゥを苛立たせ、同時に警戒感を募らせる。
彼はまさしくヴィットーリオだ。呼び出されしそれは、寸分違いなく彼女の知る英雄であった。
だからこそ何よりも厄介で、何よりも予想がつかない。
「吾輩の偉大なる主にして、深淵の闇を統べしイラ=タクトさまはいずこにぃ?」
まず第一にその言葉が来たことにアトゥは内心で安堵する。
すでにイスラで経験していたことだが、彼が拓斗を自らの主として認識しているかどうか少しばかり不安だったのだ。
いや、気を抜くのはまだ早い。
未だニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら辺りをしげしげと観察しているかの奇人が、その内にどのような考えを秘めているのかは未知数なのだ。
むしろ今もその軽薄で無遠慮な笑みの裏で謀りごとを企んでいると考えることの方がそのあり方を思えば自然だ。
だがすでに賽は投げられている。アトゥが彼の力を借りるのは規定事項で、ならばこれから行うべきこともすでに規定事項だ。
すなわち彼への現状の説明と協力の依頼である。
アトゥは少しばかりに緊張と、これから確実に起こるであろう混乱に多いな不安を懐きながら意を決して口を開く。
「よく来てくれましたヴィットーリオ。拓斗さまについては、私の方から説明いたします」
「これはこれは! アトゥ君ではありませぬくぁっ! あいも変わらず貧相な見た目で、吾輩同情を……ぶふぅっ! き、禁じえませんぞ! くくっ!」
初手で煽りが来た。
アトゥはこめかみの青筋を浮かべつつもその言葉を無視する。
この程度で怒っていてはいずれ目覚めるであろう拓斗に顔向けができない。
今重要なのは何よりも拓斗の安否であり、彼が快方に向かうことである。
すなわちこの場においてアトゥが持つプライドや怒りなど無価値に等しい。
話を進めることこそが、最大の目的でありひいては拓斗の益につながるのだ。。
それはそれとして、貧相と言われた事は後ほどしっかりとけじめを取らせる腹積もりであったが……。
「余計な雑談は後ほど思う存分に、まずは拓斗さまとこの世界についての現状を説明します」
「むぅん? アトゥ君がねぇ……。ではどうぞぉ?」
顎に手をやり、これでもかと眉を歪ませ……いかにも不本意だといった様子で話を促すヴィットーリオ。
その辺りの不誠実な態度は想定済みでありさほど心を動かさない。
それどころかアトゥとしては彼の煽りがこの程度で済んだことに小さな驚きを抱いていた。
どうやらヴィットーリオとしても早く情報が欲しいらしい。
主である拓斗の安否を気にする程の理性が彼にあったことは驚きだったが、ひとまず邂逅の一段回目は突破したと判断しても良かった。
「では説明します。少し長くなりますがお聞きください。まずは私達がこの世界にやってきた時から話は遡ります――」
ダークエルフの銃士がこの場にはいるため、前世や『Eternal Nations』に関する話はできない。
アトゥは注意して言葉を選びながら、この世界にやってきてから自分と拓斗に起こった出来事と、現在巻き込まれている戦いについての説明を行うのであった。
………
……
…
「それってお前らが無能だからぢゃん。ちゃんと仕事しろよこのド貧乳」
「――ぐっ!」
ぐぅの音も出ないとはまさにこのことであった。
アトゥも辛辣な言葉に反論がでてこない。いや、反論を出すわけにはいかなかった。
なぜならヴィットーリオの言葉は一字一句違わず正論で、彼女たちの無力がまさしくこの状況を生み出しているからだ。
王を守らずして何が配下か。アトゥは自責の念にとらわれる。
守られるどころか、逆に守られこのざまだ。
我こそが拓斗の英雄と名乗りをあげるには、今のアトゥは明らかに無力であった。
「あーあっ! タクトさまお可哀想! こんな無能どものお守りをしないといけないタクトさまお可哀想! しかも無駄にそのツケを払わされて床に伏せるだぬぅあんて! ああ! おいたわしや! しかし偉大なる闇の王イラ=タクトよ! 貴方さまは一つ失態を犯したのでぇす! それこそが最初に呼ぶ英雄の選定! ではぁ? 本当に必要な英雄は誰だったぁ? イエス! このヴィッッットーリィオ!」
長々とした口上が終わり、アトゥの苛立ちは更につのる。
だが彼女とて無闇矢鱈と激憤し、相手のペースに乗せられるようなことはしない。
ただ大きく深呼吸しその手には乗らないぞとばかりに冷静さを保つ。
「貴方の指摘、今は甘んじて受け入れましょう。何よりも拓斗さまにお元気になっていただくことが最優先です。ヴィットーリオ……私たちでは拓斗さまのお力を取り戻す方法がわかりません。貴方のその知恵、その能力を貸してください」
「ふむぅん? アトゥ君にしてはやけに殊勝な心がけですねぇ! 吾輩、ちょっとつまんない!」
やはり先程の言葉はアトゥをからかう為だけのものだったのだろうか?
