第九十七話:方針決定

 大呪界の奥深く、マイノグーラの宮殿では先の戦いにおいて受けた被害の検証と今後の方針についての策定が行われていた。

 主要な面々が集まるこの場において主導を務めるのは汚泥のアトゥ。

 彼らの主である拓斗が不在の中、どこか痛ましい空気の中で会議は始められる。


「さて、現在マイノグーラを取り巻く状況は皆さんご存知だと思います」


 開口一番放たれた言葉に、その場にいた者は全員静かに頷いた。

 先の戦い……つまり聖王国クオリアから分かたれた神光国レネアとそれらを率いる者共。

 TRPG勢力と呼ばれるそれらとの戦いは混乱と衝撃の連続であった。

 一方的な襲撃とアトゥの離脱。そして拓斗の出撃とアトゥの奪取。

 最終決戦ではまさに破滅の王の呼び名に相応しき破壊を敵へともたらし、そこに至る過程はどのような者にも予測不可能。

 イラ=タクトという存在を世界に知らしめた戦いだった。


 だが結果として見れば……果たしてこれは勝利と言えるのだろうか?

 確かにアトゥは再びマイノグーラの元に戻り、神光国は完膚なきまでに破壊された。

 しかしながらその代償はあまりにも大きいものであった。


「言葉を濁すことはあえてしません。現在拓斗さまの記憶は失われており、国家を率いる事が出来ない状況です」


 それこそが王の不在。

 伊良拓斗の状況がマイノグーラを取り巻く危機的状況をこれでもかと示している。

 国家とは王であり、王とは国家である。

 拓斗の状況が芳しくない今、マイノグーラは今までの戦いのどれよりも窮地に陥っていると言えた。


「王の体調に何か変化は……?」

「いえ、残念ながら」


 藁をもすがる思いなのだろう、どこか苦々しい表情で戦士長のギアがアトゥへと尋ねるが、静かに返された言葉に肩を落とす。


 拓斗の現状を簡単に説明すれば、記憶喪失と表現するのが一番近いだろう。

 言語や一般的な常識は残っているようだが、自分が誰かを完全に忘却しアイデンティティを失っているようであった。

 今は自室の椅子に座り日がな一日外をぼんやりと眺めている。

 何故か時折記憶が戻るようで運が良ければアトゥと会話をすることも出来るが、だとしてもそれはほんの僅かな時間で、到底国家を率いることなど不可能であった。


 原因不明。解決策もまた不明。

 ただ一つわかることは、早急な対処が必要であるという明らかな事実だけだ。


「王の不在の責任はこの私にあるのですが、今はそのような事を論じている暇が無いことは皆さんも理解しているところです」


 アトゥは己の不甲斐なさと無力感にどうにかなりそうになりつつも、己を叱咤し言葉を紡ぐ。

 まだ終わったわけではないのだ。自分が敵の手に落ちた時も拓斗は助けてくれた。

 なら今度は自分が彼を助ける番だ。そして拓斗がいなくても自分に出来ることはいくらでもある。