アトゥが乗ってこないと分かるとヴィットーリオはあからさまな意気消沈を見せ、その場にしゃがみ込んで本当につまらなさそうに土いじりを始める。
だが突然……。
「あっ! 吾輩いいこと思いついた! やっべ、じゃなかった――こほん。確かに、我らが王たるイラ=タクトさまの状況、看過できぬ国難。このヴィットーリオ、タクトさまのために全身全霊をもってこの問題の対処に当たり、必ずや王の心を取り戻してみせましょう! お任せくださぁいアトゥ君! このヴィットーリオにぃ! 安心して全部お任せくださぁい! もうマジで」
「……よろしくお願いします」
アトゥはそう返事をする他なかった。
とりあえずなんとか当初の予定通り彼に拓斗快復の手段模索を依頼することが出来たわけだが……。
その言葉の端々から強烈に漂ってくる胡散臭い詐欺師の香りが、アトゥをただただ不安にさせるのであった。
◇ ◇ ◇
ヴィットーリオがマイノグーラに参加してからのことであった。
彼が熱望する記憶喪失に陥った拓斗との謁見の後、マイノグーラの主要な人物との顔見せも終わってから……。
では早速彼の仕事ぶりを発揮してもらおうと考えるマイノグーラを襲ったのは、実に胃と精神に悪い日々だった。
「くぉれは! ぬぁんですか?」
ある日のことである。
いつの間にかマイノグーラの重鎮としての地位を得てしまったエムルが、もはや自分の役職が何だったか分からなくなってしまうほどの事務処理に追われていた時のことであった。
どこからとも無く現れたヴィットーリオがぬぅっと彼女が取りまとめを行っている書類を覗き込んできたのだ。
「ひぇっ! ……えっと、先の出来事を纏めているのですが」
一切気配を感じさせずに現れた彼に思わずギョッとしながらもなんとか答えを返すエムル。
正直彼女としてはニヤニヤと不気味な笑みを張り付かせたこの奇妙な英雄が苦手ではあったが、拓斗が復活するための方法を探るという重大任務を与えられている関係上無視するわけにもいかない。
なんとか平静を保ちながら、対応を心がける。
「ほほほぅ!? 報告書ですなぁ? ではちょっと失礼して拝見をば……」
一方のヴィットーリオはそんなエムルの内心などまるで知らぬとばかりに彼女の手元にある書類を乱雑につかみ取り、片っ端から読み漁り始める。
「ほ~~~ん。へぇ……えっ!? あっ。ああっ、なるほど。すぅ――はぁぁぁぁぁ」
あからさまなため息をつかれた。
ヴィットーリオという英雄の厄介さとはた迷惑さはすでに被害にあった人たちより嫌というほど聞いている。
加えてアトゥからのアドバイスもあったため当初は適当に話を合わせてお引取り願おうと考えていた。
だが自らが寝る間も惜しんで作り上げた報告書や記録まとめの書類などを前にこのような態度を取られては思わず口がすべる。
「あの、何か?」
「いんやぁ? なんでも? いやいや、なんでも? ただ……まぁ……ね?」
「なんですかっ!?」
我慢の限界だった。
挑発だと分かっていてもどうにも抑えが効かない。
それもそのはずだ。彼のような度を超えた性格破綻者はマイノグーラには存在していなかったし、ダークエルフの部族にも存在していなかった。
今までの人生全てを思い返すと唯一エルフ族の長老などは時折嫌味ったらしい言葉を投げかけてくることはあったが、目の前の奇人に比べればそれも児戯に等しい。
エムルにかかわらず、マイノグーラに住まう人々は今までここまで極端で厄介な人物に遭遇したことはなかったのだ。
ある意味でマイノグーラの住人は己の忍耐力を試される試練の最中にいるといえよう。
そしてエムルの試練が本人の意志を無視して開始される。
「意識が、低いなって」
「は? い、意識?」
「なんていうかな、仕事に対するヴィジョンって言うかな? 熱意が足りないっていうか……。吾輩はそれを君から感じられないんだよね。この仕事で業界のオピニオンリーダーになってやるっていうハングリー精神が。なんだろ? そもそも基本が分かっていないっていうか、全部足りないよ君。んーっ、これはメンターの問題なのかなぁ? いや、まだ学生気分が抜けてないってことかな?」