「王が不在の間のマイノグーラ運営。そして王が早く快復されるよう我らにできる最善を行う――ですな」


「ええ、現在私が代理として国家の運営能力を譲渡されています。慣れない仕事ですが、皆さんの協力があればその点については問題ありません」


 一時は拓斗の状況に落ち込みこそすれど、今のアトゥは比較的平静を保っている。

 もともと英雄としての機能と同時に、指導者としての機能も有しているアトゥであれば国家の運営も問題なく行える。

 ダークエルフたちのサポートもある為、国内に関して言えばさほど不安視は無い。


「国内は問題ないでしょう。しかし国外に目を向けるとそうはいきませぬぞ」


「ええ。国外の調査は急務。情報が不足していてはどのような判断もリスクになりえます」


 問題は外だ。

 モルタール老の鋭い指摘も、今この場では頼もしくある。

 彼の言う通り国内以上に国外の動きが厄介であった。

 神光国レネアの破壊はすでに先の戦いでなされている。そしてその中核たる魔女とプレイヤーの撃破も完璧に行われた。

 だがその後の状況があまりにも不明だ。相手側に余力が残っていたとしてもすぐさま行動に移せるとは思わないが、他の善勢力の動向が掴めないのは危険に過ぎる。

 だがマイノグーラはこの世界において『Eternal Nations』の頃とは全く別の大きなアドバンテージを有している。それこそが彼らだ。


「その点はご安心を。王がお休みであろうと我ら臣下は健在。すでに手のものを放ち、情報収集に努めております」


 彼らダークエルフは元々が暗殺や情報操作に長けた一族。

 拓斗も太鼓判を押していた能力はこの状況下においても遺憾なく発揮される。


「それは僥倖。……で、何か判明している事はありますか?」


 その言葉を待っていたのだろう。予め内容を精査していたであろうエムルより情報がもたらされる。

 それはマイノグーラにとって少々よろしくない類のものであった。

 すなわち聖女二人の存命確認と、何処へと行方をくらましたことの情報。

 結局、魔女エラキノの願いどおりに二人は生きながらえることとなった。

 彼女たちが持つ奇妙な友情を間近で見ていたアトゥとしては、二人の聖女が今後マイノグーラに対してどのような行動に出るかは火を見るより明らかだ。

 懸念事項がまた一つ、アトゥの頭を悩ませる。


「行方不明というのは気になりますな。これはどこぞに潜伏して立て直しを図っていると見て良いでしょうな。ワシらがあの時に王に代わり止めをさせていれば……」


「そうですね……。いえ、拓斗さまが自らの計画を片手落ちで終わらせるはずがないので、無論二人の聖女も予定に入っていたはず。それが叶わなかったというのはやはりあの時点でギリギリだったのでしょう……」