まるで立板に水が流れるかのごとく罵倒と煽りと嘲笑の濁流がエムルを襲う。
それらの一部、あるいは殆どが彼女にとって未知の単語ではあったが、馬鹿にされているのは簡単に理解できた。
と言うかわざとらしくこちらを見つめながらニヤニヤ笑いのこれである。
馬鹿にする以外の意図が感じられなかった。
「で、では具体的にはどうすれば! ぜひご教示頂きたいのですがっ!」
声を荒げるエムル。普段穏やかで理性的な彼女がここまで感情をあらわにすることは稀だ。
だがその態度こそヴィットーリオが待ち望んだもので、
「その位自分で考えて。社会人でしょ?」
「はぁっ!? ――くっ、くぅっ!!」
エムルの顔を怒りで真っ赤にさせるに十分なものであった。
「ひえっ! なんか怒ってるから近寄らんとこ。んでわでわっ! さらばですぞぉ!」
その態度に満足したのか、それともからかい飽きたのか。
エムルの表情をひとしきり堪能したヴィットーリオはわざとらしいこ台詞を吐きながら来た時と同じくどこかへと消えていく。
その後姿を睨みつけながら、エムルはただただ悔しそうに歯ぎしりをした。
………
……
…
また、別の日のことである。
此度の標的はダークエルフの戦士団。国と王のためにとさらなる研鑽を積み重ねるべく日々奮闘しているギアを筆頭とした者たちであった。
「なんと! ダークエルフはタクトさまより与えられた銃器にて武装をしているのぉですかぁ! それは素晴らすぃっ!」
また突然。その男は現れた。
訓練中とはいえ、いや訓練中だからこそ気を張っていた彼らが気づかぬうちの接近。
果たしてどのような手段を用いたのか訝しみながらも、戦士長のギアは彼に応対する。
「はい、王より賜りし神の国の武器によって我々は今まで以上に強力な戦力となることができました。更に研鑽に努め、王の剣と盾になれるよう日々精進しています」
「しからばぁ、タクトさまのご安全も完全完璧――でしょうなぁ!」
「くっ! ……それは!」
ギアの言葉に先程までの勢いと自信がなくなる。
すでにヴィットーリオは今までマイノグーラで起こった出来事の全てを大まかに把握している。
であればこの指摘もわざとのもので、当然理由は嫌味を言うためであろう。
アトゥからさんざん注意しろと言われていたギアだったが、早速きたかとばかりに内心である種の覚悟を決める。
「いたいよぅ。吾輩、いたいよぅ……」
しかしどうしたことか、とうのヴィットーリオは突然胸を抑えながらその場にうずくまり、情けない声で泣き始めたのだ。
「むっ!? ど、どうかなされたかヴィットーリオ殿」
こうなってはギアとしても声をかけなければならない。
アトゥからはできる限り無視するようにと言われていたが、ここで形だけでも心配する態度を見せておかねば戦士団団長としての信用にかかわるし、なにより本当に怪我や病気などだった場合は大事だ。
そう思って心配したのだが……。
「ギア戦士長が守ってくれなくて負った怪我が、痛いよぅ」
「は? 一体それはどういう……」
「我らが王のお心を代弁しているのです」
ヴィットーリオの陰湿さはその気遣いを纏めてどこか彼方へと放り投げてしまうものだった。
「痛いよぅ。痛いよぅ……このままじゃ死んぢゃうよぅ。誰かさんが守ってくれなかったせいで、あっさりぽっくり死んぢゃうよぅ」
「なっ、なんだそれは! 王を侮辱するのはゆるさんぞ!」
「王ではなくてお前を侮辱してるのですぞ」
すっくと立ち上がり、途端に真顔で言葉を投げ放つ。
緩急併せ持ったその煽りにギアの怒りはどんどんと増していく。この男はなんのためにマイノグーラにやってきたのだ?
自らの責務も果たさず国に不和をもたらし、一体何を考え何をしたいのだ?
煽り気質で他人を挑発し激怒させることを好むとは聞いていたが、これは酷すぎる。
いくらこの英雄が王の体調を快復させるにあたって重要であるとは言え、このままでは国の崩壊すら招きかねない。
何より……このような人物に王が救えるとは思えない。
ギアは、場合によってはヴィットーリオに対してある種の覚悟すら必要かと感じ始めていた。
「確かに我々の不甲斐なさが今の王の状況を生み出している。その汚名は決して拭い去れないものだ。だがその場にいなかったヴィットーリオ殿がそれを言うか? そもそも、今まで呼び出されなかったことが王からの信任を得られていないことの証明ではないのか?」
殺気立つ。
エムルと違って、そのまま黙って怒りに震えるままにしておくほどギアはお人好しでも自制心が効くわけでもない。
それどころかいまだ結果を出してすらいないのにここまでさんざん好き勝手言われては、引くわけにはいかなかった。
それは周囲で話を聞いていたダークエルフの戦士たちも同様で、一気に場が剣呑とした雰囲気に包まれる。
そんなダークエルフたちの怒りを一身に浴び、ヴィットーリオがどういう態度に出たかというと……。
「ひっ! ひぃぃぃぃぃ!!!」
その場で情けなく盛大な土下座を行ったのだ。
「お、おゆるしをぉ! まさかそこまでお怒りになるとは思わなかったのですっ! 普段仕事しないくせに、王も守れ無いくせに、プライドだけは一丁前にあるとは! まさかこのヴィットーリオ夢にも思わなかったのですぅぅぅぅ!」
地面に頭を擦り付けながらもチラチラとこちらを窺うその態度が何よりも気に食わなかった。
ヴィットーリオはギアたちダークエルフが誇り高く、土下座して許しを請うものを斬れないことをよく知っていたのである。
それが例え形ばかりのものだったとしても。
こうしてまた、ヴィットーリオに強い不信感と忌避感を抱くものが生まれた。
無論これは彼らだけではない。
ほとんど例外なしと言っていいほど、マイノグーラの住人はヴィットーリオからの洗礼を受け、その感情をあらわにさせられた。
果たしてこの行為に意味はあるのか? それともただ単に彼の趣味なのか……。
本来の目的――拓斗の快復につながる何がしかの手段を得るという重要な任務などどこ吹く風といった様子で、ヴィットーリオの被害は急速に広がっていった。
◇ ◇ ◇
拓斗は現在その記憶を失っており、王としての采配一切が不可能となっている。
故に抗議と不満の言葉はもれなくアトゥへとやってくる。
汚泥のアトゥは、英雄としての誇りがどこにいったかと言わんばかりの表情で机に突っ伏し頭を抱えていた。
「よ、予想以上です。予想以上に厄介でした……」
「飴ちゃん取られたー」
「前に王さまにもらったお菓子、根こそぎ持っていかれたのです……」
隣でプンプンといった態度で頬をふくらませるエルフール姉妹になんともいえない表情で笑みを返しながら、アトゥは頬を引くつかせる。
本日のヴィットーリオ被害者一号と二号である。
なお一見して他の人々に比べて穏やかなやり口に思われるが違う。
ヴィットーリオは姉妹がまだ精神的に幼い部分があり、分別や判断に足りない部分があることを理解した上で、一番困るであろう嫌がらせを選択しているのだ。
しかも姉妹が密かに大切にしていた王から直接もらったお菓子を奪うという最悪の形で。
これが昼間のことだったから良かったものの、もし満月の夜にでもやらかそうものなら間違いなくマイノグーラに血の雨が降り注いでいたであろう。
無論それはヴィットーリオの血である。
もっとも、全て承知のうえでしかりと昼間を選んで犯行に及んでいるであろうことは明らかであったが……。
エルフール姉妹から視線を逸らすとそこにはモルタール老と戦士長ギア。
他にもよく見かける文官から、普段はさほど関わりのないダークエルフの住民。
果てはブレインイーターやニンゲンモドキなどのマイノグーラ由来のユニットまでいる。
この全員がアトゥへの訴えを携えてこの場にいるのだ。
もちろん内容は一つしか無い。あの仕事もせずに他人にちょっかいを出すしか脳のない奇人をどうにかしろ。である。
どうしようもない。
一度思いっきりぶん殴ったら言うことを聞くようになるだろうか?
そんなことをしても無駄なことは分かりきっていたが、アトゥは引き続き頭を抱えながらヴィットーリオを黙らせる方法を考える。
無論いくら考えても答えは出て来ない。そもそもそんな都合の良い方法があるのならすでにアトゥが実行しているからだ。
そんな中、トラブルは更に舞い込む。
「た、大変です!」
慌てた様子でかけつけてきたのはエムルだ。
昨日散々愚痴を聞いてやったのだがまたぞろ嫌がらせを受けたのか? と思ったアトゥだったが、その慌てた様子にどうやら何か問題が発生したようだと眉をひそめる。
「どうしましたか? よもやヴィットーリオが何か?」
「出ていきました……」
「は?」
頭が理解する前に声が漏れた。
「街から出て、勝手にどこかに行っちゃったみたいなんです!」
「はぁっ!?」
おもわず素っ頓狂な叫び声を上げるアトゥ。
ヴィットーリオはいつも彼女の予想を上回る。
それも悪い方向で……。知っていたはずなのにすっかり忘れていた。
いや、知っていたが目を逸していたのだ。
まさかそんなことにはならないだろうと、希望的観測を抱いていた。
だが現実は非情である。
蓋をしていた問題は当然のように噴出し、周囲を巻き込んで大騒動へと発展する。
とんでもない事が起きる。
その予感をひしひしと感じながら、アトゥは胃に嫌な鈍痛を感じるのであった。
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