「王の御身を優先する以上、ワシらではどうしようもなかった、ということですな」


 アトゥは記憶を思い起こす。最後のあの時、拓斗は聖女ソアリーナに止めを刺そうとしていた。

 だが突如その行動を中止してまで撤退を選んだ。

 戦闘中わずかに頭痛を感じているような仕草はあったが、抱え込んでいた爆弾があの瞬間まさに爆発したということだろう。

 それだけではない。

 あの時確かに彼は舌打ちと同時に言ったのだ「流石にそれは無理だったか」と。

 すなわち自分たちでは知覚できない何らかの異常が発生し、作戦の変更を余儀なくされたのだ。


 結果がこれだ。

 拓斗ですら予期できなかったそれは、結果として拓斗本人を蝕むこととなっている。


「アトゥさん。王は現在どのような状況なのでしょうか? その、このままお休みになっていれば回復するのでは……」


「いいえ。断言はできませんが、時間が解決すると考えるのは少し楽観的かもしれません」


 悲しげに尋ねてくるエムルの言葉に、アトゥは歯がゆい思いで残酷な現実を突きつける。

 この状況にアトゥもただ黙っていただけではない。

 記憶喪失と忘却ということで能力に関連性のあるメアリアを呼び出し、密かに拓斗を診てもらったことがあったのだ。

 だが返ってくる答えは奇異なるものだった。

 曰く「記憶を忘れていると言うよりは、王さま自身が初めからそこに存在しないの……」

 通常とは違う異常。拓斗の状況は、判明すればするほど絶望的な事実を突きつけてくる。


 ゆえにアトゥは考えた。

 このまま時を重ねたとしても拓斗が回復する見込みは残念ながら少ない。

 それはあの時の本人の態度からも明らかだ。

 何かこの状況を打破する手段が必要だった。

 そして幸であるか不幸であるかはさておき、アトゥはその手段を一つ知っていた。


「拓斗さまのご不調はおそらく能力を使ったことに起因するもの。ですが現状では何が悪影響を及ぼし、どのように対処すれば回復するのか全くもって想像がつきません」


 会議の場がいっそう暗くなった気がした。

 無論物理的にではない。その場にいる者たちの消沈がこのような錯覚を思い起こさせるのだ。

 だがアトゥによる次なる言葉で、錯覚は全く逆の形を見せる。


「拓斗さまを取り巻く問題に対してとある英雄の協力を仰ぎます」


 その言葉に全員の視線がアトゥへと向かう。

 驚きと、そして期待だ。

 すでにその決断を知っているモルタール老は唯一冷静にことの成り行きを見守っているが、他の者達が浮かべる期待の色は見るからに明らかでその興奮度合いがうかがえる。

 それほどまでに、この国で英雄が持つ影響力は大きい。


「英雄の名は《幸福なる舌禍ヴィットーリオ》。戦闘能力は皆無ですが、その不利を覆すだけの深謀遠慮に長ける英雄です。彼の能力について説明は難しいのですが……力押しでは対処できない複雑な状況でこそ真価を発揮すると言っておきましょうか」


「素晴らしい! まさにこのような状況に打ってつけではありませんか! 早速その英雄殿をお招きし、王のご不調を解決してもらわねば!」


「はい! 王がお伏せになられたと聞いてどうなるかと思いましたが、希望が湧いてきました!」


「うむ、この状況を打破するにはそれが一番でしょうな。聞けば王にも認められる程の知謀との事。ワシも今からお会いするのが楽しみじゃ」


 他にもその場にいるエルフール姉妹や、書紀役の文官などが喜色をあらわにする。

 先程までの閉塞感がうそかのように、会議室に活気と熱気があふれかえる。


「英雄を召喚する資源に不足はありません。準備も特に必要がありませんので明日にでも召喚を行いたいと思います。あの者なら必ずや拓斗さまを快方に向かわせる策を編み出してくれるでしょう」


 静かに語るアトゥ。

 彼女を見つめるダークエルフたちの瞳には強い意志の炎が灯っている。

 今度こそ自らの王をお守りし、マイノグーラを唯一無二の覇権国家としてこの世界に君臨させるという強い意志だ。

 その第一歩が新たな英雄召喚。自分たちの平穏を邪魔する全ての存在に対する反逆の狼煙は、今まさに挙げられたと言えよう。

 だが……。


「ですが……その、……皆さんに少しお願いがあります」


 その熱気に冷水を浴びせる存在が一人いた。

 なにやら微妙な表情を浮かべ、何かを言いにくそうに落ち着かない態度を取る少女だ。

 それは他ならぬアトゥであった。

 いの一番に気炎を上げても良いはずの彼女の態度にダークエルフたちは内心で首をかしげる。

 彼らの困惑が伝わったのか伝わってないのか、アトゥはなにやら決心を決めた様子で突如よくわからないことを言い出した。


「少しでいいので、今この場で世界一頭がおかしくて、世界一言動がうざったくて、世界一自分を苛立たせる存在を考えてみてくれませんか?」


 ダークエルフたちは再度内心で首をかしげた。

 果たしてそれにどういう意味があるのだろうか? だが特に反論する意味も無いので言われた通り内心でそのどう考えてもお近づきにはなりたくない人物像を描く。

 そして……。


「それがヴィットーリオです」


 アトゥから不意に爆弾が投下された。


「断言しましょう。初手で私はブチギレます。空に登った日が落ちるように、水が高き場所から低き場所に流れるように……ヴィットーリオは私に対して全力で喧嘩を売ってきて、私は全力でそれを買うでしょう。それが真理であり、二人のあり方なのです」


 往々にして、才能あふれる者は代償に何か常人とはかけ離れた感性を有していることがある。

 アトゥ曰く、ヴィットーリオもその類なのだそうだ。

 口を開けば他人を煽り、不愉快にさせずにいられない。

 何を考えているかよく分からず、ただただ結果を出す。とは言え行動も発言も不謹慎かつ不適切。

 存在するだけで他人を苛立たせる英雄。それがヴィットーリオなのだ。


「皆さんにお願いしたいのは、私がブチギレてヴィットーリオを殺しそうになったら止めて欲しいということなのです。ほんと、やつと私の相性は最悪なのです」


 『Eternal Nations』上司にしたくない英雄堂々第一位並びに、部下にしたくない英雄堂々第一位。

 その英雄は、残念なことに汚泥のアトゥをからかう事が大好きであると、そう設定付けられていた……。

 世界観に厚みを持たせるための挿話にて、何度も自分をマジギレさせたその英雄のことを思い返すだけで、アトゥの心は沈んでいく。


「ほんと、もう……考えるだけで……ハラワタが……」


 言葉につまり、ぷるぷると震えだすアトゥ。

 彼女の中でヴィットーリオという存在がどれほどのものかをこれでもかと指し示している態度だ。

 アトゥという少女は邪悪なる破滅の王に仕える英雄には似合わずにいささか子供的な部分がある。

 故に感情をあらわにする態度というのはさほど珍しくないのだが、それにしてもこれはいささか限度を超えたものと言わざるをえなかった。

 それほどまでに、汚泥のアトゥという存在は幸福なる舌禍ヴィットーリオに嫌悪感を抱いているらしかった。


「出来ることならあんなヤツは召喚したくない。ですがその頭脳と能力だけは随一。かの存在に頭脳戦で勝てるものは拓斗さまを除いて他に存在しないと断言できます……それだけの存在なのです」


 アトゥの熱弁にダークエルフたちもただ首を縦に振るしかできない。


「くっ、考えたらなんだかイライラしてきました……」


 どれだけその英雄の事が嫌いなんだ。

 あからさまに機嫌が悪くなったアトゥにその場にいる面々はなんとも言えぬ表情を浮かべる。


 だがそれほど嫌っていてなおその力を認めている。

 英雄の凄まじさは理解すれど、此度の者はどのような存在なのか。

 興味や不安といった様々な感情が入り乱れる中、新たなる英雄の召喚はすぐそこまで迫る。

 マイノグーラにとって新たな変革の時期が、訪れようとしていた。


 ◇   ◇   ◇


 召喚前日の夜は、ここ最近嵐のように過ぎ去っていった日々を思えばひときわに静謐であった。

 静かで、ゆっくりとした時間が流れ、誰にも邪魔されない……二人だけの夜。


 アトゥは椅子に座りぼんやりと窓から夜の景色を眺める拓斗の側に立ち、自らが心から敬愛する主に穏やかな視線を向ける。


「思えば、こうして静かな時間を一緒に過ごすのも初めてかもしれませんね……」


 返事はない。

 拓斗は心ここにあらずといった様子で、事実彼の心はそこに無いのだろう。

 だがアトゥはそれでも変わらず言葉を紡ぐ。


「拓斗さま。本当はこういうのダメなんでしょうけど、私はどこかこの状況を懐かしく思っているんです。――あの頃もこうやって夜遅くに二人でおしゃべりしていましたね。もっとも、あの頃の私はお返事ができなかったので拓斗さまのお話を聞くばかりでしたが」


 かつての時間がアトゥの脳裏に思い起こされる。

 拓斗とアトゥがこの世界にやってくる前、病床で毎晩の如くかわされた逢瀬。

 それがたとえ拓斗の一方的な語りかけであり、通常で考えるのであれば到底正気とは思えない行動だったとしても。

 そこに絆はたしかに存在していた。そしてその絆は今なお強く二人を結びつけている。

 だからこそ……。


「だから今度は私が拓斗さまにおしゃべりしちゃいますね。拓斗さまがお元気になられて、またいつものように二人で過ごせる時まで……」


 返事はない。だがアトゥは自らの想いが必ず拓斗に届いていると信じていた。

 彼の言葉は自分に届いた。だから自分の言葉もきっと届いているだろうと。

 そうして拓斗に語りかけ、ずっとずっと、彼が夜の静けさに誘われ眠りにつくまで。

 アトゥは懐かしい思い出に浸るのであった。


=Message=============

一時的に《汚泥のアトゥ》がマイノグーラの指導者になりました。

同期間中、イラ=タクトは指導者から離れます。


生産項目が新たに選択されました!

生産中!《幸福なる舌禍ヴィットーリオ》

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